数年前(2010年)に、このブログで「矢頭保」という写真家について書いたことがあるのですが(めのおかし参照)・・・その後、ますます彼の足跡について興味が湧いてきて、自分なりに彼の足跡の点と点をつなげていくことをしています。
矢頭保から広がっていく、さまざまな疑問・・・何よりも写真家として世の中に認知される前の彼の人生については知られていないことばかりで、矢頭保本人とされる写真も非常に少ないのです。いろいろと謎が多かった理由のひとつは、芸名を何度か変えてリセットを繰り返していたこともあるかもしれません。
「矢頭保」こと、本名「高田実男」(たかだじつお)は、兵庫県西宮市で生まれたことは確かなようですが、正確な生年月日は不明です。誕生日については全く情報が見つけられませんでしたが、生まれた年については1924年~1928年の間に諸説あります。ただ、1973年5月20日に亡くなった時に48歳だったという証言が、生前の彼を知る多くの友人からあるようなので、ここでは1925年説を前提にしようと思います。
1925年生まれとなると・・・三島由紀夫(1925年1月14日生まれ)と同い年ということ。ちなみに、ボクの母親も1925年生まれで、今年(2015年)90歳となります。この年代というのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に生まれていて、幼少時は豊かになっていく近代日本で育っているのですが、中学生の時に太平洋戦争が始まり、暗い青春時代を過ごすことになるのです。高校生になった頃には勉強どころではなく、女子生徒は軍事工場で働かされ、男子生徒は徴兵検査を受けて学徒出陣させられています。母いわく・・・同世代の男性は亡くなった人が非常に多くて、結婚相手がいない女性が多かったそうです。
三島由起夫は仮病で徴兵を免れたことを戦後になってから告白していますが、同い年の「高田実男」が徴兵/出兵したのかは分かりません。年齢的に考えて・・・徴兵検査を受けてないとは考えられないし、健康的に問題がなければ(国内勤務で終わったとしても)出兵した可能性は高いと思います。徴兵されなかったにしても、実家のある西宮市に住んでいたとしたら、空襲で焼け出されていたかもしれません。阪神工業地域として発達していた西宮市は、1945年に5回(5月11日、6月5日、6月15日、7月24日、8月6日)も空襲に襲われているのです。いずれにしても太平洋戦争の影響を受けることは免れなかったと思われます。
「高田実男」の家族に関しては諸説あるのですが・・・後年、彼が”母親”については語ることはあったものの、父親については何も語っていなかったそうです。父親とは不仲だったのかもしれませんし、母子家庭のような環境で育ったのかもしれません。兄弟姉妹のうち、少なくとも一人はいたと言われていて、彼の死後に血縁者が現れて、遺品の写真やネガを焼却して、写真集の再販を許さないと言われているのですから・・・。彼が何歳で実家を離れたかは分かりません。また、終戦時(20歳)に、どのようにして生活の糧を得ていたのかは全く分かりませんが、20代前半は終後の混乱の中で生きていくしかなかったと思われます。
ボクが見つけることのできた最も古い「高田実男」とされる写真は、1950年に撮影されたバットを片手にユニフォームを着てポーズをとっている写真(下画像参照)です。趣味で野球ということは、当時でもあったかもしれませんが・・・ユニフォーム一式揃えてというのは、普通のことだったのでしょうか?もしかすると、どこかで野球選手(プロ?)として活躍していたのかもしれません。ボクは野球には全く知識がないので、彼の着ているユニフォームがプロ野球選手のモノだったとしても、どこのチームのモノかは分かりませんが・・・。
終戦して間もない1945年12月、宝塚歌劇団が男子部を開設して第一期生5人を採用、1946年には後に「西野バレイ団」(金井克子、由美かおるを輩出)を設立する西野皓三を含む第二期生3人、1947年には第三期生5人を採用・・・そして、1951年12月、5年ぶりに第四期生12人を採用することになります。この第四期生の中に「高田実男」がいて、宝塚時代は「高田延昇」(たかだのぶのり?)という芸名で芸能活動することになるのです。
第四期生は宝塚新芸座のオープンを控えての採用で、即戦力として研究生を集めたところがあったそうなので、経験者でなければ合格しなかったのではないかと考えられます。第三期生までは、3年間研究生として学んだ後、やっと舞台に立つことを許されたらしいのですが・・・第四期生は採用されてすぐ、宝塚映画劇場での1952年正月公演「ウキウキ世界一周」という舞台に出演しているらしいのです。1951年というと「高田延昇」は、すでに26歳・・・宝塚加入以前に、何らかの”演技”または”ダンス”の経験があったとしても不思議ではありません。また、この時期すでに「和製ターザン」というニックネームで呼ばれていたようなので、当時としては珍しく鍛えた肉体の持ち主ではあったようです。
宝塚歌劇団男子部の活動は限られたもので、晴れ舞台といえる”宝塚大劇場”での公演には至りませんでした。ただ、この時代、宝塚は映画製作も行なっていて、「高田延昇」として「昔話ホルモン物語」と「選挙戦のうらおもて」という2本の映画に出演しています。主演ではなかったようですが、この時の映画出演体験が、後に日活での大部屋俳優に繋がっていくのかもしれません。残念ながら1954年3月には、宝塚歌劇団男子部は解散・・・メンバーは別々の道を歩むことになります。
「高田延昇」は解散直後、芝居中心の”宝塚新芸座”に所属したらしいのですが、ダンスの方が得意だったらしく、すぐに”北野劇場ダンシングチーム”へ移籍したようです。このときの年齢は29歳・・・すでに”若手ダンサー”というほど若くはありません。詳しいことは分かりませんが、北野劇場ダンシングチーム”でのダンサー生活は、思っていたよりも過酷な環境だったようで・・・1956年、31歳の時に上京することを決意します。ちなみに”北野劇場ダンシングチーム”は、1959年に劇場が映画専門館となり解散をすることになったことを考えると、この時に脱退したことは賢明な選択だったのかもしれません。
上京後に「高田延昇」という芸名を名乗り続けていたのかは定かではありませんが、当初は”フラメンコダンサー”を目指していたらしいです。しかし、レッスンを開始する直前に交通事故で両足を骨折してしまい(!)、ダンサーとして食べていくことを断念することになります。生活に困窮し、日雇い人夫のような仕事をすることもあったようなのですが、この時期に思いがけない幸運が彼に訪れることになるのです。この頃(1957年?)、パートナーとなるアメリカ人メレディス・ウィザビーと出会うのですが・・・この経緯や状況については、いずれ書こうと思っている「その2」で詳しく書く予定です。
六本木のウィザビー邸で、当時の日本人の生活レベルからすると、かなり贅沢だったであろう同棲生活を始めます。しかし「囲われた愛人生活」に甘んじていたわけではありません。1958年からは日活の(主に)アクション映画に「高田保」(たかだたもつ)という芸名で、数々の作品に出演しているのです。33歳という年齢を考えると・・・応募資格が男子満17歳~22歳だった「日活ニューフェイス」ではなく、いわゆる「大部屋」での採用だと思われます。
当時の日本映画業界では、スター俳優の多くは映画会社に所属(入社)して、基本的にその会社の製作する映画作品にしか出演できませんでした。ただ、映画会社お抱えの俳優だけでは映画は作れませんから・・・演技の基礎がある劇団所属の俳優が脇を固めて、その他の端役は大部屋俳優が演じていたのです。毎週数本の映画を量産していた当時の製作体勢を支えるための仕組みで、大部屋俳優からスターになることは、まずありませんでした。
「高田保」が出演したのは、”ダイアモンドライン”と呼ばれた日活アクション映画が中心で、主演には石原裕次郎、小林旭、赤城圭一郎などのスター俳優が並んでいます。彼が演じた役柄の殆どは、チンピラ、愚連隊、悪役の部下/手下、ヤクザの子分/乾分といった、いわゆる”殴られ役”・・・出演者といっても”エキストラ”に近く、一瞬しかスクリーンに映らないような役柄が殆どで、よほど注意して映画を観ていなければ、その存在さえ気付かないほどであります。
演技といっても凄みを利かせた表情するだけだったり、スターに殴られるスタントマンのような役柄ばかり・・・。当時の日活アクション映画というのは、主人公を演じるスター、主人公のライバルを演じる俳優、脇を固めるのは劇団出身の役者、悪役を演じる俳優などの顔ぶれは大体決まっていて、それぞれがパターン化された演技をすることが当たり前・・・端役の演技がワンパターンだとしても当然のことです。それに大部屋俳優は役者としての演技うんぬん以前に、見た目の特徴によって、毎度似たような役柄を与えられていたに過ぎなかったのかもしれません。
いくつかある映画会社の中で、彼が日活を選んだ理由を今になっては知る由はないのですが・・・宝塚時代からの”コネ”があったのかもしれませんし、オーディションにたまたま受かったのが日活だったということかもしれません。「東映の大部屋俳優になっていれば、任侠映画でチンピラ役として、もっと活躍できたのでは?」と思うところもありますが・・・逆に東映だと彼のような”イカツイ”タイプなんて吐いて捨ているほどいて、個性が埋もれてしまっていたとも考えられます。
演技といっても凄みを利かせた表情するだけだったり、スターに殴られるスタントマンのような役柄ばかり・・・。当時の日活アクション映画というのは、主人公を演じるスター、主人公のライバルを演じる俳優、脇を固めるのは劇団出身の役者、悪役を演じる俳優などの顔ぶれは大体決まっていて、それぞれがパターン化された演技をすることが当たり前・・・端役の演技がワンパターンだとしても当然のことです。それに大部屋俳優は役者としての演技うんぬん以前に、見た目の特徴によって、毎度似たような役柄を与えられていたに過ぎなかったのかもしれません。
いくつかある映画会社の中で、彼が日活を選んだ理由を今になっては知る由はないのですが・・・宝塚時代からの”コネ”があったのかもしれませんし、オーディションにたまたま受かったのが日活だったということかもしれません。「東映の大部屋俳優になっていれば、任侠映画でチンピラ役として、もっと活躍できたのでは?」と思うところもありますが・・・逆に東映だと彼のような”イカツイ”タイプなんて吐いて捨ているほどいて、個性が埋もれてしまっていたとも考えられます。
ボクはこれといった根拠もなく「矢頭保」は「どちらかというと小柄だったのでは?」と思っていたのですが、出演作品を観てみるかぎり、少なくとも身長170cm以上はあったようです。身長174cmと公表していた赤木圭一郎や宍戸錠とほぼ同じぐらい・・・当時としては決して”小柄”ではなかったと思われます。役作り(?)のためか常に日焼けしていて色黒、天然パーマで整った髪型、目鼻立ちがごつくて唇も厚く濃い顔、当時としては鍛えた筋肉質の身体、全体的な雰囲気は垢抜けないサル系(?)で、今でもゲイにはモテそうなタイプです。彼が後年、好んで撮影した”日本男児”というよりも”南方系”かもしれません。
1960年夏頃(?)、芸名を「高田保」から「矢頭健男」(やとうたけお)にするのですが・・・相変わらず大部屋専門で、演じる役柄にも大きな変化はなく、芸名を変えた理由は分かりません。ここで初めて「矢頭」と名乗り始めることになるのですが、何故、この名字を選んだのかも分かりません。ただ興味深いのは「矢頭保」という写真家としてのペンネームは、大部屋俳優時代の芸名の「矢頭(健男)」と「(高田)保」を組み合わせだったということです。
確認できただけでも、約5年間の日活映画の出演作品数は(クレジットなしも含めて)「高田保」名で47作、「矢頭健男」名で28作、計75作もあります。そのうち20作品がDVD化されており「高田保」「矢頭健男」の動いている姿を観ることはできます。大部屋俳優でしたから、ポスターに名前が記述されたことは一度もありませんがでしたが、タイトルのクレジットに出演者として名前が出てくる作品は結構あります。
ただ、出演シーンの多くはコマ送りで再生しないと顔が確認できないほどで、当時映画館で観ていたお客さんが「高田保」もしくは「矢頭健男」の存在を認知していたかは、疑問ではあります。また、クレジットには名前があるにも関わらず、何度観ても姿を確認できなかった作品(「錆びた鎖」)があるかと思えば、クレジットに名前はないのに妙に目立っている作品(「風速40米」)があったり、役名が「あっても」「なくても」いいような役ばかりです。
面白いのは・・・日活映画出演も後期になると、その他大勢のエキストラ的な役柄が増えたにも関わらず、ひとりだけ違う色のスーツやシャツを着ていたり、カメラ位置を把握して顔が映る場所を陣取っていたり、他の大部屋俳優が激しく動いている中で一人だけ体は固定されていたりと、上手い具合にスクリーンの中で目立っているところです。監督や他の役者のいる現場なので、勝手なことは許されないとは思いますが・・・大部屋俳優同士の中に、先輩後輩の序列があって、カメラに写りやすい場所取りみたいなことがあったのかもしれません。
出演作品で、比較的目立つ役柄を演じているのは「ギターを持った渡り鳥」「大学の暴れん坊」「銀座風雲児 黒幕は誰だ」「海を渡る波止場の風」あたりでしょうか・・・。中でも流れ者シリーズ二作目となる「海を渡る波止場の風」は、映画全編に渡って、何度も登場しており・・・主演の小林旭、宍戸錠、浅丘ルリ子それぞれと絡んでいて、ひとりでスクリーンに大写しになるシーンもあります。
結果的には「高田保」としても「矢頭健男」としても、大部屋俳優の枠を超えることはなく、1962年7月29日に劇場公開された「燃える南十字星」という作品を最後に、日活映画の出演作品の確認はできません。当時はクランクインしてから、約一ヶ月ほどで公開されていたようですから・・・おそらく1962年6月末頃に、日活を退社していたのではないでしょうか?
日活映画に出演していた期間は、彼はウィザビー邸で同棲生活をしていたはずなので、日々の生活の糧を得るため”だけ”に仕事をする必要はなかったと考えられます。それでも約5年ものあいだ大部屋俳優を続けたのは、彼なりに「夢」を追っていたのかもしれません。普段は無口で垢抜けない印象を与えた人だったそうですが・・・自分のルックスにはソコソコ自信を持っていたらしい”節”があって、自意識は高そうだったという証言が多々あるそうです。
何故、彼が俳優業を辞めたのかは分かりませんが・・・37歳という年齢に”潮時”と感じたのでしょうか?ニューフェイス採用のスター候補として同じ年に日活入社した赤城圭一郎はたちまち人気者となっていきます。ニューフェイスとして入社してきた後輩たちの作品で、相変わらずの大部屋俳優という立場でしかスクリーンに映ることはなく、少なからず憤りを感じることがあったのかもしれません。それとも、俳優業の傍らウィザビーからカメラを与えられて、写真家への転向を考えていたのでしょうか?
何故、彼が俳優業を辞めたのかは分かりませんが・・・37歳という年齢に”潮時”と感じたのでしょうか?ニューフェイス採用のスター候補として同じ年に日活入社した赤城圭一郎はたちまち人気者となっていきます。ニューフェイスとして入社してきた後輩たちの作品で、相変わらずの大部屋俳優という立場でしかスクリーンに映ることはなく、少なからず憤りを感じることがあったのかもしれません。それとも、俳優業の傍らウィザビーからカメラを与えられて、写真家への転向を考えていたのでしょうか?
その後、1967年にインディーズで、ホモエロティックな実験映画を製作をしていた友人のドナルド・リチーの「青山怪談」に友情出演しましたが、カメラの前に立つことは、あまりなかったようです。彼自身が撮影したといわれているセルフポートレイト(下画像参照)は、この1点ぐらい。もしかすると、彼の遺族によって、死後セルフポートレイト写真などは、全て破棄されてしまったのかもしれませんが・・・。
「高田実男」として生まれ、「高田延昇」として宝塚歌劇団/ダンサーとして活動し、「高田保」「矢頭健男」として大部屋俳優となり、写真家として「矢頭保」と名乗ることで、彼は人生をリセットしたのかもしれません・・・「矢頭保」と言う”写真家”として、後世に記憶されるために。
「高田実男」として生まれ、「高田延昇」として宝塚歌劇団/ダンサーとして活動し、「高田保」「矢頭健男」として大部屋俳優となり、写真家として「矢頭保」と名乗ることで、彼は人生をリセットしたのかもしれません・・・「矢頭保」と言う”写真家”として、後世に記憶されるために。
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矢頭保が”カリスマ写真家”になるまで/その2・・・パートナー兼パトロンだったアメリカ人メレディス・ウィザビー(Meredith Weatherby)と写真集三部作「体道」「裸祭り」「OTOKO」
矢頭保出演作品リスト/クレジットなしも含む
(*印はDVDリリース/○印はVHSビデオのみリリース)
高田延昇(芸名)
「昔話ホルモン物語」役柄不明
監督 : 内村禄哉
出演 : 渡辺篤、木戸新太郎、八千草薫
1952年9月11日公開/宝塚映画
「選挙戦のうらおもて」役柄不明
監督 : 不明
出演 : 鈴木繁男
1953年3月5日公開?/宝塚映画
高田保(芸名)
「素晴しき男性」劇団関係者 役/クレジットなし
監督 : 井上梅次
出演 : 石原裕次郎、北原三枝、月丘夢路
1958年7月6日公開/日活
「野郎と黄金」大門 役
監督 : 牛原陽一
出演 : 長門裕之、二谷英明、岡田真澄
1958年7月22日公開/日活
*「風速40米」尾崎の子分/クレジットなし
監督 : 藏原惟繕
出演 : 石原裕次郎、北原三枝、川地民夫
1958年8月12日公開/日活
「酔いどれ幽霊」片桐の乾分A 役
監督 : 春原政久
出演 : 柳沢真一、白木マリ、西村晃
1958年8月26日公開/日活
「銀座の沙漠」キャバレーのボーイ 役
監督 : 阿部豊
出演 : 長門裕之、南田洋子、芦川いづみ
1958年9月15日公開/日活
*「赤い波止場」学生A 役
監督 : 舛田利雄
出演 : 石原裕次郎、北原三枝、中原早苗
1958年9月23日公開/日活
「太陽をぶち落せ」浅草の通行 役/クレジットなし
監督 : 野口博志
出演 : 川地民夫、菅井一郎、南田洋子
1958年10月1日公開/日活
「夜の狼」役柄不明/クレジットなし
監督 : 牛原陽一
出演 : 葉山良二、芦川いづみ、白木マリ
1958年10月8日公開/日活
「俺らは流しの人気者」山中の乾分A 役
監督 : 野口博志
出演 : 川地民夫、沢本忠雄、宍戸錠
1958年10月29日公開/日活
「嵐の中を突っ走れ」チンピラ(一)
監督 : 藏原惟繕
出演 : 石原裕次郎、北原三枝、岡田真澄
1958年10月29日公開/日活
「完全な遊戯」吉祥寺のノミ屋の客/クレジットなし
監督 : 舛田利雄
出演 : 小林旭、芦川いづみ、白木マリ
1958年11月12日公開/日活
「忘れ得ぬ人(第一部)」役柄不明
監督 : 吉村廉
出演 : 筑波久子、待田京介、葉山良二
1958年12月10日公開/日活
「獣のいる街」関根 役
監督 : 古川卓巳
出演 : 葉山良二、梅野泰靖、芦田伸介
1958年12月17日公開/日活
*「女を忘れろ」大沢の部下四 役
監督 : 舛田利雄
出演 : 小林旭、浅丘ルリ子、南田洋子
1959年1月28日公開/日活
「愛は空の果てへ」銀河の政 役
監督 : 野口博志
出演 : 青山恭二、初井言栄、稲垣美穂子
1959年2月18日公開/日活
「逃亡者」トラックの助手 役
監督 : 古川卓巳
出演 : 長門裕之、稲垣美穂子、露口茂
1959年3月25日公開/日活
「海は狂っている」高田 役
監督 : 古川卓巳
出演 : 川地民夫、南田洋子、清水まゆみ
1959年6月9日公開/日活
「若い豹のむれ」ボクシングジムの先輩 役/クレジットなし
監督 : 松尾昭典
出演 : 小林旭、渡辺美佐子、白木マリ
1959年6月16日公開/日活
「ゆがんだ月」高校生 役
監督 : 松尾昭典
出演 : 長門裕之、芦川いづみ、赤木圭一郎
1959年7月28日公開/日活
「男なら夢をみろ」岩淵組の乾分A 役
監督 : 牛原陽一
出演 : 石原裕次郎、葉山良二、芦川いづみ
1959年8月9日公開/日活
「清水の暴れん坊」チンピラ(二)/タイトルバックの愚連隊 役
監督 : 松尾昭典
出演 : 石原裕次郎、北原三枝、芦川いづみ
1959年9月27日公開/日活
*「ギターを持った渡り鳥」清水 役
監督 : 斎藤武市
出演 : 小林旭、浅丘ルリ子、中原早苗
1959年10月11日公開/日活
「天と地を駈ける男」バーでからむチンピラ/クレジットなし
監督 : 舛田利雄
出演 : 石原裕次郎、北原三枝、二谷英明
1959年11月1日公開/日活
「密会」若い男 役
監督 : 中平康
出演 : 桂木洋子、宮口精二、千代侑子
1959年11月11日公開/日活
「波止場の無法者」役柄不明
監督 : 齋藤武市
出演 : 小林旭、浅丘ルリ子、岡田真澄
1959年11月15日公開/日活
*「大学の暴れん坊」イタチの勝 役
監督 : 古川卓巳
出演 : 赤木圭一郎、葉山良二、芦川いづみ
1959年11月18日公開/日活
*「銀座旋風児 黒幕は誰だ」武田鉄兵 役
監督 : 野口博志
出演 : 小林旭、浅丘ルリ子、南風夕子
1959年12月7日公開/日活
「昼下りの暴力」愚連隊のチンピラ 役
監督 : 野口博志
出演 : 川地民夫、水島道太郎、稲垣美穂子
1959年12月14日公開/日活
○「男が命を賭ける時」労働者B 役
監督 : 松尾昭典
出演 : 石原裕次郎、南田洋子、芦川いづみ
1959年12月27日公開/日活
*「鉄火場の風」街のチンピラB 役
監督 : 牛原陽一
出演 : 石原裕次郎、北原三枝、赤木圭一郎
1960年1月15日公開/日活
*「やくざの詩」乾分B 役
監督 : 舛田利雄
出演 : 小林旭、芦川いづみ、南田洋子
1960年1月31日公開/日活
「六三制愚連隊」乾分三 役
監督 : 西河克己
出演 : 和田浩治、木下雅弘、守屋浩
1960年3月13日公開/日活
*「打倒(ノックダウン)」拳闘部長島 役
監督 : 松尾昭典
出演 : 赤木圭一郎、二谷英明、稲垣美穂子
1960年3月20日公開/日活
「闇に光る眼」十太 役
監督 : 春原政久
出演 : 川地民夫、中川姿子、谷川玲子
1960年3月30日公開/日活
「邪魔者は消せ」佐川の仲間 役/クレジットなし
監督 : 牛原陽一
出演 : 赤木圭一郎、二谷英明、葉山良二
1960年4月16日公開/日活
「素っ飛び小僧」今村の子分 役/クレジットなし
監督 : 西河克己
出演 : 和田浩治、葉山良二、清水まゆみ
1960年5月3日公開/日活
「特捜班5号」銀行ギャングA 役
監督 : 野村孝
出演 : 青山恭二、二本柳寛、深江章喜
1960年5月11日公開/日活
*「海を渡る波止場の風」サブ 役
監督 : 山崎徳次郎
出演 : 小林旭、浅丘ルリ子、宍戸錠、白木マリ
1960年5月28日公開/日活
*「男の怒りをぶちまけろ」稲上勇二の子 役
監督 : 松尾昭典
出演 : 赤木圭一郎、浅丘ルリ子、二谷英明
1960年6月18日公開/日活
*「霧笛が俺を呼んでいる」酒場35ノットの船員乾分C 役
監督 : 山崎徳次郎
出演 : 赤木圭一郎、芦川いづみ、吉永小百合
1960年7月9日公開/日活
「喧嘩太郎」神風会の男C 役
監督 : 舛田利雄
出演 : 石原裕次郎、芦川いづみ、白木マリ
1960年8月10日公開/日活
「疾風小僧」黒須組乾分1 役
監督 : 西河克己
出演 : 和田浩治、吉永小百合、由利徹
1960年8月21日公開/日活
「一匹狼」乾分D 役
監督 : 牛原陽一
出演 : 小高雄二、芦川いづみ、南田洋子
1960年8月29日公開/日活
「小雨の夜に散った恋」三木 役
監督 : 吉村廉
出演 : 川地民夫、和田悦子、稲垣美穂子
1960年8月31日公開/日活
○「やくざ先生」愚連隊A 役/クレジットなし
監督 : 松尾昭典
出演 : 石原裕次郎、宇野重吉、北原三枝
1960年9月21日公開/日活
「闇を裂く口笛」チンピラC 役
監督 : 森永健次郎
出演 : 高山秀雄、笹森礼子、飯田蝶子
1960年9月28日公開/日活
*「錆びた鎖」役柄不明
監督 : 齋藤武市
出演 : 赤木圭一郎、笹森礼子、白木マリ
1960年11月12日公開/日活
矢頭健男(芸名)
*「大草原の渡り鳥」ロク 役
監督 : 斎藤武市
出演 : 小林旭、宍戸錠、浅丘ルリ子
1960年10月12日公開/日活
「コルトが背中を狙ってる」劉の輩下宗 役
監督 : 古川卓巳
出演 : 葉山良二、芦川いづみ、上野山功一
1960年12月21日公開/日活
「俺の故郷は大西部」乾分(二) 役
監督 : 西河克己
出演 : 和田浩治、東野英治郎、浜村純
1960年12月27日公開/日活
*「豚と軍艦」増山 役
監督 : 今村昌平
出演 : 長門裕之、吉村実子、丹波哲郎
1961年1月21日公開/日活
*「紅の拳銃」ブン 役
監督 : 牛原陽一
出演 : 赤木圭一郎、垂水悟郎、白木マリ
1961年2月11日公開/日活
「東京のお転婆娘」アベックの男 役
監督 : 吉村廉
出演 : 中原早苗、藤村有弘、南寿美子
1961年3月12日公開/日活
「早射ち野郎」人夫繁 役
監督 : 野村孝
出演 : 宍戸錠、笹森礼子、吉永小百合
1961年4月1日公開/日活
「用心棒稼業」殺し屋B 役
監督 : 舛田利雄
出演 : 宍戸錠、二谷英明、南田洋子
1961年4月23日公開/日活
*「大海原を行く渡り鳥」磯部の乾分四 役
監督 : 斎藤武市
出演 : 小林旭、浅丘ルリ子、白木マリ
1961年4月29日公開/日活
「闘いつづける男」チンピラA 役
監督 : 西河克己
出演 : 和田浩治、殿山泰司、吉永小百合
1961年7月23日公開/日活
*「高原児」高山の乾分二 役
監督 : 斎藤武市
出演 : 小林旭、浅丘ルリ子、高橋英樹
1961年8月13日公開/日活
*「あいつと私」人夫B 役
監督 : 中平康
出演 : 石原裕次郎、芦川いづみ、吉永小百合
1961年8月10日公開/日活
「大森林に向って立つ」大須賀運輸乾分C 役
監督 : 野村孝
出演 : 小林旭、浅丘ルリ子、丹波哲郎
1961年9月23日公開/日活
「波止場気質」フラッシュ畑 役
監督 : 山崎徳次郎
出演 : 川地民夫、平田大三郎、松原智恵子
1961年10月14日公開/日活
「暗黒街の静かな男」黒川 役
監督 : 舛田利雄
出演 : 二谷英明、梅野泰靖、和泉雅子
1961年10月14日公開/日活
「嵐を突っ切るジェット機」劉昌徳の部下 役
監督 : 藏原惟繕
出演 : 小林旭、笹森礼子、葉山良二
1961年11月1日公開/日活
「どじょっこの歌」用心棒B 役
監督 : 滝沢英輔
出演 : 浅丘ルリ子、高橋英樹、葉山良二
1961年11月22日公開/日活
*「渡り鳥 北へ帰る」おでん屋の客/クレジットなし
監督 : 齋藤武市
出演 : 小林旭、浅丘ルリ子、白木マリ
1962年1月3日公開/日活
「人間狩り」五味 役
監督 : 松尾昭典
出演 : 長門裕之、渡辺美佐子、梅野泰靖
1962年1月23日公開/日活
「兄貴」岩田組乾分A 役
監督 : 山崎徳次郎
出演 : 二谷英明、杉山俊夫 、清水まゆみ
1962年1月27日公開/日活
「黒いダイス」室井 役
監督 : 牛原陽一
出演 : 二谷英明、和田浩治、笹森礼子
1962年3月25日公開/日活
「夢がいっぱい暴れん坊」ゼガ 役
監督 : 松尾昭典
出演 : 小林旭、浅丘ルリ、郷英治
1962年4月1日公開/日活
○「青年の椅子」愚連隊(二) 役
監督 : 西河克己
出演 : 石原裕次郎、芦川いづみ、二代目水谷八重子
1962年4月8日公開/日活
「起動捜査班 東京午前零時」岩本の乾分
監督 : 小杉勇
出演 : 青山恭二、郷治、三原葉子
1962年5月20日公開/日活
「抜き射ち三四郎」健太 役
監督 : 山崎徳次郎
出演 : 和田浩治、葉山良二、笹森礼子
1962年6月3日公開/日活
「ひとり旅」小西大作の子分 役
監督 : 斎藤武市
出演 : 宍戸錠、浅丘ルリ子、白木マリ
1962年6月24日公開/日活
「霧の夜の男」ボクサー権田原 役
監督 : 松尾昭典
出演 : 高橋英樹、小沢栄太郎、吉永小百合
1962年7月8日公開/日活
「燃える南十字星」テツ 役
監督 : 斎藤武市
出演 : 宍戸錠、松原智恵子、南田洋子
1962年7月29日公開/日活
矢頭保(友情出演?)
「青山怪談」役柄不明
監督 : ドナルド・リチー
出演 : 矢頭保、他不明
1967年/公開詳細不明
最近になって日活映画をよく見るのですが、このブログで知ってからは思わず高田保を探してしまいます。歴史の闇にのみこまれた当時の端役(のゲイ)の人生に思いを馳せてしまいます。
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