2017/07/31

未解決の殺人事件の真相に迫る”だけじゃない”ドキュメンタリーシリーズ・・・衝撃的な事実が明らかになればなるほど深い闇に引きづり込まれていく・・・~Netflix オリジナル作品「キーパーズ/The Keepers」~


下世話な興味をひく犯罪事件については、テレビニュースや新聞の報道以外にも、ワイドショーや週刊誌のネタとして消費されることが多いものですが(日本だけでなく世界的に)・・・未解決犯罪のドキュメンタリー作品が数多く制作されるアメリカでは、実際に事件解決/犯人逮捕となるケース(「ザ・ジンクス/The Jinx」など)があったりして、ひとつのジャンルとして確立されているようです。

「殺人者への道/Making Murders」「アマンダ・ノックス/Amanda Knox」「ジョンベネ 殺害事件の謎/Casting JonBenet」などのオリジナルドの犯罪キュメンタリーを次々と配信するNetflix(ネットフリックス)から配信されている「キーパーズ/The Keepers」は、1969年に起こった未解決のシスター・キャシー・セスニック殺人事件の真相に迫る全7回(なんと約7時間!)のドキュメンタリーシリーズであります。

事件が起こったメリーランド州のボルチモアは、アメリカの中でもカトリック教会が大きな影響力を持っている街として知られており・・・ジョン・ウォーターズ監督をはじめ、ディヴァイン、ミンク・ストール、デヴィット・ロッカリー、マリー・ヴィヴィアン・ピアース、エディス・マジーらの出身地であり、宗教的抑圧(?)のもと、おかしな人がたくさん(?)排出された土地柄というイメージがあったりします・・・ボク的には(笑)。

シスター・キャシー・セスニック殺人事件というのは・・・ボルチモアにあったキーオ大司教高校で英語の教師を務めていたシスター・キャシーが、1969年11月7日夜に行方不明になり、翌年1月に死体で発見されたという未解決の事件で、彼女に何が起こったのか、誰が彼女を殺したのか、どうして彼女の死体が町外れのゴミ捨て場に約二ヶ月後に発見されたのかなど、未だに分かっていないのです。

本作の監督であるライアン・ホワイト氏の叔母が、シスター・キャシーが元生徒だったことが制作のきっかけだったそうですが・・・同じく教え子であったジェマ・ホスキンズ(Gemma Hoskins)さんと、アビー・シャウブ(Abbie Schaub)さんの二人によって、事件の真相解明を求めて開設されたFacebookページ(現在はThe Keepers Ofiicial Groupに移転)が、多くのキーオ高校の卒業生や関係者に事件を風化させてはならないという思いを起こさせたに違いありません。


事件発生時、シスター・キャシーは同じくキーオ高校で教師をしていたシスター・ラッセルと(カトリックのシスターが共同生活を送ることが当たり前だった当時としては実験的な試みとして)一般のアパートメントでルームシェアをしていました。シスター・キャシーは妹の婚約祝いを買いに出かけて、その夜帰宅しなかったのです。ルームメイトのシスター・ラッセルは、すぐに警察に連絡することはなく・・・まず、シスター・キャシーと個人的に親しかった(当時は神父だった)ジェリー・クーブ氏を呼び出します。朝方、シスター・キャシーの車は、自宅アパートメントの近くに不自然な位置に停車しているのが、ジェリーによって発見されるのです。

キーオ高校の生徒たちには詳しいことを伝られることもなかったそうで・・・(行方不明になった11月7日は金曜日だったので)週明けの月曜日(11月10日)に、シスター・キャシーがいなくなってしまったこと”だけ”を知らされるのです。事件当時25歳だったシスター・キャシーは、年齢的に女生徒達とも近く”お姉さん”的な尊敬と憧れの存在であったそうで、生徒たちのショックは計り知れません。それ故、元教え子のジェマやアビーは、事件発生から45年経っても真相を追求せずにはいられなかったのかもしれません。

ジェマとアビーのacebookページ以前・・・1994年にシスター・キャシー・セスニック殺人事件は、キーオ高校の元生徒を名乗る匿名女性の衝撃的な告発よって全米の注目を集めているのですが、本作では匿名女性本人のジーン・ハルガドン・ウェーナー(Jean Hargadon Wehner)から詳細が語られます。事件当時、キーオ高校は修道女によって運営されていたのですが、ジョゼフ・マスケル(Joseph Maskell)とニール・マグナス(Neil Magnus)という二人の神父も在籍してしました。ジーンは二人の神父から性的虐待を受けていたのです。


ジーンの証言は、聞くだけでも心が痛むほど具体的であります。叔父から性的な悪戯されたことを懺悔したジーンを、最初に虐待したのはマグナス神父・・・彼はジーンの懺悔に耳を傾けながら自慰をしていたといいます。その後、マグナス神父だけでなくマスケル神父も加わり、聖霊であるとして精液を飲み干させられたり、罵られながら強姦されたり、張型で悪戯されたりと、在籍中は繰り返し繰り返し性的虐待を受け続けていたのです。

”神”に近い存在であった神父から”性的虐待”を受けているということは、当時のジーンには認識できせんでした。性的虐待をされた者の多くは、罪悪感とストレスより虐待されたことさえ記憶からさえ消し去ってしまいます。卒業から20年以上経った、あるとき・・・高校時代の同級生から同窓会に誘われたことをきっかけに、ジーンは徐々に記憶を取り戻していくのです。

1990年代には、記憶を取り戻したという人々による虐待の告発が、アメリカでは多く報道されていました。一時期、大きな社会問題となったのですが・・・年月が経ってしまうと虐待の事実を証明をする手段がなく、被害者の訴えが認められないことも多々あったのです。ただし、カトリック教会内では性的虐待は(男女共に)全米各地で起こっていたことが明らかで、ジーンも氷山の一角であったのかもしれません。

ジーンの他にも、ジーンと共に匿名で告発していたテレサ・ランキャスター(Teresa Lancaster)や、本作でのインタビューに応じたキャシー・ホベック(Kathy Hobeck)やドナ・ヴォンデンボシュ(Donna Vondenbosch)からも、神父らによる性的虐待の実体が語られます。女生徒の個人情報を知ることのできた彼らは、過去に性的な虐待の経験のある者や家庭環境が悪く親子関係が破綻している者を選別・・・信仰だけでなく、精神分析、薬物、催眠術を駆使して、彼女たちに非があるようにマインドを操って、性的虐待をしていたのです。


ジーンによる推理は・・・マスカル神父らの女生徒達へ性的虐待を知ったシスター・キャシーは、警察に訴えるなど何らかの行動を起こそうとしていたため、口封じのために殺されたというのです。ただ、殺害に関与したり、遺体を処理したのは、神父らとは直接関係のなかった人物であったと示唆します。また、ジーンはマスカル神父に連れられてシスター・キャシーの死体を見せられたという証言もしています。シスター・キャシーの死体を見せることで、ジーンの口封じもしたということなのです。

1994年に行なわれたジーンによる告発は、結果的には不起訴となります。ボルチモアのカトリック教会からは協力してもらえるはずもなく、ジーンは自ら虐待の証明することを強いられるのですが・・・警察は証拠となる文書を紛失、州検事も証拠不十分という判断を下します。この時点で、既にマグナス神父は死去していましたが、マスケル神父は復職していたのですから驚きです。性的虐待の被害者が、差別や偏見を乗り越えて声を上げることあげることが、どれほど困難なことなのか・・・さらに、法律に従って虐待を証明して起訴する道のりが、どれほど険しいのかを思い知らされます。

本作が、被害者だけの回想で構成されていたとしたら、カトリック神父による性的虐待の暴露ドキュメンタリーのひとつでしかなかったかもしれません。しかし、本作では被害者だけでなく、事件当時に捜査に関わった警察関係者、虐待されていた女生徒を診察した婦人科医、1994年に起訴を取り下げた性犯罪班の州検事・・・さらに、シスター・キャシーの殺人に関わったかもしれない隣人のビリー・シュミッド(Billy Schmid)とエドガー・デヴィットソン(Edgar Davidson)という人物の存在を、彼らの親族からの告発で発見・・・本人にもインタビューしているのです。

ここからネタバレを含みます。


加害者側の関係者の多くは既に亡くなっていたり、生存していたとしても高齢でまともにインタビューができる状態ではなかったりします。シスター・キャシーが何故殺されなければならなかったのか、どう殺害されて死体遺棄されたのか・・・その答えの糸口は見つかりそうで見つからないのです。性的虐待を暴露しようとしていたシスター・キャシーの動向を察知したマスカル神父が、ビリーとエドガーに殺害を指示したのではないかと推測はできるのですが・・・真相は本作の中では明らかにはされません。しかし、7時間にも及ぶ本作を観ていると、犯人探し”だけ”が目的ではなくなっていきます。

シスター・キャシー・セズニック殺人事件の真相は、いまだに分かっていませんが・・・被害者が声をあげたことで、メリーランド州の性的虐待の通報期限が(25歳から38歳に)延長されたり、少しだけ状況は改善されつつあります。本作に出演した被害者と家族、事件に関わった人々は、各自それぞれの”幕引き”をして人生を歩んでいくしかないのです。でも、それは過去を葬り去ることではありません。いつか、真実を遮る壁が打ち砕れるまで「キーパーズ/The Keepers」は終わっていないのですから。


「キーパーズ」
原題/The Keepers
2017年/アメリカ
監督 : ライアン・ホワイト
2017年5月19日より「Netflix」にて配信

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2017/06/21

「信じる者は呪われる!」・・・”検索してはいけないワード”になったスプラッター系アダルトビデオ「猟奇エロチカ 肉だるま」、都市伝説の元ネタになった後日談ドキュメンタリー風アダルトビデオ「オソレザン 降霊ファック」


インターネットで”検索してはいけないワード”として知られる言葉に「肉だるま」というのがあります。これは、1999年にマニア系ビデオメーカーのアロマ企画から発売されたアダルトビデオのタイトルで・・・「観たら呪われるビデオ」としても知られています。

タイトルどおり女性の四肢を切り落として”肉だるま”にするという、スプラッター系のアダルトビデオではあるのですが、都市伝説となった理由は、内容の過激さだけではありません。本作に出演したAV女優の大場加奈子(大馬鹿な子をもじった芸名)さんが、発売日の前日(1週間前という説もあり)に、下北沢駅近くの踏切で電車に轢かれて亡くなったからなのです。


お酒が好きで一人で飲み歩くことが日課だったいう彼女が泥酔して踏切に侵入して、運悪く”事故”に遭遇したとも言われる一方・・・「肉だるま」出演後、精神的に不安定になり自ら踏切に飛び込んだ”自殺”だったという人もいます。地元の友人にアダルトビデオに出演していることが知られて、精神的に苦しんでいたらしいという証言や、当時付き合ってた彼氏との関係が上手くいっていなかったという話もあるのです。

”事故”か”自殺”のいずれだとしても「肉だるま」発売日直前に彼女が亡くなられたことは事実のようで・・・出演作品の中で手足を切断されてバラバラになった彼女が、実際に亡くなった時も同じように電車にひかれてバラバラになってしまったということが、本作の”呪われている”感を煽っているのかもしれません。

「肉だるま」は、多くのスナッフフィルムにありがちな”ドキュメンター”というスタイルになっています。出演者は4人だけ・・・カナ役の大場加奈子さん、キク役の菊淋、悪徳カメラマン役の北野雄二氏(当時のアロマ企画社長)、そして悪徳監督役の穴留玉狂監督です。

大場加奈子さんは、下北沢の飲み屋で北野雄二氏にスカウトされた”素人さん”(少なくとも業界的には)で、本作以外には一作だけハメ撮りビデオに出演したことはあったそうです。穴留玉狂監督は「私の赤い腸(はな)」というアダルトビデオ(女性が過激な自傷行為を行う)でアロマ企画からデビューして、本作が2作目。菊淋は、現在でもAV男優と監督の二足のわらじをはいてアダルトビデオ業界で活躍しています。


悪徳監督(穴留玉狂)は、クライアントの趣味嗜好(フェチ)に合わせたアダルトビデオを撮っている人物らしく・・・撮影の一週間前、カメラマンから次回作の連絡があり「最後に男優も殺しちゃって」と伝えられます。その後、監督はカナ(大場加奈子)とキク(菊淋)という素人を面接。カナは愛人バンクに登録しながら、いろんな仕事を掛け持ちしている女性で、SMもスカトロも「NGなし」と断言して、やる気を見せます。キクは”死体好き”という変態で、今回の撮影内容に関しては「了解済み」ということらしいのです。


撮影現場は、伊豆の一軒家(実際に北野雄二氏の知り合いから借りた家らしい)・・・4人が到着するやいなや、絡みの撮影が始まります。ベットの底板が壊れたり、ダミーの射精用の”疑似”が使われたり・・・アダルトビデオ撮影現場の裏側を垣間みるようです。その夜には、豪勢に生きた伊勢エビをさばいて、和気あいあいとした食事会が繰り広げられます。


翌朝、グラドル風のイメージビデオのような着衣での撮影が行なわれた後、いよいよメインの撮影が始まるのですが・・・面談で「NGなし」とカナが断言していたこともあり、縄縛りや鞭打ちなどのSMや、浣腸プレイが待っていたのです。しかし実際に撮影が始まると「恥ずかしい」「痛い」「嫌だ」と、カナは駄々をこね始めます。クライアントの意向で”スカトロ”だけは、絶対に必要らしく、当初は優しく説得しようとする監督とカメラマン。しかし、本気で嫌がるカナの態度に撮影現場は一気にシラケ気味・・・監督はキレて激しく叱咤しますが意志は固く、カナはひとり帰宅することになるのです。実は、ここからが「肉だるま」の本編なのであります!

ここからネタバレとグロテスクな描写が含まれます。


玄関先で靴を履こうとしているカナを、監督が背後からバットで殴って気を失わせて、失神状態で撮影部屋へ連れ戻すのです。股間の部分だけ衣服を切り取られて丸出し状態にされながら、頭は包帯をぐるぐる巻きにして、手足をベットに括りつけられてしまいます。監督はキクにカナを犯すように指示・・・そして、キクが腰を振っている最中、監督はナタを取り出して女優の右足首を切り落としていまうのです。


キクは一瞬戸惑いを見せながらも、そのまま行為を続けます。カナが無反応なことあり、監督は次に膝下にナタを振り落すのです。今度はカナも叫び声を上げて反応・・・監督はキクを突き飛ばしてカナに馬乗りになり、舌を引っ張り出して皮むき器で舌を削ぎ始めます。(本物の豚の舌を使ったらしい)苦痛の悲鳴をあげるカナに興奮した監督は、裁ちバサミで舌先を二つに切ってしまうのです。


監督とカメラマンによるカナへの残虐行為は夜通しで行なわれます。監督はナイフで右腕を切り落とそうとするのですが、骨や皮に試行錯誤することも監督は楽しんでいる様子。さらに、止血剤や痛み止めのモルヒネを打ちながら、息絶え絶えのカナに向かって「痛いの~?生きたいの~?」と、子供をあやすかのように問いかけるのです。まるで、息絶え絶えのカナを愛しんでいるかのようで・・・残酷なフェチに恐怖を感じます。


居眠りしていた(この状況のショックから?)キクを起こして、監督は左足を切り落とすように命令・・・監督の言いなりのキクは、素直にカナの膝下にナタを振り下ろすのです。もはや、カナが生きていることがアリエナイ感じではありますが・・・カナのお腹をナイフで裂いた監督は、その切り口を広げながら「気持ちいいよ~」と、キクに切り口を犯すように促すのです。そもそも”死体好き”を自負していたキクでありますから、すぐさま勃起したモノを挿入して、異様に興奮して射精してしまいます。


その様子を背後から眺めていた監督は、今度はキクの後頭部に一撃・・・「なんで、なんで」と断末魔のつぶやきをしながら、キクも息絶えます。監督はキクの股間から睾丸を取り出し、カナの顔面にナタを振り下ろし顔を二つに割って殺害・・・カメラマンは惨劇の現場をじっくりとカメラに収めて、撮影は終了します。監督は誰か(スナッフビデオの製作を依頼したクライアント?)に電話で後片付けの依頼をすると・・・「帰りますかっ」とカメラマンに向かって話しかけ、本編は終わるのです。


本作よりも十数年前につくられた「ギニーピッグ2 血肉の華」と比較すると、特殊効果は稚拙なレベルです。しかし、本作の制作費が65万円であったことを考慮すると、これはこれで上出来なのかもしれません。穴留玉狂監督は、美容学校に通った経験を生かして特殊効果も担当したそうです。人体分解が見せ場の本作には、全身のダミーは制作しなければならなかったようなので、制作費の殆どはダミー制作費であったと思われます。ちなみに、大場加奈子さんの本作のギャラは5万円だったそうで・・・当時のアダルトビデオ業界の常識でも破格の低ギャラだったそうです。

アダルトビデオとしては”ヌケない”ことがアダ(?)となってか、一時期にはVHSテープのセールワゴンで100円で投げ売りされていたこともあったようですが、ネット上で「肉だるま」が都市伝説化したことによって、世間の注目を浴びる作品となったのです。2000年代半ばには、アロマ企画直営の高円寺バロック(現在は新宿に移転?)で、DVD版が販売されていたようですし、去年(2016年)にはアロマ企画の通販サイトでもDVD版が再販されています。

現在は再び販売終了となり、DVD版の入手は困難になっていますが、アメリカのMASSCRE VIDEO社から発売されたDVD版は、日本のアマゾンでも購入可能(2017年6月時点)。ボクが視聴したのは、この海外版ですが、日本国内で流通したビデオと同じマスターを使用しているらしく、モザイク加工されています。実は、このモザイク加工が本作のリアル感に貢献しているところありまして・・・ぼかされている部分があることで、特殊効果の”粗”が気にならないのです。

「観たら呪われるビデオ」と言われている本作に、どのような”呪い”があるのかと調べてみると・・・かなり胡散臭いところがあります。何故なら、どれもこれも「肉だるま」のスタッフに起こった出来事で、あくまでも彼らの自己申告であるからです。また”呪い”と言われる話の元になったのは、女優さんが亡くなってから3年後に「肉だるま」と同じスタッフとキャストによって(性懲りもなく!)制作された「オソレザン 降霊ファック」というドキュメンタリー風アダルトビデオの中で語られていた事なのであります。


松永花葉という女優を伴って、北野雄二氏、AV男優の菊淋、穴留玉狂と他スタッフ2名と恐山のイタコさんに大場加奈子さんの降霊して、彼女の死の真相を解明することが目的の作品なのですが・・・アダルトビデオとしての要素は、北野氏と菊淋が代わる代わるで女優とエッチをするというところです。口内射精したザーメンをお地蔵様に吐いたり、わざわざ恐山の賽の河原でエッチしたり、仏様のフィギュアをアソコに挿入したり・・・と、不謹慎極まりありません。


大場加奈子さんとの思い出などを「肉だるま」の映像を挟みながら、北野雄二氏が出演女優に語るのが・・・彼女の命日になると不思議なことが起きるという”呪い”の数々(まとめサイトよって多少の違いあり)なのであります。

撮影スタジオに行こうとしたら、彼女が埋葬された雑司ヶ谷霊園に着いた。

サラリーマンのスーツであるはずの男優の衣装が、喪服になっていた。

北野雄二監督が絡みをする撮影が、呼吸困難になって出来なくなった。

撮影後の帰路で、いきなり黒猫が道に飛び出してきて事故りそうになった。

菊淋が共演することになった女優の名前が「カナ」だった。

打ち上げをしようとして、辿り着いた店が「スナック カナ」だった。

お酒をお供えしたら、不思議なことが起こらなくなった。

スプラッター系の作品の企画をすると、穴留玉狂監督の精神が不安定になる。

”呪い”であって欲しい(そうであった方が楽しい?おもしろい?儲かりそう?)という先入観が、偶発的な出来事を”呪い”と結びつけているとしか思えません。大場加奈子さんの死をネタにしたビデオの販売促進のために、不届きにも”呪い”を利用しているだけなのです。「オソレザン」の中で語られていた”呪い”の現象が、真しやかにネットで拡散し、やがて「本当の呪いのビデオであって欲しい!」という”オカルト好きな人々”の願望と結びついて「検索してはいけないワード」や「観たら呪われるビデオ」という都市伝説になっていったのだと思われます。

「信じる者は呪われる!」


販促の”呪い”には恐怖心を感じませんでしたが・・・「肉だるま」撮影時の話でドン引きしたことがあります。スプラッターシーンの撮影後、現場は異様な興奮状態になり、北野雄二氏、菊淋、穴留玉狂監督、大場加奈子さんの(プライベートな?)4Pで盛り上がったというのです。やはり「肉だるま」に関わった全員、フツーの精神の人たちではありません。ただ、大場加奈子さんが嫌々撮影に臨んでいたわけでなく、本人的には結構ノリノリであった(楽しんでいた?)であったのかもしれないというのは・・・妙にホッとしてしまうところもあります。

穴留玉狂監督は、近年はスカトロ系のアダルトビデオを専門としているようで、手掛けている殆どのタイトルに「糞」の文字が入っているという徹底ぶり!本当の殺人や傷害行為を行なっている映像を販売/流通させることは法律上不可能なので、スプラッタービデオは疑似で制作するしかありませんが、スカトロビデオならマニア(もしくはお金のためにできる人)が出演すれば「本物」が法律に触れることなく撮影することができます。性のタブーのハードルは年々低くなっているので、アダルトビデオ業界ではスカトロも珍しくはなくなっているようですが・・・まだまだ一般的には一線を越えた世界です。

ただ「ジャンク」「デスファイル」の死体ビデオ、極限のSMドキュメント、獣姦モノ、スカトロ、障害者や奇形者とのセックスと、倫理観とアダルトビデオの可能性に挑戦していたV&Rカンパニー(安達かおるやバクシーシ山下による1980~90年代の一連の作品)のタブー破りな”メッセージ性”は、穴留玉狂監督に欠如しているように思います。しかし、逆に安っぽい禍々しさに際立つからこそ、都市伝説になりえたのかもしれません。

ちなみに、ボクは「肉だるま」を数回観ましたが、現時点で体調不良などの呪われている兆候は、全く起こっていません。そもそも、ボクは霊的に敏感な方ではないし、都市伝説のたぐいは信じない方なので、たとえ呪われていても(!)気付つかない可能性もありそうです。しかし、この記事を最後に本ブログが二度と更新されることがなかっとしたら「観たら呪われるビデオ」という都市伝説どおり、ボクは本当に呪われてしまったということなのかもしれません・・・(笑)


「猟奇エロチカ 肉だるま」
1999年/日本
監督 : 穴留玉狂
出演 : 大場加奈子、菊淋、穴留玉狂


「オソレザン~降霊ファック~」
2002年/日本
監督 : 北野雄二
監督 : 松永花葉、北野雄二、菊淋、穴留玉狂


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2017/05/31

ジョーン・クロフォード主演の初のテクニカラーは”おキャンプ映画”の怪作?・・・主人公のキャラクターが痛々しく本人とシンクロするの!~「トーチ・ソング(原題)/Touch Song」~


ひと昔の”映画スター”というのは、役柄を演じるよりも、その映画スターのカリスマ的なイメージを演じているところがありました。そのため、どの作品を観ても似たような役柄(強いヒーローや純粋なヒロインなど)を演じることになったわけですが、それこそが”映画スター”らしさでもあったのです。勿論、演技派と呼ばれる役柄を演じることに長けたスター役者という存在もいなかったわけでわけでありませんが・・・。ジョーン・クロフォードは、そんな”映画スター”全盛の時代に、何度も何度もイメージの再生を繰り返すことで”映画スター”として君臨し続けたのです。

1950年代のジョーン・クロフォード作品は一般的には”駄作”ばかりといわれるのですが、ボクのとっては”腐りかけの円熟期”として、最も充実(?)した時代に思えます。その中でも一番の”怪作”(?)といわれるのが、本作「トーチ・ソング(原題)/Torch Song」です。

主人公のジェーン・スチュワートには、ジョーン・クロフォード本人が役柄のキャラクターに強く投影されています。まず、ジェーン・クロフォードはハリウッドのスターですが、ジェニー・スチュワートはブロードウェイのミュージカルスター・・・ワンマンショーがブロードウェイで公演されている人気のエンターテイナーという設定なのです。

ジェーン・クロフォード自身、フラッパー女優として最初人気となったこともあり、ミュージカルスター役というのは、ジェーン・クロフォードにとっては”原点”なのかもしれません。ただ、歌って踊っていたのは20数年前のこと・・・それに、フラッパーダンスというのは、やたらと手足をばたつかせている”だけ”だったりするので、そもそもダンサーとしての実力は「イカホド?」なのです。本作では、ダンスパートナーとバックダンサーによって、全体的なダンスの見栄えが良くなっているという印象ではあります。

1930年代のレビュー映画では、ジョーン・クロフォード自身が歌っていましたが・・・それは”映画スター”が歌うということで、集客力が見込めた時代の話。本作のためにジョーン・クロフォードのレコーディングテストは行なわれたようなのですが、結果的には満足できるレベルではないと判断されたようです。本編ではインディア・アダムスという歌手が全てのミュージカルナンバーを歌っていて、ジョーン・クロフォードは口パクをしていています。

主演のスターが歌わないミュージカル映画を「なんで、わざわざ?」とも思ってしまうのですが・・・当時、それほど珍しかったわけではありません。ただ、本作のミュージカルナンバーは、そもそもは他の作品のために、インディア・アダムスが歌っていながらも、本編ではカットされて”お蔵入り”していたなど、本作のために作られたナンバーはなく使い回しばかり・・・正直、寄せ集めの即席感は拭えません。

前年インディーズ系で製作された「突然の恐怖」でカムバックを果たしたジョーン・クロフォードは、本作でミョージカルという新境地を開拓するつもりだったとも言われていますが・・・古巣でもある”MGM”に解雇されて以来の復帰、そして自身の初のテクニカラー作品ということで、ジョーン・クロフォードの気合が入っていたことは想像できます。

”MGM”側も、かつてのスタジオを支えた往年のスターの一人ですから・・・主演女優用の楽屋3人分を改築して、最大級の”おもてなし”でジョーン・クロフォードを向かい入れています。しかし、本作は見るからにして低予算だし、脇を固める出演者達もA級スターはいません。テクニカラー作品ではあるものの、MGMのようなメジャースタジオの作品としては明らかにB級扱い・・・ある意味、本作はジョーン・クロフォードの”スター・パワー”に依存しているジョーン・クロフォードによるジョーン・クロフォードのためのジョーン・クロフォード映画なのです。

主人公のジェニー・スチュワートのキャラクターは設定だけでなく、キャラクターもジョーン・クロフォードをモデルにしているとしか思えないほど”シンクロ”しています。「ファンのためには努力を惜しまず」「すべてのことをチェックして自分流にしようとし」「ダメなモノは容赦なくき罵倒して切り捨てる」は、ジョーン・クロフォードをディフォルメしたような人間像・・・もはや”強い女性”というよりも”ドラァッグ・クィーン”そのもので、台詞の数々はドラァッグ・クィーンの決め台詞になるほどです。



「Evening with Jenny/イブニング・ウィズ・ジェニー」というブロードウェイ・レビューショーの公演を控えて・・・「You're All the World to Me」(「ロイヤル・ウエディング」で有名なナンバーの流用)のリハーサルに余念のないジェニー・スチュワード(ジョーン・クロフォード)は、ダンスパートナーのアレックス(チャールス・ウォルターズ/本作の監督でもある)が、ジェニーの足につまずいて何度も転ぶことに苛立ち、激しく叱咤します。振り付け師が「少しだけ足を引っ込めたら・・・」と提案すると、

「And, spoil that line?/で、この(美しい足の)ラインをなくせって?」

と反論します。ジェニーが舞台監督よりも振り付け師よりも誰よりも現場では力を持っていて、周辺を威圧する姿は、語り継がれているジョーン・クロフォーの姿そのものです。

ファンとして痛切に胸が痛むのは・・・ジェニーがアシスタント(メイディー・ノーマン)相手に台本読みをした後、ひとりベットに寝そべってつぶやく「I'm NOT afraid of being alone. I've NEVER been lonely.(一人なんて怖くない。決して淋しくない」という(グレタ・ガルボが言いそうな)台詞・・・次第に感極まってジェニーは泣き始めてしまいます。ジェーン・クロフォード本人が、自宅のベットで一人で泣いていたかは知る由はありませんが・・・もしかすると、こんな夜もあったのかもしれないと思えてしまうシーンです。


ジェニーには、若いツバメ(?)らしきクリフ(ギグ・ヤング)というボーイフレンドが常に側いるのですが、二人の関係は上手くいっているような感じではなくて、なんでジェニーが彼と付き合っているのか分かりません。このギグ・ヤングという男優は、1940年代から70年代まで脇役(ちょい役?)で活躍された方なのですが、どこかしら「枯葉」(1956年)で共演したクリフ・ロバートソンに似ていて・・・これって、ジョーン・クロフォードの好みのタイプなのかしら?と思ってしまうほど。当然のことながら、物語が進むにつれて、いつの間にかクリフの存在は消えてしまうのは言うまでもありません。

ジャニーの横暴っぷりに愛想を尽かして、リハーサルのピアニストが辞めてしまったために、新しく雇われたのが目が見えないタイ・グラハム(マイケル・ワイルディング)というピアニストであります。当初は、楽譜を見ることができないなんてと、タイ・グラハムを解雇しようとするジェニー・・・しかし、周りのスタッフや人間はジェニーの”いいなり”なのですが、このタイ・グラハムはジェニーの辛辣な態度に辛口で反論しながらも、優しく受け止めるくれるのです。次第にジェニーはタイ・グラハムを意識するようになります。

「目が見えないってどういうことなのかしら?」と考えたジェニーが、時計の針を手で触って時間を確かめようとしてみたり、手探りでライターで煙草に火をつけようとして火傷しそうになったり・・・というのは、なんとも天然っぽい(?)一面でもあります。また、タイ・グラハムと音楽仲間が演奏パーティーを楽しんでいる自宅へ、いきなり訪問するという空気の読めなさも、人との付き合い方が不器用な人なのね・・・と愛らしく思えたりもします。


音楽仲間でもある美人のマーサ(ドロシー・パトリック)は、タイ・グラハムを深く愛していて、ことあるごとに積極的に彼に迫っているのですが・・・タイ・グラハムは彼女のアプローチを頑に拒否します。さまざまな言葉でマーサの美貌を説明されても、見たことはないから分からないと言い張って、決してマーサを受け入れないのです。しかし、何故か、ジェニーの美しさにはついては、彼は確信を持っているようなのであります。

実は、第二次世界大戦で視力を失ってしまう前、タイ・グラハムはブロードウェイの評論家で、デビューしたばかりで無名のジェニーの美しさと才能を、いち早く認めていたのです。彼の深い愛情を確信したジェニーはタイ・グラハムの自宅に忍び込み、マーサを追い出してしまいます。ジェニーが何をマーサに伝えたのかは描かれませんが・・・マーサを絶望させるような厳しい言葉であったのでしょう。


目が不自由になったことでジェニーの愛を勝ち取ることは出来ないと諦めて、逆にジェニーに対して厳しく接することしか出来なかったタイ・グラハムの心を、ジェニーは問い詰めることで無理矢理に開きます。そうして、やっと素直にお互いを必要としていることを認められるようになったジェニーとタイ・グラハムは、しっかりと抱き合い、キスをして、映画は終わるのです。

ブロードウェイのスターであるジェニーが、彼女の姿を見ることができない目の不自由なピアニストと結ばれる・・・というのは、何とも痛々しい”オチ”に感じてしまいます。役柄のジェニー・スチュワートも、演じるジョーン・クロフォードも、40代後半となって、多少の美貌の陰りが見え始めた頃。もう二度と自分を見ることのできない男は、若くて美しかった過去の自分の姿を脳裏に焼き付けているわけで・・・その姿は、永遠に年を取ることはないのです。過去の美に執着する女にとって、これほど都合のいい男はいないわけで、この二人が結ばれることはハッピーエンドではあるのですが・・・あまりにも切な過ぎます。


本作を「おキャンプ映画」の中でも、一番の怪作と言われる由縁は、本編の終盤で演じられる「Two-Faced Woman」というミュージカルナンバーがあるからです。このナンバーは、元々は「バンド・ワゴン」というミュージカルのために作られたもの・・・ただ「トーチ・ソング」では、ジェニー(とバックダンサーたちも)が黒塗りで黒人に扮するという”トンデモナイ”アレンジがされているのです。南部では白人と黒人の隔離政策が続いていて、黒人の人権運動が始める前ではありますが、本作が製作された1953年当時であっても、白人の俳優が顔を黒く塗って黒人を演じるというのは、かなり前時代的なこと・・・それもジョーン・クロフォードという大御所が、真面目に(?)やっているのですから、違和感が半端ありません。

公開当時、すでにズレまくりだった本作は、批評家から酷評され、興行的にも失敗・・・ジョーン・クロフォードは、二度と”MGM”で映画を撮ることななく、当然のことながら、ミュージカル映画の出演も本作っきりとなったのです。しかし、年月が経つにつれて、ジョーン・クロフォードと主人公のキャラクターが痛々しくシンクロする皮肉な本作が、「おキャンプ映画」として熱烈に支持される作品となったことは、ジョーン・クロフォードの表も裏も、美も醜も、ファンが愛してやまないことの証なのかもしれません。


「トーチ・ソング(原題)」
原題/Touch Song
1953年/アメリカ
監督 : チャールス・ウォルターズ
出演 : ジョーン・クロフォード、マイケル・ワイルディング、マージョリー・ランボー、メイディー・ノーマン、チャールス・ウォルターズ、ギグ・ヤング、ハリー・モーガン、ドロシー・パトリック
日本劇場未公開

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2017/04/15

「イン・ベット・ウィズ・マドンナ/Truth or Dare」から25年目の真実(Truth)・・・ブロンド・アンビション・ツアー(Blond Anbition Tour)のバックダンサーたちの、その後を追ったドキュメンタリー映画~「ポーズ~マドンナのバックダンサーたち~/Strike the Pose」~


1990年、マドンナの世界的な人気のピークの時期に行なわれた「ブロンド・アンビション・ツアー/Blond Anbition Tour」は、セックスとカトリックをテーマとして宗教的な論争を巻き起こし、興行的な大成功を収めます。当時ファッション界で席巻していたジャン=ポール・ゴルチエによる衣装、表現主義映画「メトロポリス」にインスパイアされた近未来的な舞台セットなど、ビジュアル的に圧倒的な完成度であっただけではありません。

ブロンド・アンビション・ツアーが行なわれた時、ボクはニューヨーク在住だったのですが・・・当時、コンサートチケットを購入するためには、チケットブ売り場に徹夜で並ぶか、ひたすら電話をかけまくるしかありませんでした。どうしても行きたいならば、高額に釣り上げられたダフ屋から買うしかないのです。当然ながらブロンド・アンビション・ツアーは即完売・・・マジソンスクェアガーデンでの公演は、非常に高騰していました。

そんな中、マドンナファンだった友人から、チケットが手に入ったので一緒に行こうという誘いがあったのです。ステージから5列目の”かぶりつき”の超プレミアシートにも関わらず、その友人はボクには正規のチケット価格(40~50ドル?)しか請求しなかったので(当時、経済的には貧しかったボクには)有り難かったことを覚えています。数年後、その友人から、実際にはダフ屋から1枚500ドル(1990年頃1ドル=150円程度だったので約75000円!)で手に入れたと聞かされて、驚いたと同時に申し訳なく思ったものでした。


ブロンド・アンビション・ツアーでは、カソリック教会のような宗教イメージと「ライク・ア・ヴァージン」での自慰行為的なダンスが強い批判を浴びましたが、流行りという観点では「ヴォーグ/Vouge」で世界的に知られることになった”ヴォーギング”(Vouging)と呼ばれたダンスの人気が最も頂点に達していた時期でもあります。

”ヴォーギング”は、1980年代後半にはニューヨークのクラブシーンではみかけられましたが・・・そもそもはハーレムやイーストハーレムにいたラテン系やアフリカ系の貧しいゲイの若者たちが、殴り合いの喧嘩の変わりに”威嚇”し合ったのが始まりです。ヴォーグ誌のモデルのように、リッチでグラマラスなライフスタイルを表現するジャスチャーがダンスへと発展していったもので・・・ドキュメンタリー映画「パリ、夜は眠らない。」で詳しく描かれています。


翌1991年に公開された「イン・ベット・ウィズ・マドンナ/Truth or Dare」は「ブロンド・アンビション・ツアー/Blond Anbition Tour」に密着したドキュメンタリー映画で、当初の企画だったツアーの記録フィルムという枠を超えて、アメリカ全土(特に都市部以外の地方)に大きなインパクトを与えたのです。

当時は、エイズ蔓延による同性愛者への差別が激しくなり、政府へのエイズ対策批判運動が高まっていた時代でした。マドンナはゲイコミュニティーだけでなくセーフセックスの啓蒙運動や、性的嗜好による差別をなくそうという訴えは、エンターテイナーの域を超えて政治的オピニオンリーダーとしても影響力を発揮したのです。「イン・ベット・ウィズ・マドンナ」で露呈したマドンナの素(?)には、保守的な人種は眉をひそめてたものですが、マドンナファンにとっては期待どおりの破天荒っぷり・・・当時、人気絶頂のハリウッドスターだったケビン・コスナーや、付き合っていると報道されていたウォーレン・ベイティへの歯に衣着せぬ態度は小気味良いものだったのであります。


ただ、マドンナ以上に注目されたのは、ツアーメンバーとして参加していたバックダンサーたちだったかもしれません。男性バックダンサー7人中、6人がゲイというのは、業界的(都市部のゲイにも、ダンス業界にも)には”定説”だと思いますが、アメリカ全土にいる普通のティーンエイジャーにとっては驚愕の事実であったようで、映画公開直後から彼らは連日のようにテレビ番組で取り上げらるようになっていきます。

その結果・・・バックダンサー数名は、映画公開後にマドンナを訴えると表明します。彼らの言い分としては、バックダンサーとして雇われた自分たちはプライバシーを売りモノにするつもりはなかったということであったり、ゲイであることを全世界に公開されたドキュメンタリー映画で強制的にカミングアウトさせられたということでもあったのです。ゲイへの偏見や差別に対して一石を投じた作品だけあって、この裁判沙汰(のちに調停で解決)は水を差したような印象もありました。その後、マドンナも徐々にゲイ・コミュニティーからの距離をとっていtyたような印象もあり、表現の切り口を、より”エロス”の追求へ舵をきっていくキッカケになったのかもしれません。

あれから25年、ブロンド・アンビション・ツアー当時20代だったマドンナのバックダンサーたちは40代・・・その後の彼らを追ったドキュメンタリー映画「ポーズ~マドンナのバックダンサーたち~/Strike the Pose」が、ベルギーとオランダ資本(本作はアメリカ映画ではありません)で製作されます。トライベッカ映画祭やイベントで上映されたものの、アメリカ国内の劇場公開も限定的で、DVDのリリースはオランダ版ののみ・・・本作についてネットニュースで読んだ際、25年前の記憶が甦ってきたと同時に、どう考えても本作は”切ない”内容であろうことは容易く想像できたのです。

ここからネタバレを含みます。


”ヴォーギング”の中心ダンサーであったルイス・カマチョとホセ・エクスタラヴァガンザの足跡から、まず本作は追っていきます。40代半ばとなったルイスは、中年太りしていて当時の面影はありません。またホセは、体系的には変わらないものの痩せているだけ老けっぷりも激しく・・・25年という年月の残酷さをまじまじと感じさせられます。

彼ら二人ともドラッグの問題があったようで、ツアー後はバックダンサーとしての活躍は殆どありません。ただ、それでも彼らは自らの可能性を求めて、小さなダンスクラスで教えたり、ドラッグクィーンのダンスパフォーマーのひとりとして、再び活動を始めているのです。その彼らを支えるのは、やはりマドンナのバックダンサーであったというプライドなのかもしれません。


「イン・ベット・ウィズ・マドンナ」公開後にマドンナを訴えた3人のバックダンサーのうちのふたり・・・ケヴィン・アレキサンダー・シア(アジア系)とオリバー・クルムス(唯一のストレート)が、本作に出演したことは驚きでありました。当然(?)ながら、その後マドンナとは連絡を取っていないそうですが、ゲヴィンはバックダンサーとしてブロンド・アンビション・ツアー以後も活躍(レディ・ガガのツアーなど)しています。

バックダンサーの中で最も年下だったオリバーは、25年前とは別人のように中年太りをしてしまっています。ツアー後はラスベガスで公演されていたマドンナのそっくりさんショーの振り付けをするなど、明らかにマドンナのンバックダンサーであったという”利子”で食っていた印象・・・プロフェッショナルなトレーニングを受けていない自己流ヒップホップダンサーであったこともあり、現在もラスベガス在住であるものの、カジノホテルでウエイターのような仕事をしているようです。

尚・・・もう一人、マドンナを訴えたバックダンサーのガブリエル・トルーピンは1995年にエイズで亡くなっており、本作では彼の母親がインタビューに答えています。


サリム・ガウロースとカールトン・ウィルボーンは、元々ダンサーとしての基礎的な教育を受けていたこともあり、現在でもダンサー/講師として第一線で活躍しているようです。この二人は本作で、既にブロンド・アンビション・ツアーに参加していた時には、HIVポジティブであったことをカミングアウトしています。

サリムは、初めての男性経験で感染してしまったそうで・・・ハッキリと本作では明言していませんが、おそらくHIVポジティブであることが判明したことが、ベルギーからアメリカへの移住に繋がったようです。カールトンに於いては・・・ブロンド・アンビション・ツアーが始まった日本で体調の変化に気付き、HIVポジティブであったことが分かったというですから。当然のことながら、二人ともHIVポジティブであることはスタッフやツアーメンバーには隠してツアーに参加していたわけですが、セーフセックスを呼びかけることがツアーの大きなメッセージであったことを考えると、なんとも皮肉なものであります。

「ポーズ~マドンナのバックダンサーたち~」のクライマックスは、インタビューに答えた生存しているバックダンサー全員6人が、ツアー終了後初めて(?)顔を合わせる場面でしょう。(本作のプロモーションで、その後は何度も会っている様子ですが)

「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」の原題である「Truth or Dare」というのは・・・「真実を言うか?挑戦するか?」の選択をするアメリカのパーティーゲーム(?)で、「Truth」を選んだら意地悪な質問にも正直に答えなければならず、「Dare」を選んだらやりたくないことを実行しなければならないのです。「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」の中でも、マドンナとバックダンサーたちが「Truth or Dare」を遊ぶシーンは印象的でした。本作の終盤で6人が「Truth or Dare」を始めるのですが・・・この時に選ぶのは「Truth/真実を言う」だけ。25年の年月を隔てたからこそ、お互いに”真実”で向き合うことができたということでしょうか?

マドンナの「ブロンド・アンビション・ツアー」や「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」に思い入れのない世代にとっては、お涙頂戴のノスタルジーを煽るだけのドキュメンタリー映画かもしれません。ただ、短い時間であっても若き日に苦楽を共にした仲間は(例え、確執があったり、ソリが合わなかったとしても)年月が隔てれば困難を乗り越えた同志として絆を感じるようになるということ。「あのとき」が、いかに貴重な時間であったことを気付けるのは、若さを失ったということなのです・・・。


「ポーズ~マドンナのバックダンサーたち~」
原題/Strike the Pose
2016年/ベルギー、オランダ
監督 : エスター・グルド、ライエル・ズワーン
出演 : ルイス・カマチョ、ホセ・エクスタラヴァガンザ、サリム・ガウロース、オリバー・クルムス、ケヴィン・アレキサンダー・シア、カールトン・ウィルボーン、マドンナ(アーカイブ映像)
2017年4月7日より「Netflix」にて配信


「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」
原題/Truth or Dare
1991年/アメリカ
監督 : アレック・ケシシアン
出演 : マドンナ、ケヴィン・コスナー、ウォーレン・ビューティ、ジャン=ポール・ゴルティエ、マット・ディロン、サンドラ・バーンハード、ライオネル.リッチー、アントニオ・バンダラス、ペドロ・アルモドバル
1991年8月31日、日本公開


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2017/04/01

映画監督として作家性を確立したトム・フォードの第二作・・・オースティン・ライト原作「ミステリ原稿」を、よりグラマラス、より深く心えぐる「後悔」と「喪失」の”謎”めいた一作に~「ノクターナル・アニマルズ(原題)/Nocturnal Animals」~


映画界とファッション界といのうのは、映画作品への衣装提供や、ブランドイメージと映画スターの関係など、業界としての親和性も非常に高いと思うのですが・・・ファッションセンス=映画作家性というわけでもないようで、商業的な映画監督として作家性を発揮したファッションデザイナーというのは、トム・フォード以外には思いつきません。

ファッションの第一線で活躍したファッションデザイナーが、映画監督としても高い評価を得て、商業的にも成功するということは結構”稀”なことのようです。1970年代のパリのファッション界を席巻した高田賢三は、1981年に日本資本の劇映画「夢・夢のあと」で、ファッションデザイナー”ケンゾー”の世界観と映像美を表現する意気込みで映画監督としてデビューしましたが・・・評価も興行のどちらも大コケしてしまいます。この作品は、どの国でもビデオ化さえされていない幻の作品となっており、高田賢三による映画作品は結局のところ、この一作のみ・・・その上、ケンゾーのファッションブランド自体も、この頃から急速に失速していくのです。

数年前に山本耀司が監督した映画が作られる・・・というニュースを読んだことがあるのですが、その後、映画が完成したという話を聞きません。近年、芸術(ファイン・アート)へ表現のフィールドを移行しようとしているところもありますので・・・もともと商業的な映画の監督というのではなく、あくまでも表現手段のひとつとして企画されていたのかもしれません。カール・ラガーフェルドは何本か短編作品を監督していますが・・・あくまでもシャネルがらみのファッション的な世界観の延長上にある”プロモーションの映像”です。日本では、アート集団の明和電機が立ち上げたファッションブランド「Meewee Dinkee/ミーウィーディンキー」のトータルディレクターとデザイナーを務めるTRICOが「少女椿」を監督してますが、そもそも映像作家としてでてきた人で初めから”アート寄り”のクリエーター(!?)だったりします。

トム・フォードはテキサス州出身のアメリカ人でありますが、ヨーロッパの老舗ブランド「グッチ」「イヴ・サンローラン」のクリエティブ・ディレクターを務めて・・・その後、自社である「トム・フォード」を立ち上げた近年最も成功したファッションデザイナーのひとりです。デザインの勉強をする以前のニューヨーク大学時代には、俳優を目指した時期もあったらしいので、映画界には少なからず興味があったのかもしれません。

2009年公開の「シングルマン」でトム・フォードは映画監督としてデビューします。1930年代~60年代に活動したゲイ作家のクリストファー・イシャーウッドの原作からして渋くて知的な印象なのですが・・・ファッション的美学に貫かれたスタイル、隅々まで考え抜かれた構図、過去と現在や現実と心象を行き来する巧みな映像美で、”ファッションデザイナーによる”という枕詞が不要なほど「完璧」な映画作品であったのです。ただ、コリン・ファース演じる大学教授の潔癖なスタイリッシュさやゲイの中年男性であることから、トム・フォードを彷彿させるところもあり・・・自らを投影した奇跡の一作とも思えてしまうところはあります。


「シングルマン」から7年、二作目となる「「ノクターナル・アニマルズ(原題)/Nocturnal Animals」は、トム・フォードの映画監督としての作家性を確立させたと言っても、過言ではないかもしれません。原作は(これまた渋くて知的な?)オースティン・ライトによる「トニー・アンド・スーザン(原題)/Tony and Susan」(”スーザン”は語り手の主人公の主婦の名前で、”トニー”は作中小説の主人公の名前)で、日本翻訳版タイトルは「ミステリ原稿」・・・前夫から送られてきた原稿(この小説のタイトルが「ノクターナル・アニマルズ/Nocturnal Animals」=「夜の獣たち」)を、別な男性と結婚した主婦のスーザンが読んでいくうちに、前夫エドワードとの過去や今の結婚生活に思いを巡らすという心理小説です。


タイトルオープニングでは、極端に太った女性たちが妖しく踊るシーンから始まります。これらは主人公のギャラリーオープニングで展示されているアート作品(映像と彫刻)ということなのですが、かなりのインパクトです。トム・フォード曰く・・・太った女性は社会的な(美しさの?)枠組みに囚われていない存在として、主人公と対比しているということらしいのですが、赤いベルベットのカーテンを背景にしているところは、デヴィット・リンチ監督的な禍々しさを漂わせています。

若い頃アーティストを目指してたスーザン(エイミー・アダムス)は、裕福なハットン(アーミー・ハマー)と再婚・・・アートディーラーとして成功しています。小説版では、スーザンとハットンの結婚は破綻していないのですが(前夫のエドワードも別な女性と再婚している)・・・映画版では、ハットンは他の女性と浮気をしていて、二人の関係は冷えきっているセレブとして描かれているのです。そんなスーザン宛に、若い頃には小説家を目指していて、今は大学で映画を教えている前夫のエドワード(ジェイク・ジレンホール)から、「ノクターナル・アニマルズ」というタイトルの原稿が送られてきます。

「ノクターナル・アニマルズ」は、トニー(ジェイク・ジレンホール)が遭遇する悲惨な事件の物語・・・妻のローラ(アイラ・フィッシャー)と娘のインディア(エリー・バンバー)は、ハイウェイで遭遇した暴漢たち(アーロン・テイラー=ジョンソン)に誘拐されて、強姦されたあげくに惨殺されてしまいます。前夫エドワードと主人公トニーを、どちらもジェイク・ジレンホールによって演じられていることからも分かるように・・・「ノクターナル・アニマルズ」はエドワードとスーザンの物語でもあるようです。トニーは、癌で死を宣告されているボビー刑事(マイケル・シャノン)の手助けにより、事件から一年後に暴漢たちへ復讐を果たしますが、拳銃の暴発事故により、誤って自らも死んでしまうのです。

主人公が作中で小悦を読む「入れ子構造」となっている本作・・・スーザンは次第に残酷な小説の内容に引き込まれていき、前夫のエドワードが何故暴力的な小説を自分に送りつけて感想を求めてきたのか考え始めます。そして、幼馴染みのエドワードとのニューヨークでの再会、保守的で現実主義の厳しい母親に反対された結婚、エドワードの小説を厳しく評価して傷つけて、最後には妊娠していた子供を堕して離婚した経緯などを回想していくのです。現実のクールな配色、過去の暖かな色合い、小説のどぎつい色彩と、特徴的な映像で描き分けながら、時にはショットごとに入れ替わる「現在」「過去」「小説」を巧みな編集によって、小説家(クリエーター)のフィクションとノンフィクションの関係を紐解いていきます。

ここからネタバレを含みます。


現在や過去がスーザンによってビジュアライズされる作中小説の世界とリンクされていて、小説が著者である前夫エドワードの過去の体験によって構築されていることが明らかになっていきます。例えば・・・以前、スーザンがエドワードを傷つけた時にあった”赤いソファ”は、小説のトニーの妻と娘の死体が放置された”赤いソファ”と同じですし、エドワードがスーザンが二人の子供を堕胎手術をして、二人の関係が決定的に終わった時にあった”緑の車”は、トニーの襲う暴漢たちが乗っている”緑の車”と同じなのです。小説の中のトニーの妻はスーザンに似ていますし、娘はスーザンが堕した二人の子供かもしれません。小説の内容がトニーの復讐劇となっていくと、スーザンの画廊には、「REVENGE」=「復讐」と書かれた絵画があったりします。暴漢たちの正体を暴き、必要に復讐に誘うボビー刑事は、エドワードの強い別人格・・・かつてスーザンがエドワードを傷つけた「弱虫」という言葉が、追い詰めた暴漢から発せられた時、トニーは初めて拳銃を撃つことができるのです。

原稿を読み終わったスーザンは小説の感想を伝えるため、久しぶりにエドワードと会う約束をして、高級レストランで待ち合わせをします。しかし、いくら待ってもエドワードは姿を現しません。閉店間近のレストランで一人佇み、なにかを悟ったような表情のスーザンの姿で映画は終わるのです。正直いって”尻切れトンボ”で”謎めいた”エンディングであります。作中小説のトニーと同じようにエドワードも死んだのではないか?そもそもエドワードは、スーザンと二度と会うつもりさえなかったのではないのか?スーザンに待ちぼうけを食らわすことが、エドワードの復讐だったのか?


考えてみれば・・・現在のエドワードの姿というのは一度も画面に登場することはありません。スーザンの思い出す過去のエドワードの姿と、作中小説のトニーの姿しか映画では描かれていなのですから、エドワードの存在自体が観客にとっては漠然とした存在だったりします。強い衝撃を与えられた小説を書き上げたエドワードに対して、スーザンが改めて関心を持ったことは確かなようです。しかし、小説を書き上げて、スーザンとの過去からの呪縛から解き放たれたエドワードにとって・・・スーザンと再会する意味はないのかもしれません。

小説版では、スーザンが感想をエドワードに伝える約束をしようと、短い手紙を投函するところで終わります。映画版では、破綻した結婚生活という厳しい現実にいるスーザンが、さらに過去からも報復を受けるという・・・”より”深く心をえぐるような結末となっています。「シングルマン」にしても「ノクターナル・アニマルズ」にしても、トム・フォード監督の映画は、一般的に言って”ハッピーエンディング”ではなく・・・「過去への深い後悔」と「失った者への強い喪失感」を感じさるのです。


パートナーのリチャード・バックリー(元「VOGUE HOMME intternatinal」編集長)と約30年間を共にして、1990年代から2000年代初頭にはヨーロッパの老舗ブランドを再生させて一世を風靡、2005年には自社を設立、2012年には代理母出産で息子を授かり、2014年にはアメリカ国内で同性婚、ファッションデザイナー/映画監督としての成功だけでなく、私生活でも”超リア充”のトム・フォードが、何故「後悔」や「喪失」の映画を撮るのか?・・・これこそが、ボクにとって一番の”謎”であります。


「ノクターナル・アニマルズ(原題)」
原題/Nocturnal Animals」
2016年/アメリカ
監督、脚本、制作:トム・フォード
出演      :エイミー・アダムス、ジェイク・ジレンホール、マイケル・シャノン、アーロン・テイラー=ジョンソン、マイケル・シャノン、アーミー・ハマー、アイラ・フィッシャー、エリー・バンバー
2017年劇場公開予定


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