2018/06/24

ハードコアポルノ映画のパイオニア/ジェラルド・ダミアーノ(Gerard Damiano)監督の”後味の悪い”作家性~「ディープ・スロート/Deep Throat」「ミス・ジョーンズの背徳/The Devil in Miss Jones」「爛れた欲情/Memories Within Miss Aggie」「スーパーラブマシーン・ジョアンナ/The Story of Joanna」~


ハードコアポルノは「スタッグ・フィルム/Stag Film」と呼ばれて、アメリカやヨーロッパでは20世紀初頭から存在していました。当初ムービカメラは非常に高価でしたし、撮影や照明にも技術が必要で、誰もが映画を製作できるわけではありません。映画館で興行することはできないので、お金持ちのコレクション用、または売春宿で客に上映するために、高額で闇マーケットで取引されていたそうです。

アメリカでは「ヘイズ・コード/Hays Code」(1968年廃止)により、性的な映画表現は厳しく規制されていましたが「ループス/Loops」と呼ばれる短編ポルノフィルム(その多くは無声だったらしい)は作られていました。ストリッパーが徐々に脱いでいくというソフトなものから、緊縛系のSMプレイやフェチもの、ただただ性行為を撮影したハードコアポルノも存在してそうです。ビデオブースの中で観賞するスタイルが一般的だったようで、いくつかのパートに分かれていて続きを観るためには課金し続ける必要があったと言われています。

1960年代になると、ループスやスタッグを上映するアンダーグランドの小さな映画館のようなものも存在していたそうですし・・・性教育という名目で性行為を見せる”ポルノまがい”の性教育映画や、ヨーロッパ(主にスウェーデン産)のセックス描写のある映画なども上映されることもあったとようです。厳しい規制の中でもアメリカではポルノ業界は存在していたわけで・・・「性の解放」や「表現の自由」が反体制的な政治思想と結びついて「ハードコア映画の解禁」という流れになっていきます。


アメリカ国内の”映画館”で上映された最初の「ハードコア映画」には諸説あるようなのですが・・・1969年6月に公開されたアンディ・ウォホールが製作、監督、脚本、撮影、配給した「ブルームービー/Blue Movie」(別タイトルは「ファック/Fuck」)のようです。多くのウォホール作品がそうであるような即興演出と撮影で、アパートメントのひと部屋でカップルがベトナム戦争について語ったり、実際に性行為に及ぶという内容で、いわゆる”ポルノ映画”とは違うような気がしますが、「ポルノ・シック/Porn Chic」の先駆けかもしれません。

”商業的”映画館で上映された最初の「ハードコア映画」は、1971年11月にニューヨークの劇場で公開されたゲイポルノ映画「ボーイズ・イン・ザ・サンド/Boys in the Sand」と言われています。初めてゲイを真っ正面から扱った舞台劇/映画「真夜中のパーティー/Boys in the Band」をもじったタイトルですが、内容的には全く無関係。3部構成(浜辺, プールサイド, 室内)になっており、主演男優(ケイシー・ドノヴァン/Casey Donovan)が複数の相手役と様々な性行為をするという・・・その後のアダルトビデオの原型を完成させていると言えるでしょう。

「ボーイズ・イン・ザ・サンド」公開の翌年となる1972年6月に、ジェラルド・ダミアーノ(Gerard Damiano)監督の「ディープ・スロート/Deep Throat」がニューヨーク市内のブロードウェイの劇場で公開されて、2年半という記録的なロングランとなります。ちなみに(ソフトコアですが・・・)日本では前年の1971年11月に日活ポルノ第1号の「団地妻 昼下がりの情事」が公開されており、ポルノ解禁の流れは世界的であったようです。また「ディープスロート」の公開から僅か2ヶ月後には、もうひとつの「ハードコア映画」黎明期の大ヒット作「グリーンドア/Behide the Green Door」がアメリカで公開されています。


ジェラルド・ダミアーノは、ポルノ業界に進出するまでは、ニューヨーク市クイーンズ地区で妻のヘアサロンを手伝っていた美容師だったのですが、既婚女性と接する機会が多い職業であったことから、当時の女性達たちがいかに性的不満を抱えていたかを知ったそうです。低予算で自由に表現できる手段としてポルノ(ヌード)映画を制作することが若い世代(ヒッピー)に流行っていたこともあり、仲間を集めて短編のループスを撮影するようになります。当時のポルノのビジネスは、反社会組織(マフィアなど)が牛耳っていたこともあり犯罪的な行為でもあったわけですが・・・思想的な革命としての意義を若い世代は見出していたのかもしれません。


そんなダミアーノ元に、チャック・トレイナーという男が自分の妻リンダ(後のリンダ・ラブレース)を売り込みに来ます。それまでもリンダはポルノ女優としてループスには何本も出演していて、その中には犬との獣姦というトンデモナイものもあったそうです。胸が大きいわけでもなく、顔もどこにでもいそうな平均的なルックスで、ポルノ女優としてはイマイチだと思われたリンダでしたが、ハリー・リームスと共演したループスの中で、喉の奥までアレをくわえこむという得意技を披露して、ダミアーノに「ディープ・スロート」のアイディアを与えます。当時、ループスは16ミリ撮影で数時間で撮影するのが通常で、35ミリで撮影された「ハードコア映画」というのは存在していなかったのですが、ダミアーノ破格の2万5千ドルという資金を調達して、ロケーション撮影やオリジナルでサウンドトラックも製作するという本格的な”映画”として製作するという勝負に出たのです。


エッチしても絶頂を感じた経験がないリンダ(リンダ・ラヴレース)は、欲求不満をつのらせています。それを聞いた淫乱な近所の主婦ヘレン(ドリー・シャープ)は、男達を集めて次から次にリンダとヤラせてみるのですが、鐘が鳴り響くような(!?)快感を感じることができません。そこで、ヘレンが奨めるヤング医師(ハリー・リームス)の元を訪れます。診察によると、リンダのクリトリスは喉の奥にあることが判明・・・さっそく(!)ヤング医師自身のモノでディープ・スロート(喉の奥まで吸い込む)を試すのです。するとリンダは鐘が鳴り響くかのごとくオーガズムを感じて、ヤング医師はロケット発射のように果ててしまいます。オーガズムを知ったリンダは、ヤング医師の助手看護婦となり、男性患者の元を訪れてディープスロート治療(セラピー)をするようになるのです。強姦プレイ好きのボーイフレンドのウォルバー(ウィリアム・ラブ)からリンダはプロポーズされるのですが、アソコのサイズが合わないからと断りそうになるのです。しかしヤング医師の手術で、アソコがどんなサイズにもできると分かって「めでたし、めでたし」となり映画は終わるのです。


「ディープ・スロート」の商業的な成功が「ポルノ黄金期/The Golden Age of Porn」を導いたことには違いありません。「クリトリスが喉の奥にあったら」という(冗談のような)設定、フェラチオという行為に特化したポルノが当時は少なかったこと、それまでのポルノにはなかったコメディタッチ、”ディープ・スロート”というキャッチーな造語により、世間の注目を集めるわけですが・・・上映禁止を訴えるアメリカ全土規模での裁判沙汰や、ネットワークテレビのトークショー(ジョニー・カーソン・ショーなど)で取り上げられたことが、何よりも宣伝になり興行的な成功に拍車をかけたと言われています。


余談ですが・・・モザイクだらけで公開された日本では「元祖・巨根男優」として有名なハリー・リームスですが、実際は比較的普通のサイズ(16センチ程度?)なのです。映画の中でリンダが「9インチ(約23センチ)ないと満足できない」と言及するシーンがあるので、その台詞に由来して日本では「25センチ砲」などと宣伝されたのかもしれません。ハリー・リームスの「巨根伝説」が日本限定であったことは、実物をモザイクなしで観ることができなかったことが幸いした(?)こともありますが・・・当時の日本人がアメリカ(広くは西洋人)に持っていた肉体的な劣等感があったのではないでしょうか?


「ディープ・スロート」の公開当初、女性が積極的にオーガズムを追求するという描写に、保守的な男性たちはドン引きし、先進的な女性たちは共感したそうです。しかし「フェラチオで女性も感じている」という男性にとって都合の良い思い込みを増長させることが指摘されるようになると、女性運動家たちから問題視されるようになります。リンダ・ラヴレースが「ディープ・スロート」で受け取った出演料は僅か1250ドル(当時の為替で45万円程度)だったと言われていますが、世間から”時の人”としてセレブ扱いを受けていた時には「有名になれたからお金のことは気にしない」と語ってたそうです。しかし、その後「ディープ・スロート PART 2」などのソフトコア映画には出演したものの、再び「ハードコア映画」には出演することはありませんでした。


「ディープ・スロート」公開2年後には、チャック・トレイナーと離婚して、一般男性と結婚したリンダは「前夫に脅迫されてポルノ出演させられた」と告発して、女性運動家たちと共に「反ポルノ活動」に参加します。しかし、リンダやチャックと関わりのあった多くの人物からは、リンダが自らの過ちを正当化するために捏造したと指摘されていて、女性運動家に利用されただけという見解もあるようです。実際、世間の風は厳しくて、リンダの改心は素直には受け入れられず、一般人として働いていた職場を追われることも多々あったと言われています。不慮の事故で亡くなる数年前(2000年頃?)には、自身の伝記本の宣伝のために50歳にしてヌードグラビアに登場して世間を再び驚かせましたが、告発の主張を変えることはことはなかったそうです。長引いた裁判、主演女優の告発、反ポルノ活動の標的となった「ディープ・スロート」は、決して後味が良い作品だとは言えません。


「ディープ・スロート」の興行的な成功(と多くの裁判沙汰)の中、ジェラルド・ダミアーノ監督は「ミス・ジョーンズの背徳/The Devil in Miss Jones」を制作するのですが・・・これがトラウマになるような後味の悪い作品なのです。

ニューヨークに暮らすジャスティン(ジョージナ・スペルヴィン)は、セックス未経験のまま30代半ばになってしまった孤独な未婚女性・・・ある日、浴槽で手首を切って自殺してしまいます。気付くとジャスティンは、天国と地獄の中間の”リンボ”という場所(本作内では質素なお屋敷のひと部屋という感じ)にいて、アパカ(ジョン・クレメンス)という天使から「自殺したので、天国に行くことはできない」ことを伝えられるのです。処女を守って罪なき人生を歩んできたのに、たった一度の自殺という過ちのために、地獄へ行く選択しか与えられないことに苛立ったジャスティンは、生前は決して犯すことはなかった”肉欲”を満足させたいと懇願します。すると、アパカは十分欲望を満たしたと彼が判断したら再び呼び戻すという条件で、ジャスティンの願いに応えます。


ジャスティンは、ザ・ティーチャー(ハリー・リームス)が待つ部屋へと導かれます。ジャスティンは自らの欲望を剥き出しにして、思う存分男性のモノに頬ずりしたりしゃぶったりして、自分から跨がって念願の処女喪失も叶えるのです。ザ・ティーチャーは痛がるのもおかまいなしにジャスティンのアナルを犯すのですが、次第にジャスティンにとっても快感へと変わっていきます。その後・・・女性と濃厚なレズビアン行為をしたり、水道ホース/果物(バナナ)/生きている蛇などでマスターベーションしたり、何人もの男の精液を飲み干したり、二人の男から前と後ろに同時に二本挿しされたり、すっかり”セックス中毒”となってしまうのです。ここに居残りたいというジャスティンの願いも虚しく、欲望を満たすのに許された短い時間は終わりを告げ、アパカによりジャスティンは地獄へ送られることになります。


ジャスティンが辿り着いた地獄とは、想像のハエを捕まえることに執着しているセックスにも女性にも無関心な男(ジェラルド・ダミアーノ)と、永遠に狭い部屋に閉じ込められること・・・それは、ジャスティンがいくらセックスを懇願しても応えてもらうことはなく、どれだけマスターベーションに耽ってもオーガズムを得るができないという”肉欲”の罪を知ったからこその”地獄”だったのです。


「ディープ・スロート」のコメディタッチとは真逆のダークな物語は、”性の歓び”を真っ向から否定しているかのようで、ポルノ映画の観客である男性を萎えさせそうであります。さらに、ジャスティンを演じる主演女優のジョージナ・スペルヴィンは、撮影時30代半ばを過ぎで普通に”おばさん顔”なのですから・・・。ジェラルド・ダミアーノ監督はイタリア系アメリカ人で、カトリックの家庭で生まれたことが影響を与えているのかもしれません。おおらかに性(セックス)を受け入れるというよりも、背徳感や罪悪感を伴った”業(ごう)”を感じさせるところから、そもそもポルノ映画としての”機能”を果たすことさえ否定している気がしてしまうのです。

日本では1975年に「ディープ・スロート」と「ミス・ジョーンズの背徳」の2作品を再編集して、日本独自で追加撮影したシーンを加えた2部構成で公開されています。当時の規制は大変厳しく、あまりにもカットされたシーンが多く、一本の映画として成り立たなかったための苦肉の策だったようです。ボクは、このバージョンを1980年頃の名画座で観たような記憶があるのですが・・・白く抜かれた大きなモザイク、同じカットを繰り返す編集、構図の一部を切り取った粗い画面で、一体何が行なわれているか全然分からなくて、ストーリーも記憶にありません。そんなシロモノでも、映画館で上映して商売になったことに驚いてしまいます。


1974年に制作された「爛れた欲情/Memories Within Miss Aggie」は「ミス・ジョーンズの背徳」よりも、さらにダークな物語で・・・もはやジャンルとしては”ホラーサイコサスペンス映画”と言えるのかもしれません。今回取り上げたジェラルド・ダミアーノ監督作品の中では、それほど語られることがない作品ではあるのですが・・・映画としての出来はなかなかです。


雪が深く人里離れた小屋に、リチャード(パトリック・L・ファレーリ)という車椅子生活の男性と同居するアジー(デボラ・アシラ)は、見た目からして幸の薄そうな貧しい中年女性・・・いかにしてリチャードと出会い、一緒に暮らすことになったかを思い出そうと、鏡の中の自分に問いかけています。過去を振り返るときのアジーの姿は若くて美しく、またリチャードも中年男の姿ではありません。アジー役も、リチャード役も、エピソードごと違うキャストによって演じられているのです。


小柄でブロンドの髪をもつアジー(キム・ポープ)は、まだ男性を知らない純粋な娘・・・ある日の帰宅途中、見かけたことない青年リチャード(エリック・エドワーズ)と橋の上ですれ違います。お互いにひと目惚れしたアジーとリチャードは、アジーの小屋で愛を確かめ合うのです。処女のアジーに優しくキスをするリチャード・・・オーラルセックスでお互い感じ合って、アジーはリチャードこそ待っていた王子様なのだと確信します。しかし、これは実際に起こったことではなかったと現実のアジーは気付くのです。


黒髪の娘アジー(メリー・スチュアート)は、素行が悪いという理由で母親によって納屋の二階に閉じ込められている孤独な娘・・・淋しさを紛らわすかのように、人形を入れたリ出したりしてマスターベーションに耽っています。干し草を届けにきた近所の農夫のリチャード(ハリー・リームス)を納屋に誘い込んで誘惑・・・興奮したリチャードは服を脱いで自分の股間をアジーの目の前に差し出して、アジーにしゃぶらせるのです。アジーにとって自分に関心をもってくれる誰かがいることが嬉しく、リチャードに性的な奉仕することも歓びのようで、四つん這いで犯されて苦痛に感じても、ただ耐えるのであります。しかし、これも実際に起こったことではなかったと現実のアジーは気付くのです。


娼婦のアジー(デボラ・ロイド・レインズ)は、引っ込み思案な客のリチャード(ラルフ・ハーマン)のためにオナニーショーを演じて見せるのですが、眺めているリチャードはアジーとの激しいオーラルセックスを妄想しています。そして、しゃぶるまくるアジーの顔にリチャードは発射してしまうのです。しかし、これもまた実際に起こったことではなかったと現実のアジーは気付くのです。

「どうして思い出せないんだろう」とアジーが話しかけたリチャードの姿は、ミイラ化した黒い死体・・・しかし、アジーにとっては、まだ男性の姿が見えているようです。ここからの回想は、中年女性の姿のアジーとリチャードになります。ある日、一人暮らしで孤独なアジーが教会に立ち寄った帰り、行くあてもなく彷徨っているリチャードという中年男と偶然出会うのです。アジーはリチャードを自宅に招き、風呂を沸かし食事をつくって”もてなす”のですが・・・「ずっと、あなたのような人が来るのを待っていた」というアジーに正直リチャードはドン引きしてしまいます。それでも「ひと晩だけでも泊まっていって」と懇願するアジーにリチャードも根負けして滞在することにするのです。


その夜中、アジーは白いアンティークのドレス(まるでウエディングドレス!)を着てリチャードの眠る部屋に侵入します。それまで男性との経験はないアジーは、リチャードに処女を捧げるつもりのようです。明らかにアジーに対して気持ちがないリチャードではありますが、アジーの強い思いに心を動かされてしまいます。「誰だって淋しいんだ」と、リチャードがアジーを受け入れるような優しい言葉を投げかけた途端・・・アジは隠し持っていた大きな包丁で、リチャードの目をひと突きするのです。それから、どれほど年月が経ったのかは分かりませんが、リチャードの遺体はすっかりミイラ化しています。実際には起こっていない記憶を辿っては妄想がふくらみ・・・そして、現実に耐えきれずに再び記憶を失ってしまうということを繰り返しながら、これからもアジーは孤独に暮らしていくのです。


同じ女優と男優の絡みでは飽きてしまう・・・というポルノならではの事情もあったと思いますが、同一人物である役柄を全く違うキャストで演じるというのは、斬新なアイディアだったのではないでしょうか?アジーの多人格性を表していると同時に、冴えない中年女性のアジーが自己投影しているのは、若くて美しい全くの”別人”であることに痛々しさも感じます。ミイラ化したリチャードと、これからも妄想し続けながら生きていくアジーの孤独に、絶望の底に落とされたような気分にさせられるのです。

原題の「Memories Within Miss Aggie(直訳:アジーの内にある思い出の数々)」は、少々ネタバレ気味のタイトルかもしれません。エンディングのオチは「サイコ」の影響を受けたことは、ダミアーノ自身も認めているようですが、当時盛んに作られていたサイコミステリー映画にありがちの展開にも似ています。「過去に犯した殺人の記憶を犯人自身が失っている」という設定は、今でも十分通用するようで・・・最近の邦画(「ユリゴコロ」「彼女が その名を知らない 鳥たち」など)でも”サプライズ”として使われているのですから・・・。


ポルノ映画界の巨匠となったジェラルド・ダミアーノ監督が、破格の予算をかけて製作したのが「O嬢の物語」からインスピレーションを得たハードコア大作「スーパーラブマシーン・ジョアンナ/The Story of Joanna」です。豪華な屋敷でのロケーション撮影されて、全編に渡ってクラシック音楽が流れて・・・”重厚なアートフィルムのような作風”と”練り上げられた猥褻な台詞”は、ヨーロッパのエロティック大作に匹敵しているかもしれません。


舞台は1920年代、もしくは1930年代・・・大富豪のジェイソン(ジェイミー・ギリス)は、ナイトクラブでジョアンナ(テリー・ホール)を見初めて、広大な屋敷に招き入れます。優雅な食事のあと、愛とセックスについて哲学的な論議をしていたら、いきなりジェイソンはジョアンナに屈辱的な指示を与えて、痛がるジョアンナのアナルを無理矢理犯してしまうのです。ジェイソンの目的は、ジョアンナを愛の見返りを求めずに快楽を与えることだけの性奴隷とするため・・・それからは、全裸で男性ダンサーとバレーを踊らせたり、三人の男性ゲストたちにジョアンナを犯させて眺めたり、首輪をつけてオーラルセックスを強要したりと、ジェイソンのサディスティックな調教が続きます。実生活でもアナル大好きで”ドS”でもあるジェイミー・ギリスが演じているのですから、なんともリアルなのです。


ただ、優しく愛されてセックスしたいと願うジョアンナに、ジェイソンはジョアンナの寝室に執事のグリフィン(ザベディー・コルト)を送り込むのです。グリフィンはジョアンナを崇拝するかのように、ジョアンナが求めていたような優しく愛情溢れたセックスをして、ジョアンナをたっぷり満足させます。ポルノ黄金期のハードコア映画の中で最もエロティックなセックスシーンと言われているのですが・・・日本公開時には殆ど何も観ることはできなかったのではないでしょうか?自分以外の男で性的に満足した罪により、ジョアンナは鏡張りの部屋(「上海からきた女」のパクリ?)で、ジェイソンから鞭打ちを受けることになります。メイドもメイドで・・・鞭の持ち手をジョアンナに挿入したり、傷の治療をしながらレズビアンセックスをしたりと、やりたい放題です。


ジョアンナはジェイソンに忠誠を誓うため・・・長い髪を切り落とします。実は、ジェイソンには死期が迫っていて、自分の処刑人としてジョアンナを選んでいたことが分かるのです。ジェイソンはピストルを自分の頭部にあてて、ジョアンナに引き金を引くように命令します。銃声とともにジェイソンは即死・・・それでも、いつもと変わらずに夕食の準備をするようにと執事のグリフィンに、新しい女主人としてジョアンナが指示をするところで、本作は終わるのです。


さて・・・本作には、当時のポルノ映画(ストレートもの)としては衝撃的(?)なシーンがあり、一般的な観客からは後味の悪い作品として記憶に残ることになってしまいます。執事のグリフィンが、全裸のジェイソンをオイルマッサージするシーンがあるのですが、徐々にグリフィンの手がジェイソンの股間に伸びていき、ごく日常的なことのようにフェラチオし始めるのです。ゲイポルノ、または、バイセクシャルポルノとして宣伝していないストレートのポルノ映画で、男性同士の性行為を見せるのは、明らかな違和感・・・男性の観客がドン引きしたことは容易に想像できます。それは、予測しうる限界を常に超えようとするジェラルド・ダミアーノ監督のチャレンジ精神なのかもしれません。

現在の感覚で、これらの作品を”ポルノ映画”として視聴すると、正直古さを感じるでしょう。しかし、ジェラルド・ダミアーノ監督の”業”のような自己矛盾を垣間みれる後味の悪い作家性は、ボクの心には突き刺さるのです。

「ディープ・スロート」
原題/Deep Throat
1972年/アメリカ
監督 : ジェラルド・ダミアーノ(ジェリー・ジェラルド名義)
出演 : リンダ・ラブレース、ハリー・リームス、ドリー・シャープ、ビル・ハリソン、ウィリアム・ラブ、キャロル・コーナース、ボブ・フィリップス、テッド・ストリート
1975年8月16日、日本劇場公開「ミス・ジョーンズの背徳」との再編集版

「ミス・ジョーンズの背徳」
原題/The Devil in Miss Jones
1973年/アメリカ
監督 : ジェラルド・ダミアーノ
出演 : ジョージナ・スペルヴィン、ハリー・リームス、ジョン・クレメンス、マック・スティーブンス、リヴィ・リチャーズ、ジュディス・ハミルトン、スー・フラケン、ジェラルド・ダミアーノ
1975年8月16日、日本劇場公開「ディープ・スロートとの再編集版

「爛れた欲情」
原題/Memories Within Miss Aggie
1974年/アメリカ
監督 : ジェラルド・ダミアーノ
出演 : デボラ・アシラ、パトリック・L・ファレーリ、キム・ポープ、メリー・スチュアート、デボラ・ロイド・レインズ、エリック・エドワーズ、ハリー・リームス、ラルフ・ハーマン
1976年2月28日、日本劇場公開

「スーパーラブマシーン・ジョアンナ」
原題/The Story of Joanna
1975年/アメリカ
監督 : ジェラルド・ダミアーノ
出演 : ジェイミー・ギリス、テリー・ホール、ジュリエット・グラハム、スティーブン・ラーク、ジョン・ブッシュ、ジョン・コヴェン、ボブ・ステーブンス

1981年12月、 日本劇場公開



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