2010/08/11

麻布の愛育病院で行なわれていた「一年保育」って聞いたことありますか?・・・ある意味、特殊な環境で育ったボクの生後一年間

生まれてから1歳までの環境というのが、その人の「人格構築」「趣味嗜好」「親子関係」「人間関係」にも影響するらしい・・なんてことを聞くと、ボクはなんともいえない不思議な気分になります。
・・・というのは、ボクは生後、母が出産した愛育病院(現:愛育クリニック/有栖川宮記念公園隣)内で「一年保育」という環境で育てられ、自宅で生活し始めたのは満1歳を過ぎてからだったからです。



「一年保育」というのは、未熟児とか、病気の赤ちゃんを預かるのではなく、健康な新生児が対象となっていました。
ひと言で言えば・・・新生児を生後一年間預かってくれる「24時間の育児所」ということです。
最近、少子化の問題の原因のひとつに、子供を産んでも預かってくれるところがないから子供を作れないという問題がありますが・・・それを一気に解決してしまう素晴らしいシステムと言えるかもしれません。
「一年保育」を利用するためには、まず愛育病院で出産するということが条件で、およそ「満1歳までの誕生日」まで、という一年間が単位となっていたらしく、数ヶ月だけ預かるということはしなかったようです。
一年間もの期間、新生児を預かる費用は決してリーズナブルではなく、「一年保育」を利用したのは、1960年代には珍しかった働いていた女性・・・それも女性経営者や芸能人が多かったようです。
全費用がどれくらいであったのか、母はまったく記憶にないらしいのですが・・・当時としては、かなり高額であったと思います。
それほどの出費をボクを育ているためにしてくれたのだと思うと、ただただ感謝です・・・。



1960年代は、社会全般的にどこか未来志向のようなのがあって、いろんな現場で実験的なことが行われていた時代でした。
「一年保育」も、仕事を持つ母親のための育児所という便利性だけでなく、新生児を病院という管理された空間で、看護士という医療のプロの監視によって育てるという「未来の育児」を実践していたのではないでしょうか?
医学的な常識というのは時代によって変化するものですが・・・A病院では、母乳ではなく赤ちゃん用のミルクで育てられていたようです。
そもそも健康な乳児なのですから、特殊な装置に入れられているわけでもなく、新生児たちは広い小児棟に点々並んだベットに、ひとり、ひとり、寝かされていました。
人数は入れ替わりがありますが、育児は一部屋に7~10人程度ぐらいだったのようです
生後一年間、愛育病院内で生活していたわけですから、普通であれば自宅で家族と共に経験することだって、ボクは院内で看護士さんたちと経験することになりました。

離乳食を食べたのも、
トイレの訓練をしたのも、
歩行器で歩く練習をしたのも、
初めてのクリスマスを祝ったのも、
初めての誕生日を迎えたのも・・・。

満1歳の誕生日を迎えて(満1歳の誕生日風景/下の画像参照)しばらくして、ボクは「一年保育」を終了して、自分の家で暮らし始めるのですが・・・その時の記憶が一切ないところをみると、病院から家への移行はスムーズであったのでしょう。



自分が異常な環境で育てられたとは思っていませんが、一般的ではなかったことは、小学校に通い始める頃から段々と分かってきました。
大人になってからも、留学先で出会ったいろんな人に一年間生まれた病院で保育された話をするのですが、誰からも驚かれてしまうのです・・・欧米各国から中近東、南米、アジア圏すべての人々から。
生まれたばかりの赤ん坊を、集団で「管理」するという発想が、特にアメリカ人の友人らには共産主義的な「管理」=「洗脳」を連想させるらしく、気味悪く思われてしまうことも、しばしばでした。
世界的にみても、健康な新生児を一年間預かる病院というのは、珍しいことではあるのかもしれません・・・。



愛育病院での「一年保育」は、いつから始められて、いつ辞めてしまったのか分かりません。
しかし、行われていた期間は、それほどの長期間ではなかったような気がします。
今まで「一年保育」で育ったという人には出会ったことは一度もありませんが・・・同じ環境で生後一年間を過ごした人は、ボク以外に日本にいるはずなのです。
その人たちが、その後どういう人生を歩み、どんな人間となっているのか、・・・たいへん興味があります。
もしかすると、似たような味覚を持っているのかもしれませんし、似たような健康問題を抱えているのかもしれませんし、似たような人間関係の問題があるのかもしれません。

愛育病院の一年保育卒業者たちに、今更ながらボクは”絆”を感じてしまうのです。



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1 件のコメント:

  1. 私は自分の母とうまく母娘関係が持てませんでした。私もその、1年保育経験者(昭和39年生まれ)です。小さい時は、疑問に思いませんでしたが、母となった今ははそのシステムに対して大きく反発を感じています。私も、同じプログラムにいた子供達がどのように育ったかとても興味があります。

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