東京国立近代美術館で開催中(2011年7月31日まで)の「パウル・クレー/おわらないアトリエ展」に行ってきました。「岡本太郎展」に続いて、最近の竹橋のこの美術館づいています・・・都心のど真ん中に位置するんだけど、周りにこれといってないもんだから、いまいち好きになれない美術館だったりするのではあるのですが・・・。
画家の展覧会というと・・・アメリカの美術館だと初期から末期までドバーって作品を時代順に並べる「回顧展」が一般的だったりするのですが、いかんせん遠くアジアの国である日本だと、あるひとつの美術館の所蔵品を中心に国内のコレクターや美術館から「できるだけ集めてみました」な感じもあったりします。また、展覧会のコンセプト自体は素晴らしいのに、十分な作品を集めきれなかった印象のすることもあったりします。考えてみれば・・・宝飾品より何よりも”価値の高いモノ”を貸し借りして、展示、管理しなければならないわけですから、どんな展覧会での開催するというのはトンデモナイことなのではありますが。
今回のパウル・クレー展は作品を時間軸に添って集めるのではなく、クレーの中期以降の作品を中心に斬新な4つの技法に注目をするというコンセト・・・そして、それらの技法を分かりやすく理解できる作品たちが集められています。これらの作品を一度にみることで、クレーの技法の秘密や思考の過程を垣間みることのできる展覧会でした。
クレーの作品は、特に美術好きではなくても一度や二度は目にしたことがあるかもしれません。それは、イラスト的なクレーの画風が、世界的にイラストレーターやグラフィックデザイナーによって無意識に、または意識的にコピーを繰り返されているからかもしれません。オリジナルを見たことなくても、コピーされた作品をすっかり見慣れてしまって、我々の目には「スタイル化」しているのです。
「繊細な線」と「色のブロック」で構成されているいて、ほのぼのとした絵本のような世界は、今でも古臭さを感じさせない”テイスト”ではあります。画材もオイルよりもペンや水彩が多く、より親しみやすく感じるのかもしれません。ただ、そういう”テイスト”の親しみやすさはイメージの表面的なこと・・・バウハウスの教師でもあったクレーは、自分自身の技法の思考を記録するという几帳面さも持ち合わせていたのです。
「パウル・クレー/おわらないアトリエ展」では、まず彼が撮影した5つのアトリエの写真とそれらの写真に写っている(彼のアトリエに並べられていた)作品を展示していて、絵を描いていたアトリエの空間を感じることで、画家の思考に誘おうということなのかもしれません。広い空間ではクレーの技法を4つを実際の作品の対比でわかりやすくみせています。
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油彩転写
黒い油彩絵の具を紙に塗って裏返して紙にのせる。ペンで描いた”原画”を針でなぞると下の紙に線が写し取られる。下の絵に水彩などで色を塗る。
版画やエッチングという手法は古くからありますが・・・原画を再び”なぞる”というのが、単なる複写という存在以上にしています。”なぞる”作業のなかで、太くなる線、なぞられない線というのも出てくるわけで、同じ素描を元にしても、まったく同じ複写はできないということです。そこに水彩などで色彩を塗ることで、バリエーションが生まれるのです。ウォーホルのシルクスクリーンのポートレートなどは、この技法の発想をより工業化したような気がします。転写はデジタルの時代のスタンダードな技法かもしれません。コンピュターグラフィックスだったら、手書きの絵をスキャナーで取り込み、それをイラストレーターなどのアプリケーションでデジタル化するということは、ごくごく普通に行なわれていることなのですから。
切断再構成
完成した絵を切断して左右、上下などを入れ替える。
描いた絵を裁断する(トリミング)という行為は、クレー以前にも行なわれていたかもしれません。ただ、それはクリエィティブなプロセスの一貫というよりも、構図に不要な箇所を切り取っていたに過ぎな場合が多いのです。すでに完成した絵を、切断してまで自由に再構成するというのは、かなり大胆な発想に思えます。コンピューターグラフィックスなら、何度でも切断、入れ替えのやり直しは可能です。そして、実際にそのような作品やデザインというのは珍しくありません。
切断分離
完成した絵を切断して、二つ以上の別な作品とする。
ポラックなどの抽象画家が、陰口で「作品を切って作品数を増やしてた」なんて言われたことがありましたが・・・クレーはこれを意図的にやっているといたというのは、すごい前衛的です。何を持って「一枚の絵」というのかという根源的な疑問を投げ返られているよな気がします。分離された作品のひとつひとつは、より構成要素が際立って構図的にも締まっている印象です。切断されて別れ離れになっていた「元ひとつの絵」たちが、この展覧会で何十年かぶりに隣同志で展示されているというのも考え深いものがありました。
両面作品
紙、キャンバスの両面に完成した作品が描かれている。
両面作品をみるためには、作品をガラスのフレームに入れて、実際に作品をまわりを歩き回って裏表をみなければいけません。経済的な理由(キャンバスなどの節約)、失敗作を貼り直したなど、過去にも両面に描かれた絵画というのは存在すると思います。ただ、紙の裏側から透けて見えることまでを考慮してというのは、絵画を二次元的な存在としてではなく、3Dとして捉えようとする発想だったのかもしれません。
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今まで、ボク自身もクレーの絵のスタイルばかりに関心が行ってしまいがちでしたが、実はコンピューターグラフィックの時代を先取りしていたような自由で斬新な考え方で、さまざまな斬新な実験を試みていた画家であったことを、この展覧会で改めて理解することができました。
デジタル化のテクノロジーによって、クレーが行なっていた技法は何度でも試行錯誤がするのできる作業環境が、今はあります。そんな贅沢な時代だからこそ、本質的な創造力を見極める目というのを持ちたいと思ったのでありました。
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