2010/09/20

強面ヒゲ親父の著者写真を削除するなんて!・・・名作絵本が”村上春樹”訳で再版~「おおきな木」シェル・シルヴァスタイン著~


1964年にアメリカで出版され、今でもクリスマスシーズンンになるとアメリカの本屋さんの店頭に、プレゼント用に平積みになる「The Giving Tree/おおきな木」という絵本があります。
ニューヨーク大学の英語学校に留学したものの・・・日本人留学生ばかりとつるんでいた様子を母親が知り、英語を学ぶために適した環境へ移るべきということで、翌年の1982年にはメイン州の人里離れた小さな入学することになりました。
サマーキャンプ場として運営されている場所に、シーズンオフとなる9月から5月に全寮制のプレップスクール(大学入学前の1年間準備のために通う学校)のプログラムが行われていたのですが、生徒総数はわずか12人・・・確かに英語を学ぶには適した環境ではあったのです。
入学時は、なんとか自分の意思を伝える程度のレベルでしかなかったのですが、卒業する頃には口喧嘩でクラスメートを泣かせまくれるほど(!)饒舌になっていたのですから・・・。

口達者(!)ではあっても、アメリカ人の高校生が読むような本はスラスラと読むことが出来なかったので、ボクはサマーキャンプの子供達のために所蔵されていた絵本を図書室で読みあさっていました。
当時、読んだ数々の絵本のなかで、最も感銘を受け、何度も何度も読み返し、機会があるごとにボクが友人にプレゼントしていた絵本がシェル・シルヴァスタイン(Shel Silverstain)著の「The Giving Tree」なのです。
日本では1976年に、ほんだきんいちろう(本田錦一郎)訳で出版されていますが、訳者の死後(2008年)廃刊のような状態になっていました。
今後は日本語訳の「おおきな木」はプレミア価格の中古でしか手にする事ができないのか・・・と思っていたところ、今月(2010年9月)村上春樹訳で再版されたのです。
今更、お奨めする必要がないほど有名な絵本だし、内容についても語り尽くされている感があるので、英語版、ほんだきんいちろう訳版、村上春樹版の違いについて語ってみます。

元々子供に読めるように書かれている絵本なので、中学までの英語教育を受けていれば、物語を理解することは容易い本です。
原書で読むのが一番良いというのは当たり前のことですが・・・「おおきな木」の場合は、微妙なニュアンスが分からなくても、この絵本の素晴らしさは日本語訳で100%伝わると思います。
ただ、ふたつの日本語版を読み比べてみると、それぞれの印象はかなり違うのです。
まず、1976年から30年以上読み継がれてきたほんだきんいちろう訳版ですが、表記が「ひらがな」のみだったり、原文の英語が想像出来るような日本語訳になっていて、日本語の絵本としては、不自然な印象も与えるところもありました。
訳者の名前までひらがな表記にしているのは、あくまでも「子供向け」ということを意識していたのかもしれません。
ただ、それが「海外の絵本」という舶来品のプレミア感を強めていたようなところもあって、次は英語版でも読んでみたい・・・という意欲を読者に掻き立てたような気がします。
これからは、村上春樹訳でしか「おおきな木」を読むことはできなくなるわけですが・・・今回の新訳により日本語の絵本として随分とナチュラルになった気がします。
簡単な字(少年、木、家、日など)を漢字表記にしただけでも、かなり読みやすくなった印象です。
小学校低学年で十分に読める感じばかりですが、これによって「大人も読む絵本」としてのコンセプトがより明らかになっている気がします。
大人でも、子供でも、物語が日本語で自然に心に入ってくるようで、村上春樹による翻訳の方向性の変更は、ある意味「正解」と言っても良いかもしれません。

この絵本を手に取ったことのない人にも、これを機会にぜひ読んで欲しいです。


ただ、ひとつだけ・・・今回の再版で残念な変更があるのです。
アメリカで出版される単行本には、著者のポートレート写真を裏表紙にすることがあるのですが・・・ボクが最初に読んだ英語版には、著者であるシェル・シルヴァスタインの顔写真が「ドドーン!」と裏表紙全面に使われていました。
(現在、販売されている英語版は、写真が若干小さめになっていますが・・・)
「The Giving Tree」は、心が洗われるような話なのですが・・・読み終わって裏表紙の著者の写真を見ると、その感動がぶっ飛んでしまうほどのインパクトがあったのです。
シェル.シルヴァスタインは放浪癖のあった変わり者であったそうなのですが・・・写真は「ツルツルの禿頭」「フルフェイスの濃い髭」、指名手配の凶悪犯と言われたら信じてしまいそうな「強面っぷり」であります。
こんな人相の悪い写真を「なんで、絵本の裏表紙にすんの〜?」とツッコミたくなるほど・・・。
絵本の内容と著者のルックスのギャップも「この絵本の奥深さ」であり、すべての読者にそのギャップをボクは知って欲しいのです。
ほんだきんいちろう訳版には裏表紙全面というほどではないにしろ・・・英語版のように、著者の写真を掲載していました。(4分の1程度のサイズでも、かなり強烈!)
しかし・・・村上春樹訳版では、著者の写真は裏表紙から消えただけでなく、本の中にも著者の写真は一切掲載されていません。
新しい読者は、シェル・シルヴァスタインの「顔」を知ることは出来ないのです・・・。
まるで「臭いものにフタをする」(これはこれで著者に失礼かな?)ような、仕様の変更ではないでしょうか?

再版にあったての著者写真の完全削除に、ボクは憤りを感じているのであります。





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2 件のコメント:

  1. よくぞ書いてくださいました。
    初めて涙ながらに読んだあの日の、
    本を閉じたときの、一瞬、息が止まりそうな驚きを
    今、ありありと思い出しました。
    長く手元にありましたが、図書館に寄贈し、
    今日、書店で村上春樹訳を眼にしたところだったのです。
    確かに、大人の絵本として読みやすくなっていますが、
    やっぱり、ほんだきいちろう訳が懐かしい気も…

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  2. 初めまして。”ほんだきいちろう”で検索していてこちらのブログを知りました。ほんださん派ですねぇ~私は(笑)きっとほんださんの訳に慣れ親しんだせいかもしれませんけど。
    確かに裏の写真のインパクトの強さは強烈だった思い出があります。若かりし時に涙ながらに読み終えて・・あの写真!
    今回消えているのですか?気が付きませんでしたが、絶対に掲載して欲しいですね。ファンの一人としては。

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