2010/07/02

亡くなった親友の友達とではなく・・・とっくにボクの友達によって悲しみは癒されていたこと


「友達の友達」でありながら、それほど親しくならない人がいます。
どれほど長い期間、顔見知りであったとしても間接的な「友達の友達」という関係から、直接的な「友達」という関係にハッテンしないのには、それなりに理由はあるのかもしれません。
去年ニューヨークで亡くなった親友「T」の親しい友達であった中国人「K」、そしてイギリス人「S」と、数年ぶり会ったのですが・・・親友「T」抜きではぎこちなくて、結局のところ彼らとは親友「T」の存在を介してでないと、関係も成り立たない人たちだったのだということを感じさせられました。

去年の夏、親友「T」が急に亡くなった時に、ニューヨークから日本に帰国して8年近く経っていたボクの周辺には、親友「T」を深く知る人はいませんでした。
ボクとしては宗教的な儀式でなくても、親友「T」を失った悲しみを、自分と同じ気持ちで分かち合うことが出来れば・・・と希望していたのですが、計画されていた友人らによるニューヨークでのメモリアルは開催されず、まして親友「T」の故郷で家族よって行われた教会でのメモリアルサービスにも参加することもできず、たったひとりで遠く離れた日本で向き合わなければならなっかったのでした。
それ故に、親友「T」の友達であった「K」「S」と、親友「T」の死後、初めて顔を合わせることには大きな期待」と「精神的な意味」をボクは感じていたのでした。

中国人「K」と、親友「T」は、長年ルームメイトとしてアパートメントをシェアしており、いろんな意味で親友「T」とはお互いに助け合う仲だったようです。
「K」は20年ほどファッション販売員として働いていましたが、これは親友「T」のネットワークに大きく貢献していたところがありました。
「K」が年上の恋人を見つけて、経済的に依存出来るようになってから、大学に戻って中国美術の鑑定士を目指すようになったのも、親友「T」のアドバイスでした。
5年ほど前に、親友「T」がエイズを発病し仕事を失い、生活保護を受けるような状態になった頃から、ふたりの関係には距離が出来たようです。
「K」が仕事が必要な時に、オーナーと親しかったジャパニーズレストランの仕事をボクは紹介したりしましたが、そんな縁があってもボク自身が「K」「友達の友達」以上に親しくなることはありませんでした。
それは・・・友達を利用するだけのような自己中心的「K」の人格を、ボクは薄々感じていたからかもしれません。

イギリス人「Sは、ボクが日本に帰国した直後に、親友「T」と知り合ったようです。
「S」は世界的に有名なフォトグラファーのエージェントで経済的に大変成功しており、25年連れ添った「B」という恋人がいました。(現在、共に50代半ば)
主婦のように家事一切を任されていた「B」は、いわゆる仕事をしたことがない人で、多少社会性には欠けているところはありましたが、カルチャー的なことには造詣が深く、親友「T」とは意気投合したことは想像出来ます。
「B」は料理の知識も深く、料理の腕もプロ級で、ボクも一時期はニューヨークに幾たびに、彼らの家で贅沢な料理をいただいたものでした。
ところが数年前、「B」が出来心で浮気してしまった黒人青年に、「S」が本気になってしまい「B」をバッサリと捨てしまって破局になってしまったのです。
ボクや親友「T」を含め第三者からすれば、あきらかに黒人青年は「S」の経済力が目的なのですが、当事者にはそれは分からないようです。
元はと言えば、黒人青年を二人の関係に引きずり込んでしまった「B」の自業自得・・・しかし生活力の「B」はイギリスへ一人帰国していきました。
そんなイザコザのなかで「S」と親友「T」は、どちらかともなく距離を取るようになったようです。
冷静沈着で論理的な「S」ですが、ボクは彼の打算的で冷酷な人格を感じていたのかもしれません。

この二人と親友「T」を偲んで・・・というのは、ボクの大きな誤算でした。
彼らの親友「T」の死に対す見解は、ボクの気持ちを鉛のように重くするものでしかなかったのですから・・・。

中国人「K」にとっての親友「T」は、アルコールとドラッグの中毒で、どうしようもない友達であったようです。
確かに、亡くなる5、6年ほど前に親友「T」には、お酒や麻薬の問題がありました。
ボクも渡米して日本に帰国するたびに後ろ髪を引かれる思いだったことを思い出します。
なんとか立ち直ってもらおうと、仕事の出張であっても親友「T」の部屋に無理矢理にでも滞在して、毎晩のように話をしたものでした。
亡くなる一ヶ月前にボクが会った親友「T」は、ドラッグ、アルコールともにフリーであったことは確かです。
「影でずっと麻薬やっていて、気付かなかっただけよ~」と、「K」に言われると・・・「果たしてボクは、親友「T」の何を知っていたのだろうか?」という気持ちにさせられたのでした。

またイギリス人「S」にとって、親友「T」は、常に暗く落ち込んでいて、精神的な問題を抱えた友達であったようです。
確かに、親友「T」は躁鬱の気があって、塞ぎ込むことも時々ありました。
「自殺」ではないか?という無責任な推測を「S」はしていましたが、亡くなる一ヶ月前、親友「T」がボクに語っていたのは、新しいアパートに引っ越す予定や、ファッションデザイナーのスタジオでのインターンシップとか、明るい将来へ希望と着々とした計画でした。
「半年に一度しか会わないから、そのときだけ表面的に繕っていただけだよ「S」に言われると・・・「ボクにとって親友であったように、ボクは親友「T」にとって親友でいたのだろうか?」と問いただしてしまうのでした。

その夜、深く落ち込んだ気持ちでホテルに戻ったボクは涙を流すわけでもなく、ただ呆然とソファに腰かけていました。
親友「T」とは親しいと思っていた中国人「K」イギリス人「S」・・・それぞれの言葉を聞けば聞くほど、親友「T」の実像が分からなくなってきたのです。
人間は一枚岩のように単純ではなくて、いろんな面を持ち合わせているものですが、ボクが知っていた親友「T」は、まさに英語で「SWEET/スウィート」としか表現できない「善良」「優しく」「愛すべき」人でした。
親友「T」は、スウィートと評されることは嫌がっていることはありましたが・・・)
その時、ボクは気付いたのです・・・「友達」というのは、リフレクション/反射のようなものだということに。
ボク自身が、スウィートということではありません・・・ボクが親友「T」のスウィートな人間性を引き出していたと思うのです!

親友「T」が最もボクのことを理解して認めてくれていたと感じるように・・・ボクは親友「T」も最も良い部分を引き出していたことを、ボクは確信したのです・・・ボクを通じて親友「T」を知ったボクの友達(アメリカに住んでいる友達も、日本に住んでいる友達も)全員、親友「T」に対してボクと同じ印象を持っているのですから。

ボクが親友「T」の死後に分かち合いたかった「悲しみ」というのは、ボクの友達も同じように感じていてくれたことだったのです。

とっくにボクはボクの友達に癒されていたのでした・・・。


ありがとう。

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2 件のコメント:

  1. 久しぶりです!拝見していますよ。
    昨年、楽しいばかりじゃない様々な局面を味わった親しい友人を亡くしました。個人として彼女の最期にどう向き合うか、考えるだけでも大変なのに、病床に集まった同級生の「善意の行動」がまた問題で、むしろそのストレスから十何年ぶりに円形きちゃいました(笑)
    誰も触れようとしない彼女の辛い時期を一番良く知っているのが私、という状況の中、「良いことも、悪いことも、まとめて私が引き受けた。ありのままの貴方を私の中に残すよ」と霊前で誓ったのでした。だって葬儀で紹介された故人は、明らかに彼女じゃなかったんですよ。

    その時期は私も色々な友人に癒してもらっていました。
    ほんとに周りの人達ってすごい。

    いきなり長文コメで、自分の話(かぶせるように重めの)でごめんなさい。しかも唐突に終わって。
    また書き込みます!

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  2. コメントありがとうございました。親しい友人の死と向き合うというのは、今まで気付かなかったことを考えさせられる機会でもありました。

    ボクもブログの方、いつも拝見させて頂いて、拍手と人気ブログのクリックしています。毎回、面白いサブジェクトについて書かれていらっしゃるので、これからも楽しみにしています。

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