2017/09/01

オノ・ヨーコ出演のセクスプロイテーション映画を監督したマイケル・フィンドレイ(Michael Findlay)の因果応報な運命とオノ・ヨーコ(Yoko Ono)の炎上人生・・・ひとつの映画で交差した全く無関係な二人のはなし~「サタンズ・ベット(原題)/Satan's Bed」~


1960年代は、さまざまな分野で革命が起こった時代・・・映画の世界でもヌードや性表現の規制が緩和され、”セクスプロイテーション映画”が量産されたのも、この時代です。女性の裸を売りモノにした「ヌーディスト・キャンプ/Nudist Camp」、エッチなコントと女性の裸が売りの「ヌーディー・キューティー/Nudie Cutie」などは50年代末期に誕生していますが・・・その後、男性が女性を暴力的に扱う「ラフィーズ/Roughies」と呼ばれるジャンルに派生していくのです。

早い時期から”ラフィーズ”のセクスプロイテーション映画を手掛けて、悪名高かったマイケル・フィンドレイは、ニューヨークを拠点としたアンダーグランドの映画監督・・・1964年、女性を拉致して乱暴するという「ボディ・オブ・フィーメール(原題)/Body of a Female」で映画監督としてデビューして、その翌年、オノ・ヨーコ出演の「サタンズ・ベット(原題)/Satan's Bed」を発表するのです。


オノ・ヨーコというと・・・先日(2017年8月17日)放映されたNHKテレビ番組「ファミリーヒストリー」で、スゴイ家系の出身であることや、数々の困難を乗り切った人生であったことが語られていましたが、最初の結婚についてはナレーションで触れられただけ・・・二度目の結婚や娘の存在については全く触れられることはありませんでした。ジョン・レノンと結婚する前、オノ・ヨーコは2度の結婚/離婚をしていて、ショーン・レノンの誕生以前に娘を一人もうけており・・・奔放とも言える人生を歩んでいるのです。

オノ・ヨーコは、父の仕事の関係でアメリカと日本を行き来しながら成長したバリバリの”帰国子女”・・・1953年(20歳のとき)に家族でニューヨーク近郊に引っ越して、お嬢様学校としてアメリカでも有名なサラ.ローレンス大学に入学します。大学在学中にジュリアード音楽院に留学していた一柳慧と出会い、1956年に家族の反対を押し切って結婚(大学も退学)するのです。


当時、ニューヨークのダウンタウンで流行っていたビートニクスだけでなく、前衛芸術の活動には、夫の一柳慧の影響は少なからずあったようです。特に、一柳慧を通じて知り合った実験音楽家ジョン・ケージの影響を強く受けたことは明らか・・・オノ・ヨーコの前衛芸術の基礎となる”ハプニング”に依存した「偶然性や観客参加による不確定性」は、ジョン・ケージの音楽理念そのものだったりします。現代音楽家らとの交遊関係の中で、オノ・ヨーコは新鋭の女性芸術家としてニューヨークで頭角を現していくのです。


1962年、ニューヨークで活躍し始めていたオノ・ヨーコは、日本を拠点に移します。何故、好意的な評価を受けていたニューヨークを離れて、日本に戻ろうとしたのかは分かりませんが・・・夫だった一柳慧が1961年に日本に帰国していることから、彼と行動を共にしただけなのかもしれません。帰国後、オノ・ヨーコの代表作ともなった観客が衣服をハサミで切り取るパフォーマンス・アートの「カット・ピース」、詩的な言葉の”指示”よるコンセプチュアルアートの「グレープフルーツ」の自費出版、現代音楽家とのコラボレーション・パフォーマンスなど、精力的に発表するのですが・・・前衛芸術に理解の乏しかった当時の日本では、全く理解されることはありませんでした。

日本国内の評論家からの酷評にショックを受けてノイローゼ気味になったオノ・ヨーコは自殺を図り、家族と夫の一柳慧により精神病院に入院させらることになるのです。孤独感を強めていった入院中、毎日花束を持って面会を申し込んでくる男性が現れるのですが・・・これが、ニューヨークでオノ・ヨーコの作品に感銘を受けて、彼女を日本にまで追いかけてきたアメリカ人映像作家のアンソニー(トニー)・コックス(Anthony Cox)だったのです。退院後、二人はすぐさま男女の関係になってしまいます。その後すぐに、一柳慧と離婚することになるのは、オノ・ヨーコの妊娠が判明したから・・・一柳慧との離婚成立後の1963年6月、オノ・ヨーコはアンソニー・コックス再婚して、同年8月に長女キョーコを生むのです。


1964年、オノ・ヨーコはアンソニー・コックスと共にニューヨークへ戻るのですが、その頃からアンソニー・コックスは”プロモーター”として、オノ・ヨーコの前衛芸術活動をサポートするようになっていきます。渡米から2年後の1966年、オノ・ヨーコはロンドンの現代芸術協会の招きで、イギリスを訪ねるのです。当時の活気あるロンドンの若者カルチャーに触れて、オノ・ヨーコは夫アンソニー・コックスに支えられながら、活動の拠点をロンドンに移すことを決断します。

ところが・・・1966年11月、オノ・ヨーコの個展を訪れたジョン・レノンとオノ・ヨーコは、恋に落ちてしまうのです。ジョン・レノン27歳で、オノ・ヨーコ35歳だった1968年には、娘キョーコと共に二人は同棲をスタートします。当時、ジョン・レノンも結婚していたので、ダブル不倫の関係だったのです。夫アンソニー・コックスは娘のキョーコを誘拐して養育権を主張して、二人の関係は泥沼化・・・それでも何とか、それぞれの離婚が成立して、1969年に二人は正式に結婚します。翌1970年にビートルズは解散・・・オノ・ヨーコがビートルズを分裂させたとして、世界で最も嫌われる女性となったのです。

ジョン・レノンとの再々婚後も、麻薬問題やら女性問題やらがあって、オノ・ヨーコの人生は幸せに満ちていたわけではありません。1973年頃・・・メイ・パン(May Pang)という中国人女性に、ジョン・レノンの愛人になるように頼み込み、ロサンジェルスで二人を同棲させて(オノ・ヨーコはニューヨークで別居)、結果的に離婚危機を回避したことさえあるのですから。その後、性生活を取り戻したオノ・ヨーコとジョン・レノンの間にショーン・レノンが誕生するのは、1975年、オノ・ヨーコ42歳のときです。


ジョン・レノン没後、オノ・ヨーコにはインテリアデザイナー(アンティークディーラー?)のサム・ハヴァトイ(Sam Havadtoy)という長年同居するパートナー(おそらくオノ・ヨーコと最も長期に渡る関係を持つ男性)が存在するものの、彼と再々々婚しないのは「ジョン・レノンの未亡人」というタイトル(立場)を失いたくないから・・・と邪推してしまうのは少々意地悪でしょうか?ちなみに「ファミリーヒストリー」では触れられなかった娘キョーコですが・・・現在ではオノ・ヨーコと和解して、ショーン・レノンを交えて家族ぐるみで付き合いがあるそうです。


欲望のままなのか、行き当たりばったりなのか、それとも戦略的に男を乗り換えていったのかは分かりません。「強くて独立している女性」「過激なフェミニスト」としてして知られるオノ・ヨーコではありますが・・・実際には、結婚した男性たちの立場、人脈のネットワーク、芸術的な才能や社会的な影響力によって、彼女自身の社会的/文化的な地位をステップアップしていったのです。ただ、世間から”やることなすこと”厳しく批判され、常にバッシングを受ける”炎上人生”であったことを考えると・・・十分すぎるほどの贖罪(?)を果たしている気もします。


オノ・ヨーコについて長々と書いてしまいましたが・・・マイケル・フィンドレイ監督の「サタンズ・ベット」が公開されたのは1965年のことであります。アンソニー・コックスとの再婚後、ニューヨークに戻ってきた頃。オノ.ヨーコが31、2歳の時に撮影されたようです。タイトルに監督名のクレジットはありせんが、本作はマイケル・ファンドレイ監督作品とされています。実は、タミジアン(Tamijian)という映像作家による未完成の「ジューダス・シティ(原題)/Judas City」という映画に、マイケル・ファンドレイが別に撮影した映画を編集で加えて、一本の映画として完成させたという経緯があるのです。

「サタンズ・ベット」は、ニューヨークに住む麻薬売人の男のところに、嫁として日本人女性(オノ・ヨーコ)が港に到着するところから始まります。夫となる男は、売人から足を洗おうとしているのですが、元締めはそうはさせるものかとしているようです。彼女はマンハッタンのホテルに滞在しているのですが、そのホテルの従業員は、彼女を人種差別的な扱いしたり、彼女の金を盗んだり・・・遂には、彼女は強姦されてしまいます。必死に路上へ逃げだしたところ、彼女は車に轢かれてしまいます。


オノ・ヨーコの役には、英語の台詞は殆どなくカタコト程度で、日本語の台詞は棒読み・・・正直言ってかなりの大根役者っぷりです。この日本人女性の物語が「ジューダス・シティ」という映画だったようなのですが、強姦シーンでカメラがパンしてしまうなど、セクスプロイテーション映画としては少々パンチ不足で未完のまま・・・そこで撮影済みのフィルムの権利を、マイケル・フィンドレイが買い取ったというわけです。


マイケル・フィンドレイは、男女三人の若者たちが次から次へと女性を襲って犯していくという・・・「ジューダス・シティ」とは、まったく関係のない映画を撮影して、二つの映画を編集でミックスしたのであります。照明や撮影技術のクオリティーは「ジューダス・シティ」の方が明らかに高く、別撮りした部分は音声はアフレコ(撮影現場で録音しないので安上がり)になっているのですが・・・マイケル・フィンドレイが得意とする”ラフィーズ/Roughies”ならではの暴力描写を加えたことで、公開にこぎつけた作品だったのです。とは言っても、公開当時、決して商業的に成功したわけでもなく、評価が高かったわけでもありませんが。

ちなみに、マイケル・フィンドレイとオノ・ヨーコは一度も会ったことはないそうで・・・オノ・ヨーコは意図せずにセクスプロイテーション映画に出演したことになってしまったのです。ただ、オノ・ヨーコの役は、当時のアメリカ人の日本人女性のステレオタイプだったと思われる「ひと言も英語が理解できない」「金を取られても分からないほど頭が悪い」「襲われても拒絶することさえできない」という人種差別的な設定・・・オノ・ヨーコ本人の生き方や思想とは反する役柄であることは脚本からも明確だったはずなのに、出演の承諾をしたのは奇妙なことです。後年、オノ・ヨーコ唯一の”女優”としての映画出演として語ち継がれることになるとは、彼女も思ってもいなかったことでしょう。


「サタンズ・ベット」を撮った後、マイケル・フィンドレイは次々と”ラフィーズ”を手掛けます。マイケル・ファンドレイ自身が、妻に浮気された腹いせに、ストリッパー、ゴーゴーダンサー、売春婦の女性たちを様々な道具で殺害して復讐するという陰湿な主人公を演じた「ザ・タッチ・オブ・ハー・スキン(原題)/The Touch of Her Flesh」は、クラシック音楽と詩的で残忍なモノローグという組み合わせが独特で・・・ところどころにストリップ映像が挿入されるというセクスプロイテーション映画的なサービス精神満載の作品です。

「ザ・タッチ・オブ・ハー・フレッシュ」は商業的に成功して・・・「ザ・コース・オブ・ハー・フレッシュ(原題)/The Curse of Her Flesh」「ザ・キス・オブ・ハー・フレッシュ(原題)/The Kiss of Her Flesh」という続編もつくられます。これら”フレッシュ(Flesh)”三部作は、マイケル・フィンドレイ代表作となるのです。これら”ラフィーズ”の作品の監督クレジットは、ジュリアン・マーシュ(Julian Marsh)になっており、出演、撮影、脚本、音楽など担当している妻のロベルタ・ファンドレイは、アナ・リーヴァ(Anna RIva)など、複数の名義を使い分けてクレジットされています。

基本的にフィンドレイ”夫妻”二人によって、制作、監督、脚本、編集、音楽、撮影、照明など、ほぼ映画製作の全てを行なっていたのですが・・・これは、彼らが様々な才能に恵まれていたということではなく、単純に資金がなかったことが理由だと思われます。。そんなわけで、どのマイケル・フィンドレイ監督作品も、映画としてのクオリティーは素人レベル・・・暴力とエロのギミック”だけ”が売りの低俗映画としか評価されていなかったのです。ただ、1960年代後半のニューヨークのアンダーグランドの空気感を、生々しく伝える”タイムカプセル”のような役目は果たしているのかもしれません。


1971年・・・フィンドレイ夫妻は、アメリカよりも資金が少なくても映画を撮れるアルゼンチンへ行って「ザ・スローター(原題)/The Slaughter」を撮影します。これは、カルト集団の若い女性たちが次々と殺人を犯すという・・・マイケル・フィンドレイ”らしい”作品ではあったのですが、あまりのデキの悪さに限られた上映が行なわれただけで、配給会社の判断でお蔵入りしてしまいます。


1974年「シュリーク・オブ・ザ・ミューティレイテッド(原題)/Shriek of the Mutilated」というイエティ(雪男)調査隊の学生たちが次々襲われるという低予算のモンスター/ホラー映画を”マイク・フィンドレイ”という名義で監督。ニューヨーク近郊でイエティ捜索するというのもアリエナイ設定なのですが、実は、調査隊の教授が率いるカルト集団の男が、イエティの着ぐるみを着て人々を襲っていたという”オチ”で・・・「サイテー映画」として、おもしろがる以外に存在価値のない作品であります。


その後、フィンドレイ夫妻は映画をつくる機会さえもなくなっていったのですが・・・思いもしない形で、マイケル・ファンドレイ監督作品が世界的に公開されることとなるのです。それが、本物の殺人映画として世の中を騒がせた「スナッフ/Snuff」であります。これは、お蔵入りしていた「「ザ・スローター」のタイトルやクレジットを外して、撮影終了直後の撮影現場で、主演女優が撮影スタッフよって惨殺されるというエンディングを付け加えられた作品だったのです。

1976年にアメリカや日本で公開されて・・・「本物か、トリックか」という宣伝が話題になり(そこそこ?)ヒットします。注意深く観れば・・・別の女優に入れ替わっているし、複数のカメラで撮影が切り替わるし、血糊があまりにも赤過ぎるし、手や胴体が模型であることも分かるのですが・・・後年、都市伝説のように「スナッフ」は、殺人映画として語り継がれることになったのです。

かつて、マイケル・フィンドレイが他人の撮影した「ジューダス・シティ」という映画に、勝手に自分の映画を編集で加えて「サタンズ・ベット」を完成させたように・・・自分の撮影した「ザ・スローター」という映画に、勝手な結末を付け加えられて「スナッフ」が完成されたとは、因果応報としか言えません。クレジットを外された夫妻には興行収入も入ってくるわけもなく、夫妻は配給会社のオーナーを告訴すると脅します。結果的に示談で決着はつくのですが・・・妻のロベルタ・フィンドレイは夫を捨てて、「スナッフ」の配給会社のオーナーに乗り換えるのです。その男性の元で、ロベルタはハードコアポルノやホラー映画の製作、監督、脚本、撮影をして、1980年代後半まで映画界で活躍します。その後、音楽スタジオを経営する別な男性と再婚して、現在は音楽業界で活躍しているそうです。関係をもつ男性の影響で、あらゆる業界で活躍するところは、オノ・ヨーコ的な強さを感じます。


映画製作においての最大の協力者であった妻ロベルタを失ったマイケル・フィンドレイはどうなったかというと・・・ジョン・アメロ(John Amero)という1960年代~70年代にセクスプロイテーション映画の監督や出演をしていた人物と、フランシス・エリー(Francis Ellie)という共同名義でゲイポルノ映画を4本「マイケル、アンジェロ・アンド・デヴィット(原題)/Michael, Angelo and David(1976)」「Kiss Today Goodbye(1976)」「ポイント・メー・トゥワード・トゥモロウ(原題)/Point Me Toward Tomorrow(1977)」「クリストファー・ストリート・ブルース(原題)/Christopher Street Blues(1977)」をつくります。

1972年にハードコアポルノがアメリカで解禁されたことにより、当時のストレートのハードコアポルノ業界は、1960年代にセクスプロイテーション映画をに関わっていた映画人たちの受け皿となっていた”はず”なのですが・・・マイケル・フィンドレイが、監督だけでなく、制作、撮影、編集まで担当して、ストレートポルノではなくゲイポルノに参入したというのは、ちょっと不可解ではあります。

フランシス・エリー名義のゲイポルノには、暴力的な描写はなく・・・マイケル・フィンドレイ”らしさ”は微塵もありません。なかでも「キス・トゥデイ・グッバイ(原題)/Kiss Today Goodbye」は、当時のゲイポルノの中でも王道の恋愛ストーリーとして知られる名作だったりします。ちなみに、共同監督であったジョー・アメロの兄のレム・アメロ(彼も1960年代からセクスプロイテーション映画の監督や出演していた)が、カメオ出演(キス・トゥデイ・グッバイ)したり、衣装(ポイント・メー・トゥワード・トゥモロウ、クリストファー・ストリート・ブルース)を担当していることから、ストレートの映画仲間たちが集まって、ゲイポルノを作っていたという事だったのでしょうか?


1977年、マイケル・フィンドレイは39歳で、突然亡くなります。前年に制作した「ファンク 3ーD(原題)/Funk 3-D」という3Dハードコアポルノのために発明した3Dカメラを、フランスの投資家に売り込むために、ジョン・F・ケネディ空港へ向かう途中、パンナムビル(現・メットライフビル)の屋上からヘリコプターに乗ろうとして、事故に巻き込まれたのです。ヘリコプターの機体の片側がビルに接触して、外れたローター羽根によって体を切断されてしまったそうで・・・これまた因果応報としか思えないような壮絶な亡くなり方であります。なお、この3Dカメラを使用して、台湾では「リベンジ・オブ・ザ・ショーグン・ウーメン(原題)/Revenge of The Shogun Women」と 「ダイナスティ(原題)/Dynasty」という2作品が撮影されているそうです。

正統の映画史で論じられることなど”まずない”マイケル・フィンドレイ監督ではありますが・・・彼の辿った運命は、彼自身が出演し監督した映画よりも、興味深く、切ない気持ちにもさせられます。ちなみに、マイケル・フィンドレイの死後、ジョン・アメロはフランシス.エリー監督名義を使用し続けて・・・「ネイビー・ブルー(原題)/Navy Blue(1979)」「ザ・デス・オブ・スコーピオ(原題)/The Death of Scorpio(1979)」「ブーツ・アンド・サドル(原題)/Boots & Saddles(1982)」など、ゲイポルノ黎明期の名作と呼ばれる作品を監督しているというのも・・・”美談”として受け止めるべきなのか、なんとも妙な気持ちにさせられるのです。

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マイケル・フィンドレイ(Michael Findlay)監督のフィルモグラフィー


1964 Body of a Female(ジュリアン・マーシュ名義)
1965 The Sin Syndicate
1965 Satan's Bed(クレジットなし)
1966 Take Me Naked(ジュリアン・マーシュ名義)
1967 The Touch of Her Flesh(ジュリアン・マーシュ名義)
1968 A Thousand Pleasures(ジュリアン・マーシュ名義)
1968 The Curse of Her Flesh(ジュリアン・マーシュ名義)
1968 The Kiss of Her Flesh(ジュリアン・マーシュ名義)
1969 The Ultimate Degenerate(ジュリアン・マーシュ名義)
1969 Night Rider
1969 The Closer to the Bone the Sweeter the Meat
1969 Mnasidika
1969 Crack-Up
1970 Take My Head
1971 The Slaughter
1971 Vice Versa!
1974 Shriek of the Mutilated(マイク・フィンドレイ名義)
1975 Snuff(ノークレジット)
1976 Michael, Angelo and David(フランシス・エリー名義/ゲイポルノ)
1976 Kiss Today Goodbye(フランシス・エリー名義/ゲイポルノ)
1976 Virgins in Heat
1976 Funk in 3-D(ジュリアン・マーシュ名義)
1977 Point Me Toward Tomorrow(フランシス・エリー名義/ゲイポルノ)
1977 Christopher Street Blues(フランシス・エリー名義/ゲイポルノ)

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「サタンズ・ベット(原題)」
原題/Satan's Bed
1965年/アメリカ
監督、撮影、編集、音楽  :  マイケル・フィンドレイ(クレジットなし)
出演          : オノ・ヨーコ
日本未公開

「ザ・タッチ・オブ・ハー・フレッシュ(原題)」
原題/The Touch of Her Flesh
1965年/アメリカ
監督、制作、編集。主演  :  マイケル・フィンドレイ(ジュリアン・マーシュ名義)
制作、編集、音楽、照明、エキストラ出演 : ロベルタ・フィンドレイ
出演 : スザンヌ・マレー、アンジェリーク・ペティジョン、ヴィヴィアン・デル=リオ、ペギー・ステファンズ
日本未公開

「ザ・スローター(原題)」
原題・The Slaughter
1971年/アメリカ、アルゼンチン
監督、出演   : マイケル・フィンドレイ
撮影、声の出演 : ロベルタ・フィンドレイ
出演      : マーガリータ・アムチャステギュー、アナ・カーロ、ブライアン・カリー、リリアナ・フランチェス・ビアンコ、エンリク・ラーラテリ、アルド・マヨ、カーロ・ヴィラヌーヴ、ミーサ・マッサ、ザンティ・エリス
日本未公開


「シュリーク・オブ・ザ・ミューティレイテッド(原題)」
原題/Shriek of the Mutilated
1974年/アメリカ
監督、編集、エキストラ出演 : マイケル・フィンドレイ
撮影            : ロベルタ・フィンドレイ
出演            : アラン・ブロック、ジェニファー・ストック、タム.エリス、マイケル.ハリス、ダーシー・ブラウン、ジャック・ヌーバック、トム・グラーリ、ルーシー・ブランデット、イヴァン・アゴール
日本未公開


「スナッフ/SNUFF」
原題/Snuff
1975年/アメリカ、アルゼンチン
クレジットなし
1976年6月19日、日本劇場公開

「キス・トゥデイ・グッバイ(原題)」
原題/Kiss Today Goodbye
1976年/アメリカ
制作、監督、編集、撮影 : マイケル・フィンドレイ(フランシス・エリー名義)
制作、監督       : ジョン・アメロ(フランシス・エリー名義)
出演          : ジョージ・ペイン、リウ・シーガー、デヴィット・サヴェージ、マイケル・ガウト、マーク・ハミルトン、カート・マン、レム・アメロ、ベン・ドーヴァー
日本未公開

「ファンク 3ーD(原題)」
原題/Funk 3-D
1977年/アメリカ
監督、制作、編集、脚本 : マイケル・フィンドレイ(監督のみジュリアン・マーシュ名義)
出演          : ドン・アレン、ブリー・アンソニー、ロジャー・ケイン、リタ・デイヴィス、ニッキー・ヒルトン、エド・ラロックス、アレックス・マン、アラン・マーロウ、アニー・スプリンクル
日本未公開



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