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2019/05/25

元祖”MGMの女王”は映画プロデューサーの奥さまなの!・・・ジョーン・クロフォードとの対比でみえるノーマ・シアラー(Norma Shearer)の”恵まれた女優人生”と”したたかな人生設計”~「マリー・アントワネットの生涯/Marie Antoinette」~


映画好きのアメリカ人の友人が「ノーマ・シアラー(Norma Shearer)が最近の一番のお気に入り!」と繰り返し賞賛するので・・・ジョーン・クロフォード”がらみ”で観たことのある「女たち/The Women」しか馴染みのなかったノーマ・シアラーの主演作を、現在視聴が可能な(DVD化などされていて)20数作を観てみてみることにしたのです。

ジーン・ハロウやグレタ・ガルボと同時期に、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の”スター女優”であったノーマ・シアラーは、根っからの”ジョーン・クロフォードファンのボクからすると、ジョーン・クロフォードの所属していた映画会社のボスの妻という目障りな存在(笑)というイメージしか持っていなかったのですが・・・1920年代のサイレント時代から1940年代初頭までのハリウッド黄金期に活躍して、見事なまでの引き際の”ハリウッド女優”らしい女優さんであったことが改めて知ったのです。

1902年にカナダで生まれたノーマ・シアラーは、比較的恵まれた家庭環境で育つものの父親がビジネスで失敗して破産・・・離婚後、母親は映画ビジネスに関わっていた兄を頼ってニューヨークへ移り住みます。1920年頃から映画出演を始めるのですが、数年ほどはモデル等の仕事をしながら、主にB級映画にエキストラ出演するという下積み生活が続きます。


ノーマ・シアラーには”ガチャ目”気味という致命的な問題があったのですが・・・のちに夫となる映画プロデューサーのアーヴィング・タルバーグ(Irving Thalberg)がノーマ・シアラーに目を止めて、ルイス・B・メイヤーに推薦・・・ノーマ・シアラーはハリウッドに招かれて週250ドルで契約することになるのです。

アーヴィング・タルバーグは、1920年代から30年代に天才的な手腕を発揮した映画プロデューサー・・・エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督の「愚かなる妻」「グリード」、キング・ヴィダー監督の「ビック・パレード」「ハレルヤ」「チャンプ」、トッド・ブラウニング監督の「フリークス」など、錚々たる作品に関わっています。MGMが1930年代に巨大な映画会社となりえたのは、ルイス・B・メイヤー経営手腕だけでなくアーヴィング・タルバーグの映画製作のセンスと言っても過言ではないと言われるほど、業界的には力を持った人物です。

ハリウッドに到着の翌日、初めてアーヴィング・タルバーグと会ったノーマ・シアラーは、彼に一目惚れしたそうなのですが・・・そりゃあ、ハリウッドの到着したばかりの新人女優からしてみたら、これほど自分の女優としてのキャリアに”プラス”になる人物はいないわけでありますから、どんな手段を使ってでも誘惑したい相手であったことは言うまでもありません。

スクリーンテストで良い結果を残せず、映画監督からも容姿も演技もダメ出しをされていたにも関わらず、ノーマ・シアラーが映画会社からクビになることがなかったのは、アーヴィング・タルバーグの後ろ盾があったからだったとしても不思議ではありません。1924年4月、ルイス・B・メイヤーによって合併/設立された「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー映画」所属の”スター女優”(主役の女優)として、ノーマ・シアラーは、週給1000ドルで契約することになるのです。

1904年(諸説あり)にテキサスで生まれたジョーン・クロフォードは、生まれた時には既に実の父親はおらず、義理の父親と共にオクラホマ州やミゾーリ州を転々としながら、働きながら学校に通うという貧困生活を強いられることになります。それでもダンサーになる夢を持ち続けて、ブロードウェイを目指してニューヨークに移り住み、バックダンサーとして働きながらスクリーンテストを受け続けます。1924年の12月、MGM所属のエキストラダンサーとして週給75ドルで契約することになるのです。

MGM社長のルイス・B・メイヤーによって招かれてハリウッド女優生活をスタートしたノーマ・シアラー。かたや、エキストラのダンサーの一人としてハリウッド映画界に足を踏み入れたジョーン・クロフォード・・・1924年の時点に於いて、二人の女優の格差は天と地ほどだったのです。


主演女優として活躍を始めたノーマ・シアラーの出演作品には、ジョーン・クロフォードがエキストラ出演することもありました。1925年の「Lady of the Night/夜の女」でノーマ・シアラーのボディダブルを務めたのは、無名時代のジョーン・クロフォードであったことは有名な話。ノーマ・シアラーが演じたのは双子の姉妹という設定で、二人がスクリーンに同時に映されるシーンで後ろ姿で出演しているのが、ジョーン・クロフォードでだったのです。この時の侮辱的な(?)経験がジョーン・クロフォードのライバル心に火を灯したのかもしれません。

サイレント映画全盛時代にノーマ・シアラーは”お嬢さま”役として、イメージの良いキレイな役どころを演じ続けるのですが・・・それには、アーヴィング・タルバーグの意向もあったと言われています。1927年、ノーマ・シアラーはアーヴィング・タルバーグと結婚。アーヴィング・タルバーグはノーマ・シアラーに専業主婦になることを望んだそうですが、ノーマ・シアラーは女優を続けることを望み、より良い役を得ることに固執し続けたそうです。人気女優の確立できたのも、映画会社の幹部の妻であるからこそと言えるでしょう。


一方、サイレント映画末期にジョーン・クロフォードはフラッパーダンサー役でブレイクして、その後「Rugs to Riches」と呼ばれる成金物語のシンデレラガール的な役を演じて人気を博す”スター女優”となります。監督、脚本家、撮影監督などと肉体関係を持って自分を売り込み、エキストラのダンサーから主演女優へと成り上がったジョーン・クロフォード自身を体現するような役柄で知られたわけで・・・「蝶よ花よ」と”お嬢さま”扱いで売り出されて、映画会社の幹部の”奥さま”に収まったノーマ・シアラーに良い役が与えられると、腹わたの煮え返る思いであったと言われています。1929年、ジョーン・クロフォードはダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードの息子ダグラス・フェアバンクスJr.と結婚・・・ハリウッドのロイヤリティーファミリーと一員となり、まさに底辺から成り上がったのです。

その後、1930年代に入るとサイレント映画からトーキー映画へなっていくのですが、ノーマ・シアラーもジョーン・クロフォードも無事移行に成功・・・2人ともMGM映画の看板女優として活躍し続けます。

1930年、ノーマ・シアラーは「結婚双紙/The Divorcee」で、アカデミー賞主演女優賞を受賞。浮気や離婚を赤裸々に扱ったヘイズコード以前の作品で、ヒロインは性的にリベラルな都会的な女性だったので、夫のアーヴィング・タルバーグはノーマ・シアラーが主演することには反対だったそうです。ただ、それまでの”お上品”で”好感度の高い役柄から脱皮したという意味では、一皮剝けたと言える作品であったかもしれません。その後のノーマ・シアラーは、映画会社の幹部夫人という恵まれた立場を十二分に利用しながら、女優生活を送り「MGMの女王」として君臨するのです。

1930年代のハリウッド黄金期においてのジョーン・クロフォードの活躍を説明する必要がないとは思いますが・・・クラーク・ゲーブル(めのおかし参照)をはじめ、当時の名だたるスター男優との数々のヒット作品に恵まれて、女優の中では最高金額の出演料を受け取るまでになります。ハリウッドという業界で成り上がりきったら、ダグラス・フェアバンクスJrとは離婚して、東海岸の良家出身のフランチョット・トーンと再婚・・・10年前には手の届かない存在だったノーマ・シアラーとジョーン・クロフォードは、ある意味並ぶ存在にはなったのです。、

ノーマ・シアラーは、賢く良作を選んで、マイペースで女優業を続けます。レスリー・ハワードと共演した1936年の「ロミオとジュリエット」はジョージ・キューカー監督による大作で、プロデューサーは勿論、夫であるアーヴィング・タルバーグであります。ただ、32歳のジュリエットと39歳のロミオは年齢的に厳しかったことは否めません。


「ロミオとジュリエット」に続く超大作として、ノーマ・シアラー主演で「マリー・アントワネットの生涯/Marie Antoinette」の制作準備中、元々病弱であったアーヴィング・タルバーグは37歳という若さで亡くなってしまいます。後ろ盾を失ってしまったノーマ・シアラーでありましたが、その後もMGM映画からは”元”幹部夫人として、丁重に扱われ続けたと言われています。アーヴィング・タルバーグの死後も制作が続けられたのが、1930年代に制作された映画の中で「風と共に去りぬ」の390万ドルに次ぐ制作費292万ドルをかけた「マリー・アントワネットの生涯」なのです。

何と言っても、衣装にお金をかけすぎて・・・当時高価だったカラーではなく白黒で撮影することになってしまったというのですから、本末転倒であります。ただ、衣装の豪華さは白黒であっても空前絶後。なんとか制作費を工面してカラー映画として完成することができていたなら、もっと映画史に残る作品になったのではないかと思ってしまいます。白黒映画のカラー化には反対の立場のボクですが、本作に関しては製作時のカラーを正確に再現できるのであれば、是非カラー化して欲しいです。


タイトル通リ・・・シュテファン・ツヴァイクの伝記をベースに、オーストリアの少女時代からフランス王妃として処刑されるまで、マリー・アントワネットの生涯を”悲劇のヒロイン”として描く本作。ベルサイユ宮殿の敷地で、撮影が許可された最初の映画でもあります。ノーマ・シアラーの体だけ小柄にする撮影方法で、14歳の少女らしさを演出しているのは見事です。「ベルサイユのばら」でも有名なフェルセン伯爵との切ない恋も描かれるのですが・・・フェルセン伯爵役が顔の濃~い若き日のタイロン・パワーだったりするのは、ご愛嬌(?)かもしれません。

処刑される前夜のルイ十六世と子供たちとのささやかな団欒、処刑直前にやつれきった姿でのフェルセン伯爵との再会、そして処刑台に向かっていく弱々しい姿・・・エンディングに向けて、これでもかと悲劇が盛り上がります。本作後、様々なマリー・アントワネットが映画の中で描かれましたが、本作が最もマリー・アントワネット側に寄り添っているかもしれません。

ノーマ・シアラーが「マリー・アントワネットの生涯」で、女優として頂点を極めたころ・・・ジョーン・クロフォードは「ボックス・オフィス・ポイズン/Box-Office Poison」=「興行成績の振るわないスター」というレッテルを貼られてしまいます。いつまでもシンデレラガール役を演じられる”娘”というわけでもありません。そこで、ジョーン・クロフォードは「イメージチェンジ」という大胆な戦略をとるです。


それが、ノーマ・シアラーとジョーン・クロフォードの唯一の共演作品「女たち/The Women」であります。この作品については以前、めのおかしブログで書いているので、詳しくはそちらを読んでください。(めのおかし参照)

ノーマ・シアラーが演じるのは、浮気されてしまう上流階級夫人という・・・いわゆるノーマ・シアラー”らしい”集大成的な役柄です。逆にジョーン・クロフォードが演じるのは、1940年代に演技派へと移行する布石ともなる浮気相手の”悪女役”・・・一応、主演はノーマ・シアラーなのですが、脇役のジョーン・クロフォードが映画を食ってしまったと言えるかもしれません。

「女たち」後、ジョーン・クロフォードは試行錯誤はするものの1945年の「ミルドレッド・ピアーズ」で念願のアカデミー主演女優賞を受賞して、その後数十年スター女優であり続けます。一方、ノーマ・シアラーは、1942年の「Her Cardbox Lover」(ジョージ・キューカー監督、ロバート・テイラー共演)を最後に女優引退します。アーヴィング・タルバーグという後ろ盾を失った後、良い役柄が永遠に与え続けられるわけもなく、40歳を過ぎてスター女優で居続けることにも限界を感じていたのかもしれません。何が何でもスターの地位に居座ろうという欲もなく、見事な引き際だったように思えます。ジョーン・クロフォードが、最後の最後までスター扱いされることを求めたのとは真逆です。


スキーインストラクターで11歳年下のマーティン・アロージュ(Martin Arrougé)氏と再婚してからは、チャリティなーなどの公なイベントには姿を見せるものの、ハリウッドの社交界からは一線を引いていたと言われています。その後の映画やテレビへの出演依頼に応えることもなく(ラジオ出演はあり)、1960年以降は公の場に姿を現すこともなく、1983年に81歳で亡くなるまで余生をマーティン・アロージュ氏と過ごしたそうです。

女性の生き方として、ノーマ・シアラーの人生は”ある意味”理想的だったように思えます。父親の破産という不幸なことが少女時代にあったものの、女優のキャリアをスタートして直ぐに映画プロデューサーに見初められて結婚してスター女優となり、恵まれた状況で華やかな女優生活を謳歌します。後ろ盾だった夫とは死別してしまいますが、女優としてやり切って引退、映画界とは無縁の年下男性と再婚して静かに余生を過ごす・・・文句のつけようがありません。そこに”したたかな人生設計”があったか否かは分かりませんが、数多いハリウッド女優の中でも、特に恵まれた人生を送ったことは間違いないと思います。

女優としての生き様として興味深いのは、当然ジョーン・クロフォードなのですが、ひとりの女性としての幸せな人生として考えると・・・ノーマ・シアラーに軍配が上げざろうえないのです。


「マリー・アントワネットの生涯」
原題/Marie Antoinette
1938年/アメリカ
監督 : W・S・ヴァン・ダイク
出演 : ノーマ・シアラー、タイロン・パワー、ロバート・モーレイ、ジョン・バリモア、アニタ・ルイーズ、ジョゼフ・シルドクラウト。グラディス・ジョージ、ヘンリー・スティーブソン、アルマ・クルーガー
1966年6月21日より日本劇場公開




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2019/04/18

「何がジェーンに起ったか?/What Ever Happened to Baby Jane?」のドロドロな舞台裏を描くテレビシーリーズ・・・「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」で地に堕ちたジョーン・クロフォードの汚名の払拭に涙が止まらない!~「フュード/確執 ベティ vs ジョーン/Feud : Bette and Joan」~


「glee/グリー」「アメリカン・ホラー・ストーリー」などのプロデューサーとして知られるライアン・マーフィーが手掛けたテレビシリーズ「フュード/確執 ベティ vs ジョーン/Feud : Bette and Joan」は、ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードが初共演した「何がジェーンに起ったか?」の映画製作の舞台裏を描くということで、ジョーン・クロフォードの大ファン(勿論ベティ・デイヴィスも大好き)のボクとしては、何が何でも見逃すことができないと非常に楽しみにしていたのであります。(けいたいおかし参照)

しかし・・・日本では”スターチャンネル”(ボクは契約してない)での独占放映(2017年9月29日~)。それならば、アメリカ本国でDVD/Blu-ray化されるか、Netflixなどの配信を待とうと思っていたところ・・・本作に登場するオリビア・デハヴィランドご本人(101歳でご存命)が「無断で作品に使用された!」とクレームを入れて裁判沙汰に・・・その後に訴えは却下されたものの、DVD/Blu-ray化はお蔵入りのまま。ただ最近、ジョーン・クロフォードのファンサイトでエミー賞投票者向け(Fot Your Consideration=FYCという非売品)DVDセットが、アメリカのオークションサイト”eBay”で出品されていることを知って、先日(結構な高額で!)無事に落札!遂に「フュード/確執 ベティ vs ジョーン」を観ることができたのです。


伝説的に語り継がれるベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの確執は、二人が生まれたときから始まっていたと言っても良いのかもしれません。生まれてすぐ実の父親に捨てられた上に義父に手篭めにされたジョーン・クロフォードは、フラッパーダンサーからハリウッド女優に成り上がった”叩き上げ”女優。共演した男優は勿論、映画監督、照明や撮影のスタッフとも肉体関係を結んで、キャリアを築き上げていったと言われています。1930年代には美貌の”スター女優”として上り詰めるのです。

一方、父親とは不仲だったベティ・デイヴィスは、若くしてブロードウェイで頭角を現してハリウッドの招かれた”演技派”女優であります。歌になるほど(キム・カーンズの「ベディ・デヴィスの瞳)特徴的な瞳をもつベティ・デイヴィスは、一般的に”美人”というわけではありませんが、演技力は折り紙つき。外見を気にせず役柄になりきって、20代で二つのオスカーを受賞してハリウッドで最もリスペクトされる女優となります。


同時期に”ハリウッド女優”として活躍したベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの女優としてのスタンスは「水と油」で、常にお互いをライバル視する運命にあったのです。

本作は、往年のハリウッド女優オリビア・デハヴィランド(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)とジョーン・ブロンデル(キャシー・ベイツ)が、ジョーン・クロフォードの死後の1978年にジョーン・クロフォードとベティ・デイヴィスについてインタビューで語る場面(1978年にイギリスBBC制作の番組『The Hollywood Greats』を元ネタにした架空のテレビドキュメンタリー)と、「何がジェーンに起ったか?」の舞台裏からその後を描く物語が、行き来しながら進行していきます。二人の女優としてのキャリアやゴシップ的な数々の逸話をインタビューという形で語らせることで、ジョーン・クロフォードとベティ・デイヴィスについて詳しく知らない視聴者にも時代背景が理解できるという構成となっているのです。

ペプシコーラ社長の夫と死別したジョーン・クロフォードが女優としての再起を狙って自ら企画を探すというところから本作の物語は始まり、ジョーン・クロフォードの死後に登場人物たちが彼女に思いを寄せる場面で終わることから・・・本作の「主役」はジェシカ・ラング演じる”ジョーン・クロフォード”であると思います。


ジェシカ・ラングは「アメリカン・ホラー・ストーリー」の常連キャストでもあり、”ジョーン・クロフォード”を演じるのに相応しい女優であることに間違いありません。ただ、生涯スレンダーな体型を維持して美貌を保ち続けたジョーン・クロフォードと比較してしまうと、ジェシカ・ラングの”恰幅の良さ”や”ナチュラルな老け具合”は目についてしまいます。


逆に、ベティ・デイヴィスを演じるスーザン・サランドンは本人よりスラっとした美人なので、二人の確執の要因のひとつであった「ジョーン・クロフォード=美貌のスター女優だけど演技の才能には欠ける」「ベティ・デイヴィス=個性的なルックスで美人ではないけど演技力は抜群」という二人の個性が薄れた印象は否めません。・・・とは言っても、ベティ・デイヴィスを違和感なく演じきったスーザン・サランドンもさすがです。

本作で再現されたシーンと実際の映像を比較している動画があるのですが、本物のベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの持つ「顔のパワー」には圧倒されます。


冒頭のインタビューシーンでオリビア・デ・ハヴィランドが語る「確執は決して”憎しみ”ではなく”痛み”なのです。/FUEDS are never about HATE. FUEDS are about PAIN」というのが本作の本質かもしれません。

同じ映画会社に所属しながら一度も共演することのなかったベティ・デイヴィスを担ぎ出したのは、誰あろうジョーン・クロフォード・・・露骨にライバル心を燃やしながらも歩み寄り、”若くない女優”を蔑ろにするハリウッド体質にタッグを組んで戦っていく様は、”フェミニズム”的なテーマでもあります。また、単に「確執のある女同士の戦い」という一層的な物語には終わらせてることはなく、映画会社の幹部などの一部の男性による支配から生み出されていた”不条理さ”は「#MeToo」運動に繋がっているようにも感じます。

ベティ・デイヴィスだけがアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたことで確執をさらに深めていく”くだり”や、「血だらけの惨劇」(めのおかし参照)などのサイコ・ビディ(Psycho-Biddy)と呼ばれる一連の熟女ホラー映画の再現は「おキャンプ」好きも満足させる作りとなっているのです。

本作では、ベティ・デイヴィスは従来のイメージどおり”強気”に(子供たちとの関係においての孤独感あるもの)描かれているのですが、対照的にジョーン・クロフォードには寄り添っているように感じます。二人が再び共演するはずだった「ふるえて眠れ」でのジョーン・クロフォード降板の顛末は、ジョーン・クロフォード側に同情的な視点で描かれますし、”プライドの高さ”に反しての”人間的な弱さ”もリスペクトを持って描かれているように思うのです。亡くなる直前、ジョーン・クロフォードの幻想の中で、ベティ・デイヴィスとの間に友情を結ぶのは”フィクション”ではありますが、それが”ジョーン・クロフォードの本望”であったような気がしてなりません。

ジョーン・クロフォードの死後、養女のクリスティーナ・クロフォード(本作には登場しない)が1978年に出版した暴露本「親愛なるマミー・ジョーン・クロフォードの虚像と実像/Mommie Dearest」と、それを原作にした1981年の映画「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」(めのおかし参照)によって、ジョーン・クロフォードのスター女優としての輝かしい功績は「養子虐待女優」というレッテルを貼られて、とんでもないほど地に堕ちてしまったわけですが・・・本作で描かれるジョーン・クロフォードの姿によって、約40年ぶりに”その汚名”を少しでも払拭できたのではないでしょうか?

ジョーン・クロフォードの”いちファン”として涙が止まりません。


「フュード/確執 ベティ vs ジョーン」
原題/Feud : Bette and Joan
2017年/アメリカ
製作総指揮: ライアン・マーフィー他
演出   : ライアン・マーフィー
出演   : ジェシカ・ラング、スーザン・サランドン、ジュディ・デイヴィス、アルフレッド・モリナ、スタンリー・トゥッチ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、キャシー・ベイツ
2017年9月29日よりスターチャンネルにて日本独占放映

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2018/11/26

”モラル”があった時代だからこそ”演じがい”のあったサディ・トンプソン(Sadie Thompson)という役を演じた三人の女優〜グロリア・スワンソン「港の女」/ジョーン・クロフォード「雨」/リタ・ヘイワース「雨に濡れた欲情」〜


サマセット・モームの短編小説「雨/Rain」(発表時は「サディ・トンプソン/Sadie Thompson」という題名)は、発表後すぐに舞台化され、演技派女優にとっては”演じてみたい役”のひとつかもしれません。「雨」を原作とした映画は、サイレント時代、トーキー初期、3D映画全盛期に3作つくられているのですが、それぞれ趣の違う作品となっているのです。


舞台となるのは、サモア諸島にあるアメリカ領のパゴパゴという島の村・・・そこに、サディ・トンプソンという派手な服装の娼婦らしき女性が、ホノルルからの船で到着します。同船していた宣教師のデヴィットソン夫妻やマックフェイル医師夫妻もサディと同じ島唯一のホテルに滞在することになるのですが、モラリストの夫妻らにとってサディの素行には目に余るものがあるのは当然です。

実はサディ・・・ある事件にサンフランシスコで巻き込まれて警察に追われている身で、逃亡先だったホノルルから逃げてきたところだったのであります。サディに一目惚れしてしまった駐留している海兵隊のオハラ軍曹は一緒にシドニーに移り住もうと誘うのですが、サディの素性を知ったデヴィットソン神父は自らの権限を使ってサディを強制的に本国へ送還させようとするのです。

見逃すように懇願するサディを宗教的な正論で跳ね返すデヴィットソン神父の言葉に、サディはキリスト教徒として開眼する(Born-Again Christian)に至ります。地味な化粧と服装で別人となったサディの信仰心から醸し出される美しさに、心を乱されたデヴィットソン神父は本国送還の前夜、サディの寝室に忍び込むのです。翌朝、漁師の網に引っかかったのは、自害したデヴィットソン神父の遺体・・・「男なんて汚らしいブタだよ」と捨て台詞を吐いて、サディは以前のような娼婦の姿に戻ります。

当然ながら、サディの寝室で何が起こったかは描かれません。ちょっとした謎なのですが、おそらくサディを強姦して自らの自責の念で自殺したということのようです。派手な娼婦がクリスチャンに転向して地味なったかと思ったら派手に戻るのも・・・神の教えを説いていた神父も実は他の男と同じように性欲をもっていたという”どんでん返し”(?)も通用しなくなってしまったのも、本作が前提としていた”モラル”自体が崩壊してしまった今では、どうでもいいような話かもしれません。


サディ・トンプソンを映画作品で最初に演じたのは、サイレント映画時代の1928年にグロリア・スワンソン(港の女/Sadie Thompson)で、原作の時代性と最も近いような気がします。とんでもない大女優だったグロリア・スワンソンは、姉御肌の高級情婦といった感じで・・・当時流行した”モダンガール”のような印象です。キリスト教に目覚めるシーンでは、サディの姿が神々しく光り出すというメチャ分かりやすいサイレント映画らしい演出ですが、ある種、感動的であります。


残念なのは・・・この「港の女」の最後の巻が現存せず、スチール写真が数枚しか残っていないこと。エンディングは、残された脚本と写真からしか想像するしかないのですが、意外にあっさりとした終わり方だったような感じです。


「港の女」が制作されてから、僅か4年後の1932年・・・トーキー映画の時代となり、再び映画化されることになります。同年「グランドホテル」でスター仲間入りをしたジョーン・クロフォードが、直談判して当時所属していたMGMからユナイテッドアーツに貸し出される形(現在フィルムはMGM所有)で、主演したのが「雨/Rain」なのです。ジョーン・クロフォードとしては演技派女優として認められたいという一心だったようですが、当時はまだ技量的に厳しいものがあったようで評判は散々だったと言われています。


グロリア・スワンソンと違って・・・ジョーン・クロフォードが演じたサディは、いかにも”娼婦”というイデタチで、濃い化粧に派手な胸の開いたドレス、フィッシュネットタイツに下品なプラットフォームのパンプス、両手にはジャラジャラと腕輪を何重にもつけているという”下品”を絵に描いたような格好です。目も当てられないほどの棒読み演技で、クリスチャンとして生まれかわるのも唐突すぎる印象・・・ただ、質素で地味な姿は、ジョーン・クロフォードが本来持っている素の美しさが際立っていることは否定できません。

何故か、日本では故淀川長治氏が、ジョーン・クロフォードの代表作として本作を「淀川長治の名作100選」の一作に選んでいたこともあり、後年の「何がジェーンに起こったか?」と並んで昔から日本国内ではDVD化もされているのです。ボクのようなジョーン・クロフォードのファンには、見逃せない作品ではあるものの・・・1930年代、ハリウッド黄金時代のジョーン・クロフォードの主演作品としては、クラーク・ゲーブルとの共演作品の方がオススメであります。(めのおかし参照)


3度目の映画化は、ハリウッドで3D映画が流行していた1953年の「雨に濡れた欲情/Miss Sadie Thompson」で、3Dで制作されたのです。しかし公開時、3Dでの上映は2週間のみでアメリカで広く公開されたのは2Dバージョンが多かったそうです。(翌年の日本公開された際には2Dのみ上映)現在、Twilight Time/トワイライト・タイム(3000枚限定販売のレーベル)から復刻された3Dバージョンのブルーレイが販売(在庫限り)されています。


アクションでもなく、ホラーでもない、本作のような作品が3Dの意味ってあったの?と疑問に思ったのですが、実際に視聴してみると主演のリタ・ヘイワースの肉体の生々しさには、大きく一役かっているのです。特に、スケスケのレースのドレス姿で兵士たちの前で踊るミュージカルシーン(本作はミュージカルナンバーのあるミュージカル映画!)は、公開時には各国で上映禁止になったのも納得してしまうほど・・・本作は「醜聞殺人事件」「サロメ」に続くリタ・ヘイワース復帰3作目でもあり、当時限界ギリギリの汗ばんだ肉体のセクシーさ炸裂なのであります。

前二作では亜熱帯特有のスコール=雨が、ウェットでダークな印象を与えましたが、本作は観光映画のような鮮やかなテクニカラーとリタ・ヘイワースの明るいエロティズムで、イカニモなハリウッド映画に仕上がっています。神父が自殺するというサプライズ展開には変わりはありませんが・・・エンディングもサディがオハラ軍曹よりも先にシドニーに向かって旅立つという、ある意味”ハッピーエンド”になっているのです。

アンチ・クリスチャン的「宗教の不信」も大好物のボクにとっては、約100前に書かれたサマセット・モームの短編小説を原作とした映画3作品も、一種の”おキャンプ映画”として味わってしまうのであります。

「港の女」
原題/Sadie Thompson
1928年/アメリカ
監督 : ラオール・ウォルシュ
出演 : グロリア・スワンソン、ライオネル・バリモア、ラオール・ウォルシュ
1929年11月、日本劇場公開

「雨」
原題/Rain
1932年/アメリカ
監督 : ルイス・マイルストン
出演 : ジョーン・クロフォード、ウォルター・ヒューストン、ウィリアム・ガーガン
1933年9月、日本劇場公開


「雨に濡れた欲情」
原題/Miss Sadie Thompson
1953年/アメリカ
監督 : カーティス・バーンハート
出演 : リタ・ヘイワース、ホセ・ファーラー、アルド・レイ
1954年2月17日、日本劇場公開



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2018/08/27

コレはコレで”有終の美”なのかもしれない・・・ジョーン・クロフォード最後の映画主演作品となってしまった低予算のモンスター映画~「地底の原始人 キングゴリラ/Trog」~


往年の”ハリウッドスター”は、それぞれのイメージによって”スター性”が確立されているのが一般的で、そのイメージに合ったもの以外の役柄を演じることは、あまりありませんでした。ジョーン・クロフォードのように、何度も何度もイメージを変えながら”スター(主演)”の座を守り続けたハリウッド女優のは数少ないかもしれません。

1920年代のサイレントからトーキーへ移行時には若手のフラッパー女優として注目され、1930年代ハリウッド黄金期には美人スター女優として君臨し、人気に陰りがみえてくる1940年代には演技派女優としても認知され、1950年にはB級映画に格下げして主演を貫き、1960年代には老女役までして主演し続けたのですから・・・。

結果的に、最後の主演作品(また劇場用映画としての最後の出演)となった本作「地底の原始人 キングゴリラ/Trog」は、ジョーン・クロフォード”初”(!)の「モンスター映画」で、45年に渡るフィルモグラフィーの中で「ワースト」に挙げられてしまうこともある”一作”であります。

1962年、ロバート・アルドリッチ監督の「何がジェーンが起こったか?」の成功で、ベテラン女優が醜悪な老女を演じる”サイコ・ビティ”(Psycho Biddy)に活路を見出すものの、再びベティ・デイヴィスとロバート・アルドリッチ監督と組むはずだった「ふるえて眠れ」を降板。その後、B級ギミック映画の帝王ウィリアム・キャッスル監督の「血だらけの惨劇/Strait-Jacket」「アイ・ソウ・ワット・ユー・デッド(原題)/I saw What You Did」に出演することになるのですが・・・ある種の格下げ感は否めません。

1950年代からはテレビ作品にも出演することがあったたジョーン・クロフォードではありましたが・・・1968年、ソープオペラ(昼ドラ)「ザ・シークレット・ストーム/The Secret Storm」で、養女クリスティーナの代役出演(4エピソード)という”奇行”にでます。当時64歳になっていたジョーン・クロフォードが、29歳だったクリスティーナが演じていた役柄を演じること自体が、不自然で無茶ということが分かりそうなものですが、その頃のジョーン・クロフォードのキャリアは、そこまで低迷していたということなのかもかもしれません。

1950年代からB級ホラー映画を制作するプロデューサーとしてイギリスで活動していたハーマン・コーエンと「姿なき殺人/Berserk!」で組んだ2年後、主演したのが本作なのです。監督をつとめたフレディ・フランシスは、1960年代~70年代に低予算のホラー映画(後にカルト映画となる)を数多く手掛けているのですが・・・ジャック・クレイトン監督の「回転」、デヴィット・リンチ監督の「エレファント・マン」「デューン/砂の惑星」「ストレート・ストーリー」マーティン・スコセッシ監督の「ケープ・フィアー」などで撮影監督として知られている人で、アカデミー撮影賞も1960年の「息子と恋人」と1989年の「グローリー」で二度受賞しているのです。本作の撮影監督はフレディ・フランシスではありませんが、ジャーロ映画を思い起こさせるような色彩(不思議に明るい洞窟内部など)だったりします。


肝心のお話は結構お粗末です。イギリスの片田舎の洞窟で、凶暴な原人(タイトルの”Trog”は原人という意味)が素人探検団(なんだ、っそりゃ?)によって発見されます。人類進化の”ミッシングリンク”の解明になると、ブロックトン博士(ジョーン・クロフォード)は自ら麻酔銃を手にして、原人を捕獲・・・自身の研究所においてさまざまな検証実験や知能訓練(?)を行なうのです。

ブロンドの髪のお人形を与えてみたら優しい心をのぞかせたり、クラシック音楽を聴かせると穏やかなのにロック音楽を聴かせると暴れ出したり、青や緑色には静かな反応なのに赤色にだけは興奮したり・・・と、まぁ予想どおりの結果を出すのですが、食事の与え方はとかげやさかなをバケツに入れて床に投げるという野生動物のような扱いであります。

凶暴な原人がいる街には人が寄り付かないという地元の不動産デベロッパーのマードック(マイケル・ガフ)に、ブロックトン博士は「原人は動物ではなく人間だ!」と訴えるのです。それだったら・・・原人に名前をつけてあげれば良いのにと思うのですが、博士は「Trog(トロッグ)」としか呼ばないのですから、人間扱いしていないのは博士自身のような気がします。

博士によると・・・トロッグは人類誕生前から冷凍保存されていたけれど解凍されて生き返ったのだと言い切ります。それを証明するかのように、トロッグに恐竜の骨格のスライド写真を見せると、恐竜たちの絶滅する姿がフラッシュバックするのですが・・・その映像がレイ・ハリーハウゼンが特殊技術を担当した「動物の世界」という映画の使い回し(それも引用というのは長め)というのも”トホホ”であります。

研究対象として公聴会で認められたトロッグの存在が邪魔なマードックは、ある夜、研究所に忍び込んで、トロッグを檻から逃がしてしまいます。凶暴化したトロッグは街中を破壊して、八百屋や肉屋を襲うのです。ここで、ボクが注目したのが・・・肉屋のオヤジを肉フックに串刺しにするというシーンであります。ホラー映画の名作「悪魔のいけにえ」の中でも惨たらしいのが”肉フックへの串刺しシーン”だと思うのですが...遡ること5年前に本作で描かれていたことに驚きです。


街中を徘徊したトロッグは、子供達の遊んでいる公園にたどり着き、ブロンドの少女をさらって洞窟へ帰ってしまいます。軍隊まで出動している騒ぎの中、ブロックトン博士はひとりで洞窟に侵入して、トロッグを強く叱責して見事に少女を救い出すのですが、この叱責ぶりにトロッグの凶暴性よりも何よりも恐怖を感じてしまうのは・・・「愛と憎しみの伝説」の養女虐待のトラウマからでしょうか・・・。


人類進化のミッシングリンク解明というテーマは、現代文明(ロック音楽とか不動産開発など)への安易な批判へとすり替わって、凡庸な展開になってしまうところが残念な一作ではあるのですが・・・一番の致命傷なのは、1950年代のB級モンスター映画並みのクオリティとしか思えないモンスターの特殊メイクの陳腐さです。本作の2年前に公開された「猿の惑星」で使われたマスクを流用したとも噂されていますが・・・顔の表情が殆ど変わることがないので、エキストラのゴリラ兵士役が使っていた安っぽい方のマスクにしか見えません。また、体は普通に裸の人間のまんまで、単なる”小太りのおっさん”なので、邦題となった”キングゴリラ”(巨大なゴリラ的なモンスター)を期待すると拍子抜けです。


ジョーン・クロフォードは「主演」に最後まで執着したスター女優であります。映画そのもののクオリティよりも、撮影現場で”主演女優”として特別に扱われることを必要としたのかもしれません。晩年の出演作品は低予算となり、ジョーン・クロフォード以外のキャストのギャラを削るしかなく、必然的に、脇を固める共演者はしょぼくなってしまい、ますますジョーン・クロフォードの”スター性”に依存するという悪循環に落ち入っていくのです。

本作では科学者を演じるということで、ジョーン・クロフォードらしい華やかな衣装はありません。しかし、フラットカラーの様々なバリエーションの衣装を、とっかえひっかえ披露しています。


キャラクターのブロンドの髪に合わせたのでしょうか・・・ビビットなスカイブルーをメインとしたトータルコーデで、全体的にはくすんだ色合いの画面の中で、で異様なほど浮き上がって見えます。七分袖のドレスやパンツスーツなど・・・1970年らしい”モダン”なスタイルではあるのですが、おそらくポリエステル混のコットン生地は明らかに安っぽい感じで、正直、ジョーン・クロフォードに似合っているかはビミョーです。それでも、ジョーン・クロフォードの役のためにデザインされた衣装であることは明白で、最後の最後まで主演女優としての”メンツ”は保たれたとは言えます。そういう観点では、コレでコレでジョーン・クロフォーッドらしい”有終の美”を飾ったのかもしれません。


本作は、トロッグが軍隊により殺害されてしまった後、地方局のアナウンサーの無神経なインタビューを遮って、現場を去る博士の後ろ姿で終わります。結果的に、これが劇場用映画でのジョーン・クロフォードの最後の姿となったわけですが・・・トロッグを殺されたことで悲痛を感じているブロックトン博士という役の演技以上の淋しさを、ボクは感じてしまうのです。


「地底の原始人 キングゴリラ」
原題/Trog
1970年/イギリス
監督 : フレディ・フランシス
出演 : ジョーン・クロフォード、マイケル・ガフ、バーナード・ケイ、キム・ブレーデン、デヴィット・グリフィン、ジョン・ハミル、ソーレイ・ウォーターズ、ジャック・メイ、ジョー・コミュリアス
日本劇場未公開、テレビ放映あり



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2018/05/19

プライベートのジョーン・クロフォードの姿に最も近いと言われる”おキャンプ”な主演作・・・嫌われ者の”女王蜂”を抹殺して屋敷を乗っ取る若き”女王蜂”!?~「クィーン・ビー(原題)/Queen Bee」~


ジョーン・クロフォードが主演作の中で最も自身に近い役柄を演じたというわれるのが、その名もズバリ「クィーン・ビー(原題)=女王蜂/Queen Bee」という1955年のメロドラマであります。「親愛なるマミー/ジョーン・クロドードの虚像と実像」を書いた養女クリスティーナ・クロフォードによると、あまりにも役柄が普段の姿に近いことに衝撃を受けて、本作の上映途中で退場してしまった逸話もあるほどなのです。


低予算の映画が多い1950年代のジョーン・クロフォード主演作品の中では比較的制作費をかけた本作は、1949年に発表されたエドナ・L・リー著のロマンスノベル「The Queen Bee」を原作としており、その映画化権はジョーン・クロフォード自ら得ています。「自分が主演すること」「映画制作スタッフの選択権(「ミルドレッド・ピアーズの脚本家だったラナルド・マクドュガルの監督デビュー作となった)」「衣装/メイク/ヘアーの完全なるコントロール」を条件に、コロンビア映画へ売却したというのですから、映画会社だけでなく本人的にも肝入りの作品でもあったわけです。ジョーン・クロフォードはとっかえひっかえ豪華な衣装につつみ、陰影が美しく奥行き感のある構図が印象的なフィルムノアール映画としての完成度は高く・・・本作は1956年度アカデミー賞の撮影(白黒)と衣装部門でノミネートされています。


ジョーン・クロフォードが演じるのはジョージア州の大きな屋敷を仕切るエヴァという女性・・・美しくて気も強く、毎朝完璧に身支度をして、身の回りの人々をコントロールするというジョーン・クロフォード自身そのままという役柄です。なお、本作でイブニングドレス姿で階段を下りるシーンは「愛と憎しみ伝説/Mommie Dearest」でも印象的なシーンとして再現されています。

エヴァの夫アヴェリー(バリー・サリヴァン)は、南部の上流階級出身で一族は工場主・・・顔に深い傷があり、一族からは「Beauty(ビューティー)」という皮肉なニックネームでで呼ばれています。1日中飲んだくれているアル中で、とにもかくも妻であるエヴァを憎んでいるようなのです。屋敷には、アヴェリーの妹キャロル(ベッツィー・パルマー)も暮らしており、工場の運営をしているジャッド(ジョン・アイルランド)と結婚を前提に付き合っています。


未亡人だった母親を失い一人っきりになったエヴァの姪っ子のジェニファー(ルーシー・マロウ)が、エヴァからの招待でシカゴから、この屋敷に引っ越してくるのが、本作のはじまりです。ジェニファーが屋敷に到着した時、客人として屋敷を訪れていたのは、名家出身のスー(フェイ・レイ)という女性と彼女の弟タイ(ウィリアム・レスリー)・・・そこへエヴァが帰宅するのですが、彼女が応接室に入って来るや否や部屋の空気が張りつめます。夫のエヴァリーはもとより、義理の妹のキャロルもスーもエヴァのことを、あからさまに嫌っているようです。実は、スーは元々エヴァリーの結婚相手だった女性・・・式当日にエヴァリーがエヴァと駆け落ちしたため、花嫁姿で待ちぼうけを食らったという因縁があったのです。それ以降、頭がちょっとおかしくなってしまったらしく(?)ジェニファーを幼馴染みの娘と勘違いしてしまいます。


屋敷の中で孤立しているエヴァに同情心を感じつつ、自分を引き取ってくれたエヴァに感謝しているジェニファーは、憧れも抱いているエヴァのパーソナルアシスタントの役割をかってでるのです。ある日、タイがジェニファーをデートに誘いたいと、エヴァに許可を求める電話がかかってきます。デートの誘いにエヴァの許可を得ることに違和感を感じたジェニファーは玉の輿にも関心がなく、タイの誘いに乗り気にはなれません。しかし、エヴァから強く肩を押されて、セクシーなドレスを着てデートに出かけることにするのです。デート当日、アヴェリーとジャッドは、着飾ったジェニファーを皮肉まじりに見送ります。


その日、屋敷にジャッドが泊まることを知ったエヴァは、仮病を装ってまで友人との夕食会をキャンセル・・・実は、ジャッドとエヴァは10年ほど前に男女の関係にあり、アヴェリーをエヴァに紹介したのもジャッドだったのです。名家一族の娘であるキャロルと結婚をして、ジャッドは逆玉に乗ろうとしているのではないかと疑惑をもつエヴァは、キャロルとの関係を好ましく思っていません。また同時に、男性としてジャッドを忘れられないエヴァは、ジャッドを再び誘惑しようとするのです。電話のコードをジャッドの首に巻くシーンは、エヴァの支配欲が感じられます。


その夜、ジャッドはキャロルとの婚約を家族の前で電撃発表・・・デートから帰宅したジェニファーをにこやかに迎えながらも、エヴァの苛立ちは抑えられません。真夜中に、ジェニファーはエヴァの息子テッドの鳴き声で起こされます。テッドをあやすキャロル曰く・・・エヴァの運転する車に乗って大きな山に向かっている夢を毎晩のようにみて、テッドは泣き叫ぶというのです。キャロルは屋敷の図書館でみつけた本に書かれていた女王蜂について語り始めます。そして、エヴァは自分に歯向かう者を抹殺する”女王蜂”のようだと忠告をするのです。ジェニファーは、何故、皆がエヴァを悪くいうのか理解できません。


ジェニファーが寝室へ戻ろうとした時、暗い応接室へ忍び足で入るエヴァの姿を見かけます。ソファにはジャッドがおり、やがて二人は口論を始めるのです。ジャッドはキャロルとの婚約発表を機に、エヴァとの関係を完全に解消したいのですが、そう簡単にエヴァは諦めません。そんなエヴァを病気に例えて、今はウィルスの免疫があると拒絶するジャッド・・・エヴァは「必ず後悔させてやる」とタンカを切ります、その一部始終を盗み見していたジェニファーは、エヴァがこの屋敷の”女王蜂”であることを理解するのです。


翌日、エヴァは精神科医を自宅に招いて息子テッドの悪夢について相談・・・エヴァの美しさに惑わされた精神科医は、テッドが夜泣きする原因はキャロルの甘やかしにあると、エヴァにとって都合の良い診断を下してしまいます。それを聞いてエヴァは、すぐさまキャロルの寝室を屋敷の別棟に移動させるようとするのです。ジャッドと結婚して屋敷を出るのだから、今すぐ部屋を移さなくても・・・と言うジェニファーに、エヴァは「本当に結婚するかしら?」と微笑みます。


勝手にキャロルの部屋に入ったかと思うと、ヒステリックに片っ端から調度品を投げ倒すエヴァ・・・アヴァリーと駆け落ちして結ばれて玉の輿にのったものの、保守的な南部の上流階級で”よそ者”扱いされ続けた疎外感から、キャロルに敵対心を募らせていたのです。長年の孤独感を涙ながらに訴えて、血縁者であるジェニファーを屋敷に招いたのも、自分の味方になってくれる人が欲しかったからとエヴァは告白します。そして、屋敷を出たいというジェニファーを、エヴァが今までしてきた経済的援助などを理由に引き止めるのです。


アヴェリーの無関心がエヴァの疎外感を生んでいると感じたジェニファーは、アヴェリーの部屋を訪れます。その場限りの火遊びだったのに、エヴァが強引で別れられずに結婚したんだと告白するアヴェリー・・・酒に溺れていたののも、エヴァと向き合うことを逃げているからかもしれません。酒に逃げずに一族の長としての役目を果たすようにと意見するジェニファーを、アヴェリーは抱き寄せてキスします。お互いの秘められた恋心が、目覚めたのかもしれません・・・。


アヴェリーは家族を集めて、キャロルとジャッドはすぐにでも結婚すべきだから、今度の日曜日に結婚式をすると宣言・・・それ聞いて祝福するジェニファーの頬を、エヴァは苛立ちのあまりひっぱたくのです。エヴァが気に食わないのは分かりますが、唐突の暴力にはただあっけにとられます。


その夜、アヴェリー、キャロル、ジャッドが、ささやかな結婚祝いのディナーをしていると、エヴァが割り込んできて「パーティーは女にとって戦場だから」と、ジャッドにパーティーの会場まで車で送るように要求します。エヴァが支度をしている間、アヴェリーはジャッドにエヴァとの過去の関係をキャロルに話すのかと尋ねずにはいられません。ジャッドはアヴェリーが妹の幸せを願い、真実を話してしまうのではないかと疑っているのです。


その夜遅く、キャロルはジャッドと暮らす家の設計図を広げて、ジェニファーと楽しくおしゃべりしています。そこへ、エヴァがパーティーから帰宅・・・設計図を踏みつけて、キャロルにジャッドの過去の女性関係について語り始めるのです。「ジャッド本人に確認すれば?」と脅しながら、男女の関係をもっていたのは”暗”に自分だったと、キャロルに暴露してしまいます。憤るジェニファーに、明日にでも屋敷を出て行けと言い放つエヴァ・・・ジェニファーは屋敷に残ると言い返すのです。


翌朝、ジャッドとジェニファーがキャロルを探して馬小屋に入ると、そこには梁から首を吊ったキャロルの姿があります。エヴァとジャッドの関係を確信したキャロルは、自ら命を絶つことを選んでしまったのです。化粧台の前で訃報を聞いたエヴァは、フェイスクリームを鏡に塗りたくりながら嗚咽します。ジョーン・クロフォード本領発揮の”やり過ぎ”演技炸裂です。


キャロルの死後、エヴァは規律に厳しい乳母を雇い、子供たちも管理するようになります。ジェニファーは積極的に子供たちと接して、子供たちの心を癒そうとするのですが、エヴァにはおもしろくありません。一方、アヴェリーはジェニーに意見されたことで、一族の工場の経営にも積極的になり、以前のアル中だった時とは違って仕事や家庭のことにも熱心です。乳母の乱暴な叱り方を目の当たりにして、即クビだと言い伝えると、乳母はアヴェリーとジェニーの不適切な関係をエヴァに告げ口してやると、まったく怯みません。

乳母をアヴェリーの独断で解雇しようとしたことは、当然のことながらエヴァの逆鱗に触れてしまいます。もしも、離婚しようなんて考えているならば、ジェニーとの関係を法廷で訴えるというのです。法廷では、乳母は重要な証言者となるだろうし、エヴァ自身が何を語るかはスキャンダルになるに違いないと脅します。アヴェリーのエヴァへの憎しみは、この時を機に殺意に変わるのです。

キャロルの死後、屋敷から遠ざかっていたジャッドは、工場の仕事を辞めてニューオリンズへ引っ越すことを決意し、仕事の整理のために久しぶりに屋敷を訪れていたのですが・・・そこで、キャロルにエヴァと自分の過去の関係を話したのは、アヴェリーではなくエヴァだったことをジェニファーから伝えられます。ジャッドはエヴァへの復讐を誓うのです。


この頃から、アヴェリーはエヴァに対して愛情が甦ったように振る舞い始めます。妻から信用を得たところで、交車の事故を起こして無理心中しようというのがアヴェリーの計画なのです。夫の態度の変化に戸惑いながらも、2度目のハネムーンが来たと歓びを隠しきれないエヴァ・・・アヴェリーから高価なジュエリーをプレゼントされて機嫌の様子であります。アヴェリーの愛情を再び勝ち得たエヴァの変化は噂になるほどになり、ジェニファーは自分が屋敷に滞在する意味はなくなったと、今度こそ本当に屋敷を出ることを決意するのです。

ジェニファーの屋敷での最後の夜・・・大雨にも関わらず、アヴェリーはエヴァを連れ立ってパーティーに出かける予定になっています。アヴェリーが顔の傷を負うことになった車の事故もエヴァが同乗していたことから、ジャッドは不穏な気持ちに襲われて屋敷にやってくるのです。アヴェリーの計画を確信したジャッドは、エヴァをパーティー会場に自分が運転すると言い出して、エヴァだけを誘い出します。


車内で、アヴェリーが無理心中の機会を伺うために、愛情が甦ったフリをしていたことを暴露するジャッド・・・運転中のジャッドにエヴァがつかみかり、ジャッドはハンドル操作を誤って車は崖から落ちてしまいます。二人の後を追ってきたアヴェリーは、燃えさかる車を、ただ見つめるのです。警察から交通事故について呼び出されたアヴェリーに付き添うのは、屋敷を去るはずだったジェニファー・・・二人を阻むモノはもうありません。暗い屋敷から外に出ると、空は輝くほど晴れ渡っています。


原作の小説は未読ですが・・・本作の筋は、ジェニファーが様々な障害が乗り越えて、叔母の夫と結ばれるという略奪愛の物語でもあります。”女王蜂”と比喩されるエヴァは、二人の愛を阻む”邪魔者”なのかもしれません。ただ、本作はジョーン・クロフォード主演が条件での映画化であったため、エヴァというキャラクターに焦点をあてることは絶対的な映画化の条件だったのです。実際、ジェニファーを演じるルーシー・マロウは、それほど華がある女優でもありません。

それにしても・・・エヴァは、それほど皆から嫌われるべきキャラクターなのでしょうか?見方を変えれば、エヴァは可哀想な女性でもあります。確かに、玉の輿にのる強引さとしたたかさ、義理の妹の婚約者となる男に執着したり、家族を高圧的に支配していたり、上から目線で意地悪で厭味ばかりだったり・・・決して”いいひと”ではないかもしれません。

しかし、夫だけでなく夫の家族や家族の友人たちからもよそ者扱いで疎外され続け、昔の男からは一方的に関係を断ち切られ、引き取った姪っ子には結果的に夫を奪われ、最後には殺されてしまうのです。二人の子供たちに対して愛情がないわけではありませんし、アヴァリーから愛情を示したならば女性的なかわいいところあったりします。観客がエヴァに同情を感じる間もないほど疎ましく感じてしまうのは、ジョーン・クロフォードという大女優の存在感と、お得意の”やり過ぎ”演技にあるのかもしれません。

逆に、純粋そうなジェニファーですが・・・エヴァの招待により屋敷に入り込み、誰からも好かれるように上手に立ち回って、最後には全てを手にするのであります。エヴァから信頼を得ることは容易かったし、結婚を応援することでジャッドからもキャロルから好かれていますし、名家出身のタイからは一目惚れされるし、アヴェリーの心も次第に虜にしてしまうのです。ジェニファーは自らの手を一切汚すことなく、屋敷の”女王蜂”であるエヴァだけでなく、ジャッドもキャロルさえも亡き者にして、一家の長であるエヴァリーに寄り添う存在として、新たな”女王蜂”として屋敷を乗っ取ったとも解釈できるのではないでしょうか?

そう考えると・・・本作は、1950年の「イヴの総て」の亜流作品とも言えるのかもしれません。ジョーン・クロフォード演じるエヴァはベティ・デイヴィス演じるマーゴ・チャニングに、ルーシー・マロウ演じるジェニファーはアン・バクスター演じるイブに重なるのです。ただ、いかにもメロドラマといったジェットコースターなご都合主義の展開と、登場人物たち同士(ジェニファー以外)が放つ厭味な台詞のやりとりによって、本作は立派な”おキャンプ映画”として成立してしまったのであります。


本作の撮影時、ジョーン・クロフォードはペプシ・コーラ社社長アルフレッド・スティールと婚約中で・・・結婚後は、ペプシ・コーラの広告塔として活躍することとなります。まだまだ女性の社会進出がアメリカでも珍しかった時代であったにも関わらず、1959年に夫が亡くなった後(1973年まで)元社長未亡人という立場で会社役員として、ジョーン・クロフォードは”女王蜂”の如くペプシ・コーラ社に君臨し続けたのです。本作のエヴァのようにジョーン・クロフォードも、ペプシ・コーラ社の他の役員たちから疎まれ続けた「嫌われ者」だったことは言うまでもありません。


「クィーン・ビー(原題)」
原題/Queen Bee
1955年/アメリカ
監督 : ラナルド・マクドュガル
出演 : ジョーン・クロフォード、バリー・サリヴァン、ベッツィー・パルマー、ジョン・アイルランド、ルーシー・マロウ、ウィリアム・レスリー、フェイ・レイ

日本未公開



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