2011/05/21

相変わらずのカツマー節とカヤマー節~「むくわれない生き方」を変える本/香山リカ著&高学歴でも失敗する人、学歴なしでも成功する人/勝間和代著~



香山リカの「しがみつかない生き方」で勃発した「カツマー VS カヤマー論争」でありますが・・・それも昔。「そんなこともあったねぇ~」という程度の記憶になってしまいました。

論争ブームに便乗して”勝間本”、”香山本”というコーナーができるほど大量の著書が次々と出版され、テレビ番組にも頻繁に出演しておりました。今ではそのブームも一段落したようで・・・香山リカは朝のワイドショー(スッキリ!)などのコメンテーターを地味に続けていますし、勝間和代は”お得情報”を伝える荻原博子みたいなポジションに落ち着いた感があります。ボク自身、この二人に対してすっかり関心を失っていました。先日、二人の著書を書店で目にしたので、久しぶりに購入してみたところ・・・相変わらずのカツマー節とカヤマー節に”懐かしさ”を感じたのでした。

勝間和代の「高学歴でも失敗する人、学歴なしでも成功する人」は、そのタイトルからも明らかなように・・・”高学歴で失敗している人”に向けて書かれている本であることは確かでしょう・・・だって、学歴なしで成功する人は、間違っても勝間和代の著書には手を伸ばそうなんて考えないと思いますから。ただ、本書では”学歴なしでも成功する人”の実例はまったく出てきません。頭の良さを「アカデミック・スマート」「ストリート・スマート」に二分して、融通の効かない官僚的な頭の固い人=アカデミック・スマートと、本能的な機転が利いて柔軟性のある頭のいい人=ストリート・スマートと決めつけているのであります。

英語本来の意味のストリート・スマート(Street Smart)というのは「街のギャングなどの生き抜く術」とか「教室ではなく厳しい生活環境から学ぶこと」・・・ただ、勝間和代の解釈はかなり違うようです。まず、”ストリート・スマート”の実例として冒頭に繰り返し登場するのが、勝間和代ご本人という見事なまでの「自画自賛」・・彼女が自分以外で”ストリート・スマート”と賞賛しているが、孫社長や三木谷社長というのだから、”学歴なしで成功する人”からは非常にほど遠いのです。非常に高学歴であるだけでなく、社長業という立場にあり、事業的にも現在成功している人と自分を並列させてしまうところが、勝間和代のオコガマしいレトリックであります。

後半に進むにつれて、いつもの”カツマー本”となっていきます。もはや”アカデミック・スマート”や”ストリート・スマート”という概念は「切り口」でしかなく、着地点は「生産性」や「効率」を上げるという毎度お馴染みのカツマー理論。”勝間和代信者/カツマー”というのは「本当は私はもっと成功しているはずだ!」という自己評価だけは高いという人種・・・「効率を良くすれば、私”だけ”は必ず成功する!」と思い込んでいるのだから、容易に「私もストリート・スマートなはず!」と思ってしまうのかもしれません。

香山リカの『「むくわれない生き方」を変える本』は、これまたカヤマー節の「頑張っている自分のこと認めてあげよう!」という、いつもながらの”自己愛”の謳歌でありました。ただ、これも”ある程度”のレベルをクリアしている人に対して効果的な優しい意味のある言葉であって、本当にどうしようもない状態にある人には、そんな生温いこと言ってたら生きていけないような気もしてしまいます。

臨床の実例をあげて、いかに「むくわれない」という感情が、その個人の立場と感情的な受け取り方によって違うか・・・という解説になるわけですが、そんなこと言われなくても”当たり前”の話。さらに分かりきっていることというのは・・・胸を張って「むくわれている」と思っている人よりも、「むくわれてない」と思っている人の方が多いということ。人間というのは、どれだけ人から羨ましがられようとも、満たされない心を持ってしまう贅沢な生き物であるわけです。そう考えると「あなたは、むくわれていないはずよ!」っていうのは、ほぼ100%誰にでも当てはまる言葉であって、占い師の方便と、それほど変わらないのかもしれません。

東日本大震災と福島第一原発事故の後は、もはや、効率や生産性を高める”個人の努力”や、むくわれているという”気持ちの持ち方”というレベルで、我々の抱える問題を解決出来るような事態ではなくなてしまった気がしています。



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