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2009/09/30

「ブリッ子」が輝く時と場所!


いつごろから「ブリッ子」という言葉が生まれたのは定かではないけれど、松田聖子が出現したあたりから耳にしたような気がします。
僕は、明菜派でもなければ、聖子派でもないけれど、「ブリッ子」のほうにイラっとくる方なのです。
ただ、近年はアキバ系のメイドやアニメキャラが一般的に受け入れられてきたところもあって「ブリッ子」という差別的な表現するほうが、稀になってきている印象があります。

入院生活の後半の数日間は、4人部屋で過ごし周りの状況なども冷静な目で観察出来るようになっていました。
「看護婦」ではなく「看護士」という男女でも指す名称になったものの、僕の入院していた病院の看護士は全員女性でした。
看護士が女性である方が、男性患者にとってだけでなく、女性患者にとっても、なにかと都合が良いのでしょうが、仕事内容は時に力仕事も含むハードなものなので、現場に男性がひとりもいないというのは結構驚きでした。

女性の看護士には、大雑把に分けてふたつのタイプがありました。
ひとつは、仕事をテキパキとこなす元気な看護士で、どちらかというと勤続年数は長く、主任とか担当看護士というような責任のある立場だったりします。
一般の会社とかだったら課長とか係長のような「キャリアっぽい女性」です。もうひとつは、ちょっと甘ったれた口調の若い看護士で、仕事の手順が悪かったりしますが、可愛らしさでカバーして許されてしまう「ブリッ子っぽい女性」です。
普段の状況であれば、間違いなく僕は前者のタイプの女性を高い評価をするのですが、入院している状況だと「ブリッ子」というのは、ある種「癒し効果」を生むんだと感じました。

入院中というのは淡々と時間を過ごしていますが、時には体調が優れなかったり、退院出来ないストレスとかで、感情的には結構ボロボロな状態だったりします。
そんな時に、テキパキした手順の良さというのは、追い詰められられるようなプレッシャーを感じさせられます。
怒られているような気分にもなってきたりして、看護士が巡回してくるだけで妙な緊張感があったりします。
また、馴れているルーティンの仕事だからなのか、血圧検査の結果を患者に伝えなかったり、点滴の交換時間を忘れていたりとか、小さなケアレスミスが意外にも多かったのが、キャリアっぽい看護士のほうでした。
ブリッ子っぽい看護士は、しゃべり方から仕事の進め方まで、ゆっくりなのですが、それが入院している患者にとってはちょうど良いスピードだったりします。
また、上司への報告義務があるのか、業務マニュアルどおりに仕事をこなすことだけには長けていて、逆にミスは少なかったりします。

テキパキしている看護士は、体格的にガッチリしていて、いつも元気一杯でパワフルなのですが、基本的に声が大きく、またその声が院内に響き渡ります。
言うことを聞かない患者に怒鳴り続けて鍛えられた声帯・・・?と、想像してしまうほどの声量で、耳から脳に響くような声であれこれ指示されると、患者はその声を聞くだけで疲れてしまいます。
大きくなる声と反比例して、年寄りの患者はますます看護士に非協力的になるという悪循環を生んでいました。
それとは逆に、ブリッ子の看護士は、自分の手順が遅いこともあってか、とりあえず年寄りの患者を黙って「待つ」のです。ノンビリとしたスピード(悪く言えばダラダラ)に逆に心安らかになり、患者のほうから自然と看護士に協力的になっていくという好循環を生んでいたのです。
結果的に部屋全体が良い雰囲気になるし、語尾を伸ばした鼻にかかった話し方と相まって「ブリッ子」嫌いの僕でさえ、なんとなく~く癒されてしまったのでした。

ただ・・・「ブリッ子マジック」の癒し効果が発揮されるのは入院中だけで、退院が決まった直後に「お昼も食べて言ったら良いのに~」って、甘ったれた口調で言われた途端に、僕はイラっとしました。
やっぱり、現実の世界に戻ってしまうと「ブリッ子」は勘弁してくれ・・・ってことなのでした。

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2009/09/26

えばる男って・・・ダメだなぁっていう話


自分に余裕がないと周りのことって見えないものですが、入院したばかりの時は自分のことで精一杯でありました。
しかし、点滴のポールをゴロゴロしながらも、トイレに行けるようになると、自分の置かれている状態というのを、じっくりと観察するような余裕が出てきます。

僕は緊急入院したために、最初の2,3日は「リカバリルーム」と呼ばれる手術後の患者のいる、ナースステーションに隣接した大きな部屋の一角のベットにおりました。
周りには、生命維持装置を付けているようなお年寄りが多く、自由に歩き廻れるなんて、なんとも申し訳ないほどでした。
生きるか死ぬかの状態で、どうしても唸り声のような溜め息のような”音”は漏れてしまうのは仕方ないことだとは思いましたが、僕以外の患者は水一滴も飲めないようないようで「水をくれ~」と泣きながら訴えている様子は、聞くに耐えられないものはありました。

消化器系の患者が多いフロアだったので、7,8割は年配以上の高齢者、そのうちの殆どが男性のようでした。
というのも・・・声を出して、あれこれ訴えるのは、男の声しか聞こえないのです。
それほど大きな病院ではなかったので(カーテンで視線を遮ることは可能な)男女混合の合い部屋でした。
確かに女性のほうが数は少なめなのですが、女性の声というのは病棟で殆ど聞こえません。
僕の向かい側にいた70代ぐらいのおじいさんは、看護士が何をしても「痛い!痛い!」と大声を出す始末で、可哀想というよりも、滑稽にしか思えませんでした。
採血やらなにやらで少しは痛いことはありますが、我慢の「が」文字も出来ないとは情けないおじいさんでした。

入院から数日後にリカバリールームを出て、4人部屋に移りました。
僕の斜め向かいのおじいさんは、元々身体が不自由なようで介護的なケアが必要な患者だったのですが、とにかく”わがまま”の限りで、昼夜問わず、看護士が来るまでナースコール押し続けたり、大声で叫び続けるのです。
仕舞いには、でベットのスチールパイプを何か固いモノででガンガン叩くというアピールまでするので、大変迷惑な同室者でした。
家族が面会に来ると今すぐ自宅に帰りたいと駄々をこねて大騒ぎ・・・そして、しばしのハンガーストライキという無意味な行動を取るので、看護士もお手上げのようでした。
寝たきり状態に近いはずなのに、ベットの上で暴れまくるようでしたので、ある意味、元気だったのかもしれません。

歳を取ると老人は子供に戻るとは言いますが・・・カワイイ子供になるわけでなく、癇癪持ちのわがままな子供になるわけですから情けないものです。
僕は96歳で亡くなった祖母がいましたが、明治の我慢強い女性の見本のような人で、亡くなる一時間前まで自分でトイレに歩いていくというほど毅然としていたそうです。
入院中に見たような老人というのを実際に目にしたことがなかったので、他人とはいえ、ちょっとショックではありました。ただ、えばりまくっていた男の最後って、こんな情けないことになるのだということを証明していたようで・・・やっぱり人生というのは、どこかで「フェア」になっているような気がしてしまうのでした。

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2009/09/22

”それ”はいきなりやってくる・・・「下血ブー!」で緊急入院


その夜、遅めのランチだったこともあって、夜9時過ぎまで電話で友達と話したりして、夕食はまだ食べていませんでした。
9時半頃、お腹が下ったような感覚があったので、二階の部屋から階段を下りてトイレに用を足しに行きました。
いくら何でも下し過ぎかなぁ・・・というくらい”流れ”出たので、便器を見てみたら、血が混じったような感じでした。
「何か、おかしい」と思いながら立ち上がったたころ、ちょっとフラっとしました。
母のいたダイニングルームに足を踏み入れるやいなや、めまいで倒れてしまったのですが、いきなりのことだったので、母は「何をふざけているの?」ぐらいに思ったそうです。
倒れてすぐさまに、再びもようしてきたので、フラつきながら慌ててトイレに戻りました。
用を足している間にドンドン頭がボーっとしてくるし、これは普通ではないと思いつつ、立ち上がって下着を穿いたところで、僕はどうやら気を失ったようなのです。

スピリチュアル的なことでも、霊的体験でもなく、単に脳科学的な現象だと思うのですが・・・気を失っている間、僕自身は先月亡くなった親友のお墓参りに行かなくちゃ!と、焦っている場面にいました。
2週間ほど前から友人のご家族にお墓の場所を訊ねているのですが、なかなか連絡をもらえず、ここ数日大変気になっていたところだったのです。
深層より浅いレベルで気になってことだったので、意識を失っている脳内に真っ先に浮かんだ”大事なこと”だったのでしょう。
意識的には僕はお墓参りに行っているつもりでいたので、心配してトイレを覗きにきた母に向かって、気を取り戻した僕の第一声は「お墓参りに行かないと!」だったのでありました。

僕の目の前にはトイレの掃除用品などがあって、何故そんなモノを目にしているのか一瞬理解に苦しんだのですが、母が「こんなの見たことない!救急車呼んだらいいの?どうしたらいいの?」と叫んでいる様子で、現実に引き戻されました。すぐに、自分がトイレで気を失っていたことを把握しました。
傷害事件の現場のような”血の海”に倒れているというトンデモナイ状況であったので、まず「救急車呼んで!」と、母に言いました。
ところが「救急車の番号って何番だっけ?」と、母はかなり慌てている様子でした。
母は間違って”消防署”に電話をしてしまったようですが、このような場合にはどちらでも関係ないようで、救急車はすぐ来ることになりました。

母は電話で「近所に恥ずかしいから、サイレンならさないで欲しい」とお願いをしたようですが、その願いは叶いませんでした。

冷静さを徐々に取り戻してきた僕は、血だらけの状態で搬送されるのは「嫌っ!」と思いたち、服を脱いでお湯が入ってあった湯船に飛び込みました。
さっきまで気を失っていた人間が、いきなり風呂に入って良いのか?と、後になって思いましたが、その時はとにかく身体をキレイにしたかったのです。
僕が風呂場にいる間に、母が着替えを用意してくれたのですが、白い下着、白いシャツ、黒いスラックスという”お出掛け”のコーディネートだったので、自ら二階の部屋に行って、汚しても良いようなカジュアルな服に着替えました。
また、必要最低限のモノを持っていかなければと思い、保険証、財布、携帯電話を小さなバックに入れました。
意外にも冷静な自分に驚きながら、バッタリと玄関に倒れて救急車を待ちました。

救急車は電話してから5、6分ほどで到着したようです。
その時は、それほどめまいもしていなかったので、自分で歩いて救急車の中の担架に横になりました。
救急車のなかでは、何が起こったのかいろいろと質問されました。
意識あるうちは問題なくやり取りが出来るのですが、気が遠くなるような感覚に時々襲われて頭がクラクラしました。
総合病院に到着した時には意識はあったのですが、医者から説明を受けていると、また気が遠くなりだしました。
このまま意識をなくして死んでしまうような恐怖感を感じて、僕は必死に自分の意識と戦いました。後から分かった事ですが、大量の血を失って貧血状態だったというわけではなくて、下血と下痢による脱水状態で血圧が急激に下がっていたために、意識を失ったり、失いかけたりしていただけだったようです。
また、トイレでの血の海の正体は、出血した血液だけではなく下痢便が混じっていたために、大量の血のように見えたらしいです・・・ゲゲゲー!
薬の投与で血圧も安定したところで、内視鏡による大腸の検査と、胃カメラによって胃と十二指腸の検査をしましたが、結局出血場所は分からず仕舞でした。
病室に着いた頃には、すでに真夜中を過ぎて日付は翌日になっていました。

かつてないほどドラマティックな一夜だったので、病室でなかなか寝付くことが出来ませんでした。
ただ、自分が「生きるか」「死ぬか」のような大変な状態ではないことは、なんとなく確信出来ました。
気分が落ち着いて、その夜起こったことを頭の中で改めて想像してみると、まるでギャグ漫画のように思えてしまいました。おしりから血を噴き出して気絶なんて「鼻血ブー!」ならぬ「下血ブー!」だなと...。
真っ暗な病室でひとりニヤニヤしながら、僕の初入院は始まったのでした。

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