1980年代からファッションに関わってきた僕の世代にとって、フセイン・チャラヤンというファッションデザイナーは、わりと最近のひと・・・という印象があるのですが、すでに15年以上コレクションを発表していると聞くと、時の流れを時間を感じずにはいられません。
現在、東京都現在美術館で行われている「フセイン・チャラヤン展」では服だけではなく、ファッションショーや彼の制作したフィルムの上映、彫刻作品(フィルムに使用されたオブジェ)の展示で、ファッションにまつわる創作活動のすべてを振り返っています。
フセイン・チャラヤンが、デザイナーとして世界的に注目されたのは1998年のコレクションだったと記憶しています。
イスラム圏の女性が身につけているようなベールで顔を隠して目だけを出したモデルの姿は、宗教的というにはミニマルなデザインでしたが、異質な感性を感じさせました。
2000年には、彼のシグニチャーになるような重要なピースがいくつも発表されました。
リモコンでスカートが開くと中からピンクチュールのチュチュが見える飛行機の機体のようなツルツルしたファイバーグラス製の白いドレス、高密度にギャザーされたピンクチュールを彫刻的に刈ったドレス、ポストモダン風の椅子のカバーやテーブルがドレスやスカートに変貌するというパフォーマンスはファンションとインテリアの境界線を超えたと評価されました。
その後は、服のパターンを分解/再構築したアメシトリーなデザインをベースに、民族衣装と黒いミニマルデザイン、土産っぽいトロピカルプリントとフリル、ジッパーと渦巻きのような穴、LEDライトが縫い込まれた素材、機会仕掛けで形状の変化するドレス、ビームライトを放つドレスなどなど・・・コンセプチュアル・ファッションを発表し続けていきました。
”コム・デ・ギャルソン”の影響を指摘されるフセイン・チャラヤンですが、アメシトリーデザインの多用や服のパターンの分解と再構築という共通項はあるものの、服のシルエットやアイテムの構成はニューヨークファッションに近い印象があります。
ファッション、インテリア、フィルムアートの既成概念に反するのではなくて、それらのコンセプチュアルな要素をボーダーレスにコ引用して融合しているというのが、フセイン・チャラヤンの方向性のような気がします。
ファッションとしては、マーケティング的な観点でのフセイン・チャラヤンならではの女性像のイメージというのは希薄で、女性の身体の形状に対しての造形的なクリエーション/アートとなっていることが多いかもしれません。
故に、デザインの形状的にも素材的に実際に女性が着ることを前提にする必要もない・・・というか、、不可能(?)なファッションという「本末転倒」な服でもあるのです。
コンセプトを重視した”観賞する”ファッションは、服という範囲の中での表現の限界を探る上で必要な創作活動だと思います。
20世紀以降は、様々なデザイナーによって、いろんな実験的なファッションが発表されてきました。
いつの時代でも若いクリエーターは、すでに確立された既成概念を壊したい/超えたいという創造意欲を持っているもので、コンセプチュアルな”鑑賞するファッション”への傾倒というのは、ひとつの挑戦であります。
ただ、デザイン的に飽和状態の今という時代に、コンセプチュアル・ファッションは、どれほどその発想が新しくても、ファッションの歴史で行われきた表現のひとつでしかないという”限界”も、見えてきているのかもしれません。
フセイン・チャラヤン/ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅
東京都現代美術館企画展示室B2F
2010年6月20日まで
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