2017/12/09

華奢でもなく羽根のようにも軽くない”ブランチ・デュボア”!・・・良くも悪くも”大竹しのぶ”は”大竹しのぶ”なの~「欲望という名の電車」@シアターコクーン・オンレパトリー2017 DISCOVER WORLD THEATRE VOL.3~


15歳のとき、ボクはリバイバル上映されていた「欲望という名の電車」を映画館で観て、主人公のブランチ・デュボアというキャラクターの虜になってしまいました。原作の戯曲を繰り返し読んで、ブランチになりきって(!)ひとり芝居をしていたほどです。

何故、15歳の少年がブランチと同化しまうのか、当時は全く自分でも分からなかったのですが・・・精神的に不安定な中年女性に共感してしまうゲイのビョーキの一種だったことに次第に気付いたのは、ずっと後のことだったのです。このことは、以前「おかしのみみ」というブログに書いた記事があるので、そちらも閲覧してみて下さい。

ボクは映画は繰り返して何度も観ていますが、舞台は1980年に日生劇場で杉村春子がブランチを演じた公演を一度観たっきりなのです。当時、74歳だった杉村春子の迫真の演技に引き込まれて、非常に衝撃を受けたことを覚えています。共演者のキャスティングも(今、思うと)かなり豪華で・・・スタンリー役に江守徹、ステラ役に大地喜和子 ミッチ役は北村和夫(スタンレー役を長年演じていた)だったのです。


その後、舞台を観る機会があったのが、ニューヨークに住んでいた1992年・・・ブランチ役ジェシカ・ラング、スタンレー役アレック・ボールドウィンで「欲望という名の電車」がブロードウェイで期間限定で公演された際、チケットを購入していたのですが・・・ちょうど公演日にグリーンカードの面接(日本で行なわれた)が組まれてしまい、泣く泣く諦めた経緯があるのです。ちなみに、この二人主演でテレビムービー版が1995年に制作されています。

友人から、シアターコクーン・オンレパトリー2017 DISCOVER WORLD THEATRE VOL.3「欲望という名の電車」の初日の招待券を頂くことになって、人生で二度目の「欲望という名の電車」の観劇となった次第です。招待券を頂いておいて・・・辛口の感想を書くのは大変気が引けるのですが、ここから書くことは「欲望という名の電車」に取り憑かれた頭のおかしなゲイの戯言だと思ってください。


今回の「欲望という名の電車」のキャスティングについては、正直、首を傾げてしまうところがあります。

ステラ役を演じる鈴木杏は年齢的にまだ若くて(と言っても30歳だけど)、ポーランド系の肉体労働者の男の性的魅力に堕ちてしまった元上流階級の女性を表現することが出来るのかなという感じです。

ミッチ役を演じる藤岡正明は、あまりにも若くてハンサムすぎで絶対アリエナイ・・・台詞にもあるように、ミッチは大柄ガッタリ体型の中年男という役柄で、そんなパッとしない男がブランチの王子さまとなるのがミソなのですから。

ボクが受け入れるのに苦しんだのが、ブランチを演じる大竹しのぶであります。映画でブランチを演じたヴィヴィアン・リーのイメージが強いということがありますが・・・大竹しのぶの身体的特徴が、どうしても華奢なブランチのイメージには繋がらないのです。

昔、ボクが持っていた大竹しのぶのイメージというのは・・・「事件」や「あゝ野麦峠」で数々の演技賞を総なめにした演技のすごく上手い若手女優、素顔は田舎臭い天然系というイメージで、当時の好感度は決して低くはありませんでした。しかし、その後、大竹しのぶは数々の男性遍歴と多くのスキャンダルにまみれて”魔性の女”と呼ばれるようになっていきます。そして、大御所の演技派女優として年齢を重ねていくうちに、すっかり”おばさん”になっていったのです。


2009年に、ブロードウェイミュージカル「グレイ・ガーデンズ」の日本人キャスト版を、ボクは観劇しているのですが・・・大竹しのぶは、ジャクリーン・オナシス・ケネディの従姉でボロボロの豪邸で母親とと二人で暮らしていた実在した女性を演じていました。狂気の中にも上流階級出身の品性を感じさせるべき役柄なのにも関わらず、大竹しのぶは庶民的で”下品”なだけ・・・母親役を演じていた草笛光子が、どんなに髪を振り乱しても凛とした品を失わないオーラを発していたのとは大違いでした。どれほど演技が上手くても、品性を演じることはできないものだと感じさせられたものです。

テレビのバラエティ番組では、相変わらず甘ったるい天然系のイメージで出ている大竹しのぶですが、テレビや映画で演じる役柄は”魔性の女”のタイプキャスティングばかりで、下品な中年女役ばかりをやっている印象しかありません。当然、与えられた役柄を演じているだけだと思いますが・・・ゲッソリするほど素晴らしく下衆く演じるので(ある意味、褒め言葉)最近は大竹しのぶが演じている姿を見かけるたび、胸くそが悪くなるようになってしまったのです。


2002年5月に、蜷川幸雄演出で大竹しのぶがブランチ役を演じた「欲望という名の電車」が公演されていたようなのですが、この公演は、ボクは完全にスルーでした。ステラ役には寺島しのぶ(!)、スタンレー役に堤真一、ミッチ役に六平直政というキャスティングで、非常にソソられるところがあります。また、あの蜷川幸雄が、どんな「欲望という名の電車」を演出していたのかも大変気になります。

ブランチ役というのは女優にとってチャレンジしてみたい役柄のひとつではあるようで・・・杉村春子没後には、浅丘ルリ子(舞台を日本に置き換えた)、篠井英介(世界で初めて女形で演じた)、水谷良重、岸田今日子、東恵美子、樋口可南子、高畑淳子と「なるほど」という名前が連なっています。そういう蒼々たるメンバーの中で、別な演出家によるプロダクションでブランチ役を二度も演じるのは、大竹しのぶだけかもしれません


さて、今回の「欲望という名の電車」は、演出がフィピップ・ブリーン(Phillip Breen)で、美術や音楽もイギリス人スタッフによるものとなっています。中心となるスタッフがイギリス人ということが関係しているのかは分かりませんが・・・海外戯曲ものを日本人キャストで演じるとき、大袈裟な手振り身振りの”ベタ”なジャスチャーを交えて”外人”になりきろうとする傾向って、日本演劇界にはあるように思うのですが、本公演では、わざとらしいジャスチャーはありません。マシンガンのように早口で飛び交う台詞をやり取りしている時も(山場となる感情が高ぶるような場面以外)イスに座ったままだったり、立ったままだったりと・・・まるで歌舞伎のお芝居のようなのです。


舞台上には、ステラとスタンレーのアパートメントの2部屋が、リアルな家具や調度品と共に再現されていますが、2階への階段はなく・・・2階へは舞台袖にはけるという演出になっていました。スタンレーの暴力やブランチへの仕打ちに我慢できずに、ステラが逃げる先が、物理的に今住んでいる場所より「上」の2階というところに意味をボクは感じていたので、本公演の装置は意外でした。

第1幕ではリアルに再現した部屋であるのが、ゴチャゴチャしていて芝居をこじんまりとさせてしまっているように感じたのですが・・・第2幕でブランチの幻覚や妄想が舞台奥に現れて、アパートメントの現実との比較が明確になることで、あえてリアルな部屋を再現していることが腑に落ちました。印象に残った音楽の使い方としては、場面が変わったり時間経過を表す暗転してる時のジャズ音楽で、ブランチの精神の崩壊していくにしたがって、旋律やリズムが乱れていくところが効果的だったように思います。


スタンレー役の北村一輝は、”濃い”という意味では役柄にハマっていたとは思うのですが・・・それだけのことで、スタンレーらしさをそつなくこなしていた印象。ミッチ役の藤岡正明のミスキャストは、最後まで違和感は拭えませんでした。興行的なことを配慮してのキャスティングだったのかな・・・とさえ思えてしまいました。鈴木杏からは、スタンレーの動物的なセックスに魅せられているセクシャリティを表現しきれず、ブランチとスタンレーの狭間で苦悩するさまも感じられず、ただただスタンレーのDVに耐えているようにしか思えませんでした。

エンディングの演出で気になったのは、ステラがブランチを見送り立ちすくむ”だけ”で終わってしまったところ。「もう二度と家には戻らない!」と、これまでのスタンレーの横暴に堪忍袋の緒が切れて2階へ駆け上がり、ステラの名を絶叫し続けるスタンレーの姿で終わるはずなのですが・・・今回は2階へ続く階段がない舞台装置なので、立ちすくむようにしかできなかったのでしょうか?

なんとも尻切れトンボな終わり方で、演出にも装置にも疑問を感じましたし、ステラがスタンレーを受け入れてしまっているようにしか解釈できなくて、原作とは真逆であるような印象さえ持ちました。


ブランチ役の大竹しのぶについては、やはり女優”大竹しのぶ”の底力を見せつけられた気がします。舞台女優としては当然のことのかもしれませんが・・・叫び狂う台詞も、ささやくような台詞も、マシンガンのように畳み掛けるような台詞も、しっかりと言葉のひとつひとつが意味を持って伝わってきて、本公演の他の役者たちとの役者としての技術な差を見せつけていました。

本作で最も有名なのは、精神病院の迎えにきた医者が紳士らしい振る舞いで差し出した腕に、淑女のように手をかけるブランチが言う台詞「どなたかは存じ上げませんが、わたくしは見知らぬ方のご親切を頼りにして参りましたの」だと思うのですが・・・本公演では、意外なほどサラッと流してしまっていたので、ちょっと腰砕けでした。もっともっと溜めて言って欲しかったボクにとっては重い重い台詞です。

舞台では、役柄の身体的特徴と演じる役者が一致しなくても良いという考え方もあるのかもしれませんが・・・ミッチがブランチを持ち上げて「羽根のように軽い」という台詞があるので、ブランチが今にも崩れてしまいそうなほど華奢であることは必須なのです。大竹しのぶが持ち上げられるシーンでは、思わずボクは心の中で苦笑いをしてしまいました。

大竹しのぶの台詞まわしからは、上流階級出身であるブランチから滲み出てくるはずの品性は感じることはできませんでした。演技の”クセ”が強くて・・・「後妻業の女」感が抜ききれないのです。大竹しのぶは、役柄が乗り移ったかのようになりきってしまうタイプの女優ではなくて・・・良くも悪くも”大竹しのぶ”は、何を演じても”演技のうまい大竹しのぶ”でしかないような気がします。「欲望という名の電車」さえも、女優”大竹しのぶ”を見せつける題材として、いままでの、どの大竹しのぶの出演作と変わらないのかもしれません。

シアターコクーン・オンレパトリー2017 DISCOVER WORLD THEATRE VOL.3
「欲望という名の電車」
作  : テネシー・ウィリアムズ
演出 : フィリップ・プリーン
出演 : 大竹しのぶ、北村一輝、鈴木杏、藤岡正明
2017年12月8日~12月28日、Bunkamura シアターコクーンにて公演


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2017/11/30

オールドミスの甘酸っぱい恋物語じゃないサイコな怪作で”ドMの女王さま”っぷりを発揮したジョーン・クロフォード・・・ナット・キング・コールが歌う名曲とは無関係な”おキャンプ映画”なのっ!~「枯葉/Autumn Leaves」~


ジョーン・クロフォードは1920年代半ばから1970年まで(何本かのゲスト出演を除いて)主演作品しかないという・・・まさにスター女優の中のスター女優であります。しかし、30代を過ぎると”年増”扱いされることが当たり前だった昔のハリウッド映画界で、それほどの長期に渡って主役を貼り続けるということは並大抵のことではありません。ジョーン・クロフォードが40代半ばを過ぎた1950年代になると、主演といっても格下の男優が相手役の「B級映画」ばかりが目立つようになり、その迷走っぷりは明らかになっていきます。


1952年に発表されて大ヒットしたナット・キング・コールの歌う「枯葉」を主題歌/テーマミュージックとした1956年制作の「枯葉」は、骨太な映画で知られるロバート・アルドリッチ監督が撮った女性映画のひとつです。全編に渡って「枯葉」が繰り返し繰り返し流されますが、本作は「枯葉」の歌詞とはまったく無関係であります。

本作が撮影された頃というのは、アルドリッチ監督のアメリカ国内での評価が、まだ高くなかった時代・・・一方、ジョーン・クロフォードはハリウッドの大御所として君臨しており、撮影直前になって降板をちらつかせて台詞の書き直しを要求するほどワガママ放題だったそうです。それを、アルドリッチ監督が頑として突っぱねたため、撮影は険悪なムードでスタートしたらしいのですが、あるときアルドリッチ監督がジョーン・クロフォードの演技に涙したことがきっかけで二人は和解・・・6年後”あの”「何がジェーンに起ったか?」で再びジョーン・クロフォードを起用することになります。


在宅でフリーランス(?)のタイピストをするミリー(ジョーン・クロフォード)は、ロサンジェルスに暮らす淋しいオールドミス・・・コンサートのペアチケットをもらっても、誘う相手が家主のおばあさん(ルース・ドネリー)だったします。若い頃、ミリーは父親の介護を優先してしまったことで、結婚を逃してきてしまったのです。


ひとりで行ったコンサートの帰りに偶然立ち寄ったカフェテリアで、年下の男バード(クリフ・ロバートソン)から強引に相席を求められます。最初は冷たくあしらうミリーでしたが、彼の強引さに負けてしまい、戸惑いながらもバートとは次第に打ち解ていくのです。年齢差を理由にミリーはバートの誘いを一度は断るのですが、それでもしつこいバートに根負けしてミリーは海辺のデートを承諾します。


バートの視線を意識するミリーは、水着姿になることを躊躇してしまいますが・・・そんな事はおかまいなしに一人で海へ走って行ってしまうバートは、まるで子供。案の定(!)ミリーは溺れかけて、そのドサクサに紛れてバートは熱烈なキスするのです。


波が打ち付ける浜辺で抱き合いキスする二人は、本作公開の3年前に公開された「地上より永遠に」(1953)の有名なシーンのまんま”パクリ”。あっさりとバートに身を委ねてしまったミリーでしたが・・・デートの最後には年齢差の理由に「もう二度と会わない」と一方的にバートを突き放しまいます。

それから一ヶ月・・・ミリーは再び孤独な毎日を送くりながらも、どこかでバートを忘れられません。そんな、ある日バートがサプライズで訪ねてくるのです。百貨店でマネージャーの仕事についたと語るバート・・・それをお祝いしようと友達のように二人はデートへ出かけます。そつない態度のミリーに煮え切らない思いを募らせたバートは、突然「愛している」と訴えて、プロポーズをするのです。

再び年齢差を理由に断るミリー・・・しかし、自分の心に素直になろうと、ミリーは土壇場でプロポーズを受け入れるのです。そうとなったら「すぐにでも!」ということになり、二人はメキシコまで車を飛ばして(当時はアメリカ国内で手続きをするようりも簡単だったため)結婚をします。


本作の前年に公開されたデヴィット・リーン監督、キャサリーン・ヘップバーン主演の「旅情」のような、オールドミスのヒロインの心が、揺れ動く甘酸っぱいメロドラマだと思っていると・・・二人が結婚するやいなや、本作は妙な方向に展開していくのです。

ここからネタバレを含みます。

結婚後、二人はミリーの住んでいる部屋で一緒に暮らし始めます。毎日仕事帰りにプレゼントを持って帰ってくるようなラブラブの新婚生活なのですが・・・それまでミリーに語っていた出身地や経歴とは違うことを、バートが語り始めます。問いただすと「別な男性と勘違いしている」と、とぼけるのですが・・・バートは本当にそう思っているような態度なのです。


そんなある日、ヴァージニア(ヴェラ・マイルズ)という若い女性が、バートの留守中に訪ねてきます。彼女曰く・・・最近バートとの離婚が成立したので、財産分与の手続きのためにバートにサインが必要だとのこと。この財産というのは、元々バートの母親のもっていた財産らしく、ヴァージニアが分与を受け取るためにはバートの同意が必要となるらしいのです。

離婚した理由は、ある日突然バートが姿をくらましたからと説明するヴァージニア・・・バートに結婚歴があることさえ知らなかった上に、幼い頃に亡くなっていると聞かされていた父親は存命しているし、行方不明になる前には万引きのトラブルも起こしていたと聞かされたミリーは、ことの真相を確かめるため、バケーションでロサンジェルス滞在しているバートの父(ローン・グリーン)を訪ねることにします。父親は息子であるバートを「嘘つきの出来損ない」と見放している様子・・・ミリーはバートを守るのは自分しかいないという思いを強くするのです。


百貨店に立ち寄ったミリーによって、バートはマネージャーではなくネクタイ販売員であることがバレてしまいます。さらに、毎日のプレゼントは給料のツケで買ってきたものだったり、売り場から盗んできたものだったようなのです。ヴァージニアのことを尋ねると「忘れていた」と言い訳をする始末・・・バートは何かしら衝撃的な体験してトラウマになっていることが分かってきます。しかし、過去から逃げているだけでは問題が解決することはないと、ミリーは嫌がるバートを説得して父親に会うことを承諾させるのです。


先にホテルに到着したミリーは、偶然バートの父親とヴァージニアがプールから出てくるところ目撃・・・実は、バートの父はヴァージニアとデキていたのです。部屋に戻る父親らと入れ違いに、バートがホテルに到着・・・エレベーターを乗り過ぎたミリーが父親の部屋の前に到着したときには、既にバートは父親とヴァージニアが一緒にいるところを目撃してしまった後で、呆然と廊下で立ち尽くしています。バートの抱えていたトラウマというのは、新婚6ヶ月の頃、バートが父親とヴァージニアがいちゃついているところに鉢合わせしてしまったことだったのです。


再びトラウマを経験して憔悴したバートを、父親とヴァージニアは容赦なく尋ねてきて、財産分与の書類へのサインを求めます。二人は、バートを精神的に追い詰めて、バートの母親の残した財産までもを奪おうと画策していたのです。「バートを精神病院にぶち込め!」という父親に対して、毅然とした態度で対峙するミリー・・・苦境に追い込まれても戦う”ドMの女王さま”っぷりを発揮したジョーン・クロフォードの真骨頂といえるシーンであります。


しかし、精神的に追い詰められていたバートは、ミリーが父親らとグルになって自分の財産を狙っていると勘違いしてしまうのです。そして、否定するミリーの頬を平手打ちした上に、タイピストにとっては大事な手に重いタイプライターを投げつけてしまいます。


バートは自分がミリーの手や顔を傷つけたことを忘れてしまうこともあるようで、以前のようにラブラブでご機嫌な時があったり、トラウマに退行して泣き叫び出す時があったりと、精神的に不安定になっていきます。バートには精神病院での治療が必要だという専門医からの強い薦めもあり、ミリーは苦渋の決断をするしかありません。たとえ、治療が成功したあかつきには、ミリーへの愛情をバートが失ったとしても・・・。


バートは病院の職員に連行されて精神病院へ入院・・・後悔や不安を感じながらもミリーはタイピストの仕事をこなしていて、かさむ入院費を負担して、孤独な毎日を再び過ごしています。バートは電気ショックや薬の投与による治療により、次第に回復していくのですが、ミリーには手紙一通さえ書くことはありません。それでもバートの退院が決まると、精神病院からはミリーの元へ身元引き受け人として連絡がくるのです。


すでにバートは自分のへの愛を失っているかもしれない・・・それどころか、精神病院に入院させた自分を恨んでいるかもしれない・・・それでもミリーは退院日にバートを尋ねることにします。バートの過去のトラウマと同様に、自分もバートの人生からは離れるべきだと伝えるミリーに対して、出会った頃のように優しい気遣いをみせるバート・・・ミリーはバートの愛を取り戻したことを確認して、二人は抱き合って熱いキスを交わすのです。

ハッピーエンドっていえばハッピーエンドではありますが・・・この先ミリーが幸せな結婚生活をバートと送っていけるのか不安を感じられるにはいられません。なんでもかんでも精神の病気のせいにしてしまう時代ならではの物語であります。

それにしても、出会いから年齢差で悩み、夫のトラウマに苦しめられ、肉体的にも精神的にも苦しめられ、入院費を負担するために必死に働かなければならなず・・・なんとも遠回りの幸せです。年上女が若い男と幸せになるためには、これほどの努力と犠牲が必要だともいうのでしょうか?

ミリーの立場でみると、なんとも悲惨な(?)ハッピーエンドの物語とも思える本作ですが・・・常に気丈に困難を乗り越えていくジョーン・クロフォードに、観客が同情を感じることはありません。あまりもの打たれ強さに、観客は「もっと苦しめ~!」とサディスティックな気持ちになってしまうのです。

ジョーン・クロフォードとクリフ・ロバートソンが過剰なほどの熱演している本作が”おキャンプ映画”として語られる”もうひとつの理由”は・・・当時50歳を前にしたジョーン・クロフォードが、30代前半のクリフ・ロバートソン相手に”年上の女性”を演じているにも関わらず、少しでも”若く”スクリーンに写りたいという執念を感じさせるからかもしれません。本作にはアリエナイ場所にアリエナイ影がたびたび出現するのです。


下あごの”たるみ”は光の加減次第では、非常に年齢を感じさせてします。そこで本作では、ジョーン・クロフォードのアゴから首の周辺に、何の影だか分からない謎の影が作られているのです。女優ライトで顔正面にはたっぷりと光が当てられていますので、顔上半分は浮き出るように白く写り、アゴの下はまっ黒く写り、下あごは見えなくなってしまうというわけであります。

このような不思議な影が出現するシーンは全編に渡っており、撮影現場での照明や美術のスタッフらの苦労が垣間みれるのと同時に・・・完璧に影をつくりだす立ち位置と絶妙な顔の角度を、完全に把握しながら演技するジョーン・クロフォードに、真の”女優魂”を感じさせられずにはいられないのです。

「枯葉」
原題/Autumn Leaves
1956年/アメリカ
監督 : ロバート・アルドリッチ
出演 : ジョーン・クロフォード、クリフ・ロバートソン、ヴェラ・マイルズ、ローン・グリーン、ルース・ドネリー
日本劇場未公開、WOWOWにて放映

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2017/10/22

フランスの新鋭女性監督ジュリア・ディクルノー(Julia Ducournau)による「ジンジャースナップス」的なカニバリズム映画・・・少女の”性の目覚め”と”呪わしい血族”の物語~「ロウ(原題)/Raw(英題)/Grave(仏題)」~


近年、女性の映画監督も増えてきて珍しい存在ではなくなってきたこともあり、わざわざ「女性」という”冠言葉”は不要になっている気がします。しかし、間違いなく「女性」を感じさせる映画作品もあるのです。

フランスの新鋭監督ジュリア・ディクルノー(Julia Ducournau)による長編第一作となる「 ロウ(原題)/Raw(英題)/Grave(仏題)」は、少女から女性への成長とカニバリズムへの目覚めを、並列に描いていくというホラー(青春?)映画・・・ひとつ違いの姉妹という設定から思い起こされるのが、2000年に制作されたカナダの狼女映画「ジンジャースナップス/Ginger Snaps」であります。


この「ジンジャースナップス」は、日本では劇場未公開ではあったものの、翌年(2001年)にDVDリリース・・・しかし、何故かレンタルショップに並ぶこともなく廃盤となってしまったため、現在は視聴困難。(こういう作品こそネット配信して欲しい!)ただ「ジンジャースナップス」はシリーズ化され、2004年には続編となる第2作目と外伝的な第3作目が製作されています。しかし、日本では第3作目の「ウルフマン/Ginger Snaps Back: The Begining」がDVDリリース後に「ウルフマン」の続編かのように第2作目の「ウルフマン・リターンズ/Giger Snaps 2: Unleashed」がDVDリリースされたものですから、少々ややこしいことになってしまっているのです。

16歳で初潮を迎えた(かなり遅め?)ジンジャーは、ひとつ違いの妹ブリジットと自殺死体を演じて写真を撮るのが趣味という仲良し姉妹・・・「大人の女性になること」は拒否しているところもあり、学校ではイジメの対象にされているゴスロリ系のオタクです。ある夜、謎の獣に襲われたジンジャーは、治療しなくても時間が経つと自然に傷が癒えたり、傷口から剛毛が生えてきたりと、明らかに初潮とは関係のない変化が現れるのですが・・・それと同時に、急に女性らしくなりオタク系からセクシー系に変貌していきます。監督は男性ではありますが、脚本を担当したのはカレン・ウォルトンという女性なのですが、生理で血まみれになったパンティや足元にボトボトと垂れる血の描写などは「女性ならでは」と感じてしまうのです。


ジンジャーを襲った獣の姿はハッキリとした姿も分からならないのですが(低予算映画だから?)、狼に似た獣だったようで狼男ならぬ”狼女”へ変化していく過程と少女が女性へと変化していく第二次性徴期と重ねて描かれていくわけであります。狼女に変貌していく姉のジンジャーに、それを抑制するワクチンを打って何とか助けようとする「姉妹愛」の物語ともとらえられるのですが・・・みどころはオタク少女だったジンジャーが、狼女へと変貌していくにつれて、それまで拒否していた大人の女性(それも魔性のヤリマン!)へとなっていく過程かもしれません。


ネタバレになりますが・・・最後には少女どころか女性の姿ではないバケモノにジンジャーがなってしまうところは、デヴィット・クローネンバーグ監督の「ザ・フライ」を彷彿させます。「ジンジャー・スナップス」の後日談である「ウルフマン・リターンズ」では、ブリジットが狼女への変貌していくのではないかと怯える姿が・・・そして、外伝的な「ウルフマン」では、この姉妹の逃れられない因縁が時代を遡って描かれます。大人の女性へと成長する過程(第二次性徴期)と、ある種のモンスター化が並列している描くという視点から、ジュリア・ディクルノー監督が「ジンジャースナップス」を意識していたのかは分かりませんが・・・「ロウ」には「ジンジャースナップス」以外にも過去の映画作品(主にホラー映画)へのオマージュがあるのです。


「ロウ」の主人公のジャスティン(ギャランス・マリリエ)は気弱な少女・・・厳格なベジタリアンとして育てられてきた彼女は、父(ローレン・リュカ)と母(ジョナ・プレシス)から少々過保護に育てられてきたようで、誤ってマッシュポテトの中にウインナーが入っていたことをレストランで強く抗議してくれるのも母親だったりします。両親が卒業した獣医大学には、既にひとつ年上の姉アレクサ(エラ・ランプ)が通っており、ジャスティンも実家を離れて大学の学生寮に入ることとなるのです。

学生寮での初めての夜、覆面姿の上級生がいきなり部屋にと突入してきて、部屋から追い出されてしまいます。ルームメイトに女子を希望していたにも関わらず、ジャスティンのルームメイトとなったのは、性的に奔放なゲイ男子のエイドリアン(ラバー・ナイ・オフェラ)・・・そんなことに戸惑っている間もなく、新入生歓迎の洗礼儀式が始まります。蛍光灯だけの暗い外廊下を、四つん這いで移動させられる様子は、ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「ソドムの市」のワンシーン(若者達が肛門チェックのために集められる場面)を彷彿とさせます。ただ、目的地に着いてみれば学生達が踊りまくる歓迎パーティーではあったのですが・・・。


新入生たちに上級生たちからの洗礼は続きます。真新しい白衣を着た新入生たちは、頭の上から動物の血を浴びせられるのです。コレは言うまでもなく、ブライアン・デ・パルマ監督の「キャリー」の有名なシーンを連想させます。先輩から後輩への”イジメ”がフランスにもあったんだと驚いてしまいましたが、アメリカの大学でも新入生への洗礼儀式があったりするので、世界的には珍しいことではないのかもしれません。そう考えると・・・無理に飲酒させるような飲み会などなくなった日本の大学というのは、随分と優しいと思えてしまいます。


血を浴びせられた後、新入生たちは列に並ばされてウサギの肝臓を”生”で食べることを強いられることになるのですが、ベジタリアンのジャスティンにとって動物の内蔵(それも生!)を食べるなんてアリエナイ事・・・しかし、同じく厳格なベジタリアンとして育てられたはずの姉のアレクサは平然と食べてしまいます。さらに「食べた方があなたにも良いんだから」と、ジャスティンの口に生肝臓を押し込んで食べさせてしまうのです。

奇妙なのが・・・血だらけのままシャワーさえ浴びずに、その後、新入生たちがランチしたり、授業でテストをしたりしているところ。主人公が学校に入学してみると妙なしきたりがあったりとか、不吉なムードを漂わせるところは、ダリオ・アルジェント監督の「サスペリア」を思い起こさせます。

生肝臓を食べた夜、ジョスティンにはアレルギー反応が現れるのですが、翌日には”かさぶた”になって、まさにジャスティンは”ひと皮”剥けてしまうわけです。気付くと”肉”を食べたい衝動にかられてしまうジャスティン・・・カフェテリアでハンバーグを万引きしてしまったり、ルームメイトと肉入りのサンドウィッチを食べに出かけたり、夜中に冷蔵庫に入っている生のチキンをこっそり食ったり・・・挙げ句の果てには、自分の髪の毛を食べた毛玉を吐き出したりします。この時期の少女の摂食障害とも重なるような描写です。

ここからネタバレを含みます。


ある晩、自分の変化に悩むジャスティンは姉アレクサの部屋と訪ねるのですが・・・そこで「ブラジリアンワックスやってないなんてありな~い」ということになり、早速ビキニラインのお手入れをすることになるのです。お股のクロースアップ(ムダ毛までありありと!)の脱毛シーンの生々しさは、やはり(?)女性監督ならではかもしれません。


ワックスが剥がれないので、ハサミで毛を切ろうとするアレクサを、ジャスティンが足で蹴ったところ・・・誤ってアレクサは中指を切り落としてしまいます。切り落とされた指先は、そっくり見つかったものの、救急員が到着するまでの間・・・何故かジャスティンは、その指を食べたい衝動にかられて、まるで手羽先を食べるかのように姉の指先の肉に食らいついてしまうのです。ジャスティンの中で、カニバリズムのスイッチが入った瞬間であります。


退院後、アレクサはジャスティンを人気のない並木道沿いへ連れて行きます。すると、アレクサは急に走行中の車の前に飛び出すのです。避けようとした車は路側の木に激突・・・運転手は血だらけでほぼ即死状態となってしまいます。そういえば・・・本作の冒頭のシーンは同じような場面だったのですが、ここでやっと”その意味”が分かるわけです。実はアレクサもカニバリズムの嗜好を持っていて、このように自動車事故を起こしては、死にたての運転手の肉を食べて欲求を満たしていたということ・・・それを、わざわざ実践してジャスティンに教えたのであります。


次第に、カニバリズムの欲求を自覚していくジャスティン・・・その矛先は、ルームメイトのエイドリアンに向けられます。垢抜けなかったジャスティンは、化粧も、着る服も、態度も、聞く音楽の趣味も、急にセクシーになっていき、性欲にも目覚めるという展開は「ジンジャースナップス」を思い起こさずにはいられません。

ジャスティンが就寝中、シーツの中で何者かに襲われる妄想に囚われる姿は、まるでウェス・クレイヴン監督の「エルム街の悪夢」のワンシーンのようですし・・・寮の一室で行なわれているパーティーでは、青や黄色のペンキをぶっかけ合って騒いでいるのですが、これはジャン=リュク・ゴダールの「気狂いピエロ」を思い起こさせます。このように「ロウ」には、様々な映画のオマージュとも思えるシーンがあるのです。


パーティーで知り合った男子学生の唇を思わず噛み切ってしまったジャスティンは、もうカニバリズム欲=性欲を抑えられません。部屋に戻ると、ゲイのルームメイトのエイドリアンにのしかかって、ヤリ始めるのですから・・・。性的興奮が高まってくるとカニバリズム欲も高まるようです。何とか自分の腕に噛み付いて我慢するものの、明らかにモンスター化しています。


肉体関係をもったことで、エイドリアンを男性としても、獲物としても(?)ロックオンしたジャスティン・・・しかし、ゲイのエイドリアンにとっては、一夜限りのハプニングでしかありません。まだまだ”女の子”の一面のあるジャスティンは傷つき荒れて、パーティーで泥酔してしまうのですが・・・そんな妹をアレクサは(死体を使って!)からかうのです。それを知ったジャスティンはアレクサに掴み掛かり、お互いを(まさに)噛みつき合う大喧嘩になってしまいます。

翌早朝、新入生を集合させるためのサイレンで目が覚めたジャスティン・・・ベットの横にはルームメイトのエイドリアンが寝ています。しかし、掛け布団をはがすとエイドリアンは息途絶えていて、太ももを噛みちぎられていているのです。もしかして、自分が襲ってしまったのではと、不安になるジャスティン。実は、就寝中にアレクサによって、エイドリアンは食べられていたのです。カニバリズム欲を満たして呆然としているアレクサ・・・そんな姉を責めきれないのは、二人が共有する哀しきカニバリズムの宿命をジャスティンが理解したからなのでしょうか?


当然のことながら、アレクサは逮捕されて勾留されます。実家へ戻ったジャスティンは、再び厳格なベジタリアンの生活に母親から強いられるのですが・・・そこで、カニバリズムは母親からの遺伝であることを、父親の”ある行動”で知らされることになるのです。「ジンジャースナップス」だと思っていたら・・・なんと”オチ”は「肉」(2013年のカニバリズム映画)だったのであります!


本作はホラー映画にジャンル分けされる作品ですし、多少ゴアっぽい描写もあります。しかし「ジンジャースナップス」がそうであったように、作品の印象は少女の心を丁寧に描写していくカミング・オブ・エイジの青春映画でもあるのです。そして「カニバリズムの目覚め」と「大人への成長」を同列で語ることにより、誰もが通り過ぎた危うい十代を思い出させるかもしれません。


「Raw ロウ(英題)」
原題/Grave
2017年/フランス、ベルギー
監督 : ジュリア・ディクルノー
出演 : ギャランス・マリリエ、エラ・ランプ、ラバー・ナイ・オフェラ、ローレン・リュカ、ジョナ・プレシス
2017年6月25日フランス映画祭2017にて上映
2018年、日本劇場公開予定


「ジンジャースナップス」
原題/Ginger Snaps
2000年/カナダ
監督 : ジョン・フォーセット
脚本 : カレン・ウォルトン
出演 : エミリー・パーキンズ、キャサリン・イザベル、クリス・レムシュ、ミミ・ロジャース、ジェシー・モス
日本劇場未公開/2001年7月25日、日本版DVDリリース


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