2010/05/29

金のかごの中の鳥は、”ミンクの毛皮”のベットカバーの上で「涙」するの!~ドイツ人「K」~

英語の言い回しで「He is in the golden cage」というのは、いわゆる「お金で囲われている」というようなニュアンスになります。

この「囲われる」ことの恩恵に預かるためには、それなりの人格というか・・・人間性というのは必要とされるのかもしれません。


ニューヨークに移住した翌年の19歳のときに、ボクはドイツ系の銀行に勤めていた「K」という男性と、数ヶ月ほど付き合っていたことがありました。

彼はニューヨークに来る前には日本に赴任していたことあって、アジア系(特に日本人)の男を好む嗜好があったのです。

今では、白人ゲイとアジア系ゲイの組み合わせは珍しくはないのかもしれませんが・・・1980年代初頭は、ライスクィーン(Rice Queen/アジア系を特に好む白人ゲイ男性)というのは、だいたいお金持ちの白人のオジサン(40代以上)が殆ど、アメリカのゲイ社会では異端視されていた存在でした。

また、ライスクィーンは、アジアの美術品が好きで、自宅を仏像人形浮世絵、墨絵お面扇子などの美術品を飾っていることが多かったです。

「K」との」出会いは、当時ニューヨークで唯一のアジア系とライスクィーンの出会いの場であったアッパーイーストサイドにあった「Twilight/トワイライト」というバーだったと思います。

「ゼツリンでキョコンの金持ちドイツ人」として、外専コミュニティーでは知られた存在だったらしいのですが・・・知り合いも少なく、バーに飲みに出たりすることもあまりなかったボクには、そんなことを知る由もなかったのです。

彼は当時42、3歳ぐらいで・・・現在のボクより5歳ほども年下(!)になるのですが、19歳だったボクからすれば「オジサン」といった印象しかありません。

ただ彼は、噂どおりのゼツリンぶりで・・・ひと晩に5、6回、そして翌朝にも数回というほど、異常なほどの強さだったのです。

また、アソコの大きい(!)彼との営みは、経験の浅かったボクにとっては・・・正直辛いものでしかありませんでした。

英語を十分理解出来なかったので、彼が銀行でどういう役職についているのかは理解はしていませんでしたが・・・、マンハッタンのアッパーイーストサイドのデュープレックス(二階建て)のペントハウスに一人暮らしだったということは、今、改めて考えてみると、彼がそれなりの幹部クラスであったことは想像ができます。


40代の銀行の重役ドイツ人と、19歳の日本人留学生の関係ほど、端から見て不自然なものはありません。

どう解釈しようとも・・・ボクは「金持ちオジサンのペット」「若いツバメ」「金のかごの中の鳥」にしか見えなかったことでしょう。

実際、高級なレストランに連れて行かれたり、服を買ってもらったこともありましたが、若い時分というのは無意味に純粋なもので、お金に関しては妙に潔癖でいたいという思い込みをしがちであります。

ボクも「K」との関係に、何か純粋な繋がりを求めていたようなところがあり、彼の経済力に依存することがイヤでイヤで仕方なかったのでした。

そして、何かにつけて反抗的な態度をとり「K」を呆れさせていました。


「K」は週末になるとライスクィーンと彼らのアジア系のボーイフレンドらを集めてパーティーをしていましたが、そこで繰り広げられる会話は、ボクから見ていると「真夜中のパーティー/Boys in the Band」のようにイヤミたっぷりで、とてもではないけれど仲間に入ることが出来ない世界なのでした。

大理石のマントルピースをコツコツと指で叩いて・・・・「あら、これ本物~?」

細工された調度品をしげしげ眺めて・・・「ティファニーでお買になったの?」

シャガールの版画を指差しながら・・・「私はピカソのもっと大きいの持ってるわ~」

小綺麗に着飾ったゲストの中で、ボクだけTシャツに短パンなんてこともよくあって・・・パーティーのゲスト「裸足の少年」と、まるで「ハウスボーイ」のように、ボクのことを差別的に呼んでいたのでした。

ある晩、パーティーのゲストにちょっとした意地悪なことを言われて、ボクが上層階のベットルームにひとりで閉じこもったことがありました。

季節外れのミンクの毛皮でできたキングサイズベットカバーの上で、ひとりシクシク泣いていたら「K」が部屋にいきなり入ってきて「泣いてるなら、自分の家に帰りなさい!」と、怒りました。

そんな冷たい言葉を言われて、今度はミンクの毛皮のベットカーバーの上でひれ伏すように、ボクは大粒の涙を流しながら声を出して泣き出してしまったのです。

すると「K」は、さらに強い口調で・・・「ボクのミンクの上で泣くな!/Don't cry on my mink!」と、言い放ったのでした。

ボクは「ワーン!」と子供のように泣け叫びながら、ベットルーム脇のバスルームに走り込んで、それから数時間ほど閉じこもっていました。

(今思えば・・・ボクも随分と”女優”して悦に酔っていたなぁって思います・・・恥)

パーティーも終わり夜中の2時過ぎに、ボクは彼のベットに恐る恐る入っていったのですが、あれほど普段はやりたがり「K」が、その夜は、ボクに手を触れるもなかったのです。

翌朝も彼はさっさと起きて朝食の支度をして、ボクが目を覚ました時には、彼はひとりでコーヒーをすすっていました。

「K」とのコミュニケーションが、つたない英語だけだった当時のボクにとって、エッチをしないということが、彼からの最終的な別れの宣告のように思えてしまいました・・・。

あれほど苦痛だった「K」とのエッチだったのに・・・それが唯一、彼の気持ちを確認できるボクの手段だったのです。

その日から「K」との連絡を絶って、ボクは一方的に関係を終わらせてしまったのでした。


当時の「K」よりも年上となった今、ボクが後悔してしまうことがあるのは・・・19歳の時に戻れたとしたら、もっと「K」と楽しく付き合うことも出来ただろうし、もっと貢がさせて(!)楽しい思いが出来たのに・・・ということです。

ただし、四半世紀という長い年月の酸いも甘いもを経験してきた、今のボクと同じ「「頭」を持って・・・ということになるのですが。


今ならば、自分が欲しい服やモノを、相手に気持ちよく買わせることが出来ただろうし・・・

美味しいレストランだって、素敵な旅行だって、上手に提案することができただろうし・・・

ペントハウスのイヤミなパーティーだって、辛辣なジョークで笑って切り返すことができたはず・・・

もしも彼と喧嘩しても、うまい具合にコミュニケーションを計って、すぐに関係を修復してかもしれません。


そんな「こずるい」気遣いができるようになった時には、すでに自分がお金を払う年齢になっているというのは・・・なんとも皮肉なのであります。


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