ゴールデンウィークの連休が終わると弁護士が動き出して、一気に決着のつきそうな「高城剛と沢尻エリカの離婚問題」・・・ボクはどちらにも特別な思い入れはないけど、つまらない結末になりそう気がしています。
沢尻エリカの魅力の神髄っていうのは、演じる役柄が純粋っぽいにも関わらず、リアルなビッチさ尽きると思うんだけど・・・その「良さ」が、今後生かされていくかは疑問であります。
例の「別に~」の舞台挨拶と、その直前に出演した日本テレビの生放送「ラジかるッ!」での見事なビッチな無愛想ぶりをしながらも、批判を浴びると涙の釈明(?)インタビューをしたのは、エリカ崇拝者でないボクでさえ拍子抜けしたものでした。
その後、以前から交際の噂があった高城剛と結婚したわけだけど・・・誰もが、このふたりの結婚には違和感を感じていたんじゃないでしょうか?
離婚報道によると、高城のことを「キモい」とエリカが言っていたらしいけど、第三者からすると「やっと気付いた?」ってことだったりするわけで・・・。
彼女は世界を目指すこともなく、日本の芸能界に戻ってきてしまったわけですが・・・ハリウッドで大女優になって、高飛車な「超~ビッチ」になって凱旋帰国でもしてくれたら見直したのにと、悔やまれます。
離婚騒動の最中、自宅からプライベートのファッションで外出するエリカの時代遅れでセンスのないヤンキールックは、フツーの「やさぐれ娘」にしか見えなかったのでした。(写真展出席の時は、ランバンのドレスでしたが・・・)
テレビでの離婚報道後に、高城にはメールで離婚の意志を伝えたらしいけど・・・「女優」であれば「修羅場は金払ってでも経験しろ!」と言いたい!
エイベックスに移籍して、無事に日本での芸能活動を本格的に再開するということになりそうだけど、どういう方針で売っていくんだろう?
「いい人」の沢尻エリカなんて、誰も望んでいない・・・ピュアな役柄から脱却して、素のままのビッチな役柄で、ぜひ活躍して欲しい!
演出家も「いつも通りの無愛想な感じでお願いしま~す」って。
例えば、女同士で殴り合いの喧嘩とかするようなドロドロのキャバクラ嬢のテレビドラマとかで”北川景子”と共演・・・なんて、華麗なる(?)カムバックを勝手に妄想しています。
ボクが高城剛の名前を知ったのは、まだ「bekkoame」が、インターネット接続プロバイダーとして一世を風靡していた時代(1995年頃)・・・「フューチャー・パイレーツ」というパソコン通信サービスの「フランキー・オンライン」を作ったハイパー・メディア・クリエイター(当時から)として話題になっていた頃だったと思います。
「フランキー・オンライン」のように、バーチャルな空間をリアルタイムで移動出来るといういうのは、当時としてはかなり先駆的で、実際にそのようなサービスを提供していたのは、世界的にも彼の会社が初めてだったかもしれません。
ただし、ネット接続は電話回線という時代・・・まるで「真女神転生」のダンジョンのようなカクカクとした3D仮想空間ではありました。
提供されていたサービスは、街頭テレビで動画が見られる(YouTUBE)、ニュース・スタンドでオンラインマガジンを読める(ネットマガジン)、ポスト・オフィスから電子メールが送れる(フリーメールサービス)、パソコン通信のようなファーラムでユーザーと交流する(MIXIのコミュニティ)、ラジオ・ステーションで音楽をダウンロードする(iTunes Store)、他のユーザーとリアルタイムでゲームをする(オンラインゲーム)、お店で商品を手に取ってショッピングをする(ネット通販)などなど。
15年経って振り返ってみれば・・・今では当たり前のように存在しているネットサービスばかりだったりします。
その頃の高城剛は「チキチキマシーン猛レース」のキャラクターのような山高帽をかぶって、ハイテンションでしゃべりまくるオタク(ある意味、今と同じ感じ?)で、インタラクティブなマルチメディア、インタネットブームに乗って、ガンガン稼ぎまくっていたのでありました。
そう言えば、フューチャー・パイレーツは「3DO」という家庭用ゲーム機用に「チキチキマシーン猛レース」や「マカロニほうれん荘」という異様にテンポの悪いゲームを制作していたけど・・・当時は、こんなもんでもビジネスになった時代だったということです。
高城剛と実際に仕事したことのある人から聞いた話によると・・・とにかくリアルでもハイテンションで、口が上手いらしい!
彼の饒舌に圧倒されてしまうクライアントは仕事の契約してしまうらしいが、実務に関しては問題があるようで、悪く言ってしまえば「プレゼン上手な見かけ倒し」ということになるらしい・・・仕事での話だけど。
確かに、こういう「プレゼンだけが上手な男」ってボクも出会ったことがあって、知り合ってしばらくは盛り上がるんだけど、知れば知るほど下降線になるんですよね。
高城剛はアイディアマンとして、マルチメディアやインターネットの創始期から、現在でも、実力以上(?)に評価されているところがあるんだと思うけど・・・まさか、ヤンキーの小娘に捨てられる運命が、40過ぎてから待っていたとはねぇ。
自分のブログ(TSUYOSHI TAKSHIRO-BLOG)に「妻へのメッセージを書く」という暴挙に出たわけだけど・・・第三者から見るとかなり異様な行為に感じられるってことを、何故、彼は気付けなかったのでしょうか?
テレビ番組で離婚騒動について、インタビューに答えている苦悩の表情は痛々しい・・・でも、エリカは彼に会うことで、また口車に乗せられるのを恐れていることは分かるような気がしました。
悪いけど・・・高城の顔が詐欺師のような悪人面に見えるもん。
結局のところ、離婚はエリカのペースで押し切るだろうし、さらに惨めには高城だってなりたくないだろうから、結構スムーズに離婚手続きに入るんじゃないかなぁ。
このふたり、地味~に解決しちゃいそうです。
男女に限らず男同士(女同士)でも別れ話になると、捨てられる側は納得してから別れたいと思うのは”よくある”こと・・・ただし、その別れの理由に納得できることは「稀」。
「別れる」「別れない」の修羅場を経験したことはあるけど、自分から別れたいと思ったときの記憶はそれほど覚えていないくせに、自分が捨てられた時の記憶だけはしっかりと残っていたりするもんです。
別れたい方にとっては、いかにスムーズに別れるかしか考えてないのだから・・・時が経つとケロッとしているもんかもしれません。
「別れの理由ぐらいは聞きたい」と誰もが思うことだけど、「別れの理由」なんて聞くだけ野暮。
若い時には「別れの理由」を知ることで、自分が成長出来るのでは・・・なんて、キレイ事を考えるけど、聞いたって傷が深くなるだけ。
「別れの宣告」だけを受け止めて、それ以上は何も聞かない・・・それが、捨てられる側の「美学」だと思うのです。
逆に、捨てる側になたときにはいい意味での冷たさも必要・・・「別れの宣告」は、部屋の中じゃなくて、どこか人の目もあるところで。
捨てた相手の気持ちが落ち着くまで一緒にいてあげる”優しさ”なんていらないから、振り返らずに先に帰ることが、本当の意味での捨てる側の”優しさ”なのかも。
別れたいと思ったら、わざわざ会って話をするのって正直言ってウザいけど・・・それでも、実際に会って「別れの宣告」をするのが、捨てる側の「人の道」なのであります。
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