2011/12/06

”ファッション”が”アート”となったファッションの幸福な時代・・・”アート”としての”ファッション”さえ否定するパラドックスの時代~「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialouge」「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」~


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ファッションというのは、いつの時代も正直に世相を表しているけれど・・・時代によって、ファッションのあり方やデザイナーの役割というのは、変わっていくように思えます。


1960年代までは、ファッションというのはパリで発表されるオートクチュールコレクションを頂点としたピラミッドで、上から下へ流行が伝わっていくのが常でした。1970年代に入り、オートクチュールからプレタ.ポルテ(既製服)が主流となっても、デザイナーが年2回のパリコレで発信する流行を、消費者が受け入れるという「デザイナー至上主義」的な仕組みは変わりませんでした。


日本では第二次世界大戦後、服というのは、型紙から自分で縫ったり、洋裁店で仕立てるのが当たり前でした。ファッション(洋裁)を学ぶということは「ファッションデザイナー」になるというのではなく、あくまでも洋服を普及させる担い手になるということだったのです。1970年以降の既製服時代の到来によって、日本にもマンションメーカー/ファッションデザイナーが誕生し、多くの若者がアパレル業界で起業しました。2000年頃に「IT業界の起業」が盛んだったのと、ちょっと似ているのかもしれません。


1980年頃から世界的に豊かな社会になってきます。「消費者の経済力」という支えによってファッション業界が急激に拡大していくとの同時に、企業のスポンサーシップによりデザイナーはクリエーションの自由も与えられるようになるのです。日本では、DC(デザイナー/キャラクター)ブランドブームで数多くの日本人デザイナーブランドが立ち上がりました。当時はまだパリコレでショーをすることが世界で認められるステップと考えられていて、三宅一生(1973年より参加)に続き、コム・デ.ギャルソンやヨージ・ヤマモト(1981年より参加)も加わり、最盛期は20人近い日本人デザイナーがパリコレに参加していたと記憶しています。


三宅一生は「東洋と西洋の融合」や「一枚の布」などのコンセプトを掲げて、”日本の伝統”、”自然からのインスピレーション”をモダンに発信するという・・・ファッションデザインの域を超えた活躍を1970年代からしていました。1980年代のバブル時期には、日本人デザイナーとしては「別格」の存在で、特に「文化人」からの支持が高く、デザインをアートな領域まで広げていった先駆者でもありました。現在では、ファッションデザイナーの作品集は当たり前のように出版されていますが・・・1978年に三宅一生は「ISSEY MIYAKE East Meets West 三宅一生の発想と展開」(平凡社)を出版します。1983年には「BODYWORKS展」を開催。文化的な時代考証ではなく、”ファッションデザイン”をアーティストの「作品」のようにプレゼンテーションしたのです。


1986年から「ISSEY MIYAKE」のコレクションは、”アーヴィング・ペン”(ポスターのグラフィックは田中一光)によって撮影されるようになります。アート作品のような三宅一生の服を、さらにアーティスティックな視点でとらえた奇跡のコラボレーションで、その後、三宅一生はプリーツの開発を始めるなど、お互いのクリエーションに刺激的であったことを伺わせます。そんな、ふたりのコラボレーションを振り返ったのは、東京ミッドタウンの21_21で開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialouge」です。


イラストレーションをでアーヴィング・ペンと三宅一生のコラボの過程を追ったドキュメンタリアニメ(約5分ぐらい?)と、地下の最も大きな展示室の片面すべての壁をスクリーンにして写真を映写する(約10分ぐらい?)の上映。アーヴィング・ペンの撮影時に描かれた構図のアイディアスケッチと実物ポスターが多数展示されていますが、撮影に使われた三宅一生の服はひとつも飾られておらず・・・有料の展覧会としては、かなり薄い内容ではありました。どういうわけか、本展覧会は今年の9月から来年4月まで長期に渡って開催されているのですが・・・他に企画が立てられなかったのでしょうか?


展覧会の展示内容には疑問はあったものの・・・”ファッション”が”アート”として昇華できた貴重な「作品」を再び目にすることができたのは貴重な体験でした。そして・・・「消費者の経済力」と「デザイナー至上主義」が共存していた1982~3年からの約10年というのは「ファッションデザインの歴史でも最も幸福な時代」であったことを再確認したのでした。



東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」は、”現在”、東京で活動する10組のファッションデザイナー/ブランド(アンリアレイジ、h. NAOTO、ケイスケカンダ、まとふ、ミナ ベルホネン、ミントデザインズ、サククワッチファブリックス、ソマルタ、シアタープロダクツ、リトゥンアフターワーズ)の発表された商品(作品?)を、改めて本展覧会用にインスタレーション展示をしています。


1980年代が”デザイナーブランド”の時代だとすると、1990年代は”セカンドライン(ディフージョンライン)”の時代でありました。1980年代に構築されたブランドビジネスを、さらに中間層までにも広げていくという戦略で、当時の感覚では”買いやすい価格帯と、デザイナーの個性よりも売り上げを稼ぐための「ビジネス」でした。ただ、”セカンドライン”というのは、あくまでもデザイナーあってこそ存在意味があるわけで・・・当時の消費者は、まだ「デザイナー」神話を捨てきれていなかったのかもしれません。


2000年以降に拡大した”ファストファッション”は、流行を取り入れつつも低価格と徹底したマーケティングと早い生産体制で、ファッションビジネスのあり方自体を変えてしまいました。ニッチな市場でも、流通や生産の効率化することで、より低価格が実現できるようになり、何はともあれ「価格で勝負」になったのです。生産工場/サプライヤー側のノウハウがあれば、デザイナー不在でもショップ店員や読者モデルの意見を取り入れた「布地の選択」や「ディテールの編集」という作業”だけで、それなりの服に仕上がってしまう・・・それは、ファッションビジネスという観点からすると、妥当な「進化」なのかもしれません。しかし、続く不況によって、売り上げ至上主義でビジネスのみ重要視されるようになってしまい・・・デザイナーの存在意味というのは薄れてさせてしまいました。


そんな「ファッションデザイナー受難の時代」に、インディペンドで活動を続ける10組のデザイナー/ブランドにはエールを送りたいです。ボク自身、ファッションから距離をおくよようになったこともあって、展覧会に出展していたデザイナーたちについて深く知っているわけではありませんが・・・これらデザイナーたちのファションが「東京ファッションの現在形」と言われると・・・「?」と大きなクレスチョンマークが頭に浮かんでしまうことは避けられませんでした。


あえて、今、インディペンデントなデザイン活動をするのは・・・ファッションの”こだわり”を追求する「ファッションおたく」、ファッションを通じて社会的なメッセージを訴える「ファッション運動家」、アニメなど独自の世界を再現する「ファッションフェチ」などの、独自の美意識の高い人たちだけ・・・「ファッションをモチーフにしたアート」として存在価値を見出していると思いきや、何故か、多くの出展者は”アート”という「作品」ではなくて、実際に販売する/着ることの出来る”プロダクト”という「商品」として生産しているということを強く訴えていました。その”無意味なデザイナー意識”が、逆にファッションデザインとしても中途半端さを感じさせてしまうのです。


「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialouge」

21_21 DESIGN SIGHT

2012年4月8日まで


「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」

東京オペラシティ アートギャラリー

2011年12月25日まで




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