2014/06/24

沢尻エリカ、8年ぶりの主演連続ドラマが終了・・・すべては”ファッション・エディター編”最終回の伏線!本当のマウンティング地獄はシーズン2の”ファッション・ブランド編”で?!~フジテレビ土ドラ「ファースト・クラス」~



沢尻エリカの8年ぶりとなる主演連続ドラマ「ファースト・クラス」が終了しました。開始直後は、視聴率はそれほど高くなかったようですが、女同士のマウンティング=格付けが注目されて、徐々に視聴率が上がり・・・フジテレビ土ドラ枠としては最高視聴率の記録(最終回では関東地区10.3%!)を更新したそうです。ターゲットとしている女性層は勿論、女同士のケンカが大好物の「ゲイ」だって、結構ハマりまくっていたに違いありません!

あの「別に」騒動から7年(!)・・・映画「へルタースケルター」ドラマ「悪女について」で演じた”わがままキャラ”(世間のイメージまんまの!)はイマイチ。高城剛との離婚発表(2013年末)前からは、騒動以前の「素朴キャラ」での再生を目指しているようです。撮影合間の「四葉のクローバー探してたの」発言など、薬物使用疑惑を払拭するためかのようなエピソードを番宣(ドラマ「時計屋の娘」のため)で披露したりしていました。

「ファースト・クラス」では「私以外、全員悪女」と謳っているように、沢尻エリカ演じる”吉成ちなみ”はドロドロのマウンティング地獄の中で唯一の”素朴ないい人”キャラ「虐げられたシンデレラ」・・・ただ、物語が進むにつれ、次第に”したたかな策略家”キャラへ変貌していくという「エリカ様」らしい展開をみせたのです!

視聴者の「アコガレ」と「あるある」を程よく兼ね備えている職場として、ファッション雑誌の編集部(あれほど女性ばかりの”女の園”ではないかもしれませんが)は、女性同士のマウンティング地獄の舞台として適しているのかもしれません。ただ、ひとつの職場内”だけ”の話なので、人間関係の広がりも仕事のスケール感が乏しくなってしまったのは、少々残念・・・また「ファースト・クラス」という雑誌は、業界第4位の女性ファッション誌で「大人ガーリー」がコンセプトらしいのですが、読者層がイマイチ不明なので、編集者という仕事の面白さや魅力を伝えきれていない気がします。女同士が足を引っ張り合っている職場という”イメージ”だけが、世の中に浸透してしまいそうです。

しかし、仕事現場のリアリティを描くことが目的のドラマではないので、実際の編集部は「どうの、こうの」とツッコムのは”野暮”・・・ただ、沢尻エリカの衣装のセンスは最後までダサすぎて、彼女だけ見ているとファッション業界を舞台にしているドラマということを忘れてしまいそうになります。そもそも・・・沢尻エリカにファッションセンスが良いというイメージはないし、美人だから洋服を着こなせるというわけでもありません。カジュアルな服は若作りの安物にしか見えないし、高い服はホステスさんのオフっぽく見えてしまうのです。このドラマで、唯一ファション業界らしいスタイルを見せているのは編集長・・・ただ、これほど毎日のように取っ替え引っ替えということは、あまりいないかもしれませんが。


ちなみ(沢尻エリカ)は、復職の学校を卒業後、衣料材料店「Tokai」の販売員として働きながら(何故か「Tokai」だけは実名で具体的)ファッション業界の仕事に憧れる26歳の女性・・・6畳一間のアパートで暮らす「底辺」の生活で、夢の追いかけるには「崖っぷち」な年齢です。「Tokai」で同僚のおばさん(リリィ)が「ファースト・クラス」誌の編集長の留美(板谷由夏)の母親だった縁で、なつみは見習い(インターン)として編集部に入り、契約社員、副編集長、編集長へと出世していくという物語・・・編集部の女性、雑誌のモデル、カメラマンの8人の登場人物たちと、各エピソードごとに「マウンティング・クラス/格付け順位」を競い合うのです。

第1話「女の格付け地獄開幕 虐げられるシンデレラ 沢尻以外、全員悪女」
第2話「沢尻VS泥棒猫悪女 盗まれた企画書! もう許さない”反撃開始」
第3話「毒入りサンドの罠!殺す気・・・?沢尻もはや終了?いや大逆襲か」
第4話「今夜も悪魔の声炸裂 盗撮攻撃で性悪女逆襲 最狂の地獄絵図来た」
第5話「地獄の底辺泥沼決戦 セレブVS最下位女!最狂蛇女、牙を剥く」
第6話「ドロドロ第一章今夜衝撃決着!恋X友情=地獄!蛇女は見た!」
第7話「お待たせしました!第二章開幕で黒い沢尻解禁!蛇女愛欲の罠」
第8話「地獄の使者乱入で悪女肉弾戦!死ぬのは誰?」
第9話「最終章は悪女W杯開幕!頂点も結局地獄」
最終回「歓喜のち地獄のち奇跡のち地獄のち感動のちやっぱり地獄の最悪最終回!」

各エピソードにつけられた「サブタイトル」が、思いっきり”ドロドロ感”を煽っているのは素晴らしいのですが・・・実際のドラマの内容は「サブタイトル」のエグさには負けています。

”あの”沢尻エリカの連ドラ復帰なのだから、登場人物の誰よりも「腹黒さ」を期待したのは、ボクだけではないはず・・・「いつ、本性を出すのか?」を楽しみにしてしたのです。”素朴ないい人”キャラを上っ面では演じながら、実は裏でさまざまな手管を使って、先輩編集部員たちを落とし込んでいくのかと思っていたら・・・「虐げられるシンデレラ」が、「努力」「根性」「正論」で頑張っていく姿に、少々肩すかしをくらった気がします。ただ、健気さを演技させたら沢尻エリカは「上手い!」・・・本人の人間性を微塵も感じさせない演技力は、まさに「女優」です。


登場人物たちが心の中での”つぶやき”が、このドラマの”売り”のひとつ・・・心の中のはずなのに会話っぽくなるのはご愛嬌として、表面上で交わされる会話や態度の裏にあるブラックな本音が、マウンティングのバトルフィールドなのです。

ただ、ドラマ内で”つぶやき”をするのは・・・意地悪な先輩白雪(田畑智子)、虎視眈々と編集長の椅子を狙う副編集長の小夏(三浦理恵子)、策略家のレミ絵(菜々緒)、トップモデルのMIINA(佐々木希)、ナンバー2モデルのERENA(石田ニコル)という”悪女キャラ”のみ”に与えられているところが「ミソ」であります。ドSの編集長の留美、レズビアンのカメラマン静香(遊井亮子)は”つぶやき”ませんし・・・”要”なのは、主人公のちなみも”つぶやかない”とういうこと。心の中でしか「本音」をつぶやけない女、言葉にして「本音」を言える女・・・それは、すなわち「自立している女」「群れている女」という対比なのかもしれません。


個人的に一番共感できたのは、編集長の留美・・・仏頂面で抑揚のない話し方には愛嬌のカケラもなく、一般的な男性が一番苦手っぽいタイプでしょう。キレイごとの”正論”をぶつけるちなみに、留美の放つ冷たい言葉は、ボク自身がニューヨーク時代に学んだ教訓と重なります。厳しい留美ですが、勝ち抜くための強さを教えようとしていたのも留美だけ。「企画を盗む」とか「情報を渡さない」とか、その程度の「嫌がらせ」「イジメ」なんて、競争のある職場だったら当たり前のこと・・・それを「壮絶な試練!」と受け止めるのは、プロとしては「甘え」でしかないのです。

「育ててもらおうと思ったら大間違い。自分で勝手に育つ人間しか生き残れない。勝った人間だけが夢をもつ権利を得られる。」

急遽、海外から招いたモデルが撮影できなくなった時・・・「私の強みは読者に一番近いことです!」と言い出して、ちなみがモデルとして撮影されるエピソードには、ぶったまげてしまいます。確かに顔はキレイだけど・・・モデル体型でもなく、編集部に入ったばかりの見習いが、ファッション誌のモデルとして誌面を飾り、ネットニュースにまでなって、読者投票で3位というのは、とてつもなく”大きな事件”です。しかし・・・ちなみがモデルをするのは、結局一度っきり(連載の企画になる話はうやむや)。考えてみると・・・相当、自分のルックスに自信があって、図々しくないと「私をモデルにして」なんて言い出せない!ちなみの”したたかな策略家”キャラは、すでに暗示されていたのかもしれません。


このドラマの中の登場人物のなかでも、一番性格が悪そうなのは、なんといっても”レミ絵”(ゲイバーの源氏名みたい)でしょう。

罠を仕掛けたり、誘導したり、密告したりと・・・狙った相手を陥れるためなら手段を選びません。心の中の”つぶやき”の毒気もピカイチ・・・しかし、ネタは昭和っぽかったりオタクっぽかったりして、50代のボクでさえ「古臭っ!」と思うほど。脚本家の渡辺千穂(41歳)は、企業でOL経験もあり女性の”リアル”を描けると業界的には思われているらしいけど・・・シニカルな感性には疑問を感じます。中盤以降、レミ絵に対しては、ちなみも牙を剥き、レミ絵のタカビーさも際立っていくのですが・・・BSフジ・CSフジテレビTWOや、ホームページで公開されているパラレルショートドラマ(パラドラ)では、その他大勢の編集部員たちからは嫌われていて、実はかなり”痛いキャラ”であることが分かります。最終回では、タカビーっぷりが内輪ウケ狙いの「道化」になってしまうのだから・・・「貧乏くじ」のような役です。


ちなみの「夢を一生懸命に追う姿」や「誠実な人柄」に接していくうちに、白雪もMIINAも”改心”していき、実は”いい人”だったというのは・・・少々生温い気もしないわけではありません。

しかし、彼女たちがマウンティング地獄から離脱してランク外の「JOKER」となっていくことは、ある意味、象徴的なことです。このドラマは、女同士のマウンティング地獄を煽るように描きながらも・・・実は、マウンティングを否定しているようなところもあります。「JOKER」となった白雪とMIINAは、格付け順位の呪縛から解放されたことで・・・自分と向き合い、本当の夢を目指していくことができるようになるですから。

ちなみが、どれくらいの期間、編集部で働いている設定なのかは、よく分からないのですが(全10話で月刊誌が発売されるのは5冊/5ヶ月ぐらい?)・・・契約社員になるや否や、新雑誌の副編集長に抜擢され、すぐさま「ファースト・クラス」の後任編集長というのは、かなりスピーディーな展開であります。編集の仕事というのは感性や才能というより、ある程度の知識や経験が大事な仕事・・・センスが優れているとか感覚的なことだけで、仕事ができるわけではありません。編集のことをは何も知らなかった素人が、堂々と編集長の座にいられるというのは・・・かなり面の皮が厚くないとできないことです。

見習い→契約社員→副編集長→編集長となっていくという「シンデレラ・ストーリー」であるはずの本作は、その”要”であるはずの”プロセス”を省き過ぎてしまっている印象は否めません。編集者としての成長過程よりも、夢を一生懸命追っかける「いつまでも変わらない」なつみが「あれよ、あれよ」と出世(下克上)していくという物語にすり替えられていて・・・「必ず努力は報われる」「いつか夢は叶えられる」というポジティブ志向を持つ世代にとっては、共感できる「シンデレラストーリー」なのかもしれません。

ちなみが成功の階段を上がっていくにつれ・・・気の強い本性を出し始めると、沢尻エリカの真価を発揮されて、俄然、ドラマは面白くなってきます。

「ファースト・クラス」の新編集長となったちなみは、ライバル誌「プエルト」を潰すために、レミ絵から仕入れた横領の証拠を使って、社長を脅して小夏を潰します。さらに、外資系出版社の買収後・・・ERENAの不正により廃刊させられそうになった時も、ERENAの父親を利用して「最終号」を出せるように、アメリカ本社へ裏工作させるというのですから、なかなかのやり手です。そもそも、これほどの策略家であるなつみが「Tokai」の販売員だったことが不自然に思えてきます。「素朴さ」と「したたかさ」の二面性を、これほど説得力をもって演じきれる沢尻エリカは、やはり「魔性」の権化・・・彼女に「普通の感覚」を求めたり、私生活を「一般人の基準」で計ることは無意味のような気にさえなってしまうのです。


男ばかりのドラマがゲイの視聴者を惹きつけるように・・・女ばかりのドラマはレズビアンの視聴者を惹きつけるのでしょうか?

沢尻エリカに、レズビアンのファンが多いのかどうかは分かりませんが・・・お人形さんのような容姿は「タチ」には堪らないのかもしれません。また、脇を固める編集長役の板谷由夏もレズビアン心をソソリそうです。レズビアンのカメラマン静香は、ピンチに陥ったちなみを助けることを条件に、ちなみに「ひと晩付き合う」ことを強要するのですが、「ここから濡れ場」という場面で邪魔者が入ってくるという・・・レズビアン視聴者には残念な展開となっています。ちなみだって部屋に行くということは、静香に何を求められているか分かっているはず・・・さらに、この時はすでにライバル誌は握りつぶしているのだから、静香を利用するために寝る必然性はないのです。その後、静香もちなみの味方の”いい人”になるので、結局、ちなみに上手く取り込まれたってことなのかもしれません。


「ファースト・クラス」に於ける男性キャラの存在意味のなさっぷりは”斬新”と言えるのではないでしょうか?

まず、スタイリスト兼ファッションディレクター磯貝役の平山浩行は、そこに「いるだけ」の”プリティーフェイス”・・・業界一のモテ男という設定にも関わらず、誰とも色恋沙汰はありません。

静香のアシスタントの西原(実は御曹司!)役の中丸雄一は”王子様”役でありながら、ちなみと恋愛関係は中途半端・・・とにかく、沢尻エリカと中丸雄一の画面での相性の悪さは致命的で、二人が付き合っている男女とは到底思えないのです。ちなみがピンチになると必ず助けるし、励まし続ける力強い”味方”という役回りはあるものの・・・物語の中枢に、大きく関わってくるわけではありません。また、静香の命令で、クライアントの接待のために「首輪を付けて奴隷」という伏線は、まったくもって意味不明。大企業の御曹司という設定も、殆ど生かされることなく・・・報道カメラマンとしてウクライナにいるという結末は「ふ~ん」でしかありません。オープニング主題歌を「KAT -TUN」が担当しているから、ジャニーズ事務所に押しつけられたキャスティングなんだろうけど・・・「なんで、よりによって中丸なの?」って感じです。

また、高知東生演じる出版社社長は、小夏との不倫関係を匂わせるものの、具体的に下衆いシーンもなく、本領は発揮できず仕舞い。現場を分からずに混乱させるだけの、どこかの会社にもいそうなおじさんって感じで・・・最後には惨めな姿で社長の座を追われて「いい気味〜」というだけのことです。

最終回で「ファースト・クラス」は廃刊となり・・・編集部は閉鎖されます。しかし、収益があるなら発行継続ということになり「ファースト・クラス」は、あっさり復活。編集長に留美、副編集長に小夏、レミ絵、白雪らなど、ちなみが働き始める以前の編集部の姿に戻るのです。

ちなみはというと・・・半年後、新しい夢を追いかけています。ファッション雑誌の編集部よりも、さらに激しい女同士のマウンティング地獄が繰り広げられているであろうファッションデザイン業界へ飛び込み・・・アシスタントとして働き始めるのです!初日に浴びせられる、心の中で”つぶやく”ブラックな本音は「ファースト・クラス」の編集部以上に容赦ない厳しい言葉ばかり・・・勿論、ちなみのマウンティングランクは再び、最下位にからのスタート。

さらにドロドロな続編「ファッション・ブランド編」を予感させるエンディングに、大きな期待は膨らみます!

「ファースト・クラス」
フジテレビ系列「土ドラ」シリーズ
脚本 : 渡辺千穂
出演 : 沢尻エリカ、佐々木希、菜々緒、板谷由夏、田畑智子、三浦理恵子、遊井亮子、石田ニコル、中丸雄二、平山浩行、高知東生、りりィ(ゲスト)、岩佐真悠子(ゲスト)、モト冬樹(ゲスト)、hitomi(ゲスト)、高岡早紀(ゲスト)、LiLiCo(ゲスト)
2014年4月18日~2014年6月21日放映


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2014/06/23

「めのおかしブログ」が6年目となりました・・・「めのおかし」のグーグル第2検索ワードが「ムカデ人間」なのは”名誉”なことでありますっ!


「めのおかしブログ」が6年目に突入しました!TwiterFacebookなどへ移行する人が多いなか・・・ボクがブログを始めるきっかけを作ってくれた友人Tも、サイトや形式を変えながらもブログ(糸の王冠/blog)を継続しているのは嬉しいことです。始めた当初は深く考えていませんでしたが・・・ソーシャルな繋がりを強制されることなく、不特定多数の人にオープンな「ブログ」というフォーマットが、ボクには一番心地よかったのだと思います。

ブログを訪問してくださる方の9割以上はネットの検索サイトからで、グーグルだけで6割ほどを占めています。先日「グーグル第2検索ワード」が話題になっていたので、試しに「めのおかし」とグーグルの検索欄に入力してみました。すると・・・そこには「ムカデ人間」が第2検索ワードとして現れたのです!

確かに、映画「ムカデ人間」について、ふたつの記事の書いたことがあるし、現在閲覧数で歴代2位の記事は「ムカデ人間2」なので、不思議なことではないのですが・・・よりにもよって「ムカデ人間」とは!そもそも「めのおかし」というワードで検索してくれる人がいるということが驚きなのですが・・・「めのおかし」「ムカデ人間」というワードを合わせて検索した人が存在したということに、さらにビックリです。グーグルの場合、どのようにして第2検索ワードとして確定するのか知りませんが「ムカデ人間」シリーズを愛する者としては名誉なこととして受け止めています。

エゴサーチをして自分に対する「悪口」や「批判」を見つけるのは、ボクの密かな楽しみであることは「昨年のブログ」に書きました。とは言っても・・・「ネガティブ」な書き込み、コメント、つぶやきをする人というのは「ポジティブ」なものより、ずっと少ないのです。ただ「めいろま」こと、谷本真由美氏が炎上騒動を起こすと、ボクが以前に書いた彼女に関するブログ記事へのアクセスが激増して「ネガティブ」なコメント(彼女の記事だけでなく)が、何故か増えます・・・偶然かもしれませんが。

ボク自身は「めいろま」や彼女の信者たちと、あまり関わり持ちたくないと、近頃感じ始めています。というのも・・・最近になり、彼女の民族的な背景を指摘する書き込みをチラホラ見かけることが多いのです。弱者擁護の立場を過剰に取りがちの谷本氏ですが、在日コリアンや慰安婦問題についてのリツリートの頻度は高いように感じられます。しかし、この問題に関して”だけ”は、谷本氏本人が自らの言葉で直接語られることは滅多にありません。あくまでも、間接的な発信のみ・・・日本でしか報道されないような小さなニュースまでネットで拾って、日本批判に結びつけることを得意としている彼女にしては、少々不自然な行動に思えるのです。真偽は分かりませんが、もしも、彼女が「日本叩き」をする根源が、民族的なことを理由にしているのだしたら・・・彼女の発言にいちいち反応することは馬鹿げています。何故なら、彼女の発言は「海外視点で日本を批判する日本人」という仮面をかぶって行なっている歪んだ「ヘイトスピーチ」のようなものですから・・・。

さて・・・今回は、見ず知らずのおじさんのブログ記事を読んでくれただけでなく、とてもポジティブな意見や感想をネット上で発信してくれた方々の一部をご紹介したいと思います。

2010年5月12日
まわりにマツコデラックスって何者?何でテレビ出られるの?とか聞いても明快な答えを得られなかったが、このブログで結構すっきりした 
Junya Aoki様)


2013年10月13日
映画「しあわせのパン」うまく言葉にできなかったことが書いてあるある
(ウラノノリコ様)


2013年10月25日
ビルカニンガム&ニューヨークのブログ。ネタバレあり。NY20年暮らし、ビルを街角で何度か見かけたファッション関係者がたぶん字幕なしで見たレビュー。特にインタビューシーンの興味深い読み解き 
ART LABO OVA様)


2013年11月16日
うむ。本当に良い言葉なのでもう一回。

本当の意味での 
グローバルな視野を持つ人ほど 
謙虚だし、他者を批判しない。 
多様性を理解することは 
実は自分自身と向き合うこと。
byおかしライター(様)

うん。これを座右の銘にしようっと。
Damier様)


2014年2月23日
「パラダイス三部作・愛」のレビュー。欧州中年女性の、買春経験を通したケニアでの出来事。欲望の心理分析が細かく追求されていて素晴らしい。映画ってこういう風にみるものでもあります。
Chocolatcorne様)


2014年6月11日
しっかりした感想を読みたい方は、こちらのブログに行った方が間違いなくタメになります。ナイス感想!
(カミヤマ様、ブログ「三角締めでつかまえて」より)


以前より、ブログ記事の更新頻度は少なくなりましたが、今後も書きたい時に書きたいことを書くというマイペースやっていきます。特に意識をしていくというわけでもないのですが・・・「めのおかしブログ」では、主に映画について書くことが多くなりそうです。映画批評をしているわけでもないし、映画情報を伝えているわけでもなく、ただただ独断と偏見に満ちた個人的な感想を綴っているだけの内容なので、誰のためにもなっていないような気がしてしまうのですが・・・書き記したいと思うことがある限り、細々でも続けていくので、今後もよろしくお願いします。

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2014/06/09

”テクニカラーの女王”と呼ばれたドミニカ生まれのハリウッド女優・・・第二次世界大戦下のエキゾチックな娯楽映画のお姫さま役といえば、マリア・モンテス(Maria Montez)なの!~「コブラ・ウーマン(原題)/Cobra Woman」~



映画の都である”ハリウッド”は、創成期から多くの移民たちが裏方を支え、スクリーンでは”エキゾチック”を売りにしたスターたちが活躍していました。ハリウッド初のヴァンプ(セクシー)女優と言われるセダ・バラは、アメリカ生まれのユダヤ系アメリカ人であったにも関わらず、ピラミッドの麓で生まれたフランス人とエジプト人の間に生まれたというプロフィールが捏造されたそうで・・・セクシー女優にとっては、特に”エキゾチック”は大きな武器だったのです。サイレント映画時代には、続々と世界中から(主にヨーロッパ各国から)女優が輸入(?)されましたが・・・グレタ・ガルボ(スウェーデン)、マレーネ・デートリッヒ(ドイツ)などは、トーキー映画の時代になっても独特のアクセントで観客を魅了して活躍し続けました。

1940年代に活躍したマリア・モンテスは、中米のドミニカ生まれのラテン系セクシー女優・・・1996年にオープンしたドミニカ共和国パラオナのマリア・モンテス国際空港は、彼女の名前から名付けられるほど、ドミニカという国の誇りのような存在です。ラテン系に留まらず、アラブやエジプトのお姫さままで、”エキゾチック”役柄なら何でも”おまかせ”でありました。個性が際立っているわけではないけれど、当時のアメリカ人にとって強いスペイン語訛りの英語を話す美女というだけで・・・どこの国とか関係なく”エキゾチック”を感じさせたのかもしれません。

彼女は「アラビアン・ナイト」(1942年)で人気を博し、その後「ホワイト・サベージ」(1943年)、「アリババと40人の盗賊」(1944年)、「コブラ・ウーマン(原題)」(1944年)、「ジプシー・ワイルドキャット(原題)(1944年)、「スーダンの砦」(1945年)と・・・テクニカラーの娯楽作品に続けて主演しました。当時は殆どの映画が”白黒”だった時代・・・”テクニカラー”は「超大作」の証であり、マリア・モンテスは「テクニカラーの女王」と呼ばれたほどのスター女優だったです。

一般庶民が世界を旅することはなかった時代ですから、美術セットや衣装デザインは今見ると結構、大雑把・・・国籍不明の”エキゾチック”ではあります。ただ、ハリウッドが制作し続けていたこれらの娯楽作品は、第二次世界大戦で物資が不足していた日本には到底作ることはできないほどの”豪華絢爛”でした。敵国であった日本で彼女の主演映画が劇場公開されたのは、戦後の1950年代になってから・・・残念なことに、マリア・モンテスは1951年9月7日に39歳という若さで亡くなってしまったので、彼女の主演した終戦前の作品のいくつかは、日本で公開される機会を失ってしまったのです。


ジョン・ホールは相手役として、テクニカラーの娯楽作品の全6作でマリア・モンテスと共演しています。物語の主人公は”アメリカ男性”の典型的なジョン・ホールのような男優でありながら・・・主人公が魅了される女性は”エキゾチック”さを売りにしていたマリア・モンテスというのは、戦時下の観客を現実逃避させるための巧妙な戦略のひとつだったのかもしれません。また、インド生まれのサブーが演じる忠誠心のある現地人役というのは、白人(侵略者)にとっての好都合なステレオタイプ・・・今の感覚では考えられない差別的な描かれ方です。そして怪しい現地人役には、サイレント映画時代に「千の顔を持つ男」呼ばれた”性格俳優”のロン・チェイニーの息子ロン・チェイニー・ジュニア・・・・台詞を話さない役柄に徹しています。


「コブラ・ウーマン(原題)/Cobra Woman」は日本劇場未公開ですが・・・1942年から1945年に製作されたマリア・モンテスとジョン・ホールのテクニカラー娯楽映画全6作品の中でも、マリア・モンテスの魅力が最もつまった作品であります。エキゾチックな土地を舞台にすることにより、露出多めの大胆な衣装の”いいわけ”は、常にありましたが・・・特に本作では、架空の島を舞台にしているので、アラビア風でもあり、島のリゾート風でもあるというアバウトな世界観が発揮されています。また、マリア・モンテスが、双子の姉妹(ひとりは悪人、ひとりは善人)を演じるというのも、ファンにとっては「二度美味しい」お楽しみなのです。

ある南の島・・・ラムー(ジョン・ホール)は、島の美しい娘トレア(マリア・モンテス)との結婚式を控えています。ラムーの使用人ケイドー(サブー)が、めくらで唖の怪しい男ヘイバ(ロン・チェイニー・ジュニア)の姿を見かけた後・・・トレアの両親は殺されて、トレアの姿は島から消えてしまうのです。トレアは近くにある「コブラ島」へ連れ去られたらしく、ラムーはひとり危険な島へ向かうことになるのですが、ケイドーとチンパンジーのココがこっそりと彼の後を追っています。「コブラ島」は、活火山が住民たちの脅威なのですが・・・キングコブラのパワーによって火山をコントロールしていると思わせているナジャという独裁者(マリア・モンテスの二役)が、女王を差し置いて支配しているのです。その上「コブラ島」に侵入した者は死刑にされるとされて、誰も近づけない”謎の島”なのであります。


ラムーが島に上陸してみると、召使いの女たちを従えたトレア(実はナジャ)の姿を目撃します。トレアだと思い込んでいるラムーは、池で泳ぐナジャを追って、熱い抱擁をするのです。ナジャはラムーの男性的な魅力にすぐさま惹かれて、その夜の逢引を約束するのですが、ラムーは兵士たちに”侵入者”として捕らえられてしまいます。ラムーとはぐれてしまったケイドーは、ヴィーダ(ロイス・コリアー)という女王の側近よりトレアと再会することができるのですが・・・そこで、トレアはナジャの双子の姉(本来ならトレアが跡継ぎ)で、女王(メリー・ナッシュ)の命令により、非道な妹ナジャの独裁を阻むために、ヘイバが「コブラ島」へ連れ戻したことが分かるのです。(それにしても・・・トレアの育ての両親を殺すというのは残忍すぎ~)

ケイドーは「コブラ島」の秘密を知るために、ヘイバとトレアと共に城へと侵入します。そこでは、住民たちが貢ぎ物を持って集まっています。キングコブラへの信仰による恐怖支配の儀式が行なわれ、住民の中からナジャは”生け贄”を指名しているのです。金銀の貢ぎ物を捧げなければならない上に、生け贄にされるという、住民にとって割の合わない”信仰”であります。マリア・モンテスのヘンテコリンな”コブラ踊り”は、本作のカルト的なシーンのひとつでしょう。まるでコントのような踊りっぷりに「振り付け師はいなかったの?」と疑問が浮かぶほど・・・当時の観客は、この踊りを真面目に観ていたのでしょうか?


牢獄に入れられたラムーは、ナジャの側近であり婚約者であるマートック(エドガー・バリアー)を、あっさりと気絶させて脱獄・・・ナジャの部屋に侵入します。ラムーを引き止めたいナジャは、トレアを見つけ出して島から追放することを命令するのです。ラムーはヘイバの導きにより女王と会うことができて、ナジャがトレアの双子の妹であること、トレアこそが正統な女王の跡継ぎであることを知らされます。

一方、ラムーが脱獄したことをしらないケイドーは、牢獄に侵入して逆に捕らえられてしまいます。そして、ラムーやトレアの居場所を吐かせるために、木から吊るされて拷問を受ける羽目になるのです。チンンパンジーのココの芸(針に糸を通す)で監視兵の隙をつくって救い出されたケイドーはラムーと再会・・・島の女王となるべきトレアを残して、ラムーとケイドーはコブラ島を脱出しようするのです。女王はトレアを跡継ぎとして指名して、ナジャとマートックに島から出て行くように諭すのですすが・・・その夜、女王はマートックにより暗殺されてしまいます。また、ラムーとケイドーも逃げ切れずに、兵士たちに捕らえられてしまうのです。


女王が亡くなり、仲間も捕らえられてしまったトレアの最後の手段は、ナジャの部屋に侵入して双子の姉妹対決するしかありません。コブラ島の女王の証は、キングコブラを操るパワーを持つ(?)コブラの宝石・・・それをトレアはナジャから奪う必要があるのです。ほとんど”棒読み”の台詞回しとスペイン語訛りでの「ギミー・ザ・コブラ・ジュール!(コブラの宝石を渡しなさい!)」は、本作がカルト的な支持を集めるシーン。この決め台詞のあと、大きな槍でトレアを殺そうとしたナジャは誤ってベランダから落下・・・あっさりと死んでしまいます。

マートックにより、ラムーとケイドーの公開処刑が住民たちの目の前で行なわれようとする直前、ナジャになりすましたトレアが登場して、処刑を中断させます。しかし、マートックはトレアのなりすましを見抜き、キングコブラをトレアの前に登場させるのです。怯えることなく”コブラ踊り”をすることができなければ、住民たちからの信仰を失ってしまう・・・トレアが気絶してしまう瞬間に、ケイドーの吹き矢がキングコブラの頭を貫きます。しかし、守り神であったキングコブラが死んだ途端、火山が大爆発を起こしてしまうのです!


パニックの中、ラムー、ケイドー、チンパンジーのココ、ヘイバは一致団結して兵士たちと戦い、最後にはヘイバがマートックを投げ飛ばして、槍の串刺しにして殺してしまいます。すると、不思議なことに火山活動はピタリと止むのです。活火山の怒りの元凶は、すべて悪者のマートックだったのであります!ヴィーダが、貢ぎ物や生け贄はもう必要ないと宣言して、住民たちは新しい女王となったトレアに祈りを捧げるのです。平穏な島になったコブラ島を小舟で後にするラムー、ケイドー、チンパンジーのココ・・・すると突然、舟底からトレアが現れます。コブラ島のことは、ヘイバとヴィーダに任せておけば大丈夫だと、トレアはラムーと元いた島に帰るところで「めでたし、めでたし」となるのです。

正直、今の感覚では”ご都合主義”で幼稚な展開ではあるのですが・・・「エキゾチックな南の島」「謎めいた孤島」「善と悪の双子姉妹」「勘違いとなりすまし」「権力と恋愛」「跡継ぎ争い」「火山爆発のスペクタクル」「激しいアクションシーン」「悪人の残酷な最期」など、当時の娯楽作品としての要素を「これでもか」と詰め込んでいながら、上映時間71分とテンポが抜群なのです。そして何よりも・・・棒読みでスペイン語訛りのマリア・モンテスの(良い意味での!)大根演技と、それをまったく気にしている様子もない堂々とした明るい美貌が、愛すべき作品として語り継がれる理由だと思うのであります。


「コブラ・ウーマン(原題)」
原題/Cobra Woman
1944年/アメリカ
監督 : ロバート・シオドマク
出演 : マリア・モンテス、ジョン・ホール、サブー、ロン・チェイニー・ジュニア、エドガー・バリアー、メリー・ナッシュ、ロイス・コリアー
日本劇場未公開



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