「ヴィレッジヴァンガード」という本屋さんが僕は好きで、吉祥寺とかに立ち寄った時には必ず足を運びます。
欲しいと思った本はアマゾンで購入してしまうので、さらに読みたい”本”を探す必要があるのかとは思うのですが・・・普通の本屋さんとは違う視点で本が陳列されているので、自分が読みたいと思ってもみなかった本と出会える場所なのです。
先日、その「ヴィレッジヴァンガード」をブラブラしていたら、人生相談本のコーナーに数年前に出版された北方謙三著の「試みの地平線~伝説復活編~」という本を発見しました。
僕はハードボイルドや中国小説に興味がないので、北方謙三氏の本を読もうと思うことは今までなかったのですが・・・肉食系親父のフェロモンを感じさせる表紙に惹かれて(?)手に取って購入してみたのです。
北方謙三氏のイメージを裏切らない男目線の返答に最初は失笑し、感覚的に時代錯誤を感じながらも、次第に書かれているメッセージに頷いてしまったのでした。
この本は、1986年から2002年まで「ホットドッグ・プレス」という雑誌に連載されていた北方謙三氏による同名の人生相談から抜粋されています。
僕の世代にとっては「ポパイ」と並ぶスタイル誌ですが、どちらかというと「ホットドッグ・プレス」は垢抜けていない田舎者向け(失礼!)というイメージです。
アッシーくん、メッシーくんのバブル時代から、草食系男子が出現する直前までの時代に「男はどうあるべきか」を北方謙三氏は繰り返し訴えているのですが、世の男子は彼のメッセージとは違う方向に向かってしまった印象があります。
「ソープで筆おろし」「痩せ我慢の美学」「男のこだわり」「男らしい生き方」などなど・・・僕自身は若い頃、そういう教えに違和感を感じたタイプであったのですが、ある程度の洗脳(?)というのは、正しい”大人の男”になるためには必要な過程だったのかもしれないと、40代という親父に自分自身がなってみて感じることがあるのです。
思い返せば・・・1970年代には、このような「男とは、こうあるべきだ!」的な教えというのは、少年誌/青年誌の思想的なベースにあったような気がします。
歴史的に「大人の男」になるためにはイニシエーションがあったものですが、そういう儀式がなくなってしまった現代では、学校や会社という組織内で行う必要があるわけです。
クラブ活動の中での先輩からのシゴキとか、会社での非人間的な研修とかは、ある意味、子供の時代の自分を否定されて(殺されて)生まれかわる作業であり、先輩からの教えによって自我が「大人の男」として再構築されるという大事な過程だったのでした。
しかし、そのようなイニシエーションが殆どなくなった現在では、男の美学として矯正されていた男のもっている気質が、歪んだ形(オタク、ストーカー、キレやすい、ロリコンなど)で、残されてしまったような気がします。
北方謙三氏は僕より16歳ほど年上なのですが、この人生相談の連載スタート時、彼は「39歳」でした。
時代は違うといっても、その親父っぷり、先輩っぷりに、改めて驚かされます。
確かに、僕らの世代が若い頃には北方謙三氏のような先輩は、”避けようとしても”存在していて、何かと説教くさいことを言っていました。
しかし、時代は女性の意志や権利を尊重するという正しい(?)考え方が主流となり、男性至上主義な「男でござる」的な発想は衰退していきました。
また、個性を尊重するという考え方よって、半強制的に「男たるもの」を教えるということもなくなっていきました。
僕らの世代が自分の下の世代に、北方謙三氏のような「先輩」になれなかったということが、草食系男子を生んだ原因のひとつではないのでは・・・と、思わさせられたのでした。
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