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2018/03/06

日本の最先端技術と伝統的職人技でつくられるオートクチュールな「新しくて古い未来の服」~「HARMONIZE」YUIMA NAKAZATO EXHIBITION @ 21_21 Design Gallery 3~


先日、21_21 Designで入場無料の「HARMONIZE」という展覧会/展示会が行なわれていて、久々に(!)「ファッションの未来」ということを考える機会がありました。「Fashion/ファッション」という英語の言葉には様々な意味があるけれど・・・そのなかの「流行」が「服」そのものを表しているというのは、”はやり””すたり”が「服」のスタイルを中心に移り変わってきた時代だった20世紀には、正しい語彙であったように思えます。

女性のライフスタイルや意識までをも変革した1920年代、造形的なデザインが昇華した1950年代、ストリートからカジュアルや若者のニーズから既製服が生まれた1970年代・・・その後、シルエットからスタイリングによる流行(エスニックとか、メンズライクとか、グランジとか)へと移行していくと、デザイナーによって提案されるスタイルが「流行』となっていくのです。

スタイルが焼き直されて再生を繰り返すようになると、次第にマンネリ感を招いてしまったような気がします。毎シーズンのスタイルは、単なる”情報”として人々の意識のイメージとして消化されていくようになったようです。また、トップデザイナーによって生産される服は、実際の「流行」とも乖離してしまがちで、個々のデザイナーが確立した「スタイル」の継続であったり、手の込んだ職人技術(クラフトマンシップ)を駆使した「オブジェ」だったり、もしくは・・・美術館に展示される「アート」として”みる”ものとなっていきつつあります。


「未来のファッションとは?」「21世紀の服は?」という”問いかけ”は、20世紀のファッション業界が模索していたことだったのかもしれません。”未来”を夢見ていた1960年代後半、”アンドレ・クレージュ””ピエール・カルダン””パコ・ラバンヌ”らによって発表された未来志向の服”は、当時の「流行」とはなりましたが・・・21世紀に生きている我々からすると「懐かしい未来の服」という”古い”スタイルでしかないのです。


ボクがファッションデザインに興味を持ち始めた1982年にアメリカで出版された「FASHION 2001」を、改めて今読み直してみると・・・「未来の服」というのは、その未来を語っている時代のスタイルでしかないことが、よく分かります。ただ、多くのデザイナー達が「個性(individuality)の追求」「テクノロジーの発達による素材と生産効率化」を語っていたり、未来では「オートクチュール」と「ユニフォーム」に二極化するというのは、ある意味、21世紀のファッションを言い当てているとも思えてしまうのです。

デザイナーがファッションショーで発表する「服」が「流行」でもあり「着る服」でもあったのは1980年代までだったかもしれません。今振り返って考えると・・・1988年のクリスチャン・ラクロアの出現が、ファッションデザイナーが打ち出す「流行」がファッションの流れをつくる仕組みの「終わりの始まり」だったような気もします。(日本のファッション界では違ったかもしれませんが、欧米では少なくともそうでありました)1990年代に入り「セカンドライン」というビジネスモデルが登場したことにより、その後の「ファストファッション」への”低価格化”という避けられない流れも明確になってきたのです。

「ファッション」がステイタスとなるのは、経済的な成長を認識する過程なのかもしれません。かつてのバブル経済時代に日本人がそうであったように、今では中国、東南アジア、ロシアなど、近年経済的に成長した国の人々が、高額ブランドの購入者となっています。経済成長のピークを過ぎた欧米や日本では・・・見てすぐ分かるブランドだったり、全身ブランド品で身を包んだりすることは、逆に”おしゃれ”とは思われなくなっていくという現象は「ファッションの終焉」かもしれません。

機能を追求した「ユーテリティウェア」や日常的に着れる「リアルクローズ」が支持される現在・・・「デザイナーネーム」と「不変的なデザイン」が結びついた「コラボレーション」という新たなステータスは、ファッションを求める消費者さえ凡庸なデザインに満足しているということなのかもしれません。「21世紀の服」は、着ることで得られる機能(軽い、暖か、涼しい、着ていて楽とか)をもっているとか、生産体制や販売流通の効率化で高品質な服が低価格で手に入れられるようになったとか・・・それほど面白くもない着地点に落ち着きそうであります。


そんな時勢のなかで「未来の服とは?」に答えを投げかけるという意味で「HARMONIZE」という展覧会(展示会?)は刺激的でもあり・・・同時に20世紀的な”古さ”もあったのです。


デザイナーの中里唯馬(なかざとゆいま)氏は、芸術家である両親の間に1985年に生まれて、2008年日本人としては最年少でアントワープ王立アカデミーに入学/卒業。アントワープ王立アカデミーでは英語で授業が行われているらしいのですが・・・殆ど英語が話せないにも関わらず、18歳の時(2003年?)に入学試験に臨んだそうです。実際に入学できてからは、ICレコーダーを駆使して授業についていったそうで、大変な努力家であります。在学中に、欧州で開催されるITS(インターナショナル・タレント・サポート)で2年連続受賞という快挙を果し、卒業の翌年2009年には「YUIMA NAKAZATO 」を設立するのです。

活動が衣装デザインであったのは、アート志向の彫刻的なファッションを目指していたらしいので、当然だったのかもしれません。ファーギー(ツアー/2010年)、ブラック・アイド・ピーズ(ビデオ/2011年)、レディ・ガガ(テレビ出演/2013年)、三台目 J Soul Brothers(ビデオ、ツアー/2012年)、EXILE(ビデオ、ツアー/2013年)、宮本亜門演出の舞台、小栗旬主演の「ルパン三世」などで衣装デザインを担当しているのです。

ブランドコレクションとしては、2009年からアクセサリーのコレクションや、ユニセックス(?)のコレクション(男性モデルによるランウェイ)を継続的に発表・・・衣装デザインの延長線上という印象は否めませんが、独自の世界観を表現しようとしているのは、YOU TUBEにアップされている動画から強く感じられます。


2016年夏には「nippoppin」と「天野喜孝」とのコラボレーションによるバッグや、ホログラム素材のオリジナルバッグ(一部受注生産)を、伊勢丹新宿店/TOKYO解放区で販売しています。


大きな転機となったのは、2015年暮れにアントワープ時代の知人(オートクチュールに参加しているブランドのマネージャーをしていた)に、パリのオートクチュールに参加するには「どうしたら良いのか?」と問い合わせたこと・・・2016年3月にはオートクチュール事務局長との面接まで辿り着きます。以前よりオートクチュール協会のコレクションウィークに参加する敷居は低くなったは言っても、非常に重い扉であることには違いありません。アントワープ時代に繋がりをもった欧州ファッション界の大物らの推薦状が決め手となり、中里唯馬氏は森英恵以来二人目の日本人オートクチュールデザイナーとなったのです。

中里唯馬氏は、日本の最先端技術と伝統工芸の融合を提案して、2016年からオートクチュールコレクションを発表しています。価格的にはドレス1着が200万円(アクセサリーや靴などを含めると1000万円以上)からということなので、オートクチュールとしては一般的かもしれません。EXILEの衣装デザインのために開発したホログラムをスーパーオーガンザという世界一軽い糸を織り合わせた素材、江戸切子職人によるガラスに会津若松の漆とホログラムの粉を混ぜたものをコーティングした木製の玉をあしらったアクセサリー、ホログラム釉薬を使った有田焼の装飾パーツ、最新3Dプリンターによって制作される靴など・・・まさに過去(伝統)と未来(技術)を融合しているのです。

デビューコレクションの2016~17年秋冬「UNKNOWN」で発表されたのは、PVC素材をプロッターマシーンで細かなカット入れて、細かく折り畳むことで立体的なフォルムを構築するという作品・・・氷、空、海、オーロラなどの自然界の色彩をホログラムにしているので、角度によって色や輝きが変化して、まさに「未来的」であります。着る”オブジェ”としての完成度は高い「作品」で、シルエット的にはフセイン・チャラヤン、または、ジュンヤ・ワタナベ・コム・デ・ギャルソンのコレクションで発表される服に近いかもしれません。また、折り込むことでフォルムを構築するという手法は、三宅一生の「プリーツ・プリーズ」も思い起こさせます。

2016-2017/AF 「UNKNOWN」

2017年春夏コレクション「INGNIS AER AQUA TERRA」では、ミリ単位で正確にカットされたユニットに凹凸をつけて、ひとうひとつはめ込むという大変手間のかかる服を発表します。縫製のないユニットによる服の製法が「YUIMA NAKAZATO 」のシグニチャーとなっていくのです。

2017/SS 「INGNIS AER AQUA TERRA」

続く2017~18年秋冬コレクション「FREEDOM」では、各ユニットのサイズを微調整することで、顧客ひとりひとりの体のサイズにフィットさせるというオートクチュールらしいコレクションを発表します。各ユニットはDNAのようにナンバリングされて管理することも可能ということ。また、PVC素材だけでなく・・・コットン、ウール、ナイロン、レザーも、パーツ素材として使用できる技術も開発したことで、ジーンズやライダースジャケットなどにも応用できるようにしたのです。


2017-2018/AF 「FREEDOM」

2018年春夏コレクション「HARMONIZE」では、それぞれのユニットを自由にリサイクルできる循環システムをもつ「未来の服」を発表。服の一部が破けても同じサイズのユニット(別な素材でもOK)を用意すれば修理できるというのは、物資が限られる宇宙開発の現場で活躍するそうです。


2018/SS 「HARMONIZE」

「ユニットのサイズを微調整して体にフィットさせる」「ユニットをリサイクルさせて循環する」などのコンセプトは・・・ハッキリ言って”ギミック”と言ってしまえば”ギミック”でしかありません。細かいユニットによって構築される服というのは、平面の布地を型紙どおりに裁って縫い合わせるという古典的(?)な服とは、まったく別な構造を持っています。画期的な製法であるが故に、生産過程に於いても、着る人にとっても、その技術で作られていることが理にかなっていないと、単に”ギミック”で終わってしまう恐れがあるのです。そういう観点では、三宅一生の「プリーツ・プリーズ」は全てに於いて理にかなっていたと思えます。

ユニットによる服の製法をギミックとして終わらせない方向性が見えるのが、今回の展覧会/展示会で発表されていた「TYPE-1」かもしれません。ホースライドレザーとウルトラスエード(Ultrasuede PX)を素材にしたライダースジャケットを生産するシステムで・・・3Dスキャナーによって顧客の寸法を正確に入手、コンピュタープログラムよって自動的に各ユニットの形やサイズを計算するオートパターンメイキング、デジタルファブリックカッターにより自動裁断、各パーツを繋げる部品も3Dプリンターによって自動的に作成するというのです。この生産システムを「TYPE-1」として実店舗に設置することで、顧客ひとりひとりにオートクチュールのような”一点もの”として提供できるというのです。縫製不要の服には、縫製工場さえいらないということであります!


残念ながら・・・膨大な数のユニットをプラスティックの部品で繋げていくという行程は、現在のところ手作業で行なうしかないようで、この作業までも機械化されないと、商業化するのは難しいとは思います。ただ、ライダースジャケットとか、デニムジーンズとか、20世紀から慣れ親しんできた不変的なデザインを、新しい技術やテクノロジーで”一点もの”として生産するというのは、何十年か先に振り返ってみたときには、今の時代に共感される「未来の服」でしかないわけで・・・巡り巡って”新しくて古い”のかもしれません。

「HARMONIZE」YUIMA NAKAZATO EXHIBITION 
21_21 Design Gallery 3 
2018年2月21日~2月25日開催

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2012/08/04

ファッションの未来性を示した”コム・デ・ギャルソン”と”ヨージ・ヤマモト”を超えるデザイナーの不在・・・・30年を振り返るにはあまりにも貧しく偏った展示~「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」東京都現代美術館~



2010年〜2011年にロンドンとミュンヘンで開催された「FUTURE BEAUTY 30 Years of Japanese Fashion」展に、新たな作品(2000年以降に設立された15ブランド)を加えてヴァージョンアップした「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」が、東京都現代美術館で開催されています。歴史を振り返る展覧会で、ボク自身がリアルタイムで目撃してきた内容の展覧会というのは初めて・・・それだけボクが年取った証拠ではあるわけですが、リアルタイムで体験しているからこそ、どの部分をピックアップして編集されているのか、どうしても厳しい目で見てしまうものです。

思い起こせば・・・ボクがファッションに目覚めたのは18歳の頃。1981年に渡米する直前のことでした。高校在学時代は、ファッションに全く関心がなく、母親が買ってきた服を文句も言わずに素直に着ていたのです。一ヶ月ほど先の渡米を控えて、初めて自分で服を購入しました。アルバイトで溜めた10万円を握りしめて、ボクは今はなき”パルコPart3”へ向かったのでした。どういう情報を元に、ボクがパルコへ向かったのか全く記憶がないんですが・・・当時のパルコPart3の地下はメンズフロアで、コム・デ・ギャルソン、ヨージ・ヤマモト、DOMON(トキオ・クマガイ)、そしてYMOの高橋ヒロユキのデザインするラインなど、東京の尖ったブランドが揃っていたのです。各ブランドを売り場をじっくりと物色して、最終的にボクが購入したのは、DOMONのドレープした襟が特徴の茶色のスウェット素材のトップスと、極端に幅の広いデニムジーンズ・・・その頃、流行し始めていたテクノっぽいカジュアルウェアで、渡米用に一張羅のスーツを買ってくると思っていた母には不評でした。



本展覧会は「陰翳礼賛」「平面性」「伝統と革新」「日常に潜む前衛」の4つのセクションに分かれています。「陰翳礼賛」ではコム・デ・ギャルソンとヨージ・ヤマモトの1893年以降(パリ・コレクション参加以降)の発表当時は”乞食ルック”と呼ばれた無彩色の作品からジュンヤ・ワタナベまでが並べられています。ループ状の太いニットが絡み合っているセーター、切りっぱなしで切り抜かれた大きな穴がレースのような効果をもたらしているルーズなドレス、切りっぱなしの生地テープをデコラティブに縫いつけたトップスなど・・・発表当時はアメリカ在住だったボクは、雑誌でしか見たことなかった歴史的な作品らも初めて目にすることができました。

「平面性」「伝統と革新」は・・・(展覧会のカタログを見るかぎり)日本独自の編集をしているらしく、海外では別セクションで展示されていたらしい三宅一生、コム・デ.ギャルソン(ジュンヤ・ワタナベやタオ・クリハラを含む)、ヨージ・ヤマモトの代表的な作品と、ネクスト・ジェネレーションとして海外では展示されていたアンダーカバー、ソマルタ、ミントデザインズ、ミナペルホネンなどを加えた展示でありまして・・・正直,「平面性」と「伝統と革新」という大きなテーマを伝えるのには不十分な展示数と作品の選択でありました。

海外では「COOL JAPAN」というセクションとして、”かわいい”にこだわるストリート・ファッションやアニメやマンガへ通じるコスプレの世界を紹介していたようなのですが・・・日本では「日常に潜む前衛」として2000年以降に設立された若手ブランド15組の作品を展示しているのですが・・・これが酷い。いわゆる、アーティスティック一辺倒のアプローチではなく、実際に着れる(売れる)日常の服へと落とし込んだなかに、日本らしい前衛性があるとでも言いたいのでしょうが・・・過去の日本ファッションからの遺産ともいえる斬新なディテールをディフージョンラインのように焼き直したような服や、イギリスなどの伝統的な服の持っていた”テイスト感”をマクロなディテールで再現しているだけのユーティリテーウェア(作業服)や、ヒップホップやストリートファッションからインスピレーションを受けた流行を後追いしてデザイナーウェアという無意味な付加価値を加えただけのカジュアルウェアなど、現在の日本ファンションが抱える根本的な問題を明らかにしていました。

1980年代初頭に、コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトが起こした革命とは、単に立体裁断によって構築されていた西洋のファッションのルールを破ったことや、黒を中心とした無彩色の好んで使ったことや、切りっぱなしや非対称の(西洋的な概念では未完成とも思える)服であったこと”だけ”ではなく・・・女性の社会進出によって大きく変化し始めた女性のイメージを表現したことだったと思います。女性のセクシャリティーをアピールしたファッションではなく・・・といって当時パリで発表されていアメリカンフットボール選手のような巨大なショルダーパッドで”強さ”ばかりを強調した女性像とも違います。無愛想な表情をしたモデル達が淡々とランウェイを歩く様子は、男性(もしくは女性らしさ)に媚びた愛嬌さえ感じられません。「セクシー」も「かわいい」も目指していない・・・モノ・セクシャル的な女性の存在価値観こそが、日本ファッションが西洋の文化に於いて「未来」を感じさせる理由であるのではないかとボクは思うのです。二次元のアニメやマンガの世界を再現するコスプレは、ある意味、1980年代に起こった女性像からは逆行しているようなもの・・・ゴスロリやメイド服など、既成概念に女性を押し込めているのですから。ただ、それを女性自らが求めるようになったということは、日本人の女性が無意識に歴史を逆行しているということなのかもしれません。それもまた「時代」であるのですが。

会場を闊歩するコム・デ・ギャルソン(ヴィンテージ?)を着こなした”コムデおばさん”を数名をお見かけしました・・・そして、コム・デ・ギャルソン、または、コムデ風のファッションは、近い将来”シニア服”になるんだろうなぁ~と思えたのでした。革新的であったファッションも時が経つと”過去の衣服”になってしまうという「流行」の残酷さ・・・だからこそ、ある時代を映した”作品”として残していく意味があるのかもしれません。しかし、今の日本ファッションとして展示されていた洋服が、30年後に”作品”として、美術館で展示されるほどの存在意味を持つとは、到底思えません。何故なら・・・若手デザイナーの趣味嗜好やリスペクトする世界観を表現したに過ぎない服は、衣服文化として数十年後に昇華することもなく、メディアに消費されていくだけだから。今は、まるで第2時世界大戦後、パリの流行に世界中の女性が振り回されたように、ファッションは情報としてインターネット経由で拡散・・・ステレオタイプのイメージ(***ルックなど)の使い古された”知能指数の低い”トレンドが蔓延する時代になってしまいました。

コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトの後にコム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトを超える存在なし。日本ファッションの”未来性”は永遠に二人に委ねられたまま・・・21世紀に女性の意識が歴史を逆行していくとは、誰が想像できたでしょう。

「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」
東京都現代美術館
2012年10月8日まで


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2012/02/09

なんだかんだで、やっぱりエログロ趣味の美人日本画家から、目が離せない!・・・自傷系アーティストのしたたかな戦略と矛盾、そして未来~「松井冬子展ー世界中の子と友達になれるー」横浜美術館~



横浜美術館で開催されている「松井冬子展ー世界中の子と友達になれるー」に行ってきました。この「めのおかしブログ」で取り上げる映画の嗜好から、ボクが”松井冬子”が好きなことを推測するのは容易いことだと思います。勿論、彼女の作品そのものが好きということもありますが、梅図かずおのマンガ、もしくは、横溝正史の小説から抜けたしたような濃い(化粧だけでなく存在そのものが!)キャラの方に強く惹かれてしまうのであります。

松井冬子という画家について語る際に、その”美貌”を無視することは出来ません。モデル並みのスレンダーな長身、キリっとした美しい顔だち・・・妙な眼力の強さは、鳥居みゆきに通じる”イチャッテル”系の美人に共通のものを感じさせます。基本的にボクが見たことのある松井冬子は、何らかのメディアに出ているときだから、見られることを意識していて当たり前ではあるのですが・・・常に(それは工房で絵を描いている時さえ!)バッチリと濃い化粧をしているという”気合い”の入り様は「ナルシシズム」を強く感じさせます。ナチュラルさや自然体とは逆で、自分の美しさを最大限の効力を発揮する手管を知り尽くしているようで・・・いい意味で”素人”の匂いを感じられないのです。

女性の髪の長さというのは、その女性がどれだけ「女」を意識しているかを示すところもあると思うのですが・・・松井冬子は長い髪をも戦略的に使い分けているようです。着物のときには、様々なスタイルのアップされているのですが、どの着物姿の写真を見ても彼女の佇まいは、まるで「銀座のママ」・・・記者会見や公の場、または、お偉い先生(美大教授などの男性に限り!)との対談の「これぞ!」という機会には、必ず着物姿というのも、彼女のセルフ・プロデュース戦略なのでしょうか?批評家、画廊、アートコレクター、美大教授などの美術界を動かす”オジ様”が”イチコロ”になるのも納得なのであります。

洋装のときには、名古屋巻だったり、日本人女性らしいロングだったり・・・叶姉妹の美香さんを思わせるような”ゴージャス系”。ファッションモデルとしてイブニングドレスを着たときには、いかにも「お金がかかりそうな女」風なのにも関わらず・・・女性向けの取材や女性問題を扱う大学教授との対談のときには、ポニーテールで比較的お化粧も薄めで、(彼女としては)清楚なイメージにするという”あざとさ”を覗かせているのも素敵です!

「美貌を武器にする、したたかな美人画家」というだけでも、ボクには十分に面白い存在ではあるのですが・・・松井冬子の描く痛みを感じさせるグロテスクな日本画は、彼女の美貌と相まって作品以上の妖気を感じさせてしまうのです。日本画技法を独自で研究/再現して現代アートとして日本画の可能性を切り開いた・・・のかもしれないど、題材としている世界観はサブカル系の不思議ちゃんの好みそうな「エログロ趣味」で、お世辞にも”上品”とは言えない「イロもの」であることは否定できません。容姿に恵まれない女性(失礼!)が、こんな作品ばかりを描いていたら、ただただ恐ろしいだけ・・・女性からの共感も、美術関係の男性の注目も、これほど集めることはなかったでしょう。

松井冬子は、女子美術短期大学を卒業後、四浪までして東京芸術大学に入学しています。当初は油絵専攻だったようですが、後に日本画専攻に変更します。確かに彼女の描く人物が、日本画というより石膏デッサンのような印象も与えるのは、ベースとなっている油絵専攻での基礎があるからでしょうか・・・。ただ、彼女が油絵専攻のままであったら、耽美派の画家やイラストレーターのひとりとして埋もれてしまっていたかもしれません。彼女はインタビューなどで「エッジが効いている」という表現をよく使うのですが、そのような「感性」に依存したクリエーションというのは、自分の「趣味嗜好」の再現ということが多かったりします。「絹本」「薄描き」「裏彩色」などの日本画の伝統的な技法によって、単に「感性」に頼っているのではなく・・・絵の存在そのものにアカデミックな物語性を生み、創造過程に深みを感じさせることにもなっているのです。

美貌は世間の注目を集めますが、同時に、その美貌ゆえ、厳しい目で見られることもあります。それを打ちのめすように、松井冬子は女性としては初めて東京芸術大学の日本画専攻の博士号を取得します。アカデミックな学位を持つことは、誰でも納得する「箔付け」となり・・・「美人だから」という批判の枕言葉を封じることが出来るのですから「あっぱれ」であります。そのような「箔付け」の上塗りというのは、基本的に美人なのに、さらに常にきっちりと化粧する彼女のスタンスと似ているような気がしてしまうのです。それは、彼女の周到な「痛み」の表現にも通じるところがあります。「これでもか〜!」と、くどいほど上塗りして過剰に表現してしまうのは・・・強い性(さが)を感じてしまいます。

虫一匹から髪一本まで、細かに描き込まれた執念の「超絶技巧」は、松井冬子の人としての”几帳面さ”と”真面目さ”を表しているように思います。下絵を何度も描いて絹本に写すというのは、筆入れが一発勝負の日本画としては一般的な行程ではあるのですが・・・構図や対象物の大きさや比率を、まるでコンピューターグラフィックスの過程のように、何度も何度も試行錯誤して作り込んでいく彼女の忍耐力と几帳面さには、ただ敬服するしかありません。「感性」に頼らない真摯さは、まさに「匠の世界」の人であります。また、内蔵などのリアリティを追求するあまり、鼠や子牛を実際に解剖してスケッチをするという生真面目さもエグ過ぎてゾッとするほどです。

暴力によって鼓膜を傷つけられた経験を持つと公言している松井冬子・・・どれほど画家自身が哲学的に解説しようとも、仏教的な思わせぶりなタイトルを付けようとも、”意図的”に痛みを感じさせようとしている作品というのは、結局のところ”エログロ好き”という汚名(?)からは逃れられないのかもしれません。彼女が日本画専攻に転向したきっかけとなったという”河鍋暁斎”にしても、無惨絵の”月岡芳年””甲斐庄楠音”なども、その根底にあるのは”まがまがしい悪趣味”なのですから・・・。海外であれば、写真家のJ・W・ウィトキンの生理的限界を超える妖しさ、マーク・ライデンの”肉”への執着など、いわゆるサブカル好みの嗜好である気がします。上野千鶴子氏曰く・・・女性のジェンダー化した痛みを表現している「自傷系アート」という分類をするならば、フリーダ・カーロに通じるのかもしれません。

松井冬子の画家としてのキャリアに幸運だったのは・・・ゲイイラストレーターやエログロ写真を扱っていた金持ちのボンボン(16歳からアートコレクター)の道楽(?)のような「成山画廊」によって見出されたということかもしれません。2005年3月から4月に開催された初めての個展の前後から、あらゆる媒体へ「美人日本画家」として強烈にプッシュして、大々的に売り出してくれたのですから・・・。また、成山画廊にとっても”松井冬子”を抱える画廊として美術界のステイタスを得たわけで・・・まさに、お互いに”WIN WIN”の理想的な画家と画廊の関係とも言えるのであります。


2009年5月(25日?)に、松井冬子は東京大学の科学者(特任助教)の男性と結婚されました。結婚式の二次会のお土産が東大と芸大の大学饅頭だったそうで、一部のゲストには”ドン引き”されたという噂もあったりなかったり・・・「肩書き好き」という「素」が、露呈してしまったようです。

男性不信とも受け取れる自傷的なイメージを崇拝していた女性ファンにとっては「あなたもフツーの女だったね」と、裏切りに感じられたかもしれません。もしくは「さすが冬子さま~、東大の科学者先生と結婚なんて”らしい”わぁ~!」なのでしょうか?いずれにしても、自分の痛みを作品のテーマにしてきた松井冬子にとって、俗にいう「女性としての幸せ」が、今後どのように作品に影響していくかは、とても気になるところです。

横浜美術館での展覧会には、結婚後に描かれた作品も数点展示されていました。以前よりも、画面は全体的に明るく、ポジティブな印象を感じさせました。展覧会の出口近く、最後に展示されていたのは、トンボが孵化する瞬間を捉えた「生まれる」というタイトルの小さな絵・・・お子さまが誕生したというニュースは聞きませんが、明らかに彼女は次の人生のステージへ移行しているのかもしれません。ひとりの女性としてみた場合、あれほど痛みを訴えていたのに、随分と心が浄化されたんだと・・・涙が出そうであります。

しかし・・・”松井冬子”という「キャラ」のファンとしては、これからの彼女の人生にトンデモナイ波乱が起きることを願ってしまうヨコシマな自分もいるのです。

東大教授夫人としての幸せな結婚生活を送りながら、たわいもない花や昆虫を描くだけの松井冬子は、あまりにも面白くありません。「事実は小説より奇なり」を地で行くような、おどろおどろしい奇行を、ボクは心の隅で期待してしまうのです。例えば、何らかの理由で彼女がその美貌を失うようなことが起こったら・・・「美への執着」を感じさせる女の情念の世界へ入り込み、さらなる「痛み」と「怨念」を昇華していく「化け物」のような存在になってくれるのではないか・・・?

そんな不謹慎な妄想さえも膨らまされずにいられない”松井冬子”から・・・なんだかんだで、やっぱりボクは目が離せないのです。

横浜美術館
2012年3月18日まで



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2011/12/06

”ファッション”が”アート”となったファッションの幸福な時代・・・”アート”としての”ファッション”さえ否定するパラドックスの時代~「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialouge」「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」~



ファッションというのは、いつの時代も正直に世相を表しているけれど・・・時代によって、ファッションのあり方やデザイナーの役割というのは、変わっていくように思えます。

1960年代までは、ファッションというのはパリで発表されるオートクチュールコレクションを頂点としたピラミッドで、上から下へ流行が伝わっていくのが常でした。1970年代に入り、オートクチュールからプレタ.ポルテ(既製服)が主流となっても、デザイナーが年2回のパリコレで発信する流行を、消費者が受け入れるという「デザイナー至上主義」的な仕組みは変わりませんでした。

日本では第二次世界大戦後、服というのは、型紙から自分で縫ったり、洋裁店で仕立てるのが当たり前でした。ファッション(洋裁)を学ぶということは「ファッションデザイナー」になるというのではなく、あくまでも洋服を普及させる担い手になるということだったのです。1970年以降の既製服時代の到来によって、日本にもマンションメーカー/ファッションデザイナーが誕生し、多くの若者がアパレル業界で起業しました。2000年頃に「IT業界の起業」が盛んだったのと、ちょっと似ているのかもしれません。

1980年頃から世界的に豊かな社会になってきます。「消費者の経済力」という支えによってファッション業界が急激に拡大していくとの同時に、企業のスポンサーシップによりデザイナーはクリエーションの自由も与えられるようになるのです。日本では、DC(デザイナー/キャラクター)ブランドブームで数多くの日本人デザイナーブランドが立ち上がりました。当時はまだパリコレでショーをすることが世界で認められるステップと考えられていて、三宅一生(1973年より参加)に続き、コム・デ.ギャルソンやヨージ・ヤマモト(1981年より参加)も加わり、最盛期は20人近い日本人デザイナーがパリコレに参加していたと記憶しています。

三宅一生は「東洋と西洋の融合」や「一枚の布」などのコンセプトを掲げて、”日本の伝統”、”自然からのインスピレーション”をモダンに発信するという・・・ファッションデザインの域を超えた活躍を1970年代からしていました。1980年代のバブル時期には、日本人デザイナーとしては「別格」の存在で、特に「文化人」からの支持が高く、デザインをアートな領域まで広げていった先駆者でもありました。現在では、ファッションデザイナーの作品集は当たり前のように出版されていますが・・・1978年に三宅一生は「ISSEY MIYAKE East Meets West 三宅一生の発想と展開」(平凡社)を出版します。1983年には「BODYWORKS展」を開催。文化的な時代考証ではなく、”ファッションデザイン”をアーティストの「作品」のようにプレゼンテーションしたのです。

1986年から「ISSEY MIYAKE」のコレクションは、”アーヴィング・ペン”(ポスターのグラフィックは田中一光)によって撮影されるようになります。アート作品のような三宅一生の服を、さらにアーティスティックな視点でとらえた奇跡のコラボレーションで、その後、三宅一生はプリーツの開発を始めるなど、お互いのクリエーションに刺激的であったことを伺わせます。そんな、ふたりのコラボレーションを振り返ったのは、東京ミッドタウンの21_21で開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialouge」です。

イラストレーションをでアーヴィング・ペンと三宅一生のコラボの過程を追ったドキュメンタリアニメ(約5分ぐらい?)と、地下の最も大きな展示室の片面すべての壁をスクリーンにして写真を映写する(約10分ぐらい?)の上映。アーヴィング・ペンの撮影時に描かれた構図のアイディアスケッチと実物ポスターが多数展示されていますが、撮影に使われた三宅一生の服はひとつも飾られておらず・・・有料の展覧会としては、かなり薄い内容ではありました。どういうわけか、本展覧会は今年の9月から来年4月まで長期に渡って開催されているのですが・・・他に企画が立てられなかったのでしょうか?

展覧会の展示内容には疑問はあったものの・・・”ファッション”が”アート”として昇華できた貴重な「作品」を再び目にすることができたのは貴重な体験でした。そして・・・「消費者の経済力」と「デザイナー至上主義」が共存していた1982~3年からの約10年というのは「ファッションデザインの歴史でも最も幸福な時代」であったことを再確認したのでした。

東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」は、”現在”、東京で活動する10組のファッションデザイナー/ブランド(アンリアレイジ、h. NAOTO、ケイスケカンダ、まとふ、ミナ ベルホネン、ミントデザインズ、サククワッチファブリックス、ソマルタ、シアタープロダクツ、リトゥンアフターワーズ)の発表された商品(作品?)を、改めて本展覧会用にインスタレーション展示をしています。

1980年代が”デザイナーブランド”の時代だとすると、1990年代は”セカンドライン(ディフージョンライン)”の時代でありました。1980年代に構築されたブランドビジネスを、さらに中間層までにも広げていくという戦略で、当時の感覚では”買いやすい価格帯と、デザイナーの個性よりも売り上げを稼ぐための「ビジネス」でした。ただ、”セカンドライン”というのは、あくまでもデザイナーあってこそ存在意味があるわけで・・・当時の消費者は、まだ「デザイナー」神話を捨てきれていなかったのかもしれません。

2000年以降に拡大した”ファストファッション”は、流行を取り入れつつも低価格と徹底したマーケティングと早い生産体制で、ファッションビジネスのあり方自体を変えてしまいました。ニッチな市場でも、流通や生産の効率化することで、より低価格が実現できるようになり、何はともあれ「価格で勝負」になったのです。生産工場/サプライヤー側のノウハウがあれば、デザイナー不在でもショップ店員や読者モデルの意見を取り入れた「布地の選択」や「ディテールの編集」という作業”だけで、それなりの服に仕上がってしまう・・・それは、ファッションビジネスという観点からすると、妥当な「進化」なのかもしれません。しかし、続く不況によって、売り上げ至上主義でビジネスのみ重要視されるようになってしまい・・・デザイナーの存在意味というのは薄れてさせてしまいました。

そんな「ファッションデザイナー受難の時代」に、インディペンドで活動を続ける10組のデザイナー/ブランドにはエールを送りたいです。ボク自身、ファッションから距離をおくよようになったこともあって、展覧会に出展していたデザイナーたちについて深く知っているわけではありませんが・・・これらデザイナーたちのファションが「東京ファッションの現在形」と言われると・・・「?」と大きなクレスチョンマークが頭に浮かんでしまうことは避けられませんでした。

あえて、今、インディペンデントなデザイン活動をするのは・・・ファッションの”こだわり”を追求する「ファッションおたく」、ファッションを通じて社会的なメッセージを訴える「ファッション運動家」、アニメなど独自の世界を再現する「ファッションフェチ」などの、独自の美意識の高い人たちだけ・・・「ファッションをモチーフにしたアート」として存在価値を見出していると思いきや、何故か、多くの出展者は”アート”という「作品」ではなくて、実際に販売する/着ることの出来る”プロダクト”という「商品」として生産しているということを強く訴えていました。その”無意味なデザイナー意識”が、逆にファッションデザインとしても中途半端さを感じさせてしまうのです。

「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialouge」
21_21 DESIGN SIGHT
2012年4月8日まで

「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」
東京オペラシティ アートギャラリー
2011年12月25日まで



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2011/06/06

画家の技法の秘密を解き明かす画期的な展覧会・・・斬新な発想はコンピューターグラフィックの先取りのよう!〜パウル・クレー/おわらないアトリエ展〜



東京国立近代美術館で開催中(2011年7月31日まで)の「パウル・クレー/おわらないアトリエ展」に行ってきました。「岡本太郎展」に続いて、最近の竹橋のこの美術館づいています・・・都心のど真ん中に位置するんだけど、周りにこれといってないもんだから、いまいち好きになれない美術館だったりするのではあるのですが・・・。

画家の展覧会というと・・・アメリカの美術館だと初期から末期までドバーって作品を時代順に並べる「回顧展」が一般的だったりするのですが、いかんせん遠くアジアの国である日本だと、あるひとつの美術館の所蔵品を中心に国内のコレクターや美術館から「できるだけ集めてみました」な感じもあったりします。また、展覧会のコンセプト自体は素晴らしいのに、十分な作品を集めきれなかった印象のすることもあったりします。考えてみれば・・・宝飾品より何よりも”価値の高いモノ”を貸し借りして、展示、管理しなければならないわけですから、どんな展覧会での開催するというのはトンデモナイことなのではありますが。

今回のパウル・クレー展は作品を時間軸に添って集めるのではなく、クレーの中期以降の作品を中心に斬新な4つの技法に注目をするというコンセト・・・そして、それらの技法を分かりやすく理解できる作品たちが集められています。これらの作品を一度にみることで、クレーの技法の秘密や思考の過程を垣間みることのできる展覧会でした。

クレーの作品は、特に美術好きではなくても一度や二度は目にしたことがあるかもしれません。それは、イラスト的なクレーの画風が、世界的にイラストレーターやグラフィックデザイナーによって無意識に、または意識的にコピーを繰り返されているからかもしれません。オリジナルを見たことなくても、コピーされた作品をすっかり見慣れてしまって、我々の目には「スタイル化」しているのです。

「繊細な線」と「色のブロック」で構成されているいて、ほのぼのとした絵本のような世界は、今でも古臭さを感じさせない”テイスト”ではあります。画材もオイルよりもペンや水彩が多く、より親しみやすく感じるのかもしれません。ただ、そういう”テイスト”の親しみやすさはイメージの表面的なこと・・・バウハウスの教師でもあったクレーは、自分自身の技法の思考を記録するという几帳面さも持ち合わせていたのです。

「パウル・クレー/おわらないアトリエ展」では、まず彼が撮影した5つのアトリエの写真とそれらの写真に写っている(彼のアトリエに並べられていた)作品を展示していて、絵を描いていたアトリエの空間を感じることで、画家の思考に誘おうということなのかもしれません。広い空間ではクレーの技法を4つを実際の作品の対比でわかりやすくみせています。

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油彩転写

黒い油彩絵の具を紙に塗って裏返して紙にのせる。ペンで描いた”原画”を針でなぞると下の紙に線が写し取られる。下の絵に水彩などで色を塗る。

版画やエッチングという手法は古くからありますが・・・原画を再び”なぞる”というのが、単なる複写という存在以上にしています。”なぞる”作業のなかで、太くなる線、なぞられない線というのも出てくるわけで、同じ素描を元にしても、まったく同じ複写はできないということです。そこに水彩などで色彩を塗ることで、バリエーションが生まれるのです。ウォーホルのシルクスクリーンのポートレートなどは、この技法の発想をより工業化したような気がします。転写はデジタルの時代のスタンダードな技法かもしれません。コンピュターグラフィックスだったら、手書きの絵をスキャナーで取り込み、それをイラストレーターなどのアプリケーションでデジタル化するということは、ごくごく普通に行なわれていることなのですから。

切断再構成

完成した絵を切断して左右、上下などを入れ替える。

描いた絵を裁断する(トリミング)という行為は、クレー以前にも行なわれていたかもしれません。ただ、それはクリエィティブなプロセスの一貫というよりも、構図に不要な箇所を切り取っていたに過ぎな場合が多いのです。すでに完成した絵を、切断してまで自由に再構成するというのは、かなり大胆な発想に思えます。コンピューターグラフィックスなら、何度でも切断、入れ替えのやり直しは可能です。そして、実際にそのような作品やデザインというのは珍しくありません。

切断分離

完成した絵を切断して、二つ以上の別な作品とする。

ポラックなどの抽象画家が、陰口で「作品を切って作品数を増やしてた」なんて言われたことがありましたが・・・クレーはこれを意図的にやっているといたというのは、すごい前衛的です。何を持って「一枚の絵」というのかという根源的な疑問を投げ返られているよな気がします。分離された作品のひとつひとつは、より構成要素が際立って構図的にも締まっている印象です。切断されて別れ離れになっていた「元ひとつの絵」たちが、この展覧会で何十年かぶりに隣同志で展示されているというのも考え深いものがありました。

両面作品

紙、キャンバスの両面に完成した作品が描かれている。

両面作品をみるためには、作品をガラスのフレームに入れて、実際に作品をまわりを歩き回って裏表をみなければいけません。経済的な理由(キャンバスなどの節約)、失敗作を貼り直したなど、過去にも両面に描かれた絵画というのは存在すると思います。ただ、紙の裏側から透けて見えることまでを考慮してというのは、絵画を二次元的な存在としてではなく、3Dとして捉えようとする発想だったのかもしれません。

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今まで、ボク自身もクレーの絵のスタイルばかりに関心が行ってしまいがちでしたが、実はコンピューターグラフィックの時代を先取りしていたような自由で斬新な考え方で、さまざまな斬新な実験を試みていた画家であったことを、この展覧会で改めて理解することができました。

デジタル化のテクノロジーによって、クレーが行なっていた技法は何度でも試行錯誤がするのできる作業環境が、今はあります。そんな贅沢な時代だからこそ、本質的な創造力を見極める目というのを持ちたいと思ったのでありました。



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2010/07/04

「死」と「生」が共存した根源的な救い・・・ニューヨークでみた展覧会〜Dead or Alive〜


2年前ほどに場所をコロンバスサークル(59丁目付近)に移して、リニューアルオープンした「museum of arts and design」は、ニューヨークの美術館のなかでも、ボクのお気に入りとなっています。
メトロポリタン美術館は勿論・・・現代美術館にしても、グッゲンハイム美術館にしても、ウィットニー美術館にしても、やはりそれなりの気合いと時間は必要なのですが、この美術館は各フロアの面積がそれほど広くなく、一時間程度で観れるのです。
今回訪れた際には、3フロアで別々のテーマでしたが、ボクが最も興味がを持ったのは「Dead or Alive」というタイトルの展示でした。

「Dead or Alive」と聞いて・・・ボクの世代で、まず思い出されるのは「You Spin Me Round」のヒット曲で1980年代風靡したユーロディスコのビジュアル系バンドの「Dead or Alive」でしょう

また、Team NINJAプロデュースの、巨乳が揺れることで人気のある、格闘ゲームの「Dead or Alive」も思い出してしまうかもしれません。

ま、西部のお尋ね者とかに対してDead or Alive/死体でも生け捕りでも」賞金が与える・・・というような場合に使われた英語の”言い回し”であるわけですが。



さて、展示会の「Dead or Alive」は、バンドともゲームとも勿論(!)無関係で・・・自然界からの死骸や死体など(かつては生きていたモノ)を素材にして製作されたアート作品を集めているところに”かけて”名付けられたタイトルなのです。
ホラー映画「悪魔のいけにえ」の人肉食い一家の屋敷のような猟奇的な世界を想像してしまいそうですが、一部の骨を使った作品を除いて、有機的で幾何学的な美しさ・・・そして「死」よりも「生」そのものを感じさせるポジティブなエネルギーを感じさせていました。



「博物館」の原点となったのは、世界中から珍しい(エキゾチックな)生き物の剥製(死骸)などを集めた「Wunderkabinetten/cabinets of curiosities(不思議なモノを集めたキャビネット)」に由来するわけですから・・・ある意味、死骸や死体を集めて展示するというのは”展覧会”として「理にかなっている」とも言えなくはないわけであります。

鳥の羽、動物の骨や毛や角、昆虫の標本、植物や種や苔、死骸やその一部の剥製など、素材もさまざま、またアーティストが表現しようとしている世界観や方向性もさまざま・・・その中でボクが一番心に惹かれたのが、Jorge Mayetホゼ・メイヤット)というキューバ出身のアーティストによる”木とその木の根”を素材にした作品でした。
「CAYENDO SUAVE(柔らかくなる)」という作品は枯れ木の根っこに鳥の羽がくっつけられていて、まるで天と地が逆さまになったような感じなのです。



生命(いのち)としての木の寿命は終わり、枝だけになって枯れているように見えても、根っこはまるで天に昇るがごとく羽が生えている・・・まるで「死」と「生」の境がなく共存しているような「風景」(壁に浮いている彫刻だけど、まるでひとつの風景のように感じさせます)に、ボクは何故か心が救われるような気持ちになりました。
(翌日、友人の墓参りを予定していたので、さらに感傷的になっていたのかもしれません)

考えてみれば・・・我々が身につけている自然素材というのは、生き物からの「施し」と言えるモノです。
服の素材にしても、羊であったり、綿の花であったり、蚕の繭であったり、牛の皮であったり・・・と。
「Dead or Alive」は、そんな根源的な原点を、改めて考えさせてくれた展覧会でした。

Dead or Alive
museum of arts and design
2 Columbus Circle (59th Street)
2010年10月24日まで

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