1998年製作のトッド・ソロンズ監督による「ハピネス」は、ボクが大好きな作品のひとつであります。ニューヨーク/ニュージャージー近郊に暮らす三姉妹とその家族や周辺を人々が繰り広げる屈折して皮肉に満ちた人間模様・・・ダークな「ハンナとその姉妹たち」(1986年ウッディ・アレン監督作品)とでもいうような作品でした。変態やタブーに対して時には愛を感じさせる独特の監督の視線は、自分の周りの世界を見る目にさえも影響を与えました。
「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」は、その「ハピネス」の正統な続編であり、実は「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」のワイナー一家とジョーダン一家を結びつけるソロンズ監督のユダヤ系ファミリーサーガのクライマックスとも言える作品とも言えるのかもしれません。
前作から約8年後を舞台とする後日談が語られるわけですが・・・すべてのキャラクターは、前作とは違う俳優によって演じられています。「おわらない物語 アビバの場合」では、主人公のアビバを年齢、性別、人種の違う俳優に演じさせたソロンズ監督ですから、続編で別な俳優が、その後を演じるというのは不自然ではないことなのかもしれません。出演している俳優が違うから前作とは関連性が薄いので観る必要はない・・・なんて思ってしまうのは大間違いで、違う俳優が演じているからこそ、前作の「ハピネス」は必ず観ておくべきなのであります。
以下、ネタバレを含みます。
「ハピネス」と「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、全体的に登場人物達の内面的な状況は、前作よりもさらに悲惨になっているようなところがあり・・・それに比例して演じる俳優の雰囲気もより暗く、痛々しくなっているような印象さえあります。また、物語の舞台をニューヨーク/ニュージャージーから、ユダヤ系にとって憧れの土地であるフロリダに移しているのですが、明るい日差しや建物の色は、逆に登場人物たちの人生の迷走を深めているようにしか思えません。
アメリカのアッパーミドルクラスの薄っぺらさ体現しているようなジョーダン家の長女トリッシュ・・・「ハピネス」では、シンシア・スティーヴンソンが絵に描いたような嘘くさいアメリカンな母親/主婦を演じていました。彼女が幸せの総てだと信じていたパーフェクトファミリーは、夫の不祥事によって崩れ去ってしまいます。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」のトリッシュは、子供3人を育てるシングルマザーとして描かれます。よりユダヤ系っぽいアリソン・ジャネイによって演じられているせいか、強い押しを感じさせる生々しいキャラクターに感じられます。ハービー・ワイナーと恋に落ちて、孤独なシングルマザーにピリオドを打つはずだったのですが・・・皮肉な誤解によって破綻してしまいます。
ペドフェリア(小児性愛者)の父親という衝撃的なタブーの存在であったトリッシュの夫ビル・・・「ハピネス」では、中年男臭さの感じられない腹話術の人形のような顔をしたディラン・ベイカーによって演じられていました。妙に清潔感や誠実さを感じさせる雰囲気と演技によって、息子の同級生達を性的虐待するペドフェリアでありながら、嫌悪感を感じさせないのは絶妙でありました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、男臭い雰囲気のシラン・ヒンズによって演じられているせいか、キャラクターはかなり変化しています。「世の中で嫌われる者」としてのペドフェリアは重罪を背負った者・・・父親として刑務所の出所後の悲惨な足取りが描かれます。家族(特に長男のビリー)と再会を求めますが、悲劇的な終わりを予感させます。
「ハピネス」では、父親が同級生を性的に虐待するという強烈なトラウマを抱えさせられる11歳の少年・・・子役のルーファス・リードに演じられ、涙ながらにペドフェリアの父親を受け入れようとする姿を痛々しく演じていました。エンディングでマスターベーションで「イク」ことができたことで、何かを吹っ切れたような希望の光を見せていました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、すでに実家から離れた大学に進学して寮生活を送っているのですが、出所した父親の訪問を受けます。動物界での同性愛を研究しているというところからも、少年期のトラウマを引きずっていることを感じさせます。
「ハピネス」では、まだ幼く殆ど存在感のなかったティミーですが・・・「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、彼を中心に物語が進行していきます。ユダヤ教の成人式(バル・ミツワー)を迎える13歳という設定ですが、前作での兄ビリー(11歳)より幼く見えるディラン・リレイ・スナイダーのよって演じられています。ペドフェリアの父親の記憶がそれほどなかったのですが、過去の事実を知ることで新たなトラウマが植え付けられ、結果的に母の再婚をぶち壊すことになってしまうのです。ペドフェリアとテロリストを「世の中で最も嫌われる者」として横並びにして「Forgive/許すこと」「Forget/忘れること」の疑問という本作のテーマを投げかけます。
「ハピネス」では、当時「ツインピークス」で人気のあったララ・フリン・ボイルが演じていた自己中心的な次女ヘレン・・・詩人/小説家として成功しているにも関わらず、厭味なほど自虐的な自己愛によって、レイプ願望を持ち合わせるほど屈折していました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、脚本家としてエミー賞を数々受賞し、フロリダの豪邸に多くの使用人を抱えるほど成功していますが、相変わらずの自己愛の強さで以前にも増して厭味に磨きがかかっています。1980年代の青春映画で活躍していたアリー・シーディーの老け具合も、昔を知っている者からすると痛々しい感じです。
30過ぎても未婚で男なし、キャリアもパッとしない三女のジョイ・・・「ハピネス」では、映画冒頭で振ったアンディに自殺され、イタ電の標的になり、英語の教師になれば生徒のロシア人男性に貢いでしまうなど、散々な負け犬っぷりでした。ただ、演じるジェーン・アダムスのケロッとした明るさが、どこか救いを感じさせていました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、ヘレンから紹介されたアレンと結婚していますが、夫婦仲はアレンのドラッグ問題やイタ電の性癖でうまくいっていません。演じるシャーリー・ハンダーソンは、普段の声が泣き声のようで悲壮感を感じさせる暗い印象です。「ハピネス」で自殺したアンディの亡霊につきまとわれ責め続けられる上に、またしてもアレンの自殺によって、さらにどん底につき落とされることとなるのです。
「ハピネス」では映画のタイトル前に登場して、ジョイに振られて自殺してしまうアンディは、「サタデーナイトライブ」出身で、女々しくグダグダするのが芸風のジョン・ラビッツよって演じられました。自虐的でありながら、攻撃的でもある屈折したモテない男が、短い出演ながらも強い印象を残しました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、ジョイにとって「Forget/忘れること」のできない存在として亡霊になって再び現れます。演じているのは「ピーウィーハーマンショー」で一世を風靡したポール・ルービン・・・ポルノ映画館でのマスターベーション事件、少女ポルノ所持での逮捕で芸能界から消えていましたが、変質者の役などでここ数年復活しています。亡霊になっても自虐っぷりと攻撃性は健在で、ジョイを再び苦しませます。
今やハリウッドの主役級の俳優となったフィリップ・シーモア・ホフマンの出世役かもしれません。イタズラ電話でマスターベーションをする変質者・・・赤毛のブロンドと白いブヨブヨと太った体型のオタクっぷりが衝撃的でした。イタ電をきっかけに憧れていた隣人のヘレン(レイプ願望)と実際に会うも、あっさりと振られてしまいます。演じる俳優が最も外見的に変わったののがアレン・・・「ハピネス」で振られたヘレンの紹介でジョイと知り合い結婚したという設定なのですが、なんと黒人に変わっています。イタ電の性癖だけでなく、ドラッグ中毒や仕事場などでの喧嘩のトラブルなど、かなり問題のある人物となっています。映画の冒頭でジョイと夫婦仲を改善しようと泣きを入れますが、悲観的になって自殺してしまいます。
ウィディ・アレンの最初のミューズであったルイーズ・ラッサーによって演じられていたジョーダン家の三姉妹の母親・・・離婚の危機にあった「ハピネス」では、グタグタと泣いてばかりでした。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、夫と離婚して、凄みのある太り方と老けっぷりで、寂しい生活をおくっている様子が垣間みれます。
「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」で初登場のキャラクター・・・刑務所を出所したビルとワンナイトスタンドをする老女(?)の役です。全盛期のクールビューティーさを知る者にとって、あまりにも老けた顔に驚かされます。胸丸出しでセックスシーンを演じているのですが、痛々しく感じてしまうほどです。
「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」のドーンの父親のハービーが、トリッシュの再婚相手として蘇りました。母親の影で印象の薄かったハービーですが「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、35年の結婚生活にピリオドを打って新しい伴侶を求めています。トリッシュと出会い、燃え上がるのですが・・・ティミーにペドフェリアと誤解されて再婚を諦めることとなります。そして、ハービーはイスラエルに移住していくのです。
「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」で、主人公のドーンのシニカルな兄役として登場したマーク・・・いかにもパソコンオタクでイジメられっ子という風貌のマシュー・フェイバーによって演じられていました。「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」のスピンオフという形で、ドーンの葬式から映画の始まる「おわらない物語 アビバの場合」では「自分が変われると思うのは間違いだ。人はずっと同じだ。自由意志はない」という映画のテーマを語るキャラクターとして再び登場していました。ある意味、マークはソロンズ監督にとって、映画の中でも自分の代弁者なのかもしれません。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」でも「いずれ中国によって全ては乗っ取られる」という独特の厭世観を繰り返すシニカルなキャラクターとして、さらにインパクトを強めています。演じているリッチ・ペシは、体格的なタイプは違うものの同じオタクの臭いを醸し出していて、マークのキャラクターとして、より適役であると思わせます。
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アメリカでは興行的に失敗してしまったようで・・・日本公開という噂も聞きません。アメリカ国内では、いまだにDVDが発売されておらず(クラリオンより2011年7月26日に発売)決して高い評価を受けているわけであありません。確かに、登場人物が多くて、前作から引き続いて拾っていかなければならないキャラクターも多過ぎて、十分語られてないエピソードや尻切れとんぼのようなままのキャラクターがいることも事実です。
「自由」と「民主主義」を掲げているテロリストとの戦いの”無意味さ”や中国の脅威という9・11以降のアメリカに漂う漠然とした「虚無感」を感じたり、ソロンズ監督の政治的なメッセージを読み取るのも本作の正しい見方なのかもしれません。しかし・・・下世話と言われようとも、ジョーダン姉妹とその家族、そして変態さん達のその後の行く末に、俗っぽい興味が湧いてしまうのも正直なところです。
前作の「ハピネス」にも「不幸な偶然」や「毒々しい皮肉」に満ちあふれていましたが、ところどころには希望の光を残していたような印象がありました。季節に例えるならば、”春”とか”初夏”のような清々しい印象さえ残ったのでした。しかし「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」は、”晩秋”または”冬”のような先の見えない暗い余韻を感じさせます。それは”絶望”というほどではないにしても・・・救いようのなさを実感したときの”落胆”するような情けない気分に似ているのです。
10年以上の歳月と、演じる俳優の違う続編という変則的な製作状況によって、単作での評価のされがちな「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」ですが・・・前作の「ハピネス」そして「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」の関連性を理解した上で観ることで、初めての物語としての真価が発揮されるべきなのです。
「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」
原題/Life During Wartime
2009年/アメリカ
監督&脚本 : トッド・ソロンズ
出演 : アリソン・ジャネイ、シラン・ヒンズ、クリス・マークエット、ディラン・リレイ・スナイダー、アリー・シーディー、シャーリー・ハンダーソン、ポール・ルービン、レネー・タイラー、シャーロット・ランプリング、マイケル・ラーナー、リッチ・ペシ
日本公開未定
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