2011/05/22

パーティーでワインをぶちまけ大立ち回り・・・・彼の”トロフィーボーイフレンド”にはなれなかったの!~元聖職者のオーストラリア人「R」~


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アメリカの映画とかでよくあるシーン・・・パーティー会場で飲みものを喧嘩相手の顔にぶちまけるっていうのがありますが、そんなドラマチックなことって、まず実際には起きることはありません。・・・というか、ボク自身はたった一度しか、そんな場面はお目にかかったことは約20年のアメリカ生活でありません。まぁ・・・その大立ち回りをやってのけた本人というのが「ボク自身」だったのですが。


「R」と知り合った当時(1991年/28歳)ボクは永住権のためにジャパニーズレストランでアルバイトをしていました。ジャパニーズレストラン勤めていた日本人ゲイの「M」さんとい方と友達になり、彼のお宅へ遊びに行くことも時々ありました。ある日「M」さんの家の近くの23丁目のを歩いている時、道で「R」を紹介されたのです。「R」は、犬顔のブロンド髭面(当時50歳)で、日本人向けしそうなチャーミングな太めのおじさん・・・とても話上手で、初対面だったにも関わらず1時間近く立ち話になってしまいました。


今ではおしゃれエリアとなっているミートマーケットエリアですが、当時は本当に肉の卸問屋とセックスクラブしかないマンハッタンの中でも怪しげなエリアでありました。ボクはミートマーケットエリアから半ブロックの14丁目に住んでいて、ウェスタンビーフ(Western Beef)という肉に冷蔵庫をそのまま売り場にしているスーパーマーケットには、毎日のように通っていました。道で知り合った数日後、ボクは「R」と、このスーパーマーケットで偶然に会うこととなるのです。


冷蔵庫のようなスーパーの店内で凍えながらも、再び会話は弾んで・・・「R」から週末にディナーパーティーをするので「ぜひ、おいで!」と誘われました。実は・・・このディナーパーティーには、ボクしか招待されていないという”よくある誘いの手”だったわけで・・・その夜ボクは「R」の部屋に”お泊まり”したのでした。


しかし、この夜に判明した残念なこともありました。「R」は、以前300キロ近い「超デブ」だったらしいのですが、厳しいダイエットの末に100キロちょっとまで減量に成功した人だったのでした。そのため、皮膚がドレープのように垂れているというトンデモない肉体だったのです。服を来ていると「洋梨体型」にしか見えないのですが・・・正直、視覚的にも、触感的も、かなりキツイところがありました。ただ、当時のボクはまだセックスに目覚めておらず、抱き合うだけの「バニラセックス」でも、それなりに満足だったし、何よりも「R」は人間的に魅力的な人で、体型の残念っぷりは何とか見逃すことができたのです。


また「R」は、Episcopal Church(米国聖公会)というキリスト教の宗派の元僧侶の一番偉い人(正式な名称は忘れました)・・・オーストラリアで生まれて10代で僧侶となり、30代でアメリカに渡り僧侶の長までになったという、宗教的なコミュニティーではたいへん知られていた人だったのでした。しかし、2年ほど前に突然「神の不在」を感じて、教会を離れたのでした。その後は元聖職者という経歴を生かして、セレブやハリウッドスターが顧客のカウンセラー(特にドラッグやセックス中毒の専門!)として働いているということでした。


経済的に豊かになり、教会という組織からも離れて自由な人生を歩み出した「R」にとって・・・あとは”ボーイフレンド”がいれば「人生は完璧」だと考えていたようでした。「R」は、性的には白人以外に惹かれるタイプで、黒人やラテン系のボーイフレンドを探していたらしいのですが、カルチャー的にも生活スタイルも合わない・・・・ということで、アジア系のボクに目つけたようです。ただ、ボクは体格的にも性格的にもアジア系のステレオタイプからは規格外・・・アジア系に黒人/ラテン系を足して割ったようなところもあったのかもしれません。「R」にとって、ボクが彼の求めていた要素を兼ね備えているように見えたのでしょう。


当時50歳だった「R」にとって、28歳の日本人のボーイフレンドは「トロフィー」のような存在だったのかもしれません・・・正直おこがましい事ですが。「R」は、週末には洒落たレストランで食事、時にはバレー公演などに足を運び、ホームパーティーで友人達と過ごす・・・という絵に描いたような「ゲイカップルのライフスタイル」を実践しようとしていました。「R」の友人の殆どは僧侶時代からの教会関係者の知り合いで、皆「R」のことが大好きで大好きで仕方ない”ファン”のような存在なのです。だから、どこの馬の骨だか分からないアジア人のボクを受け入れようという雰囲気はありませんでした。ボクに対して質問攻めを一通り済ませると、今度は手のひらを返したように無視・・・あくまでも「R」のボーイフレンドだから仕方なく仲間に入れてやっているという感じで、ボクにとっては「R」の友人達と過ごす時間は地獄のようだったのです。


付き合い始めてしばらくして堪らず「R」に「あの人たちとは一緒に過ごしたくない!」と訴えました。しかし「R」にとって「トロフィーボーイフレンド」であるボクが参加しないことは許せないことでした・・・努力が足らない」と逆に叱られてしまいました。友人達のなかで”スター”のように常に会話の中心にいる「R」の横で、ボクは存在しないかのように、ただ時間が過ぎるのを耐えるしかなかったのです。徐々にボクは言い訳をつくって、彼の友人達を避けるようになりました。


付き合い始めて半年以上過ぎた頃、「R」の誕生会が開かれることになりました。企画したのは勿論、教会関係者の友人達・・・会場はブルックリンの教会です。「トロフィーボーイフレンド」として不参加というのはありえません。仕方なく、自分の親友の「T」を引き連れて参ブルックリンの教会へ向かいました。


「R」の友人達は以前にも増して冷たくボクを迎えているようでした。社交辞令でお決まりの挨拶するだけ・・・パーティー会場で、ボクは親友「T」と部外者のように佇むしかありませんでした。ボクは、ただ早く時間が過ぎパーティーが終わることだけを願っていたのですが、そこに「R」の古いゲイの友人の「A」が現れて、何かと絡んできたのです。具体的な言葉は忘れてしまいましたが・・・「A」は人種差別的なジョークや意図的にボクを不愉快にさせるような威嚇をしてきました。親友「T」は「A」からボクを遠ざけるように誘導してくれたのですが、それでも「A」はボクを追いかけて、さらに挑発的な言葉を投げかけてきたのです。


それまで「R」の誕生会という手前、我慢してきたボクの堪忍袋の緒が切れました。手の持っていたワイングラスの中身を「A」の顔面にぶちまけました。そして「A」が怯んだ隙に、彼が手に持っていたディナープレイを下から弾いてやったのです。プレートにのっていたサラダや肉は「A」の頭の上から降り注ぎました。「A」は怒り狂い「このジャップが!」などと叫けび狂ったのでパーティー会場は大騒ぎ・・・「R」は頭を抱えて「ボクの誕生会が台無しだ!」と怒っていました。その言葉の聞いてボクはハッと気付きました・・・。


「R」にとって欲しいのは、あくまでも「トロフィーボーイフレンド」として、彼の思い描いたカップルを演じるべき存在だということ・・・ボクである必要はなかったのです。


ボクはパーティー会場を親友「T」と後にしました。そして・・・数日後「R」に別れたいと伝えました。「R」は、まだ誕生会でのボクの大立ち回りを根に持っていたようで、まったく引き止めることもなく、冷ややかに別れは承諾されました。その後「R」はフィリピン人のボーイフレンドを見つけたという噂を聞きましたが、ボクも別な人と付き合っていたので、もうどうでも良いことでした。


別れから数年後(1996年)「R」がガンで亡くなったことを新聞で読みましたが・・・涙ひとつも流れませんでした。


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