2010/08/09

中年ゲイの古い感覚?・・・「LGBT」という”セクシャル・マイノリティー”に、ひと括りにされたくない!


LGBT:

女性同性愛者(Lesbian)、男性同性愛者(Gay)、両性愛者(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の性的少数者をまとめて呼称する頭字語。


「LGBT」という言い回しをボクが初めて耳にしたのは数年前・・・ゲイの友人が箱根旅行で泊まる予定のホテルが「LGBTフレンドリー」だという話をしていたときでした。

ボクは「LGBTって、何のこと?」って思わず尋ねてしまったのですが「アメリカ住んでいたのに知らないの?」と、軽く鼻で笑われてしまって・・・もう一度よ~く考えてみたら「なるほど!」と理解したのでした。

わざわざ「LGBTフレンドリー」と、日本のホテルの案内に明記する意味があるのか・・・と思いましたが、確かに日本ではLGBTフレンドリーでないホテルっていうのもあるってことなんでしょう。

ネットで調べてみると・・・「LGBT」という概念って、2005年あたりから、よく使われるようになった言葉のようだったので、ゲイプライド的な政治にまったく関心がないボクは知らなかったのも無理ないことだったのでした。

以前は「「東京レズビアン&ゲイパレード」と呼ばれていたものが、今年もお盆時期に渋谷界隈で「東京プライドパレード」が開催されるようですが、「レズビアン」「ゲイ」という言葉を取り除いて、漠然とした「プライドパレード」となったのには、どこか「後退」してる感を、ボクは感じてしまいます。

大雑把に「プライド」とだけ銘打つようになったのにも「LGBT」という概念を配慮が伺えるのです。

異性愛者以外のセクシャル・マイノリティー(性的少数者・・・って、そんなに少ないのと思ってしまうのはボクが都会にいるから?)を、ざっくりと”ひと括り”にしているという印象を「LGBT」という名称には持ってしまうのであります。


トランスジェンダー(Transgenderという概念には、トランスセクシャル(Transuxual/性同一性障害・・・これって障害なの?)と、トランスベスタイト(Trasvestite/女装、男装の嗜好)という、まったく存在として異質なグループが含まれています。

トランスセクシャルの人たちにとって、好きで女装や男装をして”なりきり”を楽しむトランスベスタイトと”ひと括り”になされるというのも、理不尽なものではないのでしょうか?

トランスセクシャルの人たちにとって、肉体的にも法的にも性別を変更出来るのであれば、出来るならそっとして普通に異性愛者のように暮らしたい・・・と望んでいるように推測します。

世間的に自分の望む性別で受け入れられているのであれば、あえて自らをトランスセクシャルと名乗る絶対的な欲求というのは、実は希薄な気がしてしまうのです・・・一般人であれば。

また、トランスベスタイトの人たちって、法律的な権利において何か求める必要性もそれほどない気もします・・・犯罪者として扱われないのであれば。(アフリカのスーダンでは女装して刑罰を受けるらしいですが)

トランスベスタイト同性愛者といわけでもありませんし、こっそりやっているというのに性的な興奮を覚える者もいるでしょう。

女装のテレビタレントが人気の日本という国なんですから、何をこれ以上社会的に求める必要があるのでしょう?

また、両性愛者(Bisexual)の人たちが、政治的に何かを求めるような動機というのも感じられません。

実際は同性愛者であるにも関わらず、自らを認めることが出来ないために両性愛者になっているだけだ・・・という説もありますが、純粋に50/50の両性愛者というのが存在するとしても、子供や家庭が欲しければ、異性愛者のように結婚することも可能なわけで・・・社会的な立場の危機感というのはありません。


同性愛者として「レズビアン」「ゲイ」(英語ではGay Men、Gay Womenという分類もあるので、ゲイ=男性同性愛者というわけであありませんが)というのも、実際にはいろんなバリエーションがあるので、すべてのレズビアンとゲイが納得する概念というのは難しいのですが・・・男性と女性という性別以上に、このふたつのグループは似て非なる者たちという気がするのです。

大雑把なステレオタイプを言わせてもらうと・・・

ゲイは、都市暮らしを求めて、美しいものに関心が高くて、自由奔放。

レズビアンは、田舎暮らしを求めて、ナチャラル志向で、家庭的。

真逆とも言えるような志向を持って、リピドー的にも最も接触をもつ理由がないのが「レズビアン」「ゲイ」という、ふたつのグループではないのかと思うのですが、政治的にタッグを組むということには、大きな意味があるのかもしれません。

ただし、アメリカのように宗教的な弾圧がまだリアルにあったり、ゲイ(レズビアンも含むゲイ)カップルが子供を養育していたり、財産分与のための「同性婚」の必要性など・・・がない日本では、ゲイプライドの活動というのは政治的よりも精神的に偏りがちのような印象はあります。


プライベートライフの基本である”セクシャリティー”というのは重要なことだけど、社会的に”セクシャリティー”によって区別したり、差別されたりということがないことが、本来はベストでしょう。

異性愛者の性的な志向が、プロフェッショナルライフにおいて”アジェンダ”にならないように、同性愛だって個人の志向・・・それでも常にカミングアウトしてボクはずっと生きてきました。

もしも、ボクが異性愛者だったとしても「真性ロリコン」とか「強度のマゾ」とかだったら・・・これほど平然とカミングアウトはできなかったかもしれません。


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