2017/02/16

”コレジャナイ”感しかない「キング・オブ・カルトムービー」のリメイク・・・シャドウキャスト公演の”お約束”だけを拝借~「ロッキー・ホラー・ショー:レッツ・ドゥ・ザ・タイムワープ・アゲイン(原題)/The Rocky Horror Picture Show : Let's Do the Time Wrap Again 」〜


映画作品の”リメイク”というのは、昔から行なわれていたこと。”リメイク”されるということは、元となる作品に人気があるからですが、オリジナルを超えることは稀です。ドラマをミュージカル化するとか、時代設定を現代にするとか、オリジナルとは”別物”としてリメイクされれば、新たな作品として成功することもあるのですが「何故リメイクするの?」という作品もよくあったりします。


「ロッキー・ホラー・ショー」は、カルト映画の中でも有名な作品のひとつ。ロンドン舞台版のキャストをそのまま起用して、1975年に映画化されましたが、公開時はそれほどヒットしなかったそうです。その後、ニューヨークやロサンジェルスのミッドナイト上映で人気を博して「カルトムービー」を代表する作品となります。映画上映中にお約束のツッコミを入れたり、画面の中に登場するモノ(お米、新聞紙、ライター、紙吹雪など)を使用したりするのは、今でいう”応援上映”(?)のルーツと言えるのかもしれません。また、キャラクターと同じ”コスプレ”をして、スクリーンの前で映像と同時進行で演じる”シャドウキャスト”は、初公開から40年以上経った今でも世界各国で行なわれています。


「ザ・ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショー:レッツ・ドゥ・ザ・タイムワープ・アゲイン(原題)/ The Rocky Horror Picture Show : Let's Do the Time Wrap Again 」は、アメリカのFOXテレビにて放映されたテレビ映画で、監督を務めたのは元々振り付け師のケニー・オルテガ・・・ドキュメンタリー映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」の監督を務めたことで知られていますが、ライブコンサートの演出家としてはさておき、映画監督としては「どうなの?」という人”では”あります。

オリジナル版の「ロッキー・ホラー・ショー」は、フランクン・フルター博士を演じたティム・カリーの出世作です。スパンコールのコルセットとガーターベルトに厚底のハイヒール、毒々しい化粧の女装姿は、一度観たら忘れられない強烈なインパクトです。リメイク版では、このフランクン・フルター博士役を「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」に出演しているトランスジェンダー(性転換手術済み)でアフリカ系のラヴァーン・コックスが演じています。



フランクン・フルター博士は、女装趣味のある(マッチョ好きでかなりゲイ寄りの)バイセクシャルの男性という設定で、良くも悪くも悪趣味気味で男性と分かる程度のクオリティの低い(?)女装ということろが愛すべきポイントだと(ボク個人的には)思うのですが、本作でフランクン・フルター博士を演じるラヴァーン・コックスは、豊満な胸の谷間をもつ「女性」・・・声の低さや体格の大きさから「元・男性」であることは分かりますが、アフリカ系の男女の外見的な性差が他の人種と比較して少なめ(?)ということもあり、女装趣味の男性というよりも大柄な女性に見えてしまうかもしれません。

フランクン・フルター博士を演じる俳優が「”白人=アングロサクソン系”でならなければならない」とは思いません。ただ、博士が理想の男性とする人造人間のロッキーは、歌詞にもあるように”ブロンドで日焼けしたマッチョマン”なのですから、違和感が全くないかというとビミョーなところであります。さらに、リフ・ラフ(リーブ・カーニー/アングロサクソン系)の”妹”であるマジェンタは、ヒスパニック系のクリスティーナ・ミリアン・・・エディ(アダム・ランバート/アングロサクソン系&ユダヤ系)の叔父であるスコット博士は、アフリカ系ベン・ヴァリーンによって演じられているのです。”ポリティカリー・コレクトネス”の観点では、演じる俳優の人種と役柄の設定は”無関係”とするべきなのかもしれませんが、シャドウキャスト公演、または、舞台ならまだしも、テレビ映画のような映像作品の場合、少々無茶な印象はあるのです。


「ロッキー・ホラー・ショー」は、1930年代から1950年代のサイエンス・フィクション、モンスター、ミュージカルに数々のオマージュを捧げています。しかし、今の視聴者には、それらの”元ネタ”には馴染みがないかもしれません。リメイク版のオープニング曲(Rocky Horror Picture Show Science Fiction Double Feture)では、シャドウキャスト公演や舞台版と同様に”案内嬢”(アイビー・レバン)が登場・・・歌詞にでてくる映画のポスター(「キングコング」「地球が静止した日」「透明人間」「禁断の惑星」など)が壁に貼られており、親切な(?)説明となっています。


「タイムワープ」で登場する”トランスベニアン”たちは、オリジナル版では”奇人変人”としかいいようのない摩訶不思議なキャスティング(デブ、ノッポ、チビ、老人など)と、お揃いの黒い燕尾服姿により(良い意味で)時代性を意識させませんでした。しかし、リメイク版では衣装と振り付けが今風(?)に変更されています。また「タイムワープ」の直後、フルター博士の登場シーンに於いては、オリジナル版はエレベーターを巧みに使うことにより、その姿の異様さの”サプライズ”を演出がされていたのですが、リメイク版ではフルター博士は撮影用(?)クレーンに乗ってゆっくりと現れる上に、その後ろの壁にはフルター博士の肖像画が飾られているために”サプライズ”もありません。


エキスパート(犯罪学者)が物語を解説するという”メタ構造”をもっている「ロッキー・ホラー・ショー」・・・リメイク版では本編を映画館の観客が観ているという、さらなる”メタ構造”となっているのです。2012年に脳梗塞により車椅子生活で言語障害を抱えている御年70歳のティム・カリーが、物語をナレーションするエキスパート役で起用されているのは胸がいっぱいになります。ティム・カリーがエキパート役でスクリーンに登場するやいなや、大騒ぎになる画面の中にいる映画館の観客たちは、本作をテレビで観ている視聴者と同じ立場(オリジナル版を知っていてリメイク版を観ている)ということになるわけであります。カルト映画であることが”前提”でのリメイク版で、オリジナル版”ありき”の”メタ構造”というわけです。


アメリカ絵画の「アメリカンゴシック」、B級のSF映画で知られていた「RKOピクチャー映画会社シンボルタワー」、トランスベニア星人としてマジェンタが登場するときの髪型の「フランケンシュタインの花嫁」、など、オリジナル版で随所に散りばめられていたオマージュの数々は、リメイク版では何故かスルー(?)という矛盾・・・逆(?)に、フルター博士がゴム手袋を引っ張るとか、スコット博士がいきなりカメラに向かって話しかけるとか、些細なギャグはしっかりと踏襲されていたりして、オリジナルへのリスペクト度合いが少々不可解。なんだかんだで、カルト映画の”お約束”だけを拝借している印象になってしまうのです。


古くは1980年の映画「フェーム」から近年では「Glee」のセカンドシーズンでフィーチャーされて、新たな世代にも浸透している「ロッキー・ホラー・ショー」をリメイクするというのは、いくらテレビ映画といえ”コレジャナイ”感しかない無謀なチャレンジではあります。セットや美術などにはオリジナル版よりもプロダクションの規模も大きくなっていますし、出演しているキャストたちも良い仕事をしていると思うのですが・・・ケニー・オルテガ監督によるリメイク版は、まったくの”別物”として突き抜けているわけでもなく、といって・・・オリジナル版への愛に満ち溢れているようにも特に感じられません。

「キング・オブ・カルトムービー」を甦えらせるのであれば、オリジナル版に忠実なシャドウキャストのライブの方が、(今までに、そのようなスペシャル番組はありましたが)素直に”リスペクト”が感じられたのではなかったでしょうか?


「ザ・ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショー:レッツ・ドゥ・ザ・タイムワープ・アゲイン(原題)」
原題/ The Rocky Horror Picture Show : Let's Do the Time Wrap Again 
2016年/アメリカ
監督 : ケニー・オルテガ
出演 : ラヴァーン・コックス、ヴィクトリア・ジャスティス、ライアン・マッカータン、アナリー・アッシュフォード、アダム・ランバート、リーブ・カーニー、クリスティーナ・ミリアン、アイビー・レバン、スタッズ・ナール、ベン・ヴァリーン、ジェーン・イーストウッド、ティム・カリー
2016年10月20日アメリカFOXテレビにて放映
日本未公開

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2017/01/19

エディナとパッツィーの”ひとでなし”っぷりが相変わらずの映画版「アブ・ファブ」・・・ラフトラック(Laugh track=録音笑い)はブラックな笑いには不可欠かも?~「アブソリュートリー・ファビュラス・ザ・ムービー(原題)/Absolutely Fabulous the Movie」~


1992年からイギリスBBCで放映された「アブソリュートリー・ファビュラス/Absolutely Fabulous 」(通称:アブ・ファブ/Ab Fab)は、2000年代初めにも日本でもレンタルショップから火がついたシットコム/Sitcom(コメディドラマ)であります。主人公のエディナ(ジェニファー・サンダース)がプレス・エージェント、エディナの親友パッツィー(ジョアンナ・ラムリー)がファッション誌のディレクターという設定ということもあり、特にファッション業界人の中では大変人気があったのです。



そもそも「アブ・ファブ」は、コメディアン兼コメディライターのコンビであるジェニファー・サンダースとドーン・フレンチの「フレンチ・アンド・サンダース/French and Sanders」というコメディ番組が元ネタ・・・キャラの濃い”あるある”ネタや、映画のパロディで知られる本番組のシーズン3(1990年放映)エピソード6の「モダン・マザー・アンド・ドーター/Modern Mother and Daughter」というスケッチで演じられたキャラクターから派生しています。


ファッション・ヴィクティム(すでに死語?)で自己チューな母親エディナと、保守的で極々フツーなティーンエイジャーの娘サフロンの対比が、当時は「モダン=今どき」の”あるある”ネタであったのかもしれません。「アブ・ファブ」の主人公エディナ・モンスーンは、常にダイエットに励んでいるキャラクターという設定なので・・・シリーズ化となる際、ジェニファー・サンダースより太っているドーン・フレンチが娘役であるよりも、より普通っぽいジュリア・サワラの方が適役と判断されたようであります。

さらに、エディナに輪を掛けてぶっ飛んでるアル中でドラッグ中毒(?)の親友パッツィーが加わったことで、大ヒットに繋がったのではないでしょうか?放映開始時のジェニファー・サンダースは若干34歳(年齢設定は40代!)で、娘役のジュリア・サワラは24歳・・・エディナと同世代という設定のパッツィーを演じていたジョアンナ・ラムリーの実年齢は、なんと46歳です。


ジョアンナ・ラムリーは、元モデル(ジーン・ミュアのハウスモデルを務めたこともある)で、「女王陛下の007」(1969年)でボンドガールを務めたセクシー系女優・・・「アー・ユー・ビーイング・サーブド?/Are You Being Aerved?」で、コメディ演技にも開眼(?)、1970年代~80年代は主にイギリスのテレビで活躍します。「アブ・ファブ」で世界的に大ブレーク後は、映画にも活躍の場を広げて”コメディ”演技に磨きが勝かかったようです。また、ネパールの「グルカ兵正義キャンペーン」や先住民族をサポートする「サバイバル・インターナショナル」など、さまざまな人権運動の活動家としても知られています。

1992年から1995年から(1993年には制作されず)の3シーズンの後、2001年に第4シーズン、2004年に第5シーズン、1996年から2012年の間にもスペシャル版が制作されるなど、息の長~いイギリスのコメディシリーズです。そして2016年、満を持して(?)映画化となったわけなのであります!

ファーストシーズンから約25年経った今でも、主人公を演じている二人の印象が殆ど変わらないということが一番の驚きです。相変わらずスレンダーな体型のジョアンナ・ラムリーは、現在、御年70歳!!!・・・ジェニファー・サンダース(50代後半の)との年齢差を感じさせません。


さて、本作「アブソリュートリー・ファビュラス・ザ・ムービー(原題)」は、良くも悪くもテレビシリーズの延長上です。ファッション界で働く(?)女性二人の主人公のコメディではありますが、いわゆる”キューティー映画”とは違います。イギリスの伝統(?)でもあるブラックな笑いのコメディで、日本のコメディにありがちの「実はいい人」とか「エンディングに感動」というウェットな”落としどころ”はありません。一歩間違えば人権を侵害しかねないようなギリギリのユーモア/ギャグ炸裂して放置・・・と、結構、辛口/毒舌でもあるのです。

映画版では全体的にゴージャスな作りとなっているのですが・・・テレビのスペシャル版でもお馴染みの海外ロケ(本作では南仏地方)、ファッションジャーナリストのスーザン・マンキーズ、ミック・ジャガー元妻で元モデルのビアンカ・ジャガー、イギリスの女装コメディアンのデーム・エドナ・エヴェレイジ、ファッションデザイナーのステラ.マッカートニーとジャン=ポール・ゴルティエ、アメリカ女優ジョーン・コリンズなどファッション業界やエンターテイメント界からのカメオ出演、そして、さまざまな映画へのオマージュなども”みどころ”ということになります。


スーパーモデルのケイト・モス(ケイト・モス自身が出演!)が、新しいプレスを探しているという情報を得たエディナが、ファッション界のパーティーに乱入して、誤ってケイトを川に突き落としてしまい、フランスへ逃亡するというドタバタ劇というのが、本作のプロットなのでありますが・・・エディナとパッツィーの”ひとでなし”(?)っぷりは相変わらずです。オリジナルシリーズ放映当時は、イギリスらしい境界線ギリギリのブラックな笑いが、まさに”ツボ”だったわけですが・・・いろんな意味で、世情が変化した”今”改めて観てみると、ちょっと笑えないような気がしてしまうのはボクだけでしょうか?

エディナやパッツィーの行動や発言は、ぶっ壊すべき”ダサい”保守”が大きな存在感のあった時代だからこそ、笑いとして受け入れられたような気がするのです。単純な”保守”と”革新”という区分けは難しい”今”の時代に於いて、”ポリティカリー・コレクトネス”に欠けた笑いは、面白がってしまうことに対して、どこかしら居心地の悪さを感じさせてしまうのかもしれません。パッツィーが男装して世界で一番金持ちの未亡人を遺産目当てで誘惑して、結婚するという「お熱いのがお好き」の逆張りのドタバタを繰り広げるのが本作の山場なのですが・・・あまりにも短絡的な詐欺行為(?)に、正直いって爆笑とはならないのです。


テレビシリーズと映画版の大きな違いが、ラフトラック(Laugh track=録音笑い)の存在・・・シットコム黎明期から使われてきたラフトラックは、視聴者の笑いを促す”呼び水”として有効な方法であります。「アブ・ファブ」のテレビシリーズでもラフトラックが使われており、眉をひそめるようなブラックな笑いも、ついつい釣られて苦笑い・・・なんてことも多々あったのです。ところが映画版にはラフトラックはありません。そのため、ブラックな笑いが、少々”空回り”気味になってしまった気がします。

と言いつつも・・・オリジナルのテレビシリーズからの往年のファンにとっては、ずっと変わらないエディナ・モンスーンとパッツィー・ストーンに会えることは”喜び”以外何物ではないのであります。


「アブソリュートリー・ファビュラス・ザ・ムービー(原題)」
原題/Absolutely Fabulous the Movie
2016年/イギリス
監督 : マンディー・フィッチャー
脚本 : ジェニファー・サンダース
出演 : ジェニファー・サンダース、ジョアンナ・ラムリー、ジュリア・サワラ、ジェーン・ホロックス、ジューン・ウィットフィールド、ケイト・モス
日本未公開

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2016/12/02

「アメリカンギニーピッグ」シリーズの2作目は”会心の一作”!?・・・観るに耐えない医療系拷問と鬼レベルにトラウマなラブシーン~「アメリカンギニーピッグ ブラッドショック!!/American Guinea Pig : Bloodshock」~


以前、このブログで書いた「ギニーピッグ」シリーズのアメリカ版スピンオフ「アメリカンギニーピッグ~血と臓物の花束~/American Guinea Pig : Bouquet of Guts and Gore(めのおかし参照)から約一年・・・2作目となる「アメリカンギニーピッグ ブラッドショック!!/American Guinea Pig : Bloodshock」のDVD/Blu-rayがリリースされました。

本作の舞台となっているのは、基本的に監禁されている部屋と手術部屋のみ・・・実際に撮影が行なわれたのは、「アメリカンギニーピッグ」シリーズのエグゼプティブ・プロデューサー(本作では脚本も担当)であるステファン・バイロ氏が以前レンタルビデオ屋を経営していたビルの隣にあった廃屋の医療施設(現在はリノベーションされて住居になっている)で、わざわざセットを組んだのは拘束部屋”だけ”だったそうです。極めて低予算であったことが伺えます。


壁にクッションが貼られた小さな拘束部屋に閉じ込められている中年男(ダン・エリス)・・・マッドドクター(アルベルト・ジョヴァネッリ)から、繰り返し繰り返し医療器具で拷問を受けています。何も説明なしに監禁されているという「ソウ」シリーズではお馴染みのソリッド・シチュエーション・スリラー仕立てといったところで、淡々と行なわれる拷問が描かれるのです。

アシスタントの男に顔を殴られる、話せないように舌先を切断される、股間や膝をハンマーで殴られる、ペンチで歯を抜かれるなどなど、中年男性は顔を歪めて苦痛に耐えて続けます。極めつけは、糸のこで骨を切断されて骨を延長する器具を取り付ける手術・・・どう考えても、これほどの手術に何らかの薬なしに痛みに耐えることはアリエナイので、何らかの麻酔(麻薬?)などを投与されているのかもしれません。


ゴア描写を”売り”にするならば、リアルな血や肌の色を見せつけるべきなのかもしれませんが、本作の大半が白黒の映像ということもあり、残虐性は控えめになっています。また、繰り返し切ったり縫い合わせられる手術部分をクロースアップで撮影しているので、慣れてしまえば(?)少々退屈な映像に感じるかもしれません。もしも、これらのシーンがフルカラーの映像だったならば、皮膚と筋肉のシリコン模型のプヨプヨ感が”ニセモノ”っぽく見えるてしまったかもしれないし、エンディングシーンのインパクトを際立たせる意味では、効果的であるとは言えます。

ここからエンディングのネタバレを含みます。


中年男が監禁されている部屋の壁から、メモ書きが差し込まれ始めます。隙間から見える手から若い女(リリアン・マッケニ)らしく・・・彼女は紙と鉛筆を所持することが許されているようなのです。映画の中盤になると、今まで中年男のみだった視点から、この女性の視点からも描かれていきます。

どうやら、彼女の方が先に監禁/拷問されているらしく・・・既に骨延長器具などが体に取り付けられており、常に朦朧とした状態の中、中年男と同じように繰り返し体を切られては縫い合わされるという拷問的な手術を施されているようなのです。監視のアシスタントに見つからないように、メモの読後には食べてしまうことをしながら、次第に短いメモ書きを通じて、中年男と若い女はコミュニケーションを深めていき、次第にお互いを特別な存在として感じ始めていきます。


前作の「アメリカン・ギニーピッグ~血と臓物の花束~」は、単に人体分解の即物的なトーチャーポルノでしたが・・・本作の主人公の中年男と若い女を演じているダン・エリスとリリアン・マッケニーは台詞らしい台詞がないにも関わらず、精神的にも肉体的にも極限まで追い詰められた状態を、表情や目の動きで見事に演じきっており、映画作品として作られていることが明らかです。

遂に、若い女は反撃にでて、マッドドクターらにメスを突き刺します。中年男のいる監禁部屋へ行って一緒に逃亡するのかと思いきや・・・二人は監禁部屋の中で抱き合い、お互いの傷を愛撫し始めるのです。徐々に抱擁はエスカレートして、お互いの傷口を広げて、舐め合ったり、傷口を広げたりして、ドンドン血だらけになっていきます。


白黒だった画面は、徐々にカラーに変化していき・・・血だらけで内蔵を引き抜き合って息絶えていく二人を姿を、まるで「ラブシーン」のように映し出すのです。繰り返し行なわれた拷問によって人格を失っていたかのような二人が、共有した苦痛の中で目覚めた愛情表現は、お互いを死へ導くことだったということなのでしょうか?あまりにも究極の状況なので、理解不可能な行為ではありますが・・・。

脚本を担当したステファン・バイロ曰く、本作は「ラブスートリー」ということですが・・・拷問する”さま”を映画にするは”サディスト”的な嗜好であると同時に、自らも拷問を受けたいという”マゾキスト”的な願望もあるのかもしれません。あの「ネクロマンティック」のエンディングで、死体愛好者の男が、自分の腹にナイフを刺しながらマスターベーションをすることによって得られる”死に際の恍惚感”に繋がっていくのです。

中年男と若い女の死後、相変わらずマッドドクターは犠牲者を監禁して拷問をしています。ここで本編は終わるのですが・・・エンディングタイトルをバックに、中年男と若い女の監禁される前の様子が描かれます。どうやら、彼らはそれぞれ自分の家族を惨殺した殺人者であり、その罪の償いとして拷問されても仕方なかった・・・という”オチ”のようなのです。”設定”も”オチ”も、結局「ソウ」シリーズと同じというところは”イマサラ感”が拭えません。

何かとツッコミどころのある作品ではありますが・・・「ギニーピッグ」のタイトルに相応しいトラウマを残す作品ではあります。シリーズ2作目となる本作「アメリカンギニーピッグ ブラッドショック!!」は、今後の「アメリカンギニーピッグ」の布石となる”会心の一作”となるかもしれません。


「アメリカンギニーピッグ ブラッドショック!!」
原題/American Guinea Pig : Bloodshock
2015年/アメリカ
監督 : マーカス・コーチ
脚本 : ステファン・バイロ
出演 : ダン・エリス、リリアン・マッケニー、アルベルト・ジョヴァネッリ
日本劇場未公開
2017年1月7日DVDリリース


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2016/11/23

ジャック・スカンドラリ(Jacques Scandelari)監督のカルトな世界・・・アート系エロティック映画からハードコアのゲイポルノまで~「淫蕩の沼 マルキ・ド・サドのアブノーマル・ハウス/La Philosophie dans le Boudoir」「薔薇の懺悔/Homologues ou La soif du mâle」「ニューヨークシティ・インフェルノ/From Paris to New York」「過去を着た女 真夜中のニューヨーク/Monique and New York After Midnight」~


”マニアック”にも「ほど」があって、あまりにも”マニアック”過ぎると「誰も知らない」ということもあったりします。日本で劇場公開されている作品もあるのですが、世界的にすっかり忘れられた感があるのが、フランス出身のジャック・スカンドラリ(Jacques Scandelari)という映画監督。元々、寡作であることに加えて、フィルモグラフィーも文献によってマチマチ・・・ソフト化された作品も少なく、別名で監督しているハードコアのポルノ作品があったりするので、イマイチ全貌が掴みきれないのです。

短編映画「Models International」(1966年)が、ジャック・スカンドラリ監督のデビュー作らしいのですが、これは”モンド”ドキュメンタリー風の作品だったようです。1960~80年代のエロティック映画で知られるジョぜ・ベナゼラフ(José Benazeraf)監督が、共同監督としてクレジットされているところから、内容的には”エロティック”な作品だった推測されます。

1943年生まれとされるジャック・スカンドラリ監督が、弱冠25歳のときの作品と言われていることから「淫蕩の沼/La Philosophie dans le Boudoir」が製作されたのは、多くの文献に記述されている「1971年」ではなく「1969年」だったと思われます。おそらく1971年は、アメリカなどの映画館で公開された年だったのでしょう。となると・・・「淫蕩の沼」がジャック・スカンドラリ監督デビュー作ということで間違いないようです。


「淫蕩の沼」は、マルキ・ド・サドの「閨房哲学」を原作としており、当時流行っていたヨーロッパ産のアート系エロティック映画として、1972年に日本でも成人映画(洋画ポルノ扱い?)として劇場公開されています。1990年頃には「マルキ・ド・サドのアブノーマル・ハウス」というタイトルで、日本でもビデオリリースされているようです。近年、本作のアート性が再評価(?)されて、アメリカのインディーズの会社から「Beyond Love and Evil」のタイトルでDVDがリリースされています。

サドの原作は、若い娘が放蕩の限りを尽くした悪徳な者たちの手さばきより、反社会的思想を我が物にする物語でありますが、本作はサド的不道徳感をインスピレーションとしたオリジナルストーリー・・・この映画が制作された1960年代には”ありがち”だった「主人公が不思議な館に迷い込んで奇妙な体験をする物語」なっています。


美青年ゼノフ(ルカ・デ・シャバネックス)は彼の真実の愛・クセニア(スシュカ)を追って、厳重にガードされた不思議な屋敷に忍び込みます。ここはイールド(フレッド・セント・ジェームス)という男が独裁的に仕切っている世の中の道徳とは無縁の欲望の館・・・サイケデリックな化粧と衣装に身を包んだ人々が乱痴気パーティーの真っ最中で、レズビアンセックス、様々な人種や年齢を交えての乱交、鞭打ちや焼き印などのSMプレイ、生きている魚やタコを使ったマスターベーションと、ゲストたちは欲望のおもむくままに様々な行為に没頭しているのです。


実は、この集まりの目的はイールドとクセニアの結婚式・・・新郎新婦としての初夜の後、新婦はゲストの誰でも交わるというのが”ルール”のようであります。クセニアを取り戻したいゼノフは、毛むくじゃらの野人に女性を犯させるという余興(!?)をゲストたちが楽しんでいる隙に、クセニアを館の外に連れ出すことに成功するのです。森の中で激しく愛を確かめ合った後、何故かクセニアはゼノフを再び屋敷に誘導・・・ゼノフの思いを裏切ってイールドとの結婚式の儀式を行ってしまいます。


目覚めたゼノフにイールドがクセニアとの特別に深い絆を説き、あるゲームを提案するのです。仮面と衣装に身を包んだ女性たちの中からクセニアを見つけた方が勝ちというもので、ゼノフが勝ったのならばクセニアと共に屋敷から立ち去れるが、もしゼノフが負けたならばゼノフは屋敷に留まらなければならないというもの・・・しかし、あっさりゼノフは勝負に敗れてしまい、イールドの家来として屋敷に閉じ込められることになってしまいます。


イールドの性の欲望の矛先は、当然のことながら(!)ゼノフにも伸びてきて・・・耐えきれなくなったゼノフは、イールドをナイフで刺し殺して発狂してしまうのです。イールドの亡き後、館の女主人として振る舞うようになったクセニアは、以前にも増して反社会的で不道徳かつ残酷なプレイに興じるようになります。クセニアの性のペットになったゼノフですが、まだクセニアへの”愛”を捨てきれていません。それを知ったクセニアは、ゼノフを館の敷地の外に突き放して、彼が存在したことも消し去ると宣言して立ち去ります。館でしか味わえない欲望の虜になってしまったゼノフにとって、それは最も厳しい懲罰だったのです。


複眼レンズを多用した麻薬的な映像、繰り返しながれるアシッドロックの音楽、当時の最先端トレンドを先取りしたような衣装やメイクアップ・・・既成概念を打ち破った怪しいテーマで、ジャック・スカンドラリ監督はアレハンドロ・ホドロフスキー、フェルナンド・アラーバル、ワレリアン・ボロズウィックなどのカルト映画作家と肩を並べたといっても過言ではありません。しかし、その後の迷走によって映画監督としては映画史から忘られたような存在となってしまうのです。

1970年に制作された「Macédoine(マケドニア)」は、ミシェル・メルシェ主演(「アンジェリーク」シリーズの主演女優)のスパイもののコメディ映画のようです。当時そこそこスターだったキャストを集めていることから「淫蕩の沼」の(そこそこの?)評価を受けての第2作目だったと考えるのが自然のような気がします。ただ、ミシェル・メルシェをはじめ出演者たちのフィルモグラフィーには記載されることが稀な作品であることから・・・「マケドニア」は興行的にも評価的にも失敗した作品だったのかもしれません。


1974年に「Hiver de Paris/パリの冬(原題)」という短編ドキュメンタリーをつくった後・・・1977年に、ジャック・スカンドラリ監督はマーヴィン・マーキンズ( Marvin Merkins)と別名で「薔薇の懺悔/Homologues ou La soif du mâle」という”ゲイポルノ映画”を監督します。当時、フランスではゲイ向けのポルノ映画が盛んに製作されるようになっており、パリの小さな映画館(おそらくハッテン場として機能していた?)で上映されていたそうです。

驚くべきことに「薔薇の懺悔」は、1986年に日本でも劇場公開されています。ニューセレクトという洋画ポルノ専門会社の配給だったことからポルノ映画館での上映だったと思われます。ただ、本作は女優が一切出演しないゲイポルノ・・・1982年頃から”薔薇族映画”と銘打って専用の成人映画館で日本製のゲイ・アダルト映画が上映されるようになっていましたから、ゲイ向けの劇場での上映だったのでしょうか?

この作品は、製作されたフランスでさえ一度もソフト化はされていないのですが、何故か日本では1995年頃にビデオリリースされています。ただ、監督名、役者の名前さえパッケージに一切掲載されておらず、ある種「ゲテモノポルノ」(?)としてアダルトコーナーに並べられていたらしいのですが・・・。


お世辞にも”イケメン”とは言えない若ハゲの主人公ジェラルド(ジェラルド・ボノム)は、新聞広告のSMプレイ募集のあったアパートの一室へ赴きます。すると、そこには縛られたまま亡くなった男性の死体が残されていまるのです。異様な興奮を覚えてしまったジェラルドは、その場で自慰行為に耽り・・・すっかりSMプレイに魅せられてしまいます。


仕事場のレストランのキッチンでは同僚の男性のアナルに野菜を挿入したり、ゲームセンターで知り合った男をいたぶってみたり、ナイトクラブの楽屋で口淫奉仕するをしてみたり、ジェラルドはますますSMプレーにハマっていくのです。そんな時、ディスコで知り合ったのが黒い巻き髪の青年(ジーノ)と出会い、二人は付き合い始めます。ゲイの友人らが集まるプールのハッテン場に出向いたりして、皆で仲良く乱交に励むといった、ほのぼの(?)とした関係を築いていくのです。


しかし、フリーセックスを楽しむのが当時流行りのゲイのライフスタイル・・・ジェラルドは恋愛に縛られない自由なライフスタイルを求めて、黒い巻き髪の青年との別れを決心します。新聞広告で以前死体と遭遇したSMプレイの募集を見つけると、ジェラルドは再びアパートの部屋を訪ねるのです。そこには次の犠牲者を待ち構えるかのように、イーグルの刺青を尻にした男たちがいて、ジェラルドに襲いかかってきます。何とか部屋から脱出して逃げ切ったジェラルドを車で待っていたのは、黒い巻き髪の青年・・・ジェラルドはSMプレーの闇を知り・・・”モトサヤ”に納まって「めでたし」となるのです。

オープニングとエンディングには、バタイユとマルキ・ド・サドの一節を引用して、深いテーマを掲げているようではありますが、本作は基本的にハードコアのゲイポルノ映画・・・物語の流れを遮るかのようにセックスシーンが挿入されているので、映画としては何ともテンポが悪いのです。また日本の検閲問題として、必要以上に大きな”ぼかし”が入っていたり、猥褻な箇所を避けるために画面の一部だけをクローズアップにしたり、結合部分はコマ送りの映像を繰り返したりと・・・「性器を映さない」「結合部分を見せない」ための特殊効果(?)によって、なかなかシュールな映像となっています。

薔薇=同性愛というイメージは、ゲイ雑誌「薔薇族」に由来する日本特有の感覚ですが「薔薇の懺悔」という邦題は「同性愛に対しての罪悪感」を印象づけるタイトルであります。ただ、映画の中で主人公のジェラルドが懺悔することはないし、宗教的な罪悪感を表現しているわけでもなく、内容とは関係のないように思えますが、なんとも意味ありげで”良いタイトル”かもしれません。

本作が製作された当時・・・1970年初頭のアメリカでのハードコアポルノ解禁を受けて、欧米では第一次ポルノブームでした。革新的な表現手段として、ハードコアポルノ(ゲイだけでなくストレートも)は、”ポルノチック”と呼ばれてクリエティブでおしゃれでだったのです。そんな時流の中でハードコアのゲイポルノ映画というラジカルな方向性をジャック・スカンドラリは、映画監督として見出したということだったのでしょうか?

1977年前後にジャック・スカンドラリ監督は住まいをニューヨークに移したようです。1978年には寡作のジャック・スカンドラリ監督には珍しく、1年間に4本作品を発表するのですが、もしかすると「Brigade Mondaine」が撮影されたのは前年だったかもしれません・・・というのも「Brigade Mondaine」はフランスで、他3作「過去を着た女 真夜中のニューヨーク」「ニューヨークシティ・インフェルノ」「Un couple moderne」はニューヨークで撮影されているからです。

「ブリジット・モンディーン/Brigade Mondaine(原題)」(英語タイトル「Victims of Vice」)は、ヨーロッッパで出版されたパルプ・フィクション小説シリーズの映画化のようで麻薬と売春の犯罪捜査班がSMクラブに侵入するお話・・・当然のことながら”売り”はヌードとセックスシーンのようであります。原作がフランス語でしか出版されていないようだし、出演している俳優も有名でないし、映画版もヨーロッパ数国でしか公開されていないようなので、本作は殆ど知られることなく世界中で一度もメディア化はされていません。


「ニューヨークシティ・インフェルノ」は、完全なハードコアのゲイポルノ映画・・・1980年代中頃までニューヨークのミッドタウンにはゲイポルノを専門で上映する”ハッテン映画館”があり、週替わりで上映されていたのですが、本作はクラシック・ゲイポルノとして結構知られた作品です。長年、視聴することが難しい幻(?)の一作とされていたのですが、数年前ゲイポルノ老舗配給会社のBIJOU VIDEOから「From Paris to New York」というタイトルで、DVDがリリースされています。


ジュローム(アラン=ガイ・ジェラドン)は、ニューヨークに旅行で訪ねたっきりフランスに帰国しない恋人ポール(ボブ・ベイカー)を探しに、パリからニューヨークへやってきます。1970年代後半のニューヨークはゲイのメッカとしてフリーセックス天国と化していており、あらゆる場所でクルージングしまくりのセックスしまくり・・・ジェロームも恋人のポールを探しながら、乗り合わせたタクシー運転手、壊れかけた埠頭のハッテン場で出会った男たち、精子で占うという怪しい占い師、ゲイクラブのトイレで順々に何人もの男らとやりまくっていくのです。


ジェロームが多くの男たちとやりまくってリサーチした結果に辿り着いたのは、とあるゲイSMクラブ・・・そこで、四つん這いになってマスターに奉仕する恋人ポールの姿を発見します。彼を再び取り戻すには、ポールのマスターのマスターになるしかないと助言を受けたジェロームは、自慢の巨根(?)でポールのマスターを犯しまくり、見事に恋人ポールを取り戻すのです。そして、二人してフランスへ無地に帰国して、めでたしめでたしとなります。


レザー系のゲイバーとして有名だったザ・スパイク(The Spike)や、ウエストサイドハイウェイ脇にあった廃墟と化していた埠頭のハッテン場などでロケーションしていることから、本作はAIDSエピデミック以前のニューヨークゲイシーンの貴重な記録にもなっています。また「Y.M.C.A.」でブレイクする直前のヴィレッジ・ピープル(Villege People)の楽曲が全編に渡って使用されており、当時の雰囲気はたっぷり感じ取ることができるのです。


「過去を着た女 真夜中のニューヨーク/Monique and New York After Midnight 」は、ジャック・スカンドラリ監督の最後の長編劇映画となります。当時のニューヨークはシングルズバーやゲイカルチャー全盛期の時代・・・そんなニューヨークに暮らすフラン人女性のサイコスリラー(?)なのです。なお本作は事実を元にした物語ということになっています。

35歳で独身のモニーク(フローレンス・ジオゲッティ)は、アート系出版社の編集者として働きながら、裕福な父親のおかげで悠々自適にニューヨークで生活しています。独り身の淋しさも感じていていますが、いまひとつ男性に対して奥手・・・実はモニークが幼い時、母親は父親との口論の末に誤って拳銃の暴発で亡くなっていて、現場検証の時に焚かれたカメラのフラッシュが現在もトラウマになっているのです。


ある日、モニークの職場に画家のリチャード(ジョン・フェリス)が現れます。女性を尊重するフェミニストなリチャードにモニークは関心を寄せます。またリチャードもモニークに積極的に接近・・・モニークはトラウマと戦いながらもリチャードを受け入れて、二人は結婚に至るのです。

モニークは子供を産んで家庭を築きたいと願うようになりますが、子作りには興味のないリチャードとは徐々に心がすれ違ってきます。気色悪いのはリチャードが画家として描いている絵のテーマが「赤ん坊」ばかりというところ・・・既にリチャードはモニークに赤ちゃんを提示しているってことなのでしょうか?

ある日、ニューヨーク市内で偶然リチャードを見かけたモニークは、彼を追ってハドソン川沿いの埠頭エリアに迷い込んでしまうのです。「ニューヨークシティ・インフェルノ」で描かれたいように・・・当時、埠頭エリアというのはゲイの”ハッテン場”で高架下や廃屋でやりまくっていたものであります。案の定・・・モニークは暗闇で蠢く男たちの中にリチャードを発見してしまうのです。


精神的に追い込まれたモニークが以前通っていたシングルズバーに立ち寄ったところ、リチャードのアーティスト仲間のダンと遭遇・・・誘われるままに彼のアトリエ兼自宅へ行ってしまいます。そこでモニークはリチャードはダンから赤ん坊をモチーフにしたアートのアイディアをパクったこと、そして、かつて二人はゲイの恋人同士であったことを知らされます。パニックを起こしたモニークはキッチンにあったナイフでダンを刺し殺し・・・さらに、ゲイクラブや路上で声をかけてきたゲイの男たちを、モニークは次々と刺し殺してしまうのです。

帰宅したモニークを自宅で待っていたのは、何食わぬ顔のリチャードと彼の友人と名乗る若い青年ロバート・・・疲れきったモニークは二階の寝室で眠りにつきます。しばらくして目を覚ましたモニークは、リチャードとロバートの痴話喧嘩を盗み聞きしてしまうのです。リチャードが怒って家を出た後、モニークはロバートにナイフを振りかざしますが、ロバートはなんとか逃げます。その後、リチャードはロバートに、モニークのことを本当に愛していると伝えるのです。


モニークの精神科医はリチャードとモニークの父親に、モニークが危険な精神状態であることを伝えます。そして、モニークのトラウマの正体が、父親の証言から明らかになっていきます。モニークの母親は射殺されたのではなく、病弱で病院のベットに亡くなっていたのです。言い争っていたのは”父親”と”愛人の女性”・・・幼いモニークは「母親の死」と「父と愛人との諍い」を混同していたようなのであります。自宅に戻ってきたリチャードは必死にモニークへの愛を伝えますが、モニークは「嘘つき!」と一喝・・・ナイフでリチャードを刺し殺してしまうのです。

ジャック・スカンドラリ監督自身、ニューヨークに暮らすフランス人であることを考えると、モニークは彼を投影していると言えるのかもしれません。また当時のニューヨークをゲイとして経験したことも、大きく影響しているようにも思えます。ストレート女性の視点でも、ゲイ/バイセクシャル男性の視点でも、ストレート男性の視点でも、本作は後味の悪い物語であることは確かです。

「過去を着た女 真夜中のニューヨーク」の後、フランスでゲイポルノを1本、短編ドキュメンタリーを1本、短編(4分)を1本を監督して、その後ジャック・スカンドラリ監督は映画製作はしていません1996年、テレビシーズのドキュメンタリーの演出をした後、1999年に56歳という若さでジャック・スカンドラリ監督は亡くなります。どうのような晩年を送っていたのかは分かりません。

25歳のデビュー作で注目されながら・・・ハードコアポルノ映画の誕生や、ニューヨークではAIDS以前のフリーセックス”時代”に翻弄された(?)ジャック・スカンドラリ監督は、映画監督としての名声をそれほど得ることもなく、カルトな映画監督として後年になって語られることもなく、今では忘れ去られてしまっています。しかし、考えようによっては・・・映画監督としてではなく、1970年代という”革命の時代”を正直に生きたと言えるのかもしれません。

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ジャック・スカンドラリ(Jacques Scandelari)監督フィルモグラフィー

1966「モデル・インターナショナル(原題)/Models International」短編ドキュメンタリー
1969「淫蕩の沼 マルキ・ド・サドのアブノーマル・ハウス/La Philosophie dans le Boudoir」
1970Macédoine
1974「Hiver de Paris」短編ドキュメンタリー
1977「薔薇の懺悔/Homologues ou La soif du mâle」ゲイポルノマーヴィン・マーキンズ)
1978「Brigade Mondaine」
1978「ニューヨークシティ・インフェルノ/New York City Inferno」ゲイポルノマーヴィン・マーキンズ)
1978Un couple moderne」ゲイポルノ(マーヴィン・マーキンズ)
1978「過去を着た女 真夜中のニューヨーク/Monique and New York After Midnight
1979「I.N.R.I」短編ドキュメンタリー
1984「I Love Man」短編
1996Un siècle d'écrivains / Henri Troyat de l'Académie française 」テレビドキュメンタリーシリーズ

「淫蕩の沼 マルキ・ド・サドのアブノーマル・ハウス」
原題/La Philosophie dans le Boudoir a.k.a. Beyond Love and Evil
1969年/フランス、イタリア
監督 : ジャック・スカンドラリ
出演 : スシュカ、ルカ・デ・シャバネックス、フレッド・セント・ジェームス
1972年10月31日日本劇場公開、ビデオ発売

「薔薇の懺悔」
原題/Homologues ou La soif du mâle a.k.a. Man's Country
1977年/フランス
監督 : マーヴィン・マーキンズ(ジャック・スカンドラリ)
出演 : ジェラルド・ボノム、ジーノ、ジョニー、ルド、ジャン=ピエール
1986年10月25日日本劇場公開、ビデオ発売

「ニューヨークシティ・インフェルノ」
原題/New York City Inferno a.k.a From Paris to New York
1978年/フランス
監督 : マーヴィン・マーキンズ(ジャック・スカンドラリ)
脚本 : ジャック・スカンドラリ
出演 : アラン=ガイ・ジェラドン、ボブ・ベイカー、ジョン.ヒューストン、ビル・グローブ
日本未公開

「過去を着た女 真夜中のニューヨーク」
原題/Monique and New York After Midnight a.k.a. Flashing Lights 
1978年/フランス、アメリカ
監督 : ジャック・スカンドラリ
出演 : フローレンス・ジオゲッティ、ジョン・フェリス、バリー・ウロスキー
日本劇場未公開、ビデオ発売


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