恋愛を「勝ち負けの勝負」なんて言うと、遊び人のように思われてしまうかもしれませんが・・・18歳のときから約30年の経験でボクが感じることなのであります。
恋愛は「等価交換」・・・価値のバランスが取れて成り立つモノだと思うのです。「お似合いのカップル」と言われる二人の「何が、お似合いか?」ということを考えると、それぞれの価値のバランスが取れているということ。恋愛に於いての「価値」というと「容姿」「年齢」「経済力」「セックスの相性」「人間性」など・・・いろんな要素の総合得点(何を重要視するかは人によってそれぞれ)でのバランスということになるのかもしれません。
「容姿」の価値は個々の嗜好性が強いので、それぞれのジャンル(ガチムチ系とかジャニ系とか)によって、ヒエラルキーが存在します。ジャンルの中での「完成度の高さ」が、容姿の「価値」に比例するのです。ただ、自分が目指すジャンルと自分の好きなジャンルが同じという場合が多いので、似た者同士の「お似合いカップル」というのが生まれやすいかもしれません。逆に、世間一般的にハンサムくんがブサイク好きで、ブサイクくんがハンサム系が好きという、お互いにない物ねだり的なカップルなんてことの場合には、本人たち的には「等価交換」ってこともあります。
すべての人が自分より若い人を求めているわけでもありませんが・・・「若さ」というのは、一般的にいって「価値」は高いよういです。年齢という「価値」において「若さ」に軍配が上がるのは、時に「若さ」は「経済力」との「等価交換」でバランスが取れていることもあります。すべての大きな年齢差のあるカップルに該当するとは思いませんが・・・年下が年上に経済的に依存しているか、経済的な恩恵を受けているという状況が多いでしょう。いくら年上好きだからといって、冴えないおじさんの生活の面倒をみているイケてる若い子というのは、滅多にいないのですから。
あらゆる格差を解消する価値として「経済力」は、重要な要素であるということです。ストレートの世界では多い”美女と野獣”的(実業家とモデルとか!)なカップルというような容姿の「価値」で落差のあるカップルの場合、経済力によって「等価交換」が成り立っていることが多いのです。どちらかが経済的な依存もしくは恩恵を受けていて恋愛が安定するのは、あくまでも経済的な負担をする側が、それだけの「価値」を相手に見出しているというのが条件ではあります。「経済力」の「等価交換」は強力なバランスメーカーであると同時に危ういもの・・・「金の切れ目が縁の切れ目」というのは多々あることです。
「セックスの相性」というもの、恋愛において大切な「価値」ではあります。恋愛感情を伴わないセックスだけの関係というのは「相性」重視・・・ただ、好きだからといってセックスも合うとは限りません。セックスの嗜好は、本当に人それぞれ・・・それ故に、好きな相手と純粋にセックスの相性がピッタリ合うというのは、それだけで意味のある「価値」だと思ってしまうのです。(こんなこと思っているのはボクだけ?)
最後になったけど「人間性」というのは、最も重要な「価値」であります。ただ、これは相手を見ただけで分かる容姿とか違い、ある程度時間をかけないと分かりません。恋愛で盛り上がっている時には、お互いの言動だけは同調してしまいがち・・・しかし、相手に合わせるといっても限界があります。品性や本性というのは、ある程度の時間の流れの中で行動や行為によってみえてくるものなのです。自分にとって「許せる一線」「許せない一線」という許容範囲を持っておかないと、相手に振り回されることになります。そして振り回されるということこそが、恋愛の「勝ち負け勝負」での「負け」なのです。
恋愛に於いての「負け」というのは・・・「等価交換」のバランスにおいて、不均衡が生じていて、それを努力で補うということ。二人の好き度合というのは、完全な50/50ということが永遠に続くことっていうのはあり得ません(稀にピッタリ50/50という瞬間もあるかもしれませんが)。好き度合の多い方が努力してバランスを合わせていくしかないと恋愛は成り立たないのです。ただ「負け」が込んでしまうということは「別れ」という結末を迎えてしまうということであります。
恋愛中、恋愛のことを真剣に考えているのは「負け勝負」している側で「勝ち勝負」している側は、あまり深く考えていなかったりします。ボク自身、自分が最終的に振った/捨てた相手に限って、別れ際の詳細な記憶がなかったりします。ボクとしては別れ話を持ち出す前に気持ちは離れてしまっているので、実際に別れられた時には肩の荷がおりたという状態ではあったりするのかもしれません。
逆に「負け勝負」の恋愛で、結果的に振られた/捨てられた場合は、後々まで深く記憶に刻まれていたりするものです。努力している段階で負けが込んできているのは明らかなわけですが・・・それでも、なんとか「等価交換」の天秤を釣り合った状態にするように頑張るわけです。それでも、努力の甲斐もなく一方的に終わりとされてしまうのだから、非常に理不尽・・・納得いかないのであります。
「勝ち勝負」で終わった恋愛は相手に説明は求めません。自分のなかで吹っ切れたりすれば済むことです。しかし「負け勝負」で終わった恋愛には、相手に納得出来る説明を求めてしまうもの・・・でも、勝負の残酷さというのは、負けた側に納得出来る説明がもたらされないってことです。だから、別れた後もひとりでグズグズと考えなければいかなくなります。「何故、彼の心が離れてしまったのか?」「何が自分には足りなかったのか?」納得出来ない理不尽な別れの思いを抱えながら「答え」に近づいていくしかないのです。
恋愛では全戦連勝の負け知らずの人というのもいるのかもしれません。恋愛が「勝ち負けの勝負」だとしたら、勝てば良いのものなのでしょうか?ボクは何度となく「負け勝負」の恋愛から立ち上がってきたものでした。振り返ってみると、恋愛の充実感は「勝ち勝負」よりも「負け勝負」にありました。
すっかり大人になったボクは、恋愛に於いて「いかに負けるか」ということを、心がけてしまうのです。
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