2012/10/31

不快度MAXの問題作になるはずだった!?・・・少女の性への嫌悪感は容赦ない悪意へと暴走するの!~「先生を流産させる会」~


そのタイトルからして・・・禍々しいヤバさを感じさせる「先生を流産させる会」という映画について耳にすることはあっても、一般の劇場で公開というのは、なかなかありませんでした。カナザワ映画祭、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで上映されるだけ・・・陽の目をみることはなしにDVDスルーになるのかなと思っていたところ、今年の5月にはレイトショーなど限定的ながら劇場公開されました。結局、ボクが本作を観ることになたのは、先日DVD化されてからのことではあったのですが・・・タイトルの過激さの期待には応えきれていない残念なオチの作品でした。

「先生を流産させる会」は、2009年2月に発覚した愛知県の中学校で実際に起きた事件を元にしています。部活動のことで注意されたり、席替えで一部の生徒を優遇する配慮(不登校気味の生徒の近くに仲の良い生徒が座るようにした)をしたことに不満を持った「男子生徒」(当時、中学1年生)11人が「流産させる会」を発足させて・・・当時、妊娠6ヶ月だった30代の担任女教師を流産させることを目的に、給食に異物を混入させたり、イスの背もたれの部品のネジをゆるめる細工をなどをしたのです。女子生徒からの通報で犯行が発覚して、教師は流産することはなかったということですが・・・実際に犯行に関わった男子生徒5人は刑事告訴もされず、いたずらの範疇として厳重注意だけで済まされたということに、疑問を投げかけた事件ではありました。

本作では、犯行におよぶ生徒たちを「男子生徒」から「女子生徒」へと変更されているのですが・・・これは、かなり大きな変更であります。本作は、元ネタとなった実際の事件とは、まったく別モノといっても良いでしょう。男子であれば「男の性の暴力性」や「女教師へのアコガレや嫉妬」というのが犯行の理由となるのかもしれませんが・・・女子による犯行だとすると「性への嫌悪感」「性的な存在への成長拒否」など内向きな精神的な問題となるからです。

たった62分という”中編”映画作品でありながら・・・「先生を流産させる会」は「告白」などの湊かなえ原作作品に通じる”女の悪意”の連鎖”をジワジワと感じさせます。女子中学校の教師サワコ先生(宮田亜紀)の妊娠が発覚し、多感な女子生徒たちのなかでは不穏な注目を集めます。グループのリーダーのミヅキ(小林香織)は「あいつセックスしたんだよ」と嫌悪感を明らかにし、グループの他の女子生徒たちも「気持ち悪いよ」「キモいね」と同意・・・集合場所となっている廃屋のラブホテルの部屋で「先生を流産させる会」を結成することになるのです。このサワコ先生というのが、理想的な教師として描かれているかというと、そういうわけでなく・・・女子生徒が反抗心を持つのも理解できるような、ちょっと嫌な女として感じられるのが絶妙であります。

まず、ミヅキたちはサワコ先生の給食のスープに異物を混入させます。生徒との談話しながらの給食中に、サワコ先生は嘔吐してします。悪意のいたずらを察したサワコ先生は、手紙で犯人を手紙に書いて密告するように生徒たちに迫ります。その結果、先生を流産させる会のひとりが密告して、すぐさま犯行に関わった女子生徒たちが呼び出されます。「もし、自分が妊娠してお腹の子供を殺されたら、どうするか?」と問い詰めるサワコ先生に対して、生徒たちは「訴える」「分からない」と答える中、リーダー格のミヅキは「生まれたないんだから、いなかったことにすればいい」と開き直ったような返答をします。後に、水泳の授業中に”初潮”を迎えることになるミヅキにとって、胎児という存在は”命の尊さ”よりも”妊娠の汚らわしさ”の象徴でしかないようです。性的な自分を拒絶するということは「自己否定」「自己嫌悪」でしかなく・・・リーダー格として確かな自分をもっているように見えるミヅキという少女が、グループの中で最も危ういということなのかもしれません。

女子生徒たちに向かって「私は先生である前に女なの!あなたたちも生徒である前に女なのよ!」と叱るサワコ先生・・・いくら悪質な生徒に対してであっても、こんな言葉を投げかける先生というのは”アリエナイ”ような気もしますが、何が何でもお腹の子を守ろうとする鬼気迫る強い思いを感じさせます。「お腹の子を殺した奴は殺す!」とまで脅すのですから。しかし、ミヅキたちはサワコ先生の”脅し”にも屈することもなく、流産させるための犯行をやめることはありません。サワコ先生の椅子の部品を取り除いて転ばします。ミヅキは理科室から劇薬を盗んで、毒を盛ることさえ計画を始めるのです。

ここからネタバレを含みます。



グループの中で密告していた女子生徒の母親は、絵に描いたようなステレオタイプの”モンスターペアレンツ”で、娘を登校させなくなっていたのですが・・・ミヅキは、その娘を巧みに呼び出し、廃屋のラブホテルの一室で、劇薬の調合をさせます。モンスターペアレンツの母親とサワコ先生が、娘を捜して乗り込んできたことを察したミヅキは、その娘を部屋に閉じ込めて、サワコ先生を返り討ちするのです。スタンドライトを振りかざし、お腹を殴り続けて、ミヅキは当初の目的どおり・・・サワコ先生を流産させてしまいます。

遂に、サワコ先生が逆上して、悪意の化身であるミヅキに襲いかかるのか・・・と思ったら、ミヅキを襲うとするモンスターペアレンツの母親への”盾”となって、ミヅキの身を守ろうとするのです。最後の最後には、生徒に流産させられても、モンスターペアレンツに立ち向かう戦う教育者としての”正義”に目覚めるとでも言うのでしょうか?自分のお腹の子を無惨にも殺した生徒を、自らの身が傷つけられても守るのが、教育者としての使命なのでしょうか?川原に水子を共に弔うサワコ先生とミヅキ・・・なんとも釈然としない”和解”であります。

「教育映画」的な問題提起・・・という”良い子”な逃げ道を選んだエンディングになってしまったことで、サワコ先生の”人間性”の救いが、かなり「ぬるい」作品に貶めてしまっているのは、本当にガッカリでありました。流産させられたサワコ先生が、言葉どおりミヅキを殺す、または、殺そうとするという決着をつけるしかないような話だと思うのです。そしてサワコ先生は流産した上に、世間からは罵倒される・・・という救いのない絶望を描いて欲しかったと、ボクは切に願ってしまったのでした。


「先生を流産させる会」
2011年/日本
監督、脚本、製作:内藤瑛亮
出演      :宮田亜紀、小林香織、高良弥夢、竹森菜々瀬、相場涼乃、室賀砂和希、大沼百合子
2012年5月26日より日本劇場公開


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2012/10/23

敷かれたレールの乗っているからこその”ヒエラルキー”と”同調感”・・・学生時代の呪縛からは大人になっても逃れられていない!?~「桐島、部活やめるってよ」~



最近、映画館に足を運んで映画を観ることって少なくなりました。ボクの視力が悪くなったのか、老眼のせいなのか、スクリーンに映される画像が、自宅の大型液晶テレビで観る画像より、ぼんやりと見えてしまうということが、ひとつ。死ねコンプレックスが増えて、映画館で上映されている作品自体は増えているように感じるのだけど、公開から日にちが経つと一日の一度しか上映など変則的なスケジュールだったりすることが多いことがあるかもしれません。

そして何よりも・・・ネットを通じて、作品の評判を耳にしてしまうと・・・良い評判でも、悪い評判でも、結果的には良い方に転ばないことが多いということもあります。ボク自身、公開前の作品について、ネタバレ気味に感想を書いていることもあるので、批評や感想をネットで公開することを否定出来る立場ではありませんが・・・良い評判を聞くと、期待度が高くなって、実際に観た時のハードルが高くなりがちです。何も知らずに観れば、新鮮な驚きとともに、とっても良かったと思える作品でも、評判ほどではない・・・とか、マイナスへ働きがちだったりします。逆に、悪い評判ばかりを聞いてしまうと、観ようと思っていた作品でも、観る意欲が一気に失われたりします。だったら、観たいと思っている映画については、極力評判などは観ないようにするべきというのは分かっているんだけど・・・気になってしまいます。

「桐島、部活やめるってよ」は、公開時には殆ど気にしていなかった作品でした。しかし、いろんな人の評判があまりにも良いので気になってきた時には、すでに上映しているのが都内では単館での、それも一日一回しか上映でしかなく、連日満員売り切れ状態となっていました。10月に入ってから再び拡大上映という異例な作品で、2012年の邦画ベストワンの呼び声も高まってします。ただ、これほど期待度のハードルを上げられた状態で観たことが災いしてか・・・ボクの観賞直後は「ふ~ん、スゴく上手に作られた映画だけど、話としてはコジンマリしているなぁ」という印象でした。しかし、原作本を読んでみて、本作がいかに映画的表現によって原作以上に細かな心理を表現していたことを、改めて感じたのです。

原作は2009年の小説すばる新人賞を受賞した朝井リョウの同名小説・・・受賞当時19歳の現役大学生が同世代の気持ちを表現した作品は、正直ってボクのようなアラフィフのおじさんには、文章のテンポに違和感があって、大変”読み辛い”小説でした。バレー部キャプテンの桐島が突然理由も告げずに部活をやめたことにより、学生たちに起こる波紋を描く群像劇であるのですが・・・桐島本人は登場しないというところが「ゴトーを待ちながら」風になっています。映画化にあたって、吉田大八監督は説明的なモノローグの台詞などを一切排除し、ひとつの出来事が起こった状況を各キャラクター視点によって繰り返し描くことにより、その場にいたそれぞれのキャラクターの心情を痛々しいほどリアルに観客に伝えることに成功しているように思います。それ故、ストーリーを追っていくというよりも、各シーンごとに浮き彫りにされる登場人物たちの内面を垣間みることが醍醐味という感じ・・・観客によって感情移入出来るキャラクターがあるだるし、説明し過ぎていないので観客が感情的に余白を埋めていくということにもなるようです。

本作で描かれるのは、生徒によって築かれている学校内のヒエラルキー(格差社会)・・・ルックスが良くて、運動ができる(他に勉強ができる、家がお金持ちとか)というヒエラルキーの頂点に君臨する者がいれば、見た目がイケてなくて、運動が苦手という下層に属さなければいけない者がいるというのは、青春時代に誰もが感じさせられることかもしれません。そして、同調感を保つことで仲間はずれにになることもなく所属するグループに存在できる・・・それって、学生時代に限らず、会社や仕事場でも誰もが無意識に行ってしまっていることかもしれません。ヒエラルキーを意識して同調感によって人との関係を成り立たせることは、大人にあってからも人間関係の基礎だったりするので、本作は年齢を超えて共感を呼ぶのかもしれません。学生時代に感じた理不尽な呪縛から逃れたいけれど・・・結局、大人になっても、ヒエラルキーを無視することは出来ず、同調感によって人間関係の潤滑油にしていることには変わりないのです。だからこそ、本作に強い思いを感じる人が多いのかもしれません。

ボク自身はというと・・・高校時代に登校拒否になり、その後に海外留学という「反則技」を使ったので、世間一般的にいう”敷かれたレール”から自ら外れてしまいました。それ故に、日本社会のヒエラルキー感覚や同調感によって成立させる人間関係とは、一歩も二歩も引いたところにいるような気がしています。利害が発生する関係であっても、立場的に上の人に”おべんちゃら”を使って同調感を築くことに、どうしても抵抗感を感じてしまうのです。ただ、ビジネスに於いて力関係に従うのは当然のこと・・・ヒエラルキー感覚と同調感に優れていることで、業界的に成功している人というのも多いのは当たり前なことなのです。”敷かれたレール”から外れてしまったボクの生き方は「やり方が下手くそねぇ」ってだけのことなのかもしれません。

「桐島、部活やめるってよ」
2012年/日本
監督 : 吉田大八
脚本 : 吉田大八、喜安浩平
出演 : 神木隆之介、橋本愛、東出昌大、清水くるみ、山本美月



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2012/10/12

カルト教団こわ~い・・・信じる者は最後に暴力へ導かれる!?~「レッド・ステイト/Red State」「マーサ、あるいはマーシー・メイ/Martha Mary May Marlene」~



カルト教団の恐さのひとつって・・・詐欺まがいで金を集めたり、訳のわからない奇行をさせられることもあるけど、信者になってしまった人が自己判断能力を失ってしまうことだと思います。もしかすると、当初は何かしらの”救い”を与えているのかもしれませんが・・・教団が社会的に受け入れられなければ受け入れられないほど、教団の閉鎖感と異常性が過激になっていきがち。最終的には教団に反するものを排除するための”暴力”へと発展しがちです。いつの時代にも、世界のどこかで、新たなカルト教団が出現して、不可解な事件を起こす・・・ナチス、コミュニスト(共産主義者)、テロリストに続いて、カルト教団は、映画の中では”絶対悪”の存在として扱われるのかもしれません。

「チェイシング・エイミー」や「恋するポルノグラフィティ」などの”ダメ男”のためのラブコメで知られる、オタク監督ケヴィン・スミスが、わざわざ自ら400万ドルの資金集めまでして自主制作した「レッド・ステイト/Red State」は、保守的なキリスト教団体を”キ○ガイ”扱いする過激な内容のサスペンス・アクション映画であります。

アメリカ中部の田舎町の高校生3人組が、セックスの相手を募集する女性のネット広告につられて、喜んで出向くと・・・そこには、結構いい歳の迫力のある”おばちゃん”(メリッサ・レオ)が待ち構えていたのです!そこで引き返せば良いものの、誘われるがままトレーラーハウスに入ってビールを飲むと、彼らは気を失ってしまうのです。彼女は超保守派のキリスト教信者で、性の乱れを象徴する”悪しき者”として、彼らを教会内で公開処刑しようと罠にはめたのでした。教祖(マイケル・パークス)が語る教団の教えは、アメリカ国内に今も実在するキリスト教原理主義的な教会の思想に近く、保守派の信者たちにとっては一部は賛同できてしまいそうなところが恐い・・・同性愛や堕胎手術を宗教的に許さないというアメリカ人は、統計的には3人に1人はいるのだから。

少年達が処刑されそうになるまでは、ティーン向けのホラー映画っぽいノリなのですが・・・中盤からは機動隊が派遣されて、捕虜であるはずの無実の少年達も、洗脳されている信者達も殺されていく銃撃戦となっていきます。そして最後には、機動隊のエージェント(ジョン・グッドマン)が、事件の顛末を、上司に報告するという政治的な会話劇になっていきます。また、冒頭の憲法についての授業、教祖が教団の思想を語るくだり、機動隊エージェントと上司とのやり取りなど、説明的な台詞が多くてクドい印象・・・キーパーソンとなる教祖役のマイケル・パークスとエージェント役のジョン・グッドマンの説得力のある演技力によって、ケヴィン・スミス監督の、超保守的なキリスト教団の思想に対してだけでなく、威圧的な権力構造に対しての嫌悪感も、ヒシヒシと感じられる奇妙な映画となっています。

保守的なアメリカの一部では、同性愛や堕胎手術を否定するほうが常識的だったりします。ボクが、同性愛や堕胎手術は自由意志だと考える権利が与えられているように、超保守派にも反対する権利が平等に許されているのです。宗教や思想の自由のない社会は恐ろしいけど、自由のある社会というのも、また恐ろしい・・・しかし、その”宗教”によって、歴史的に人は殺し合ってきたわけで、何が正しいのか分からなくなってきてしまいます。


「マーサ、あるいはマーシー・メイ/Martha Mary May Marlene」も、カルト教団を描いた映画ではあるのだけど・・・こちらは、マーサ(エリザベス・オルセン)という1人の女性が、あるカルト集団に洗脳されていく過程を、淡々と描写していきます。ミヒャエル・ハネケ監督のような地味な作風ではありますが、じわじわと恐くなってくる作品です。

ニューヨーク州のキャッツキル周辺の農園で、自給自足に近い集団生活をする若者たち・・・ギター演奏で唄を歌ったり、一緒に農作業したり、一見するとヒッピー的には理想に近い生活環境のようにみえます。しかし、その実態はリーダーの男(ジョン・ホークス)によって洗脳された集団だったのです。本作は、2年間音信不通だったマーサが、姉夫婦(サラ・ポールソン、ヒュー・ダンシー)の家に転がり込むところから始まり、時間軸をシャッフルして、時には”ワンショット”ごとに「カルト集団を逃げ出して姉夫婦の家に身を寄せている現在」と「カルト集団の中で生活していた過去」を行き来しながら、どうマーサが洗脳されていったかを丹念に描いていきます。そして、どうして彼女は逃げるきっかけになる集団の素顔が徐々に明らかになっていきます。

集団生活を始めてまもなくして、マーサはリーダーに犯されるのですが、それは”名誉”なことであると、先輩の女性メンバーから教え込まれます。そして、いつしかマーサ自身も、後輩女性に同じことを教え込む立場になっていったのです。集団との共同生活の中ではセックスは共有するもの・・・マーサは、姉夫婦がセックスに励んでいる最中のベットに「1人では眠れない」と、添い寝してくるという奇妙な行動をしたりします。

ここからネタバレを含みます。

この集団が、一線を超えるような犯罪行為も行っていることを知り、マーサは精神的に壊れていきます。それはある意味、マーサがギリギリのところで理性を保っていたということでもあるのですが・・・それこそカルト集団からすれば裏切りでしかなく、許されない行為でもあります。集団から離れてもマーサの頭の中は、カルト集団のトラウマからは逃れられません。姉夫婦の家を離れて、専門機関に入ることになったマーサ・・・施設に向かう車の背後には、カルト集団の影が迫ってくきていたのです。静かだけど、観る者を恐怖に落とし込むエンディングでありました。

ボク自身は、キリスト教の影響を影響を受けた家庭環境で育ったものの・・・宗教観には乏しくて、どちらかというと”無神論者”かもしれません。仏教に関しても無知で、お墓や仏壇にも強い思いはありません。そんなボクですが・・・一度だけカルト教団に関わったことがあります。

テレビドラマや舞台劇になるほど有名な三姉妹のファッションデザイナーの次女のところで働くことになったのですが・・・彼女の会社はキリスト教をベースにしたカルト的な教会の信者になることを自社で働く人に強要する会社だったのです。まぁ・・・明らかに法律違反の行為なのですが、わざわざ裁判沙汰までにするような人もいなかったようです。ボクだけが納得すれば良いんだから・・・と、真冬の池に頭まで突っ込まれながら洗礼を受けました。ただ、ボクがどうしても受け入れられなかったのは、自分のプロジェクトに関わる外部の会社の人たちまでも、ボクの責任で洗礼を受けさせなければいかないということ・・・それは、どうしてもボクには出来ない事でした。日曜日に真面目に礼拝にも通わないボクは、数ヶ月でクビになりました。

朝礼で”かけ声”をかけたりする会社というのは、ボクにとってはちょっと不気味・・・このような「一体感」の強要って、仕事の効率を上げたり、協調性を高めるとは思うのだけど、ゆるい解釈での”カルト集団”的な恐さを感じてしまうのです。


「レッド・ステイト」
原題/Red State
2011年/アメリカ
監督、脚本、編集 : ケヴィン・スミス
出演       : マイケル・アンガラノ、カイル・ガルナー、マイケル・パークス、メリッサ・リオ、ジョン・グッドマン
2012年10月27日より「シッチェス映画祭/ファンタスティックセレクション」にて公開




「マーサ、あるいはマーシー・メイ」
原題/Martha Mary May Marlene
2011年/アメリカ
監督 : ショーン・ダーキン
出演 : エリザベス・オルセン、サラ・ポールソン、ヒュー・ダンシー、ジョン・ホークス
2013年2月日本劇場公開


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