”セルフイメージ”と、世間がもつその人のイメージに、多かれ少なかれ違いがあっても当然なのですが・・・”セルフイメージ”を自己申告「するか」「しないか」の違いというのは、大きいように思います。
プラスの”セルフイメージ”でも、マイナスの”セルフイメージ”でも・・・結局のところ「こういう私を受け入れろ」と脅しのようにしか思えないことがあるからです。
ある種の「防御」または「牽制」として、人は”セルフイメージ”の自己申告を無意識にやっていしまうのかもしれませんが・・・申告された側としては”セルフイメージ”を、肯定も、否定もできず、厄介なモノでしかありません。
(カウンセリングなどを受けて自己分析を経験しているというような人だと、その”セルフイメージ”を否定することなど許されないので、さらに厄介になります)
マイナスの”セルフイメージ”を訴える人に対して「そのとおり!」と相槌をうったら、不機嫌にさせることもあるでしょう。
「否定」されることを期待している”セルフイメージ”というのは、実際のところ本人の真意としては「マイナス」ではなく、逆に「プラス」のアピールなわけです。
例えば「私って、バカだから」「私って、才能ないから」「私って、センスないから」とか・・・というのは、その見解が正しいか間違っているに関係なく、とりあえず「そんなことはない」という否定のフォローを求めているに過ぎません。
一般的に日本では、マイナスな”セルフイメージ”の方が「謙虚」ということで、好意的に受け取られることが多いとは思います。
しかし、それは能動的に”セルフイメージ”をコントロールをしている「ズルい謙虚さ」かもしれません。
本来であれば「マイナスな要因」でも、自己申告したことで許されるべきという、ある種の開き直り・・・自己正当化ということもあります。
その姿勢をどう思うかは、当事者の人間関係や、個人的な感情次第なのだとは思いますが・・・すべてのマイナスの”セルフイメージ”の自己申告というのは、結果的に、周囲への、そして、本人にとって、の”エクスキューズ”(いいわけ)でしかないように思うのです。
ただ、最近の日本人は、以前と比べてプラスの”セルフイメージ”をアピールすることも、多くなってきたような印象があります。
それは「謙虚さの欠如」というよりも「自己アピールをするべきだ」という風潮が、厳しい経済状態もあって浸透してきたのかもしれません。
その人のプラスの”セルフイメージ”を肯定する人ばかりであれば良いですが・・・逆に否定する人もでしょう。
面の皮が厚い「鈍感力」も持ち合わせないと、プラスの”セルフイメージ”を貫き通すことは難しそうです・・・ただ、日本には妙な鈍感力を備えた人が増えてきたのかもしれません。
日本では妙な個人尊重の傾向があるようで・・・誰かの自我(エゴ)が暴走していても、それに対して、リアルの世界で”直接”意見する人というのはあまりいないようです。(ネットの世界では無記名やハンドル名なので、攻撃や否定は逆に激しいのかもしれません・・・)
それは個性を尊重しているようで、面倒なことには関わりを持ちたくない、身内以外の他人には無関心、表面上には波風を立てたくないという、実は「昔の村的」な行動に過ぎないようにも思います。
自分自身と世間のズレというのは、自分自身で気付いて、自分自身で修正するしかないということになるのですが・・・”セルフイメージ”を自分でコントロールしようと思うことはやめた方が良いのかもしれません。
「魂の品性」は、自分でコントロールしたり、自己演出したりはできないものです。
「人間としての本質」というのは、世間にも、自分にも、いつかはバレてしまいます。
だからこそ、”セルフイメージ”という厄介で無意味なモノに囚われず、魂を見つめていきたいと思うのです。
Good Point!! 本当に品性を見てほしいですよね。。。
返信削除コメントありがとう!
返信削除やっぱり最後には「魂の美しさ」だけが大切に思える。
イラスト、過去のおやつのものと結びついたね。
返信削除コメントありがとう!
返信削除結びついたというか、流用したというか・・・。