2009/09/23

負の連鎖からの不快感が快感になる~「贖罪」/湊かなえ著~

湊かなえ氏の最新刊「讀罪」は、第一人称のモノローグ形式(スピーチ、手紙などの形式)で語られたミステリー小説です。

僕はその形式で書かれた小説というのが特に好きなのですが、それは同じ物語であっても視点の数だけ真実があるというのが、大変興味深く思うのです。


湊かなえ氏は、第一人称のモノローグ形式にこだわっている作家さんようで、デビュー作である「告白」も、中学教師が自分の娘を殺した生徒に復讐することから始まる不幸の連続を、違う登場人物による第一人称のモノローグ形式で語っていくミステリー小説でした。

それぞれの内なる思惑と誤解によってさらなる不幸を生んでいく不快感になんとも救いのない気持ちになりました。

第2作の「少女」は、ふたりの高校生の少女の話が、交互の視点で語られるミステリーで、幼い子供の策略と少女たちの残酷なまでのあっけらかんさにやるせなさを感じました。


さて、第3作目となる「贖罪」は、田舎町で起こった少女殺人事件の目撃者となった4人の少女たちが大人になってから、過去のトラウマによって、次々と不幸の悪循環をしていくというミステリーです。

娘を殺された母親は、目撃者となった4人の少女たちが犯人の男の顔を憶えていなかったために、犯人が捕まらなかったという思い込んで、少女たちに時効までに犯人が捕えられないのであれば、少女たちに復讐すると脅迫をして、田舎町を去っていくのです。

「告白」でも生徒に復讐する教師がいたように、どうも、湊かなえ氏は子供を責めて追い込む大人の姿という不愉快な設定がお気に入りのようです。

エゴスティックな大人によってトラウマを植え付けられた4人の少女は大人に成長してからも、そのトラウマから抜け出せずに、自ら罪を犯してしまうという不幸を繰り返してしまうのです。

登場人物のそれぞれが、ここまでの罪の贖いをすべきほどの原罪を背負っていないにも関わらず、これほどの負の連鎖を起こしていってしまう因果というものが、読者をどうしようもない不快な気持ちにさせます。


それにしても、それほど不快感を感じさせる湊かなえ氏の小説を、僕は何故、読みたくなるのだろうかと考えてみたのですが・・・彼女の描く「負の連鎖」というものは、大きな過失によってではなく、何気ない思い込みの積み重ねのような気がするからかもしれません。

もちろん、僕の日常生活の中で殺人などの事件に巻き込まれることはありませんが・・・「ちょっとした解釈の違い」や「お互いの真意のすれ違い」などのズレが、いつの間にか人間関係さえもなくしてしまう「負の連鎖」を生んでしまうことって、時にしてあることのような気がしてならないのです。

そんなやるせない気持ちの積み重ねを、虚脱感を感じながら楽しんでしまうところってあるのかもしれません。



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