2012/08/04

ファッションの未来性を示した”コム・デ・ギャルソン”と”ヨージ・ヤマモト”を超えるデザイナーの不在・・・・30年を振り返るにはあまりにも貧しく偏った展示~「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」東京都現代美術館~



2010年〜2011年にロンドンとミュンヘンで開催された「FUTURE BEAUTY 30 Years of Japanese Fashion」展に、新たな作品(2000年以降に設立された15ブランド)を加えてヴァージョンアップした「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」が、東京都現代美術館で開催されています。歴史を振り返る展覧会で、ボク自身がリアルタイムで目撃してきた内容の展覧会というのは初めて・・・それだけボクが年取った証拠ではあるわけですが、リアルタイムで体験しているからこそ、どの部分をピックアップして編集されているのか、どうしても厳しい目で見てしまうものです。

思い起こせば・・・ボクがファッションに目覚めたのは18歳の頃。1981年に渡米する直前のことでした。高校在学時代は、ファッションに全く関心がなく、母親が買ってきた服を文句も言わずに素直に着ていたのです。一ヶ月ほど先の渡米を控えて、初めて自分で服を購入しました。アルバイトで溜めた10万円を握りしめて、ボクは今はなき”パルコPart3”へ向かったのでした。どういう情報を元に、ボクがパルコへ向かったのか全く記憶がないんですが・・・当時のパルコPart3の地下はメンズフロアで、コム・デ・ギャルソン、ヨージ・ヤマモト、DOMON(トキオ・クマガイ)、そしてYMOの高橋ヒロユキのデザインするラインなど、東京の尖ったブランドが揃っていたのです。各ブランドを売り場をじっくりと物色して、最終的にボクが購入したのは、DOMONのドレープした襟が特徴の茶色のスウェット素材のトップスと、極端に幅の広いデニムジーンズ・・・その頃、流行し始めていたテクノっぽいカジュアルウェアで、渡米用に一張羅のスーツを買ってくると思っていた母には不評でした。



本展覧会は「陰翳礼賛」「平面性」「伝統と革新」「日常に潜む前衛」の4つのセクションに分かれています。「陰翳礼賛」ではコム・デ・ギャルソンとヨージ・ヤマモトの1893年以降(パリ・コレクション参加以降)の発表当時は”乞食ルック”と呼ばれた無彩色の作品からジュンヤ・ワタナベまでが並べられています。ループ状の太いニットが絡み合っているセーター、切りっぱなしで切り抜かれた大きな穴がレースのような効果をもたらしているルーズなドレス、切りっぱなしの生地テープをデコラティブに縫いつけたトップスなど・・・発表当時はアメリカ在住だったボクは、雑誌でしか見たことなかった歴史的な作品らも初めて目にすることができました。

「平面性」「伝統と革新」は・・・(展覧会のカタログを見るかぎり)日本独自の編集をしているらしく、海外では別セクションで展示されていたらしい三宅一生、コム・デ.ギャルソン(ジュンヤ・ワタナベやタオ・クリハラを含む)、ヨージ・ヤマモトの代表的な作品と、ネクスト・ジェネレーションとして海外では展示されていたアンダーカバー、ソマルタ、ミントデザインズ、ミナペルホネンなどを加えた展示でありまして・・・正直,「平面性」と「伝統と革新」という大きなテーマを伝えるのには不十分な展示数と作品の選択でありました。

海外では「COOL JAPAN」というセクションとして、”かわいい”にこだわるストリート・ファッションやアニメやマンガへ通じるコスプレの世界を紹介していたようなのですが・・・日本では「日常に潜む前衛」として2000年以降に設立された若手ブランド15組の作品を展示しているのですが・・・これが酷い。いわゆる、アーティスティック一辺倒のアプローチではなく、実際に着れる(売れる)日常の服へと落とし込んだなかに、日本らしい前衛性があるとでも言いたいのでしょうが・・・過去の日本ファッションからの遺産ともいえる斬新なディテールをディフージョンラインのように焼き直したような服や、イギリスなどの伝統的な服の持っていた”テイスト感”をマクロなディテールで再現しているだけのユーティリテーウェア(作業服)や、ヒップホップやストリートファッションからインスピレーションを受けた流行を後追いしてデザイナーウェアという無意味な付加価値を加えただけのカジュアルウェアなど、現在の日本ファンションが抱える根本的な問題を明らかにしていました。

1980年代初頭に、コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトが起こした革命とは、単に立体裁断によって構築されていた西洋のファッションのルールを破ったことや、黒を中心とした無彩色の好んで使ったことや、切りっぱなしや非対称の(西洋的な概念では未完成とも思える)服であったこと”だけ”ではなく・・・女性の社会進出によって大きく変化し始めた女性のイメージを表現したことだったと思います。女性のセクシャリティーをアピールしたファッションではなく・・・といって当時パリで発表されていアメリカンフットボール選手のような巨大なショルダーパッドで”強さ”ばかりを強調した女性像とも違います。無愛想な表情をしたモデル達が淡々とランウェイを歩く様子は、男性(もしくは女性らしさ)に媚びた愛嬌さえ感じられません。「セクシー」も「かわいい」も目指していない・・・モノ・セクシャル的な女性の存在価値観こそが、日本ファッションが西洋の文化に於いて「未来」を感じさせる理由であるのではないかとボクは思うのです。二次元のアニメやマンガの世界を再現するコスプレは、ある意味、1980年代に起こった女性像からは逆行しているようなもの・・・ゴスロリやメイド服など、既成概念に女性を押し込めているのですから。ただ、それを女性自らが求めるようになったということは、日本人の女性が無意識に歴史を逆行しているということなのかもしれません。それもまた「時代」であるのですが。

会場を闊歩するコム・デ・ギャルソン(ヴィンテージ?)を着こなした”コムデおばさん”を数名をお見かけしました・・・そして、コム・デ・ギャルソン、または、コムデ風のファッションは、近い将来”シニア服”になるんだろうなぁ~と思えたのでした。革新的であったファッションも時が経つと”過去の衣服”になってしまうという「流行」の残酷さ・・・だからこそ、ある時代を映した”作品”として残していく意味があるのかもしれません。しかし、今の日本ファッションとして展示されていた洋服が、30年後に”作品”として、美術館で展示されるほどの存在意味を持つとは、到底思えません。何故なら・・・若手デザイナーの趣味嗜好やリスペクトする世界観を表現したに過ぎない服は、衣服文化として数十年後に昇華することもなく、メディアに消費されていくだけだから。今は、まるで第2時世界大戦後、パリの流行に世界中の女性が振り回されたように、ファッションは情報としてインターネット経由で拡散・・・ステレオタイプのイメージ(***ルックなど)の使い古された”知能指数の低い”トレンドが蔓延する時代になってしまいました。

コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトの後にコム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトを超える存在なし。日本ファッションの”未来性”は永遠に二人に委ねられたまま・・・21世紀に女性の意識が歴史を逆行していくとは、誰が想像できたでしょう。

「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」
東京都現代美術館
2012年10月8日まで


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