2010/07/13

「時代遅れ」と言われようとも、オートクチュールファッションをリアルに妄想してしまうのです・・・



「ファストファッション」が、堂々と「ファッション」と呼ばれる時代に「オートクチュール」というのは時代錯誤で非現実的だと思われていても不思議ではありません。
なんたって、デイウェア(ブラウス、ジャケット、スーツのセットアップ)でも、数百万円・・・イブニング(刺繍やレースなどを施した豪華なドレス)となると、数千万円してしまうこともあるのですから。
仮縫いのために二度もフランスにのアトリエに行く必要があるとなれば、顧客も極々限られた人々になってしまいます。
地球上の顧客が、数百人ほどしか存在しない・・・と言われるのも無理もないことでしょう。
ボクは「オートクチュール」のドレスを実際に目にするような世界に生きてきたわけでもなく、パリの「オートクチュール」の現場で働いたこともありません。
しかし「ファッション」を考えるときに、ボクの脳裏に浮かぶのは「オートクチュール」に他ならないのです。



ボクが「ファッション」に興味を持ち出した1980年初頭には「オートクチュール」は、ベールに包まれた世界でした。
当時は、プレタポルテ全盛時代で、モンタナミュグレーゴルティエ、そして日本人デザイナーらに注目が集まっていて「オートクチュール」は、古臭いイメージしかなかったのです。
60年代のデザイナー達が、まだまだ現役でもあり、若い世代からは完全に無視されていました。
ライセンス商品を売るためにデザイナーネームをアピールする必要のあった日本のファッション雑誌(Mode et Modeなど)ぐらいでしか、パリの「オートクチュール」コレクションの内容を知ることは出来なかったのです。
そんな状況を一変させたのが、シャネルのデザイナーに就任したカール・ラガーフェルドであり、ジャン・パトゥのデザイナーを勤めた後、自分のメゾンを立ち上げたクリスチャン・ラクロアでしょう。
1990年頃から、カナダで制作されたァッション情報番組で、アメリカのテレビでも「ファッション」が報道されるようになり、「服」そのものよりも「情報」としての「ファッション」が発信される時代になりました。
今では、ファッションショーで発表される殆どルックを、インターネットのサイトで見れるようになりましたが、コレクションの制作過程は、まだ部外者には知り得ない世界だったりします。



WOWOWで今年5月から放映され、最近DVD化された「コレクション前夜」シリーズの、Jean=Paul GAULTIER(ジャン=ポール・ゴルチエ)は、オートクチュールコレクション発表の24時間前から追うドキュメンタリー番組です。
ショー開演予定の数時間前になってもドレスの殆どを縫い終わっていないという、まさにカオスの舞台裏を暴露するような内容になっていますが、それもゴルティエというデザイナーの”らしさ”なのかもしれません。
失われつつある伝統的なアイリッシュレースのようなテクニックを復活させて、ワニ皮の小さなピースとパッチワークしていくという意外性のある融合は、まさにゴルティエならではです。
テーマがハリウッド女優ということもあって、まるで映画衣装のようなコレクションではありましたが、ボクは顧客のつもりになってリアルな妄想してしまいました。


「コレクション前夜」と同じ監督によって制作された「サイン・シャネル」は、カール・ラガーフェルドとアトリエのスタッフが、シャネルのオートクチュールコレクションが制作されていく様子をとらえた5話からのドキュメンタリー番組です。
そこには、デザイナーのカール・ラガーフェルドを頂点に築かれた古き良きオートクチュールのピラミッド社会が成り立っています。
デザイナーが「白」と言えば「黒」も「白」になるような理不尽で封建的な世界・・・まさに、アトリエのスタッフから縫子さん達は、カール・ラガーフェルドという女王蜂(まさに!?)を崇拝し、絶対的に服従しているのであります。
緻密に技術が凝縮されたドレスが、カールのスケッチ一枚からというのも、昔ながらのクチュリエらしさかもしれません。



イヴ・サンローランのドキュメンタリー映画「5 Avenue Marceau 76116 Paris」(DVDは北米版のみは、自分の世界で愛する者たちに囲まれながら、好きな服を淡々と一点一点を完成させていくイヴ・サンローランのデザイナーとしての神髄をじっくりと見せてくれます。
ラガーフェルドやゴルティエのアトリエのようなドラマチックな気の狂うようなカオスはありません。
そこには、オートクチュールファッションの、現実的な問題の解決・・・全体のシルエットのバランスであったり、スカート丈であったり、生地の色合いであったり・・・完璧なドレスを完成するためだけの探求なのであります。

「ユニクロ」のTシャツや「H&M」の下着を愛用するのがボク自身の現実ではありますが、これらのドキュメンタリーを観ていると、下世話な生活ですっかり忘れていた「オートクチュール」の世界観とリアリティーが甦ってきます。
「ファストファッション」のように、「流行り」をマスマーケットへ提供するというビジネスモデルは、すでに完成型に近いのかもしれません。
また、ワークウェアやユティリティークローズの「味わい」や、始末や生地の風合いに「感性」の価値を見出すことも、今の時代の「ファッッション」であります。
しかし、そんな貧乏ったらしい(?)価値観に、ボクは「ファッション」のを託せないのです。
「時代遅れ」と言われようとも・・・リアル(!)に「オートクチュール」の日常を妄想し続けることが、ボクにとっては、やはり「ファッション」であるのです。



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