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2019/10/22

「ミスター・グッドバーを探して/Looking for Mr. Goodbar」がDVD/ブルーレイ化されない理由は使用されている楽曲の使用権問題?・・・続編として製作された駄作テレビ映画「影の追跡/Trackdown:Finding the Goodbar Killer」


「シングルスバー/Singles Bar」は”婚活/恋活”と目的の、婚活パーティー、街コン、相席店などと並んで、独身男女の出会いの場として、今では日本でも浸透しているようです。出会い系アプリで、自己申告のプロフィールと詐欺画像を判断材料にして、いきなり見知らぬ者同士が出会うよりも、少なくとも本人を目の前にして話をするので、どちらかというと”オーソドックスな出会い方”ということになるのかもしれません。

シングルスバーが生まれたのは、まだエイズという病気も発見されておらず、普通に麻薬が蔓延していた1970年代前半のアメリカの大都市(ニューヨークやロスアンジェルス)・・・基本的には一夜限りのセックスの相手との出会い(ワン・ナイト・スタンド/One Night Stand)が目的で、女性には多少危険が伴ってはいたようです。ただ、女性が自分の意思でセックスの相手を探すことができるというのが、当時の”ウーマンリブ”の考え方と一致するところもあり、1960年代のヒッピーの”フリーラブ”以降の世代にとっては、新しい時代の女性の”性のあり方”を体現するオシャレな場だったのかもしれません。

日本でシングルスバーの存在が広く知られるきっかけとなったが、1978年に日本で公開された「ミスター・グッドバーを探して/Looking for Mr. Goodbar」という映画です。それまで日本では、アメリカの性事情としてシングルスバーを週刊誌が紹介することはありましたが、今のように誰も彼もがアメリカに行く時代でなかったので、一般的な日本人が実態を知ることは難しく、マスコミによって書かれた記事から想像するかありませんでした。「アメリカはセックスの本場!」なんて・・・今だったら問題ありそうなマスコミの書き方が多かったことが記憶にあります。そんな時代に公開された一作ということもあり・・・「これがシングルス・バーの実態!」と煽るような宣伝もされていたのです。


主演のダイアン・キートンは「ゴッドファーザー 」「ゴットファーザー Part 2」、ウディ・アレンのミューズとして「ボギー!俺も男だ」「スリーパー」「イディ・アレンの愛と死」などに出演して、日本でもよく知られていた女優であります。1977年4月「アニー・ホール」がアメリカ公開、同年10月に「ミスター・グッドバーを探して」がアメリカ公開、翌年1978年1月に「アニー・ホール」で第35回ゴールデン・グローブ賞最優秀主演女優賞(コメディ/ミュージカル部門)を受賞、同月「アニー・ホール」が日本公開、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされている中で1978年3月に「ミスター・グッドバーを探して」が日本公開。その直後の4月には「アニー・ホール」で第50回アカデミー主演女優賞するという・・・「ミスター・グッドバーを探して」の日本劇場公開時には、”ダイアン・キートン”は映画女優としても、ファッションミューズ(「アニー・ホール」での着こなしがファッショントレンドに大きな影響を与えた)としても、新しい時代を象徴する「跳んでる女性」としても、非常に注目されていた存在だったのです。

「ミスター・グッドバーを探して」は、1973年に起こった殺人事件を元にしたジュディス・ロスナー著の長編小説が原作であります。殺されたロズアン・クインという23歳の女性は、子供の頃にポリオにかかったことのある聾唖学校の教師で、犯人の男性は自分の性的アイデンティティに(同性愛者であることを受け入れられない)問題を持っており、セックス中に勃起できなかったことを馬鹿にされたことに激昂して殺害に至った(犯人は裁判目前に自殺)そうです。ルポルタージュとしてジュディス・ロスナーが執筆したものを元に(多少の創作を加えて)長編小説に書き上げて1975年に出版・・・都会に暮らす独身女性の孤独を炙り出してベストセラーとなりますが、当時盛り上がっていた”女性の性解放”に水を差すようなところもあったかもしれません。また、ある意味1997年に日本で起こった「東電OL殺人事件」を先取りしていた印象もあります。ちなみに「ミスター・グットバー」とは読んで字のごとく「いいチンコを持った男」という意味合いで、ずばりシングルズバーで男を漁っている様子を表しているのです。


テレサ(ダイアン・キートン)は、聾唖学校の教師を目指して勉学に励む大学生で、既婚者のマーティン教授(アラン・フェイスタイン)と不倫関係にあります。子供の頃にかかったポリオ治療のトラウマと後遺症のコンプレックスを持っており、マーティンの理不尽な態度に振り回されても、一方的に別れを告げられても、自己肯定できないでいるのです。威圧的に支配する父親(リチャード・カイリー)から逃れるため、大学を卒業して教師の仕事を始めるのを期にテレサは実家を出て、マンハッタンでひとり暮らしを始めます。

姉のキャサリン(チュスディ・ウェルド)が、父親が誰だかわからない妊娠をしたり、出会って数日の相手と結婚してしまったり、麻薬とアルコールに溺れて夫婦で乱交パーティーに参加する乱れた生活を送っているのを、テレサは横目で眺めながら・・・シングルズバーで夜な夜な飲み歩きながら、昼間は聾唖学校で教えるという生活を送り始めるのです。経済的に恵まれない生徒の家庭訪問をした際には、市の生活保護課に務めるリチャード(ウィリアム・アザートン)という好青年と知り合い、時々デートをする仲にはなるものの、テレサが惹かれるのはシングルズバーの常連で危険な香りのするトニー(リチャード・ギア)で、彼とのセックスや麻薬にのめり込んでいきます。まだ無名だったリチャードソン・ギアなのですが、公開当時「この俳優は誰?」と話題になったもの・・・「アメリカン・ジゴロ」で一躍セックスシンボルとなる数年前のことです。

テレサの厳しい父親とも打ち解けて家族公認のボーイフレンドとなっても、テレサがリチャードを受け入れることはありません。ある夜、バーで偶然に遭遇したマーティンから、大学を辞めて離婚もしたと打ち明けられて「本当に愛したのは君だけだ」と甘い言葉を囁かれても、さらっとかわすテレサ・・・夜な夜な別な男たちとのセックスに明け暮れているテレサにとって、今更「愛なんて何なの?」なのです。トニーはテレサの部屋に忍び込んで麻薬と体を求めるだけではなく、金をせびったり、暴力を振るうようになってきて、そろそろ別れる潮時・・・一方的に縁を切ろうとするテレサに対してトニーは復讐を匂わしたりしてきます。トニーが警察に麻薬保持を密告して全てを失ってしまうことも、テレサの頭をよぎったりするのです。クリスマスのプレゼントを持って愛情を示してくれるリチャードを、冷たくあしらい一人でシングルズバーへ出かけるテレサ・・・それでもリチャードがテレサを諦められないのは執着心なのかもしれません。

ニューイヤーイヴの夜のシングルズバーで、尾行してくるリチャードをあしらうためにテレサが声をかけたのがゲリー(トム・ベレンジャー)という男・・・実は彼はゲイなのにガールフレンドを妊娠させたホモフォビアで女性嫌いという精神的に病んでいるのです。テレサの誘いに乗ったのも、ゲイのパトロンへの当て付けのようなところなのかもしれません。テレサの部屋でベットインしたものの勃起できないゲリーは、グズグズとベットに居座ったまま・・・そんな姿を嘲笑いながら追い出しにかかるテレサに、ゲリーは暴力的に強姦を試みます。リチャードからクリスマスにもらったフラッシュライトが点滅の繰り返す中、テレサを犯しながらゲリーは、部屋に落ちていたナイフを取り上げて、何度も何度もテレサを突き刺すのです。テレサは血だらけになって意識を失って死んでいく顔で、本作は唐突に終わります。まるで観客自身が、いきなり殺されてしまったような・・・”トラウマ”になりそうなエンディングであります。


当時「アニー・ホール」の好演で飛び鳥も落とす勢いだったダイアン・キートンは、特に”セクシー”なイメージではありませんでしたが、ヌードシーンを含む大胆な役柄に挑戦したこともあり、アメリカでも日本でも本作は大ヒット。救いのない物語という観点でも”アメリカン・ニューシネマ”の流れを汲んだ・・・1970年代後半の世相を描いた作品として語り継がれているものの、残念なことに現在では視聴できる機会が少ない作品でもあるのです。

「ミスター・グッドバーを探して」のビデオ(レーザーディスク?)は1990年代に発売はされたのですが・・・その後、DVD/ブルーレイでは発売されていません。暴力描写や性的表現はあるものの、現在の倫理観に反するわけではありませんし、本作以外では殆どヌードを見せていないダイアン・キートンが意図的に封印しようとしているわけでもないようです。どうやら、DVD/ブルーレイなどのデジタルメディアとビデオやレーザーディスクなどのアナログメディアとでは著作権の扱いが違うようで・・・デジタルメディアでリリースするには、改めて作中で使用されている楽曲の使用権を取り直す必要があるらしいのであります。

主題歌のマレーナ・ショウ「Don’t Ask To Stay Until Tomorrow」だけでなく・・・「ミスター・グッドバーを探して」には1970年代半ばのディスコ/フュージョンの名曲が劇中で効果的に使用されていて、どの楽曲も1970年代後半にディスコに行ったことがあるならば聞いたことのあるものばかり。ダイアナ・ロス「Love Hangover」、ドナ・サマー「Prelude To Love/Could It Be Magic」「Try Me I Know You Can Make It」、セルマ・ヒューストン「Don’t Leave Me This Way」、ボズ・スギャッグス「Lowdown」、コモドアーズ「Machine Gun」、オージェイズ「Back Stabbers」ビル・ウィザース「She Wants To (Get On Down)」「She’s Lonely」・・・歌詞の内容と物語がリンクしているところもあり、これらの楽曲”抜きで本作は成り立たないのです。サウンドトラックCDは1997年に発売されてはいるものの既に廃盤・・・今では貴重なプレミア盤となっています。どのアーティストまたはレコード会社かわかりませんが、何らかの理由で映画本編での楽曲の使用を許可していないため、再販は厳しいのかもしれません。

しかし、どういうわけか「ミスター・グッドバーを探して」のスペイン盤DVDは発売されているのです。アメリカ本国でさえリリースできないのに、何故スペインだけ可能なのは不思議なことなのですが・・・日本語字幕や日本語吹き替えなくても「ミスター・グッドバーを探して」をDVDで観たいという方は、音声は英語版も収録されているので、スペイン盤「Buscando al Sr. Goodbar」(PALなのでリージョンフリーのプレイヤーは必要)を探してみるのも”あり”かもしれません。


「ミスター・グッドバーを探して」から6年後、テレビ映画として制作されたのが、続編という位置付けの「影の追跡/Trackdown:Finding the Goodbar Killer」であります。ただし「ミスター・グッドバーを探して」の原作者ジュディス・ロスナーは、この続編を認めておらず、登場する人物の名前は変更されています。また、テロップで「ジュディス・ロスナー氏の原作とは無関係」と断っているほどです。「影の追跡」は、事件後の犯人の男と犯人を追うニューヨーク市警の刑事を描くという「ミスター・グッドバーを探して」とは似ても似つかない全く趣の違うドラマで・・・「ミスター・グッドバーを探して」ではなく、ロズアン・クイン事件の”後日談”ということのようであります。

ニューヨーク市警のジョン・グラフトン(ジョージ・シーガル)の家庭では、娘のエイリーン(トレイシー・ポラン)はサラキューの大学に入学するために家を出たいと言い出していたり、倦怠期を迎えていた妻ベティ(ジーン・デ=バー)との仲は冷え切っており離婚の話し合い始めています。そんな中、グラフトン刑事はメリー・アリス・ノーランという若い女性教師が殺された事件に関わることになるのです。メリー・アリソンの同僚だったローガン(シェリー・ハック)という女性とグラフトン刑事は、出会い頭には衝突するものの、次第にちょっといい雰囲気になったりします。

一方、メリー・アリスを殺した犯人のジョン・チャールス(シャノン・プレスビー)は、妊娠中の妻がいながら、アラン(バートン・ヘイマン)という中年男をゲイのパトロンにしているという自分勝手な男・・・殺害後、アランの手助けで妻と暮らすフロリダに身を隠しています。グラフトン刑事は当初、ジョンソンという黒人男性を犯人として逮捕するのですが、納得のできずに捜査を続けて、殺人現場に残されていたスケッチから怪しい男性二人組を見つけ出すのです。そして、アランにジョン・チャールスへ電話を掛けさせてメリー・アリスの殺人を白状させることで、見事に真犯人を逮捕するのです。事件が一件落着後、娘エイリーンは大学入学のため妻ベティと一緒に家を去ろうとしています。二人を見送るだけのつもりだったラフトン刑事は、唐突に車に乗り込んで二人と共にサラキューまで行くことにして、この家族の再生を匂わせて本作はエンディングとなるのです。

家庭に問題のあった刑事の家族の再生の物語を描きたかったのか・・・それとも殺人事件の真犯人を追うサスペンスを描きたかったのか・・・どっちつかずというか、どちらもしっかりと描かれていない作品で、何を目指して制作されたのだろうと頭を捻ってしまうほど。ジュディス・ロスナー氏が自分の原作との関わりを否定するのも当然だと思える「駄作」なのであります。

「ミスター・グッドバーを探して」は楽曲の著作権問題で・・・その続編的な「影の追跡」は出来の悪さで・・・2作品共に陽の目を見ることない作品となってしまったことで「ロズアン・クイン事件」そのものも人々の記憶から薄れてしまったようです。ただ考えてみれば・・・性に自由な女性が、不運な事件に巻き込まれてしてしまうことは、今では衝撃的なことでもない”よくある事件”なのですから、数ある事件のひとつになってしまうのは仕方のないことなのかもしれません。


「ミスター・グッドバーを探して」
原題/Looking for Mr. Goodbar
1977年/アメリカ
監督、脚本 : リチャード・ブルックス
原作  ジュディス・ロスナー
出演      ダイアン・キートン、アラン・フェイスタイン、リチャード・カイリー、チュスディ・ウェルド、ウィリアム・アザートン、リチャード・ギア、トム・ベレンジャー
1978年3月18日より日本劇場公開

「影の追跡」
原題/Trackdown:Finding the Goodbar Killer
1983年/アメリカ(テレビ映画)
監督 : ビル・パースキー
出演 : ジョージ・シーガル、シェリー・ハック、アラン・ノース、トレイシー・ポラン、シャノン・プレスビー、バートン・ヘイマン、ジーン・デ=バー
日本劇場未公開、CXで放映


 
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2019/09/23

「クソ映画」と「カルト映画」の狭間・・・ノーマン・J・ウォーレン(Norman J. Warren)というサイテー映画監督~「Her Private Hell」「Loving Feeling」「ザ・ショッカー 女子学生を襲った呪いの超常現象/Satan’s Slave」「人喰いエイリアン/Prey」「ギロチノイド/Terror」「Spaced Out」「悪魔の受胎/Inseminoid」「ガンパウダー/Gunpowder」「タイム・ワープ・ゾーン/Bloody New Year」~


「カルト映画」というのは”一部の熱狂的なファンを持ち語り継がれている映画”だったはずなのですが、ニッチな商業性がビジネスとして成立することから、近年、広く使われる傾向にあります。公開当時は、ほぼ無視されたような「クソ映画」も年月経つと、誰かが「カルト映画」として注目し始めて、いつの間にか”お墨付き”がついたビジネスとして成立してしまうのです。時代の感性を閉じ込めたタイムカプセルとして機能することもありますが、どれほど年月が流れようとも映画としての完成度の低さは変わらない「クソ映画」というのも存在するのですが・・・。

1980年代末期というのはレンタルビデオの最盛期・・・当時ニューヨークに住んでいたボクも、数日ごとにレンタルビデオに通い映画を観まくっていた時期でもあります。数本同時に借りると割安だったので「なんだこりゃ?」という「クソ映画」がまぎれていることも度々あったものです。そうやって「うっかり借りてしまった」ビデオの中に、ノーマン・J・ウォーレン監督の作品あったかもしれません。


先日(2019年8月12日)、ノーマン・J・ウォーレン監督のホラー系代表作品5作品を2Kリストレーションしたブレーレイボックス「Bloody Terror: The Shocking Cinema of Norma J Warren, 1976-1987」が、イギリスで発売されたのです。「イギリスのニューウェーブホラー作家」という商品説明を読んで「あれ?観たことあるかも」と記憶が呼び覚まされて、あれほど後悔した経験があるにも関わらず・・・購入してしまったのです。

収録されている作品は「ザ・ショッカー 女子学生を襲った呪いの超常現象」「人喰いエイリアン」「ギロチノイド」「悪魔の受胎」「タイム・ワープ・ゾーン」の5作品・・・約30年ぶりに観てみると100%「クソ映画」ではあるものの、奇妙な”味わい”が生まれてもいるのです。このボックスの”売り”として収録されているノーマン・J・ウォーレン監督へのインタビューがあるのですが、事細かに過去のことを記憶しているのに感心するのと同時に、とめどなく早口で語り続けるテンションに「うんざり」させられてしまうのは・・・ノーマン・J・ウォーレン監督独特のお人柄でもあります。


映画好きの母親の影響で、映画界で働くことを目指した若き日のノーマン・J・ウォーレン監督は、裏方仕事をこなして経験を積んでいきます。映画監督を目指して制作した短編の自主映画で認められて、「ハー・プライベート・ヘル(原題)/Her Private Hell」という作品の監督を任せられることになります。「ハー・プライベート・ヘル」は、イギリス映画界初の”セックス映画”ということもありヒットします。”セックス映画”と言っても、一瞬のトップレスのヌードシーンとベットインの場面がある程度です。イタリアからやってきた若いモデルの女性が男たちの餌食になってしまうという物語なのですが、当時の風俗を取り入れた”タイプカプセル”として以外は、興味深いところがありません。


続く”セックス映画”二作目の「ラヴィング・フィーリング(原題)/Loving Feeling」は、既婚者のラジオディスクジョッキーの男が様々な女性と浮き名を流すという物語で、絡みのシーンが前作よりも増えたこともあり再びヒットします。カラー映画でもあり、サイケな風俗を感じさせるタイムカプセル的な作品にはなっています。いわゆる「セクスプロイテーション映画」ほど過激な描写はないものの、当時のフリーセックスのムードを取り入れて、一躍”ヒットメーカとなったノーマン・J・ウォーレン監督・・・しかし”セックス映画”専門監督になることには抵抗があったため、三作目の監督オファーは降板してしまうのです。ただ、そもそも監督としての実力を認められていたわけではないので、その後、映画製作の資金集めには苦労することになります。


自らの企画した映画が完成したのは、それから8年後・・・「ザ・ショッカー 女子学生を襲った呪いの超常現象/Satan’s Slave」とい”ハマーホラー映画風”の作品です。キャサリン(キャンディス・グレンデニング)と両親が叔父のお屋敷を訪ねると、謎の車の事故で両親が死去・・・キャサリンは叔父(マイケル・ガフ)の屋敷で保護されるものの、実は叔父一家は悪魔崇拝者で魔女カミーラの末裔であるキャサリンを生贄にしてカミーラを蘇らせようとするというのであります。舞台となるお屋敷の雰囲気はとても良いのですが、全体的にもっさりとしたノーマン・J・ウォーレン監督らしいテンポで、キャサリンの幻想と現実が混沌としていく中でのドンデン返しは”お約束どおり”・・・それほどの恐怖もサスペンスも感じさせません。ただ、最近復元された残酷シーンのいくつかは結構エグくて、ノーマン・J・ウォーレン監督の代表作として位置付けられています。


続く「人喰いエイリアン/Prey」は、宇宙人が動物や人間を襲うという「SFホラー」なのですが・・・・レズビアンカップルの関係が並行して描かれるという不思議な映画です。地球に食物探索にやってきた宇宙人(バリー・ストークス)はアンダーソンという人間の男性の姿となって、レズビアンカップルのジョゼフィン(サリー・フォークナー)とジェシカ(グローリー・アナン)の暮らす大きな屋敷の居候となります。ジェシカには以前シモンというホーイフレンドがいたようなのですが、二人の関係を支配しようとするジョゼフィンがシモンを殺したんではないか・・・とジェシカが疑い始めます。そんな問題を抱えたレズビアンカップルの前に、アンダーソンという男性の姿で現れた宇宙人が二人の関係を引っ掻き回すのです。ジョゼフィンの束縛から逃げ出したいジェシカは、一緒に逃げようとアンダーソンを誘惑するのですが、宇宙人の野生(?)に目覚めたアンダーソンはジェシカを食い殺し、ジョゼフィンも追い詰めてしまうのです。宇宙人が犬顔メイクだけという陳腐さで、相変わらず手抜き感が満載であります。レズビアンカップルに焦点を合わせるという不可解さは、ノーマン・J・ウォーレン監督らしさでしょうか・・・?


「ギロチノイド/Terror」は、ホラー映画の制作現場を舞台にした「サスペリア」もどきの魔女伝説のスラッシャーホラー映画であります。「ザ・ショッカー 女子学生を襲った呪いの超常現象」のスタッフを再集結して、倍以上の制作費をかけたにも関わらず・・・ノーマン・J・ウォーレン監督作品の中でも「クソ映画」度の高い一作です。昔、魔女を火あぶりにした一族の子孫であるジェームス(ジョン・ノーラン)が、ホラー映画の完成パーティーを屋敷で催しています。余興で睡眠術をかけられたジェームスの妹アン(キャロリン・カレッジ)は、何かに取り憑かれたようになってしまうのです。それから、次々とジェームスやアンの周辺の人々が奇妙に殺されていきます。ダリオ・アルジェント監督の作品の”まるパクリ”の殺人シーンや極彩色の照明を使ったジャーロ風の色彩は、センスのない演出とカメラワークでオリジナルに遠く及ばず・・・脈略もなく人々が殺されていくのは理解不可能。それでも公開時イギリスでは「サスペリア」っぽい雰囲気が受けてヒットしたというのですから、ノーマン・J・ウォーレン監督は侮れません。


1970年代にイギリスではセックスコメディ映画が多く制作されていましたが・・・「スペースド・アウト(原題)/Spaced Out」は、その流れに乗ったSF調のセックスコメディ(かなり後発ですが)であります。童貞の若者ウィリー(トム・メイデン)、中年男のクリフ(マイケル・ロウラット)、結婚間近のカップルのオリバー(バリー・ストークス)とプルデンス(リン・ロス)の4人の地球人は、スキッパー(ケイト・ファーガソン)、コシア(グローリー・アンメン)、パーサ(エヴァ・キャンデル)の3人の女性しかいない宇宙人の宇宙船に乗り込んでしまいます。男という存在に初めて接した宇宙人たちは、人間の男女のセックスに興味津々で、あれこれエッチなことを試してドタバタになるという予想通りの展開となるのです。宇宙人と地球人が普通に英語でコミュニケーションができるだけでなく、宇宙船内の機会やインテリアは地球と同じだし、女宇宙人もスパンコールの眉毛だけのメイクだったり、テレビのコント番組レベルのクオリティー。宇宙船に乗り込む場面は「未知との遭遇」をチープにパクっていて、制作年が「エイリアン」や「スーパーマン」が公開された1979年だったとは思えないほど、古臭いセンスが全編に溢れているのであります。


「悪魔の受胎/Inseminoid」は、明らかに「エイリアン」の亜流のSFスプラッターホラー映画です。ある惑星の古代文明の遺跡を調査している調査団・・・発見されたクリスタル石によって、隊員が凶暴な行動をとるようになったりします。さらに調査を続けるうちに、何かに捕らえられしまったサンディ(ジュディ・ギーソン)は、人相の悪い土偶みたいな宇宙生命体に犯されて、いきなり妊娠してしまうのです。「エイリアン」との大きな違いは、隊員たちを殺しまくるのは宇宙生命体ではなく、見た目は普通の人間のおばちゃん隊員のサンディというところ・・・なぜだか怪力になって襲うところは”モンスター映画”のようだし、時々意識を取り戻して助けを懇願したりするところは”悪魔憑き”っぽいし、死体の内臓を貪り食うところなどは”ゾンビ”みたいだったりします。そして、土偶のような宇宙人の赤ちゃんを出産した後も、相変わらず怪力を維持して暴れまくるのですから、何が何だかわかりません。結局、宇宙人の赤ちゃんによって残りの隊員も殺されてしまい、この惑星の遺跡に新たな調査団が送り込まれて、宇宙人の赤ちゃんの餌食になってしまうのであろう・・・というオチが待っています。ノーマン・J・ウォーレン監督作品の中で、唯一日本で劇場公開されている本作・・・それも1985年(制作されてから4年後)とは「エイリアン」ブームに便乗するにも遅すぎる謎のタイミングです。


「悪魔の受胎」から5年後・・・ノーマン・J・ウォーレン監督は「007」と「バディもの」をパクったような「ガンパウダー/Gunpowder a.k.a. Kommando Gold Crash」というアクションコメディ映画を作っています。ワイルドな”ガン”(デヴィット・ギリアム)とキザな”パウダー”の二人のスパイが、金の市場を暴落させて世界経済を崩壊させようとしているドクター・ヴァッチ(デヴィット・ミラー)の陰謀に立ち向かうというお話なのですが、まず、主人公の名前が「ミスター・ガン」と「ミスター・パウダー」でタイトルが「ガンパウダー」であったことに苦笑です。肝心なアクションは大雑把で雑な描写であっという間に終わってしまいますし、物語の展開は早いのに全体的にはダラダラした印象という相反する演出効果は、ノーマン・J・ウォーレン監督ならでは。練り切られていない脚本で、様々な出来事が唐突に起こるため場面展開についていくさえ困難・・・キャラクターの魅力を引き出そうという意図も空回りしていて、寒いセンスのセリフのやりとりに苦笑いさえできません。極めて完成後の低い映画に仕上がっています。


ノーマン・J・ウォーレン監督の最後の映画作品となる「タイム・ワープ・ゾーン/Bloody New Year」は、遊園地でトラブルを起こして、小舟で逃げた若者カップル3組が、ある島に漂着したところ・・・1959年の年末パーティーの時空の歪みに閉じ込められて、怪現象に襲われるというお話。ちょっと面白くなりそうな設定なのですが、さすがノーマン・J・ウォーレン監督・・・相変わらず訳の分からない演出が満載です。怪現象というのがセコくて・・・シャワーホースや掃除機が勝手に動き出したり、魚の網やテーブルクロスが襲いかってきたり、幽霊のような何者かに覗かれていたりという程度。映画スクリーンの中から飛び出してきたアラブの石油王に殺されたり、エレベーターの壁が伸びて襲われて壁の中に取り込まれてしまう・・・という謎の殺され方は唐突すぎ。また、他に襲ってくるのも、透明人間だったり、ゾンビだったりと、一貫性に欠けている上に、すぐにやられてしまうので恐怖感もありません。ポルタガイスト現象でグチャグチャになったと思ったら、逆回転で元通りになったりというのも意味不明。仲間がゾンビとして蘇って襲ってくるという何でもありの展開で、結局6人全員誰も小島から脱出することもできないという結末・・・1980年代にありがちだったスラッシャー映画としては後発になるのですが、あらゆるアイディアを安易に詰め込みすぎた「クソ映画」であります。

その後、ノーマン・J・ウォーレン監督は、劇場用の映画に関わることはなくなったものの、ミュージックビデオや教育用の短編の制作を続けます。2000年前後から再評価の流れが出てきて、イギリス国内ではホラー映画のスペシャリストとして認知されるようになったようです。年月が経つことによる”熟成効果”により「クソ映画」が、いつの間にか「カルト映画」として生まれ変わる・・・ノーマン・J・ウォーレン監督は、いつの時代になってもイギリスホラー映画界の”ニューウェーブ”(?)なのかもしれません。

「ハー・プライベート・ヘル(原題)」
原題/Her Private Hell
1968年/イギリス
監督 : ノーマン・J・ウォーレン
出演 : ルチア・モデューニョ、テリー・スケルトン、ダニエル・オリアー、パール・キャトリン、ロバート・クリュードソン
日本未公開

「ラヴィング・フィーリング(原題)」
原題/Loving Feeling
1969年/イギリス
監督 : ノーマン・J・ウォーレン
出演 : サイモン・ブレット、ジョジアーナ・ワード、ポーラ・パターソン、ジョン・ライトソン、フランセーズ・パスカル
日本未公開

「ザ・ショッカー 女子学生を襲った呪いの超常現象」
原題/Satan’s Slave
1976年/イギリス
監督 : ノーマン・J・ウォーレン
出演 : マイケル・ガフ、キャンディス・グレンデニング、ジャームス・ブリー、セリア・ヒューイット、バーバラ・ケラーマン
日本劇場未公開、TV放映

「人喰いエイリアン」
原題/Prey
1977年/イギリス
監督 : ノーマン・J・ウォーレン
出演 : バリー・ストークス、サリー・フォークナー、グローリー・アナン
日本劇場未公開、ビデオ発売

「ギロチノイド」(別題:ザ・ハウスⅡ/蘇えった300年・魔の秘密)
原題/Terror
1978年/イギリス
監督 : ノーマン・J・ウォーレン
出演 : ジョン・ノーラン、キャロリン・カレッジ、サラ・ケラー、ジャームス・オブリー、グリニス・バーバー、メアリー・モード、ウィリアム・ラッセル、トリシア・ウォルシュ、パティ・ラヴ、ピーター・メイヒュー
日本劇場未公開、ビデオ発売

「スペースド・アウト(原題)」
原題/Spaced Out
1979年/イギリス
監督 : ノーマン・J・ウォーレン
出演 : バリー・ストークス、エヴァ・キャデル、トム・メイデン、マイケル・ロウラット、リン・ロス、グローリー・アンメン
日本未公開

「悪魔の受胎」
原題/Inseminoid
1981年/イギリス、香港
監督 : ノーマン・J・ウォーレン
出演 : ジュディ・ギーソン、ロビン・クラーク、ジャニファー・アシュレイ、ステファニー・ビーチャム、スティーヴン・グリブズ、ヴィクトリア・テナント、ロバート・ピュー
1985年2月23日より日本劇場公開

「ガンパウダー」
原題/Gunpowder a.k.a. Kommando Gold Crash
1986年/アイルランド
監督 : ノーマン・J・ウォーレン
出演 : デヴィット・ギリアム、マーティン・ポッター、ヴィット・ミラー、デボラ・バートン、ゴードン・ジャクソン
日本劇場未公開、ビデオ発売

「タイム・ワープ・ゾーン」
原題/Bloody New Year
1987年/アメリカ
監督 : ノーマン・J・ウォーレン
出演 : マーク・パウリー、キャサリン・ローマン、ジュリアン・ロニー
日本劇場未公開、ビデオ発売



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2019/05/25

元祖”MGMの女王”は映画プロデューサーの奥さまなの!・・・ジョーン・クロフォードとの対比でみえるノーマ・シアラー(Norma Shearer)の”恵まれた女優人生”と”したたかな人生設計”~「マリー・アントワネットの生涯/Marie Antoinette」~


映画好きのアメリカ人の友人が「ノーマ・シアラー(Norma Shearer)が最近の一番のお気に入り!」と繰り返し賞賛するので・・・ジョーン・クロフォード”がらみ”で観たことのある「女たち/The Women」しか馴染みのなかったノーマ・シアラーの主演作を、現在視聴が可能な(DVD化などされていて)20数作を観てみてみることにしたのです。

ジーン・ハロウやグレタ・ガルボと同時期に、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の”スター女優”であったノーマ・シアラーは、根っからの”ジョーン・クロフォードファンのボクからすると、ジョーン・クロフォードの所属していた映画会社のボスの妻という目障りな存在(笑)というイメージしか持っていなかったのですが・・・1920年代のサイレント時代から1940年代初頭までのハリウッド黄金期に活躍して、見事なまでの引き際の”ハリウッド女優”らしい女優さんであったことが改めて知ったのです。

1902年にカナダで生まれたノーマ・シアラーは、比較的恵まれた家庭環境で育つものの父親がビジネスで失敗して破産・・・離婚後、母親は映画ビジネスに関わっていた兄を頼ってニューヨークへ移り住みます。1920年頃から映画出演を始めるのですが、数年ほどはモデル等の仕事をしながら、主にB級映画にエキストラ出演するという下積み生活が続きます。


ノーマ・シアラーには”ガチャ目”気味という致命的な問題があったのですが・・・のちに夫となる映画プロデューサーのアーヴィング・タルバーグ(Irving Thalberg)がノーマ・シアラーに目を止めて、ルイス・B・メイヤーに推薦・・・ノーマ・シアラーはハリウッドに招かれて週250ドルで契約することになるのです。

アーヴィング・タルバーグは、1920年代から30年代に天才的な手腕を発揮した映画プロデューサー・・・エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督の「愚かなる妻」「グリード」、キング・ヴィダー監督の「ビック・パレード」「ハレルヤ」「チャンプ」、トッド・ブラウニング監督の「フリークス」など、錚々たる作品に関わっています。MGMが1930年代に巨大な映画会社となりえたのは、ルイス・B・メイヤー経営手腕だけでなくアーヴィング・タルバーグの映画製作のセンスと言っても過言ではないと言われるほど、業界的には力を持った人物です。

ハリウッドに到着の翌日、初めてアーヴィング・タルバーグと会ったノーマ・シアラーは、彼に一目惚れしたそうなのですが・・・そりゃあ、ハリウッドの到着したばかりの新人女優からしてみたら、これほど自分の女優としてのキャリアに”プラス”になる人物はいないわけでありますから、どんな手段を使ってでも誘惑したい相手であったことは言うまでもありません。

スクリーンテストで良い結果を残せず、映画監督からも容姿も演技もダメ出しをされていたにも関わらず、ノーマ・シアラーが映画会社からクビになることがなかったのは、アーヴィング・タルバーグの後ろ盾があったからだったとしても不思議ではありません。1924年4月、ルイス・B・メイヤーによって合併/設立された「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー映画」所属の”スター女優”(主役の女優)として、ノーマ・シアラーは、週給1000ドルで契約することになるのです。

1904年(諸説あり)にテキサスで生まれたジョーン・クロフォードは、生まれた時には既に実の父親はおらず、義理の父親と共にオクラホマ州やミゾーリ州を転々としながら、働きながら学校に通うという貧困生活を強いられることになります。それでもダンサーになる夢を持ち続けて、ブロードウェイを目指してニューヨークに移り住み、バックダンサーとして働きながらスクリーンテストを受け続けます。1924年の12月、MGM所属のエキストラダンサーとして週給75ドルで契約することになるのです。

MGM社長のルイス・B・メイヤーによって招かれてハリウッド女優生活をスタートしたノーマ・シアラー。かたや、エキストラのダンサーの一人としてハリウッド映画界に足を踏み入れたジョーン・クロフォード・・・1924年の時点に於いて、二人の女優の格差は天と地ほどだったのです。


主演女優として活躍を始めたノーマ・シアラーの出演作品には、ジョーン・クロフォードがエキストラ出演することもありました。1925年の「Lady of the Night/夜の女」でノーマ・シアラーのボディダブルを務めたのは、無名時代のジョーン・クロフォードであったことは有名な話。ノーマ・シアラーが演じたのは双子の姉妹という設定で、二人がスクリーンに同時に映されるシーンで後ろ姿で出演しているのが、ジョーン・クロフォードでだったのです。この時の侮辱的な(?)経験がジョーン・クロフォードのライバル心に火を灯したのかもしれません。

サイレント映画全盛時代にノーマ・シアラーは”お嬢さま”役として、イメージの良いキレイな役どころを演じ続けるのですが・・・それには、アーヴィング・タルバーグの意向もあったと言われています。1927年、ノーマ・シアラーはアーヴィング・タルバーグと結婚。アーヴィング・タルバーグはノーマ・シアラーに専業主婦になることを望んだそうですが、ノーマ・シアラーは女優を続けることを望み、より良い役を得ることに固執し続けたそうです。人気女優の確立できたのも、映画会社の幹部の妻であるからこそと言えるでしょう。


一方、サイレント映画末期にジョーン・クロフォードはフラッパーダンサー役でブレイクして、その後「Rugs to Riches」と呼ばれる成金物語のシンデレラガール的な役を演じて人気を博す”スター女優”となります。監督、脚本家、撮影監督などと肉体関係を持って自分を売り込み、エキストラのダンサーから主演女優へと成り上がったジョーン・クロフォード自身を体現するような役柄で知られたわけで・・・「蝶よ花よ」と”お嬢さま”扱いで売り出されて、映画会社の幹部の”奥さま”に収まったノーマ・シアラーに良い役が与えられると、腹わたの煮え返る思いであったと言われています。1929年、ジョーン・クロフォードはダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードの息子ダグラス・フェアバンクスJr.と結婚・・・ハリウッドのロイヤリティーファミリーと一員となり、まさに底辺から成り上がったのです。

その後、1930年代に入るとサイレント映画からトーキー映画へなっていくのですが、ノーマ・シアラーもジョーン・クロフォードも無事移行に成功・・・2人ともMGM映画の看板女優として活躍し続けます。

1930年、ノーマ・シアラーは「結婚双紙/The Divorcee」で、アカデミー賞主演女優賞を受賞。浮気や離婚を赤裸々に扱ったヘイズコード以前の作品で、ヒロインは性的にリベラルな都会的な女性だったので、夫のアーヴィング・タルバーグはノーマ・シアラーが主演することには反対だったそうです。ただ、それまでの”お上品”で”好感度の高い役柄から脱皮したという意味では、一皮剝けたと言える作品であったかもしれません。その後のノーマ・シアラーは、映画会社の幹部夫人という恵まれた立場を十二分に利用しながら、女優生活を送り「MGMの女王」として君臨するのです。

1930年代のハリウッド黄金期においてのジョーン・クロフォードの活躍を説明する必要がないとは思いますが・・・クラーク・ゲーブル(めのおかし参照)をはじめ、当時の名だたるスター男優との数々のヒット作品に恵まれて、女優の中では最高金額の出演料を受け取るまでになります。ハリウッドという業界で成り上がりきったら、ダグラス・フェアバンクスJrとは離婚して、東海岸の良家出身のフランチョット・トーンと再婚・・・10年前には手の届かない存在だったノーマ・シアラーとジョーン・クロフォードは、ある意味並ぶ存在にはなったのです。、

ノーマ・シアラーは、賢く良作を選んで、マイペースで女優業を続けます。レスリー・ハワードと共演した1936年の「ロミオとジュリエット」はジョージ・キューカー監督による大作で、プロデューサーは勿論、夫であるアーヴィング・タルバーグであります。ただ、32歳のジュリエットと39歳のロミオは年齢的に厳しかったことは否めません。


「ロミオとジュリエット」に続く超大作として、ノーマ・シアラー主演で「マリー・アントワネットの生涯/Marie Antoinette」の制作準備中、元々病弱であったアーヴィング・タルバーグは37歳という若さで亡くなってしまいます。後ろ盾を失ってしまったノーマ・シアラーでありましたが、その後もMGM映画からは”元”幹部夫人として、丁重に扱われ続けたと言われています。アーヴィング・タルバーグの死後も制作が続けられたのが、1930年代に制作された映画の中で「風と共に去りぬ」の390万ドルに次ぐ制作費292万ドルをかけた「マリー・アントワネットの生涯」なのです。

何と言っても、衣装にお金をかけすぎて・・・当時高価だったカラーではなく白黒で撮影することになってしまったというのですから、本末転倒であります。ただ、衣装の豪華さは白黒であっても空前絶後。なんとか制作費を工面してカラー映画として完成することができていたなら、もっと映画史に残る作品になったのではないかと思ってしまいます。白黒映画のカラー化には反対の立場のボクですが、本作に関しては製作時のカラーを正確に再現できるのであれば、是非カラー化して欲しいです。


タイトル通リ・・・シュテファン・ツヴァイクの伝記をベースに、オーストリアの少女時代からフランス王妃として処刑されるまで、マリー・アントワネットの生涯を”悲劇のヒロイン”として描く本作。ベルサイユ宮殿の敷地で、撮影が許可された最初の映画でもあります。ノーマ・シアラーの体だけ小柄にする撮影方法で、14歳の少女らしさを演出しているのは見事です。「ベルサイユのばら」でも有名なフェルセン伯爵との切ない恋も描かれるのですが・・・フェルセン伯爵役が顔の濃~い若き日のタイロン・パワーだったりするのは、ご愛嬌(?)かもしれません。

処刑される前夜のルイ十六世と子供たちとのささやかな団欒、処刑直前にやつれきった姿でのフェルセン伯爵との再会、そして処刑台に向かっていく弱々しい姿・・・エンディングに向けて、これでもかと悲劇が盛り上がります。本作後、様々なマリー・アントワネットが映画の中で描かれましたが、本作が最もマリー・アントワネット側に寄り添っているかもしれません。

ノーマ・シアラーが「マリー・アントワネットの生涯」で、女優として頂点を極めたころ・・・ジョーン・クロフォードは「ボックス・オフィス・ポイズン/Box-Office Poison」=「興行成績の振るわないスター」というレッテルを貼られてしまいます。いつまでもシンデレラガール役を演じられる”娘”というわけでもありません。そこで、ジョーン・クロフォードは「イメージチェンジ」という大胆な戦略をとるです。


それが、ノーマ・シアラーとジョーン・クロフォードの唯一の共演作品「女たち/The Women」であります。この作品については以前、めのおかしブログで書いているので、詳しくはそちらを読んでください。(めのおかし参照)

ノーマ・シアラーが演じるのは、浮気されてしまう上流階級夫人という・・・いわゆるノーマ・シアラー”らしい”集大成的な役柄です。逆にジョーン・クロフォードが演じるのは、1940年代に演技派へと移行する布石ともなる浮気相手の”悪女役”・・・一応、主演はノーマ・シアラーなのですが、脇役のジョーン・クロフォードが映画を食ってしまったと言えるかもしれません。

「女たち」後、ジョーン・クロフォードは試行錯誤はするものの1945年の「ミルドレッド・ピアーズ」で念願のアカデミー主演女優賞を受賞して、その後数十年スター女優であり続けます。一方、ノーマ・シアラーは、1942年の「Her Cardbox Lover」(ジョージ・キューカー監督、ロバート・テイラー共演)を最後に女優引退します。アーヴィング・タルバーグという後ろ盾を失った後、良い役柄が永遠に与え続けられるわけもなく、40歳を過ぎてスター女優で居続けることにも限界を感じていたのかもしれません。何が何でもスターの地位に居座ろうという欲もなく、見事な引き際だったように思えます。ジョーン・クロフォードが、最後の最後までスター扱いされることを求めたのとは真逆です。


スキーインストラクターで11歳年下のマーティン・アロージュ(Martin Arrougé)氏と再婚してからは、チャリティなーなどの公なイベントには姿を見せるものの、ハリウッドの社交界からは一線を引いていたと言われています。その後の映画やテレビへの出演依頼に応えることもなく(ラジオ出演はあり)、1960年以降は公の場に姿を現すこともなく、1983年に81歳で亡くなるまで余生をマーティン・アロージュ氏と過ごしたそうです。

女性の生き方として、ノーマ・シアラーの人生は”ある意味”理想的だったように思えます。父親の破産という不幸なことが少女時代にあったものの、女優のキャリアをスタートして直ぐに映画プロデューサーに見初められて結婚してスター女優となり、恵まれた状況で華やかな女優生活を謳歌します。後ろ盾だった夫とは死別してしまいますが、女優としてやり切って引退、映画界とは無縁の年下男性と再婚して静かに余生を過ごす・・・文句のつけようがありません。そこに”したたかな人生設計”があったか否かは分かりませんが、数多いハリウッド女優の中でも、特に恵まれた人生を送ったことは間違いないと思います。

女優としての生き様として興味深いのは、当然ジョーン・クロフォードなのですが、ひとりの女性としての幸せな人生として考えると・・・ノーマ・シアラーに軍配が上げざろうえないのです。


「マリー・アントワネットの生涯」
原題/Marie Antoinette
1938年/アメリカ
監督 : W・S・ヴァン・ダイク
出演 : ノーマ・シアラー、タイロン・パワー、ロバート・モーレイ、ジョン・バリモア、アニタ・ルイーズ、ジョゼフ・シルドクラウト。グラディス・ジョージ、ヘンリー・スティーブソン、アルマ・クルーガー
1966年6月21日より日本劇場公開




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2019/04/18

「何がジェーンに起ったか?/What Ever Happened to Baby Jane?」のドロドロな舞台裏を描くテレビシーリーズ・・・「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」で地に堕ちたジョーン・クロフォードの汚名の払拭に涙が止まらない!~「フュード/確執 ベティ vs ジョーン/Feud : Bette and Joan」~


「glee/グリー」「アメリカン・ホラー・ストーリー」などのプロデューサーとして知られるライアン・マーフィーが手掛けたテレビシリーズ「フュード/確執 ベティ vs ジョーン/Feud : Bette and Joan」は、ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードが初共演した「何がジェーンに起ったか?」の映画製作の舞台裏を描くということで、ジョーン・クロフォードの大ファン(勿論ベティ・デイヴィスも大好き)のボクとしては、何が何でも見逃すことができないと非常に楽しみにしていたのであります。けいたいおかし参照)

しかし・・・日本では”スターチャンネル”(ボクは契約してない)での独占放映(2017年9月29日~)。それならば、アメリカ本国でDVD/Blu-ray化されるか、Netflixなどの配信を待とうと思っていたところ・・・本作に登場するオリビア・デハヴィランドご本人(101歳でご存命)が「無断で作品に使用された!」とクレームを入れて裁判沙汰に・・・その後に訴えは却下されたものの、DVD/Blu-ray化はお蔵入りのまま。ただ最近、ジョーン・クロフォードのファンサイトでエミー賞投票者向け(Fot Your Consideration=FYCという非売品)DVDセットが、アメリカのオークションサイト”eBay”で出品されていることを知って、先日(結構な高額で!)無事に落札!遂に「フュード/確執 ベティ vs ジョーン」を観ることができたのです。


伝説的に語り継がれるベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの確執は、二人が生まれたときから始まっていたと言っても良いのかもしれません。生まれてすぐ実の父親に捨てられた上に義父に手篭めにされたジョーン・クロフォードは、フラッパーダンサーからハリウッド女優に成り上がった”叩き上げ”女優。共演した男優は勿論、映画監督、照明や撮影のスタッフとも肉体関係を結んで、キャリアを築き上げていったと言われています。1930年代には美貌の”スター女優”として上り詰めるのです。

一方、父親とは不仲だったベティ・デイヴィスは、若くしてブロードウェイで頭角を現してハリウッドの招かれた”演技派”女優であります。歌になるほど(キム・カーンズの「ベディ・デヴィスの瞳)特徴的な瞳をもつベティ・デイヴィスは、一般的に”美人”というわけではありませんが、演技力は折り紙つき。外見を気にせず役柄になりきって、20代で二つのオスカーを受賞してハリウッドで最もリスペクトされる女優となります。


同時期に”ハリウッド女優”として活躍したベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの女優としてのスタンスは「水と油」で、常にお互いをライバル視する運命にあったのです。

本作は、往年のハリウッド女優オリビア・デハヴィランド(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)とジョーン・ブロンデル(キャシー・ベイツ)が、ジョーン・クロフォードの死後の1978年にジョーン・クロフォードとベティ・デイヴィスについてインタビューで語る場面(1978年にイギリスBBC制作の番組『The Hollywood Greats』を元ネタにした架空のテレビドキュメンタリー)と、「何がジェーンに起ったか?」の舞台裏からその後を描く物語が、行き来しながら進行していきます。二人の女優としてのキャリアやゴシップ的な数々の逸話をインタビューという形で語らせることで、ジョーン・クロフォードとベティ・デイヴィスについて詳しく知らない視聴者にも時代背景が理解できるという構成となっているのです。

ペプシコーラ社長の夫と死別したジョーン・クロフォードが女優としての再起を狙って自ら企画を探すというところから本作の物語は始まり、ジョーン・クロフォードの死後に登場人物たちが彼女に思いを寄せる場面で終わることから・・・本作の「主役」はジェシカ・ラング演じる”ジョーン・クロフォード”であると思います。


ジェシカ・ラングは「アメリカン・ホラー・ストーリー」の常連キャストでもあり、”ジョーン・クロフォード”を演じるのに相応しい女優であることに間違いありません。ただ、生涯スレンダーな体型を維持して美貌を保ち続けたジョーン・クロフォードと比較してしまうと、ジェシカ・ラングの”恰幅の良さ”や”ナチュラルな老け具合”は目についてしまいます。


逆に、ベティ・デイヴィスを演じるスーザン・サランドンは本人よりスラっとした美人なので、二人の確執の要因のひとつであった「ジョーン・クロフォード=美貌のスター女優だけど演技の才能には欠ける」「ベティ・デイヴィス=個性的なルックスで美人ではないけど演技力は抜群」という二人の個性が薄れた印象は否めません。・・・とは言っても、ベティ・デイヴィスを違和感なく演じきったスーザン・サランドンもさすがです。

本作で再現されたシーンと実際の映像を比較している動画があるのですが、本物のベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの持つ「顔のパワー」には圧倒されます。


冒頭のインタビューシーンでオリビア・デ・ハヴィランドが語る「確執は決して”憎しみ”ではなく”痛み”なのです。/FUEDS are never about HATE. FUEDS are about PAIN」というのが本作の本質かもしれません。

同じ映画会社に所属しながら一度も共演することのなかったベティ・デイヴィスを担ぎ出したのは、誰あろうジョーン・クロフォード・・・露骨にライバル心を燃やしながらも歩み寄り、”若くない女優”を蔑ろにするハリウッド体質にタッグを組んで戦っていく様は、”フェミニズム”的なテーマでもあります。また、単に「確執のある女同士の戦い」という一層的な物語には終わらせてることはなく、映画会社の幹部などの一部の男性による支配から生み出されていた”不条理さ”は「#MeToo」運動に繋がっているようにも感じます。

ベティ・デイヴィスだけがアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたことで確執をさらに深めていく”くだり”や、「血だらけの惨劇」(めのおかし参照)などのサイコ・ビディ(Psycho-Biddy)と呼ばれる一連の熟女ホラー映画の再現は「おキャンプ」好きも満足させる作りとなっているのです。

本作では、ベティ・デイヴィスは従来のイメージどおり”強気”に(子供たちとの関係においての孤独感あるもの)描かれているのですが、対照的にジョーン・クロフォードには寄り添っているように感じます。二人が再び共演するはずだった「ふるえて眠れ」でのジョーン・クロフォード降板の顛末は、ジョーン・クロフォード側に同情的な視点で描かれますし、”プライドの高さ”に反しての”人間的な弱さ”もリスペクトを持って描かれているように思うのです。亡くなる直前、ジョーン・クロフォードの幻想の中で、ベティ・デイヴィスとの間に友情を結ぶのは”フィクション”ではありますが、それが”ジョーン・クロフォードの本望”であったような気がしてなりません。

ジョーン・クロフォードの死後、養女のクリスティーナ・クロフォード(本作には登場しない)が1978年に出版した暴露本「親愛なるマミー・ジョーン・クロフォードの虚像と実像/Mommie Dearest」と、それを原作にした1981年の映画「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」(めのおかし参照)によって、ジョーン・クロフォードのスター女優としての輝かしい功績は「養子虐待女優」というレッテルを貼られて、とんでもないほど地に堕ちてしまったわけですが・・・本作で描かれるジョーン・クロフォードの姿によって、約40年ぶりに”その汚名”を少しでも払拭できたのではないでしょうか?

ジョーン・クロフォードの”いちファン”として涙が止まりません。


「フュード/確執 ベティ vs ジョーン」
原題/Feud : Bette and Joan
2017年/アメリカ
製作総指揮: ライアン・マーフィー他
演出   : ライアン・マーフィー
出演   : ジェシカ・ラング、スーザン・サランドン、ジュディ・デイヴィス、アルフレッド・モリナ、スタンリー・トゥッチ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、キャシー・ベイツ
2017年9月29日よりスターチャンネルにて日本独占放映

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2018/11/26

”モラル”があった時代だからこそ”演じがい”のあったサディ・トンプソン(Sadie Thompson)という役を演じた三人の女優〜グロリア・スワンソン「港の女」/ジョーン・クロフォード「雨」/リタ・ヘイワース「雨に濡れた欲情」〜


サマセット・モームの短編小説「雨/Rain」(発表時は「サディ・トンプソン/Sadie Thompson」という題名)は、発表後すぐに舞台化され、演技派女優にとっては”演じてみたい役”のひとつかもしれません。「雨」を原作とした映画は、サイレント時代、トーキー初期、3D映画全盛期に3作つくられているのですが、それぞれ趣の違う作品となっているのです。


舞台となるのは、サモア諸島にあるアメリカ領のパゴパゴという島の村・・・そこに、サディ・トンプソンという派手な服装の娼婦らしき女性が、ホノルルからの船で到着します。同船していた宣教師のデヴィットソン夫妻やマックフェイル医師夫妻もサディと同じ島唯一のホテルに滞在することになるのですが、モラリストの夫妻らにとってサディの素行には目に余るものがあるのは当然です。

実はサディ・・・ある事件にサンフランシスコで巻き込まれて警察に追われている身で、逃亡先だったホノルルから逃げてきたところだったのであります。サディに一目惚れしてしまった駐留している海兵隊のオハラ軍曹は一緒にシドニーに移り住もうと誘うのですが、サディの素性を知ったデヴィットソン神父は自らの権限を使ってサディを強制的に本国へ送還させようとするのです。

見逃すように懇願するサディを宗教的な正論で跳ね返すデヴィットソン神父の言葉に、サディはキリスト教徒として開眼する(Born-Again Christian)に至ります。地味な化粧と服装で別人となったサディの信仰心から醸し出される美しさに、心を乱されたデヴィットソン神父は本国送還の前夜、サディの寝室に忍び込むのです。翌朝、漁師の網に引っかかったのは、自害したデヴィットソン神父の遺体・・・「男なんて汚らしいブタだよ」と捨て台詞を吐いて、サディは以前のような娼婦の姿に戻ります。

当然ながら、サディの寝室で何が起こったかは描かれません。ちょっとした謎なのですが、おそらくサディを強姦して自らの自責の念で自殺したということのようです。派手な娼婦がクリスチャンに転向して地味なったかと思ったら派手に戻るのも・・・神の教えを説いていた神父も実は他の男と同じように性欲をもっていたという”どんでん返し”(?)も通用しなくなってしまったのも、本作が前提としていた”モラル”自体が崩壊してしまった今では、どうでもいいような話かもしれません。


サディ・トンプソンを映画作品で最初に演じたのは、サイレント映画時代の1928年にグロリア・スワンソン(港の女/Sadie Thompson)で、原作の時代性と最も近いような気がします。とんでもない大女優だったグロリア・スワンソンは、姉御肌の高級情婦といった感じで・・・当時流行した”モダンガール”のような印象です。キリスト教に目覚めるシーンでは、サディの姿が神々しく光り出すというメチャ分かりやすいサイレント映画らしい演出ですが、ある種、感動的であります。


残念なのは・・・この「港の女」の最後の巻が現存せず、スチール写真が数枚しか残っていないこと。エンディングは、残された脚本と写真からしか想像するしかないのですが、意外にあっさりとした終わり方だったような感じです。


「港の女」が制作されてから、僅か4年後の1932年・・・トーキー映画の時代となり、再び映画化されることになります。同年「グランドホテル」でスター仲間入りをしたジョーン・クロフォードが、直談判して当時所属していたMGMからユナイテッドアーツに貸し出される形(現在フィルムはMGM所有)で、主演したのが「雨/Rain」なのです。ジョーン・クロフォードとしては演技派女優として認められたいという一心だったようですが、当時はまだ技量的に厳しいものがあったようで評判は散々だったと言われています。


グロリア・スワンソンと違って・・・ジョーン・クロフォードが演じたサディは、いかにも”娼婦”というイデタチで、濃い化粧に派手な胸の開いたドレス、フィッシュネットタイツに下品なプラットフォームのパンプス、両手にはジャラジャラと腕輪を何重にもつけているという”下品”を絵に描いたような格好です。目も当てられないほどの棒読み演技で、クリスチャンとして生まれかわるのも唐突すぎる印象・・・ただ、質素で地味な姿は、ジョーン・クロフォードが本来持っている素の美しさが際立っていることは否定できません。

何故か、日本では故淀川長治氏が、ジョーン・クロフォードの代表作として本作を「淀川長治の名作100選」の一作に選んでいたこともあり、後年の「何がジェーンに起こったか?」と並んで昔から日本国内ではDVD化もされているのです。ボクのようなジョーン・クロフォードのファンには、見逃せない作品ではあるものの・・・1930年代、ハリウッド黄金時代のジョーン・クロフォードの主演作品としては、クラーク・ゲーブルとの共演作品の方がオススメであります。(めのおかし参照)


3度目の映画化は、ハリウッドで3D映画が流行していた1953年の「雨に濡れた欲情/Miss Sadie Thompson」で、3Dで制作されたのです。しかし公開時、3Dでの上映は2週間のみでアメリカで広く公開されたのは2Dバージョンが多かったそうです。(翌年の日本公開された際には2Dのみ上映)現在、Twilight Time/トワイライト・タイム(3000枚限定販売のレーベル)から復刻された3Dバージョンのブルーレイが販売(在庫限り)されています。


アクションでもなく、ホラーでもない、本作のような作品が3Dの意味ってあったの?と疑問に思ったのですが、実際に視聴してみると主演のリタ・ヘイワースの肉体の生々しさには、大きく一役かっているのです。特に、スケスケのレースのドレス姿で兵士たちの前で踊るミュージカルシーン(本作はミュージカルナンバーのあるミュージカル映画!)は、公開時には各国で上映禁止になったのも納得してしまうほど・・・本作は「醜聞殺人事件」「サロメ」に続くリタ・ヘイワース復帰3作目でもあり、当時限界ギリギリの汗ばんだ肉体のセクシーさ炸裂なのであります。

前二作では亜熱帯特有のスコール=雨が、ウェットでダークな印象を与えましたが、本作は観光映画のような鮮やかなテクニカラーとリタ・ヘイワースの明るいエロティズムで、イカニモなハリウッド映画に仕上がっています。神父が自殺するというサプライズ展開には変わりはありませんが・・・エンディングもサディがオハラ軍曹よりも先にシドニーに向かって旅立つという、ある意味”ハッピーエンド”になっているのです。

アンチ・クリスチャン的「宗教の不信」も大好物のボクにとっては、約100前に書かれたサマセット・モームの短編小説を原作とした映画3作品も、一種の”おキャンプ映画”として味わってしまうのであります。

「港の女」
原題/Sadie Thompson
1928年/アメリカ
監督 : ラオール・ウォルシュ
出演 : グロリア・スワンソン、ライオネル・バリモア、ラオール・ウォルシュ
1929年11月、日本劇場公開

「雨」
原題/Rain
1932年/アメリカ
監督 : ルイス・マイルストン
出演 : ジョーン・クロフォード、ウォルター・ヒューストン、ウィリアム・ガーガン
1933年9月、日本劇場公開


「雨に濡れた欲情」
原題/Miss Sadie Thompson
1953年/アメリカ
監督 : カーティス・バーンハート
出演 : リタ・ヘイワース、ホセ・ファーラー、アルド・レイ
1954年2月17日、日本劇場公開



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