2009/10/30

テーマは「ホラーな白衣の天使!」・・・約20年前のハロウィンでの女装


ハロウィンというイベントは、今ではスーパーマーケットにハロウィンのお菓子コーナーがあったり、東急ハンズとかでは仮装用のコスチュームが販売されていたりしますが、僕が子供の頃には日本では殆ど知られていませんでした。

今どきの日本の子供にとっては、単に仮装して集まってお菓子を貰えるイベントなのでしょう・・・家の近所の英語スクールでは、仮装した子供達を公園に集めていますが、家々を歩いてまわって「Trick or Treat?/お菓子をくれないとイタズラするぞ!」とやっている様子はありません。

あくまでも、内輪のパーティー感覚のイベントのようです。


長年、僕はアメリカで生活していましたが、ハロウィンの仮装したのはニューヨークに住んでいた約20数年前に、たった一度しか経験がありません。

ドラッグクィーンの美容師の友人がいてメイクとヘアセットを頼めたことと、知り合いのミュージシャンから撮影用のかつらを借りることができたので、友人とテーマを決めて仮装しようということになったのです。

衣装や靴にはお金をかけられなかったので、ディスカウントストアで安く買うことの出来た、看護婦用の白衣、ナースハット、ナースシューズを購入して「白衣の天使」に扮することに決めました。

僕は赤ん坊の人形と浣腸器も買って、ホラーな演出も加えることにしたのです。


ハロウィン当日、仲間全員の準備が終わったのは夜の9時過ぎ・・・グリニッジビレッジで行われていたパレードは、すでに終わっていました。

そこで、ハロウィンの夜、ニューヨークで一番盛り上がるクリストファーストリート(当時、一番のゲイエリア)に繰り出すことにしたのです。

7番街のストリートの入り口に到着してみると、あちらこちらに女装をしたグループが、カメラのフラッシュを浴びたり、観客達を盛り上げていました。

僕は負けるものか(?)と、道の真ん中に飛び出して赤ん坊の人形と浣腸器を振り回してみると・・・「浣腸して~!」と、たくさんの人が集まってきたのです。

浣腸マニアの看護婦になりきって数百メートルのストリートを歩いたことで、一生分のハロウィンの楽しさを味わったようなひと晩でした。


10月31日というのは、元々、カトリックの聖人を祝う日とケルト民族の大晦日だったそうなのですが、アメリカへ移住した移民によってハロウィンの習慣となったそうです。

この時期には、日本のお盆のように死者や魔物がこの世に戻ってくると考えられているので、魂を取られないように魔物に似た「化け物」の仮装するようになったらしいのです。


ハロウィンに「女装」というのは・・・考えようによっては、ちょっと皮肉な行為なのかもしれません。


註:二枚の画像は看護婦の女装をした20数年前の「僕」です・・・あしからず。


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2009/10/28

なんにもない楽しかった過去から現在へのフラッシュバック~「横道世之介」/吉田修一著~


1980年代の日本というのは、僕から抜け落ちている時代です。

1981年9月15日にニューヨークの留学へ発ってから、その後10年の間に里帰りしたのは僅かに3回でした。だから、DCブランドブームも、バブル経済も、この目で目撃した記憶がないのです。

ただ、そのかわり渡米直前の1980年前後というのは、僕にとって特に記憶に残っている懐かしい時代でもあります。


吉田修一著の「横道世之介」は、そんな80年代初頭の東京を舞台にした物語です。

好色一代男と同じ名前を持つこの主人公ですが、破天荒でも、モテモテでもなく、地方から上京してきた大学生という設定で、これといった大事件が起こるというのでもありません。

彼の取り巻く同級生やアパートの住人に起こる出来事に巻き込まれたりしながら、ちょっとだけ成長していきます。

80年代を描きながら、おしゃれ感を感じさせないところは、当時の普通の学生はトレンディーな「80’s」でなく、ちょっとだけ70年代を引きずったようなダサい日常を生きていたことを思い出させました。


誘われるままにサンバサークルに入ってしまったり、同級生の男友達と女友達に子供がデキちゃって退学して結婚したり、ちょっと怪しい仕事をしている年上の女性に恋したり、天然のお嬢様に好かれてアタックされたり、都内のホテルでルームサービスのアルバイトしたり、間違って届けられたバレンタインのチョコレートが縁でカメラと出会ったり・・・大学入学の4月から翌年の3月までの一年の(ある意味)たわいもない物語が淡々と語られます。

しかし、全体からすると一割にも満たないものの、効果的に数回挿入される、現在へのフラッシュバックが、この小説のキモのような気がします。


世之介に関わった登場人物らの40代となった現在の日常が語られるのですが、20数年間に起こった出来事については一切説明がなく、それぞれの人生がどうであったのかは想像するしかありません。

ただ、世之介と登場人物らの接点は、その後はそれほどなかったことは推測出来ます。

それは、時間の流れを重く感じさせると同時に、過去の日常を懐かしく感じさせています。

物語の最も劇的な出来事は現在に起こるのですが・・・思い返すことも少なくなっていたからこそ、その切なさに強く胸を締めつけられるものなのかもしれません。


この本を読み終って、今では行方も分からなくなってしまっていたり、記憶の片隅になってしまっていた、昔の友達のことを思い出してみたくなりました。

古い写真がつまったダンボール箱をクローゼットの奥から取り出して、久し振りに懐かしい顔を見つけました。



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2009/10/25

めのおかしブログへの「コメント」ができるようになりました

ありがたいことに、めのおかしブログ/ホームページを見てくれる人がいて、いろんなことを思ったり感じたりしてくれます。

僕と関係ないところで、ブログに書いた内容が誰かと誰かの「話題のきっかけ」になれば・・・というのが、秘かな希望だったりします。


ブログ炎上!を恐れて、コメントを残せない仕組みにはしているわけではありませんが、コメントを残して頂けるなどとは考えもしなかったので、一方通行のブログにしていました。

ブログを通じてコミュニティーを形成しているわけではありませんし、僕の知る限りこのブログを見てくれるのは”リアルの友人/知人”なので「コメントをどうぞ」のひったくれもないわけでもあります。


短いコメントという”ブログ風”でなく、偉そう(?)にも”エッセイ風”にダラダラと文章を書いているわけですが・・・自分で読み返してみると、あまりのミスの多さにうんざりするときがあります。

誤字、脱字、おかしな言い回しを発見するたびに、何度も修整を繰り返しやっています。

しかし、自分では気付かずにしている文法や語法は数知れず・・・「帰国子女なんで~」という言い訳にはハッキリ言って”老けすぎ”ました。

こんな文章でも読んでもらえる方が存在することに感謝しております。


何らかの形でフィードバックを公開するというも、ブログという仕組みの良さであるのではないか・・・と最近思い始めました。

そこで10月24日付けの投稿から「コメント」を書き込むことができる設定に変更しました。


コメントは「きょうのおやつ」などが表示される「めのおかしホームページ」から行えます。

各投稿の一番下「投稿者:おかしライター」の横の「*件のコメント」というリンクをクリックすると、コメントの投稿のフォームが現れます。画像として表示される文字を必ず入力して下さい。

そうしないとコメント自体が送信されません。

Googleアカウントなどのハンドル名、または自主申告の名前やURL、そして匿名で投稿が出来ます。

コメントの公開には管理者(僕)の承認が必要となる仕組みになっていますので、書き込みから表示されるまで時間を要することがありますが、基本的に頂いたコメントはすべて公開していくつもりです。

コメントを残してくれる奇特な方いらっしゃいましたら・・・よろしくお願いします。


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2009/10/24

「第二幕」開幕直前!のりピー暴露本読み比べ~碧いうさぎの涙、孤独なうさぎ、隠された素顔~


清純派アイドルの時代も、テレビドラマで女優の時代も、多くのCM出演したママドルの時代も・・・酒井法子の人気絶頂期に日本に住んでいなかった僕は、特に関心を持つこともなく”のりピー”という存在だけは認識している程度でした。

ところが8月の逮捕以来、ワイドショーで報道を散々みせられたおかげで、随分とのりピーのことを知ることになりました。

来週(2009年10月26日)公判が始まる「第二幕」開幕(?)を控えて、三冊ののりピー本をブックオフで買い求めて復習してみました。


まず「酒井法子のタブー 碧いうさぎの涙」憲旺利之著は、基本的にすでにワイドショーで取り上げられた情報を、時間軸に添って書きつづったという感じで、ワイドショーを観てきた人には新鮮な情報も、著者の視点もありませんでした。

ただ、出生から今までののりピーの人生の流れをおさらいするには、一番分かり易い本かもしれません。


次の「酒井法子 孤独なうさぎ」渡邊裕二著は、のりピー担当24年の芸能記者が思い入れを持って書いているので、三冊のなかでは一番ノリピーに同情し擁護している発言が多い本です。

デビュー当時から取材してきた著者だから語れる・・・のりピーの実像(?)や、いかにして清純派アイドルとして作り上げていったかなど、興味深い裏話もちりばめられています。

のりピーの芸能界復帰を願うファン心理を代弁しています。


最後の「酒井法子 隠された素顔」梨元勝著は、著者自身のネット配信「梨元・芸能!裏チャンネル」からの流用記事ばかりですが、芸能レポーターらしく芸能界の裏話を織り交ぜて、憶測も加えてのりピーの化けの皮を剥がそうとしています。

”芸能人のりピー”に否定的で、芸能界復帰を阻止してやるという気迫を感じさせる本でした。

情報の正確さはあやふやなものの、暴露本としてはツボを押えていました。


今までの報道や記事、三冊ののりピー本を読んで感じるのは、酒井法子の人生というのは昼メロドラマのように波乱に満ちているということです。

極道の娘として生まれ、実母に捨てられ二度違う継母に引き取られた子供時代。

サンミュージックに二番手でスカウトされ、飛び降り自殺した元・岡田有希子のマネージャーによって最後の清純派アイドルとして売り出されて成功。

脚本家野島伸司との恋愛、その別れから1年後の高相祐一とのできちゃった婚。

復縁を迫る野島との板挟みでマネージャーが自殺してしまうことで、彼女の心の闇や深みを理解する人がいなくなってしまったのかもしれません。

過去の闇を抱え逃れるように、虚構の清純派を演じ続けて生きてきた人生・・・だからといって、覚せい剤を使っていいというわけではありませんが。


個人的には、のりピーが執行猶予と謹慎期間のあと、40代になって清純派やママドルを完全に払拭して、極道の女役とかで芸能界復帰したら面白いのに・・・なんて想像をしています。

極道の出生から這い上がって純白の清純アイドルになりきったのりピーだからこそ、再び犯罪者の汚名のどん底から這い上がる姿をみたいのです。



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2009/10/22

3D映画は未来の映画表現になるのか?~「ファイナル・デッドサーキット3D」~


サイレントからトーキー、モノクロからカラー、カラーからシネラマなどの大画面、そして次の映画の進化といわれる「3D映画」・・・来年には3Dの表示可能な家庭用の薄型テレビが発売されるということなので、立体画面というのは「未来の夢」ではなく「現実の技術」と言えるでしょう。
これから年末にかけて次々と3D映画が劇場公開されますが、その第一弾として公開された「ファイナル・デッドサーキット3D」を観てきました。

3Dという特殊な映像のため、日本での公開されるのは観客が台詞の字幕を読まなくて済む「日本語吹き替え版」だけでの上映です。
それは仕方ないことなのかもしれませんが、吹き替え声優のココリコ田中、里田まい、はるな愛(男役)が、あまりにも下手なので、元々ティーン向けの内容のないホラー映画がコントみたいになっていました。
ただ、映画の内容に期待していたわけではなく、あくまでも3D映像を実際に観ることが目的だったので、この程度の”なんちゃって感”は想定内ではありました。

さて、純粋に3D映画としての印象ですが・・・1970年代に一時期流行った”赤セロファン”と”青いセロファン”を付けたメガネを付けてみる「立体映画」からは進化しているものの、相変わらず観賞には特殊なメガネを必要とします。
3D映像の広告では、画面から飛び出してくる様子や、手で触れるほどの臨場感を強調していますが、実際には画面の長方形の枠の内側の物体がポップアップ絵本のように奥行き感を感じさせるという程度です。
確かに、視覚的なショックを売り物にしたホラー映画と3D映画というのは相性は悪くはなくのですが・・・立体的に見せることを意識し過ぎたイカニモ的な演出(体に刺さった杭がこちらに飛び出してくるなど)ばかりになってしまうところは、やはり子供だましでした。

今後、3Dを映像表現として効果的につかった成熟した映画が登場するのかもしれませんが、テクノロジーの進化が表現を豊かにするわけではないことは、すべての分野に共通していることだと再確認しました。
例え、3D映画が劇場用映画の主流になったとしても、サイレント映画のモンタージュや構図の魅力は失われないし、モノクロ画面の美しさは未来の人達をも感動させるはずなのだから。


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2009/10/21

The Winner Takes It All(勝者がすべて得る)という時代

最近、ふと「The Winner Takes It All/勝者がすべて得る」という言葉が頭に浮かぶことがあります。

日本には、滅んでいく敗者や、高校野球で負けそうな学校のほうを応援するような美学が過去にはありましたが、今は「勝ち組」「負け組」という分け方をして、敗者の美学などは通用しないようになってきたような気がします。


インターネットやメディアの細分化で、少数派をターゲットにしたビジネスも成り立つようになったり、マニアックな趣味を共有するコミュ二ティーが生まれたり、画期的に「ひと」と「ひと」が繋がっていける仕組みが出来るようになったのは、素晴らしいことです。

しかし、逆に雪だるま式に支持を広げて圧倒的な一人勝ちを生んでしまう「多数決のちから」というのも同時に生んでしまったのではないでしょうか?


例えば、ネットショッピングでは、そのサイトでのベストセラー商品が優先的に表示されるシステムがあります。

売れる商品が、さらに売れる仕組みになっているというのは、買い手には人気のある商品の情報を得られた上に安く購入出来るし、売り手にとっても効率的な販売方法です。

確実に売れる商品を集中的に生産したり、仕入れたり出来ます。大量に流通を扱うことで、販売価格を下げて競争力が生まれます。そうやって、ユニクロ、ヤマダ電機、マクドナルドなどの企業は、ますます売り上げを伸ばしています。

アフェリエイトという、売れる商品を紹介するハイエナ的(?)ビジネスも生まれました。


「勝者」に取り込まれることは、誰も損をしない「勝ち組」への仕組みのように思えてしまいますが、沈んでいく船から逃げるねずみのように・・・勝ち組に津波のように流れるというのは、自分自身で選択をするという能力を失わさせることになっていることもあると思うのです。

「郵政民営化!」「政権交代!」という単純な宣伝文句で国がひっくり返るのっていうのも、ベストセラー商品に無意識に手が伸びてしまうのと似たような心理なのでしょか?


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2009/10/20

感情移入を突き放すハードボイルドな天の声~「ベルカ、吠えないのか?」/古川日出男著~


実用書、エッセイ、ノンフィクションなどと違って、フィクション(文芸系)の本というのは、好きな作家以外、読みたいと思わせる何かきっかけがないと、本を買ってまで読もうと思いません。

雑誌などのブックレビューだったり、アマゾンのおすすめ商品だったり、友人から奨められたりして選ぶことになるわけですが、事前に内容をよく読むわけではありません。

また、本屋で見かけて、帯などに書かれた宣伝文句に魅かれてということもありますが、パラパラと何ページかは試し読み出来たとしても、やはり内容を熟知してから購入するわけではありません。

知らない作家の本を選ぶという行為は、ちょっとしたギャンブル要素があるわけです。


半年ほど前に友人から「自分は読まないから」という理由で、古川日出男の最新作「聖家族」という分厚い本(2段組で700ページ以上)をもらいました。

とりあえず読んではみたのですが、なかなか内容が頭に入ってきません。

それでも頑張って100ページぐらいまで読み進めてはみたのですが、結局、挫折をしてしまいました。

その後「聖家族」や、古川日出男という作家のことをネットなどで調べてみると、一部の読者からは絶賛されているマニアックなファンを持つ作家さんで、画期的な作品を次々と発表しているということを知りました。

確かに今まで読んだこのないタイプの文学ということだけは「聖家族」からも感じてはいたので「リベンジ」として、もう少し読みやすそうな「ベルカ、吠えないのか?」に手を伸ばしてみたのでした。


「ベルカ、吠えないのか?」は、軍用犬の血統によって綴られるアメリカロシアの冷戦時代、朝鮮戦争からベトナム戦争、共産主義の崩壊までの現代史を語るという一種の歴史小説なのですが、物語の主人公というのは存在せず「犬よ・・・」と呼びかける”天の声”が語りべとなって時代を進んでいくのです。

犬たちは血筋を繋げて代々名前を与えられていくのですが、その犬たちに関わる人の名前は語られることはありません。

そこには歴史的な出来事や当時の世界情勢を語る上での、人という存在がいるだけです。


読み手を突き放すような短い文章が続くので、うどんのようにツルツルと入るのではなくて、ショートパスタのようなパラパラした感じとでも言うのでしょうか・・・感情移入を拒むようなハードボイルドっぽい語り口で、具体的な情景を浮かべるチャンスさえ与えられることなく、唐突とも思える話の展開が続くのです。

歴史的な事実を背景にした人間の物語と、その人間に関わる犬の血統の物語が、まるで「散文詩の」ように流れていくので、その流れに身を任せるしかなかったのでした。


言葉の表現やテンポを愉しむまでは出来ませんでしたが、読み終ってみると壮大な歴史を駆け抜けた達成感を感じさせる不思議な小説ではありました。



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2009/10/19

おばさん式の会話術のススメ

お互いが自分の話したいこと”だけ”話をして、会話が成り立っている、おばさんの会話(おじさんも、おばあさんも、おじいさんも、奥さんも、旦那さんもするけど・・・ここでは”おばさん”とさせてもらいます)は、第三者から観察すると可笑しく思ってしまうのです。

しかし、ずっと平行線で交わることのなさそうな会話こそ、無駄なコンフリクトを回避している”便利な会話術”ではないかと思うことがあります。


若い頃には、友達同士だったら頭ごなしに相手を否定したり、相手に不快な思いをさせるような言い方を、まったく遠慮せずにしていました。

それは、世代的な要素もありますが、時代性も大いにあるように思えます。

今の時代の若者が友達同士で言いたい放題しているようには見えません。昭和の時代よりも今の方が、お互いの感情を気遣うことが流儀のようなのです。

近年は、批判的だったり、否定的な感情を避ける風潮が、ますます強くなってきた印象があります。

それを上手に出来ないと「空気を読めない」と批判されることさえもあるのです。


40代を過ぎて社会的な立場や生き方が安定してくると、個性や人格というのは本人が思う以上に頑なになっていたります。

それは「その人らしさ」であり、思い返せば片鱗はしっかりと若い頃から存在していた「その人の1番の特徴」だったりします。

ただ、お互いに歳を取って人格が固定化してくると、コンフリクトが起きた時に話し合うことでお互いが歩み寄るのではなく、よりお互いの違いだけを認識する結果になることも起こります。

これは喧嘩とは違うけど、それぞれの「根本的な違い」に光の下に曝してさせてしまって、妙に淋しい気分にさせたりします。

お互いが共感し合うことばかりを求めてばかりいると、その期待を裏切られて微妙な距離感を感じてしまうこともあるかもしれません。


仲良しの確認でも、自分との共感でも、結論を求める会話でもない・・・言いたいことをお互いに主張し合っているような「おばさんの会話」というのは、お互いに期待しすぎないという意味では悪いことではないのかもしれないと思えてきます。

相手に言いたいことを言わせて、自分の言いたいことも言うというのは、ある意味、高度なコミュニケーションテクニックなのかもしれません。

気兼ねすることなく言いたいことを言える相手というのは、家族のように貴重なの存在です。

そんなことを考えると、おばさん式の会話術も、それはそれで良いものなのかも・・・と、思えるこの頃なのです。


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2009/10/18

「クラフト」と「アート」の境界線をちょっと考えさせられた~糸キノコ展/kont~


先月(2009年9月)自由学園の明日館で行われた「ストッキスト」という展示会で初めて知った「kont」というブランドが、神楽坂の「La Ronde d' Argile」というショップ/ギャラリーで「糸キノコ展」という展示会を開催していたので行ってきました。


「knot/ノット」の作品というのは細い糸で編まれた華奢なアクセサリー(ブローチ、ネックレス、イヤリングなど)で、その目の細かさとそれを制作する労力に驚ろかされます。

一体、編み始めの「いち目め」はどうなっているのだろうか・・・と、想像するだけで老眼の目は”ぐしゅぐしゅ”してきてしまいます。

生成りと黒の糸に限定してナチュラル感を醸し出して「今っぽさ」を感じさせ、デザインを「キノコ」というモチーフにしたところで、メッセージ性と造形の面白さを感じさせられました。


手作りの一点ものとして販売されている手のかかった作品がやっぱり圧巻でした。

ただ、ブローチで4~5万円というところがアクセサリー感覚で衝動買いするには(時間が経つと劣化してしまいそうな素材で作られていることを考慮すると)微妙な価格という印象を持ちました。

勿論、手仕事の量を考慮したら金額には納得ですが・・・。ブローチの裏側に真鍮製の針金で作ったピン部分が付いていることで「これはアクセサリーです!」という主張をしているものの「これはアート作品です!」と言い切ることもできてしまいそうな「クラフト」と「アート」を曖昧に感じさせるところがあります。

アクセサリーとしてではなくアート作品と考えると、逆に安いと思えたりするのは不思議なものです。


殆どはアクセサリーとして台に置かれていたり、吊るされているのですが、いくつか編み物のキノコをガラス製の薬品を入れるような瓶に入れたている展示の仕方もしていたのですが、こんな風に壁いっぱいにキノコ入りの薬品の瓶がズラーっと並べらべて、アーティストとしての表現するメッセージがあれば「アート作品」としても成立してしまう気さえしてしまいました。

素材が金糸やプラチナ糸などだったりしたら、ジェエリーとしてのクラフトを極めた作品にもなるような気もします。

フェルト化したロープのような極太の毛糸で巨大なキノコをまったく同じ編み方で編んだら、草間彌生もビックリするような迫力のアート作品になってしまいそうです。


「糸キノコ展」というのはアクセサリーの展示会でしたが、見方によってはアートの展覧会のようでもありました。

クラフトっぽいアート作品があり、アートっぽいクラフト商品がある・・・その境界線というのは、作り手の意図や発表の仕方、そして芸術としての流通に乗せるか、商品として流通に乗せるかの、違いぐらいなのかもしれません。


knot #4 exhibition 「糸キノコ」/2009年10月10日~10月15日

神楽坂/La Ronde d' Argile


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2009/10/16

初冠番組「マツコの部屋」でも本領発揮できないないマツコ・デラックス


ここ数年でテレビでの存在感を増しつつある「巨漢女装コメンテーター」マツコ・デラックスは、結局のところ関東ローカルTOKYO MXの「5時に夢中!」だけでしか、本領を発揮していないというのが現状であります。
それでも、オリコン調査の「好きなコメンテーター」では、ピーコを抑えて堂々とベスト4にランクインするという快挙を成し遂げています。
そして・・・満を持して(!)10月の番組編成の番組入れ替えで、フジテレビの深夜番組にて遂に冠番組を持つまで至りました。

マツコ・デラックスは、だいたい「ご意見番」として”えばりくさって怒っている”ということが殆どなのでありますが、これは古典的なオネェ(ゲイバーのママなど)のお家芸でもあると思います。
最近のゲイバーのママのノリは極フツーっぽい感じであるようですが、古いスタイルのママの中には「虚栄心と負けん気の強いご意見番」という芸風が売りだったりする方がいらっしゃいます。
ゲイバーママの厳しい言葉に快感を感じてしまう・・・というMっぽいオコゲには、いまだに人気があるのかもしれません。
口の悪いママには美しいな方がたくさんいらっしゃいますが、中には外見的な不自由さを逆手にとったようなママも存在したりします。
マツコのようなママを「デブ!」「ブス!」と罵ったとしても「そうだけど、どうした!そんなことしか言えないのか!」と言い返されるのがオチでしょう。
攻撃や批判は脂肪で吸収して、仏頂面の上目線で斬りまくり、何かの教祖さまのようなオーラさえも感じさせてしまう・・・マツコ・デラックスは何を目指しているのでしょうか?

気になるマツコ・デラックスの初冠番組「マツコの部屋」の内容ですが・・・「低予算プログラム」とタイトルに銘打って、ダジャレのVTRに対してマツコにコメントさせるという15分の深夜番組です。
「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラがレット・バトラーと踊った「喪服」のようなドレスにマツコは身を包んでいるのですが、僕にはロシアのお土産でもらったシチューを冷やさないために鍋の上にのっけておく人形のようにしか見えませんでした。
今回もマツコはずっと怒り続けています。
ただ、マツコが毒を吐く相手がスタジオの舞台そでにいるADで、怒っている内容がいかに安っぽいVTRなのかということなので、何が面白いのかまったく分かりません。
視聴者がマツコ・デラックスに求めるのは、芸能界に存在する目に見えないヒエラルキーを乗り越えて「”裏”ご意見番」としての”毒舌家”というポジションではないでしょうか?
その役目というのは、ゲイバーなどの限られた世界では容易いことだけど、テレビの世界では難儀なことではあるようです・・・ゴールデン番組で、姑息にMCにヨイショするマツコにはガッカリさせられます。
だからこそ無責任に応援だけは続けたい・・・「まついたかひろ君(マツコ・デラックスの本名?)頑張れ!」

マツコの部屋
フジテレビ/木曜日深夜25:45~26:00

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2009/10/13

シェフのお任せコース、怒濤のポルチーニづくし!~三輪亭/豪徳寺~


「食のブログ」を書くほど美食家でもないし、外食ばっかりしているわけではありませんが、たま~に料理、サービス、お店の姿勢など全てを含めて、素晴らしくて語らずにはいられないということがあるものです。

秋になるとポルチーニの季節だなぁとは頭をよぎりますが、入荷次第の食材なので食いっぱぐれることがしばしばです。
それに細切れにしてパスタソースで・・・というのが一般的で「ポルチーニを食ったぜ!」と満喫できることは滅多にありません。
ネットで調べてみたらど、ある個人ブログで紹介されていた南チロル地方のイタリア料理の「三輪亭」というレストランが気になりました。
そこで、お店のHPをチェックしてみると、堂々と「ポルチーニ入荷!」と表示が・・・!!ここならイケルかもと思い、さっそく予約の電話を入れてみました。
念には念を入れて電話でも「ポルチーニを食べたいんです」と訴えておいたのですが・・・それが後に功を奏することになりました。

世田谷線で山下駅で下車し、小田急線豪徳寺駅を過ぎて5分ほど歩いた住宅地に「三輪亭」はありました。そのお店の名前から老舗かな・・・と想像していたのですが、明るくて清潔感のある新しい内装で、お店の店員さんも若い人ばかりといった風だったので、ちょっと意外な感じでした。
席に座ったら店員さんが「お任せコースですね」とだけ言って特に料理の内容の説明をしてくれなかったのですが、それは何が出てくるか知らない方が楽しいのでは・・・というお店側の計らいでした。

ブレッドスティックとパテと食前酒からスタートし、まずは小さなサラダ(クミン風味ドレッシングのサラダとひとさじ分のポテトサラダ)と冷たいスープの前菜。コールドカットのハム、ローストビーフ、サラミ類ははたっぷりと。
そして、最初のポルチーニは、まさかの「生」のポルチーニの薄切り入りのサラダ。
そして、第一のメインは、大胆なポルチーニの丸ごとのグリル!
茸の汁までパンに吸収させて美味しく頂きました。
肉団子(つなぎいっぱいのフワフワ)入りのスープ仕立てにもポルチーニをふんだんに。
ポルチーニのクリームソースのパスタは箸休め程度の分量というのがちょうど良い感じ。
ジビエの鴨のホルモン焼き(?)はこってりとして美味!
そして、肉のメインは、北海道で捕れたばかりの鴨のロースト。
”殺したて”だからこその”レア”で、トリ系のお肉とは思えないほど”うま味”がたっぷり。
そして食後のチーズとデザート。
何皿あったんだろうって思うほどの分量と、いろんな形でしっかりとポルチーニを食べたという満足感・・・これが大盤振る舞いで6000円のコースというのは、かなり良心的でお財布にも優しいのでした。

食後、オーナーシェフである三輪学氏とお話しすることが出来たのですが・・・予約の時に「ポルチーニを食べたい」と言ったことが、しっかりと厨房に伝わっていて(こういうコミュニケーションって嬉しい)料理人として俄然やる気を出してくれたそうです。
常連だけに特別なサービスする馴れ合いのお店は敬遠してしまうところがありますが・・・新規のお客さんに対しても誠心誠意全力で料理する姿勢には、感動と感謝でした。「仕事の流儀」や「情熱大陸」で観る本物のプロフェッショナルを目の辺りにした気がしました。
イタリアにでさえ、あまり存在しない南チロル地方のイタリア料理(山の地方なのでジビエの煮込みなどが有名らしい)を食べられるのは、東京、日本、もしかするとアジアでも「三輪亭」だけなのかもしれません。
気取ったイタリア語の名前でなく、誰でも覚えられる名前にしているのも好感が持てます。
また、シェフ自身が三人の子持ちということもあって、お子様もウェルカムだそうです。
もう少し寒くなったら狩猟が解禁になるので、今度はジビエを味わいに行きたいと思っている次第であります。

cucina triolese 三輪亭
03-3428-0522
世田谷区豪徳寺1-13-15 ツノダ第1ビル1階
(小田急線豪徳寺駅徒歩5分/世田谷線山下駅6分)

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2009/10/09

「アート」としての「ミヤケイズム」の正統な継承者~眞田岳彦~


ファッションデザイナーという職業を意識したのはアートスクールに通い出した頃(1983年)で、最初に興味を持ったファッションデザイナーが「三宅一生」だったりしたものだから、どうしても「ファッションデザイン」=「クリエイティブ」という幻想に囚われているような”節”が、自分にはあったします。ビジネスとしての効率を極めたファストファッションや過去の流行を繰り返し焼き直す今のトレンドというものには「ファッションデザイン」という視点では根本的に馴染めなかったりするのです。


「衣服造形家」と自らを名乗る眞田岳彦というアーティストについては「考える衣服」という本をブックストアで偶然に手に取るまで、まったく知りませんでした。

まず「衣服造形家」という発想自体が、僕にとっては「目にウロコ」的でありました。

こういう”新しいアイデンティティー”を名乗るのは、先に言ったモノ勝ちのようなところがあるとは思うのですが、僕自身がファッションデザインで潜在的に追求しようとしていたことは「衣服造形」ということではないのか・・・と改めて認識させられたようなところもあって「やられた!」という気がしてしまうのです。


「考える衣服」を読んでみると、眞田岳彦氏の「衣服造形家」としてのアートへのアプローチというのは、たいへんアカデミックで真面目なものでした。

「繊維」のコンセプトから「糸と布」の構造の考察、「色と光」の意味、文化人類学的な観点からの衣服の存在などの彼独自の研究は、ファッションデザインという方向からの視点では、当たり前のこととして改めて深く考えることもなかった「衣服を構築する元素」を紐解いていく作業のようで、興味深かいものでした。

感性で語られることの多いファッション/衣服を、男性的な論理で分析して文化、経済、教育などと関連付けることで、見えてくることもあるのです。


現代彫刻のようなフェルトの大きな塊の造形や、透けたニットで人体の影のような立体作品も発表していますが、眞田岳彦氏の代表作といえるのが「プレファブ・コート」と名付けられた、数着のコートをつなげるとテントのようなシェルターとして災害時には使用することの可能な「衣服造形」作品です。

直線裁ちの長方形のコートにフードと袖が付いているという単純な形のコート/ポンチョなのですが、つなげて大きな布になったコートは圧倒的な存在感があります。

プレファブ・コートは造形的なアート作品というだけではなく、販売を仮定した生産の仕組みから、地域のコミュニティー単位での使用、エコロジーや消費文化への警告、心的外傷ストレス障害の緩和など・・・これでもかとコンセプト満載で、社会的/文化的な深いメッセージを含んでいるとのことです。


眞田岳彦氏の経歴を改めて調べてみたら、三宅一生デザインオフィス出身の方でした。

同じく三宅一生のデザインオフィス出身で、1990年頃から「 FINAL HOME」というブランド名で、ポケットに新聞紙を詰めて保温性を高めて防寒着(シェルター)として使用出来る「究極の家」というコンセプトのコートを発表し続けている津村耕祐氏との共通点にも納得した次第でした。

三宅一生というファッション界でアート的なアプローチをしたデザイナーに師事した二人が、衣服=シェルターという発想で、それぞれの創作活動をしているということは、興味深いことです。

眞田岳彦氏はアートとしてミヤケイズムを正統に継承しているアーティストという存在なのかもしれません。

現在、三宅一生氏は直接の創作活動からは引退されていますが、このような形でデザイナーのDNAを継続させているというのは、世界的にも稀なことではないでしょうか?



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2009/10/06

「5時に夢中!」の通販コーナーに起用されたミッツ・マングローブって何者?


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TOKYO MXの夕方の「5時に夢中!」で、濃いキャラクターのコメンテーターをキャスティングしているのは、地方ローカル局としてのチャレンジ精神なのか、それとも単にディレクター(岩井志麻子に粗チンぶりをばらされた)のキャスティングのセンスなのか・・・いずれにしても、今、最もハラハラドキドキする生放送番組であることには違いありません。

さらに、10月1日から番組後半に「とっておきやに夢中!」という通販コーナーのホステスに「女装家 ミッツ・マングローブ」起用というのは、テレビ局として確信犯的なキワモノの方向性を打ち出しているのではないでしょうか!


自らを「女装家」と名乗るミッツ・マングローブは、別名「徳光家の最終兵器」または「新たなる芸能界への刺客」と言われる、司会者、徳光和夫の甥(本名/徳光脩平、または、徳光修平)にあたる、徳光和夫の弟(徳光次郎/伊勢丹新宿店元店長?)と、その妻、百合子さん(元博報堂のコピーライター)の間に生まれた”ご長男”(1975年4月10日生まれ)なのです。

慶応義塾大学法学部卒業で、イギリスのウエストミンスター大学にも留学経験ありという”おぼっちゃん”なわけなのですが、どこで道を踏み外した(もしくは、極められた)のでしょうか?

徳光家の他の弟や従兄弟は、サントリー系列の会社員という普通に立派な人生を送っているるというのに・・・。

しかし、テレビで本人に「徳光家」を堂々と名乗らせるというのは、リベラルな感覚の一家であることを証明しているようで、これはこれで素敵なことなのかもしれません。


ミッツ・マングローブは、巨漢女装コメンテーターのマツコ・デラックス(「5時に夢中!」の月曜日担当)と親交があり、二丁目のゲイクラブを中心に「星屑スキャット」という女装グループで歌謡曲のパフォーマーとして知られているようです。

また、新丸ビル内で「来夢来人(ライムライト)」という女性専用バー(女性同伴で男性客も入店可・・・それにしてもベタなお店の名前がなかなかGOOD!)のママをやりながら、通訳/翻訳家、舞台演出、モデル(!)、演歌歌手(!?)と多岐に渡って活躍中とのことです。

身長も結構高く(182cm)て声も太いので、明らかに「男性」の「女装」ではあるけど、モードっぽいゴージャス系マダムを目指しているところは、日本女装界(?)での好感度は高いです。


以前から「5時に夢中!」の番組とコマーシャルの間に流れる、番組のご意見を求めるお知らせの声が、明らかに男の声なのに女性的なネットリとした気持ち悪い話し方で、不気味だなぁ・・・とは思っていたのですが、その声こそがミッツ・マングローブだったのでした。

10月からの番組通販に起用というのは、TOKYO MXに満を持しての登場ということのような気がします。”女装子”に、ありがちな貧乏たらしさがなく、イヤミにならない鋭い辛口コメントが、お育ちの良さを感じさせるという、女装界には貴重な逸材であります。

好きなテレビのコメンテーターのベスト3にマツコ・デラックスが選ばれるような時代ですから、ミッツ・マングローブが全国区になる日も、そう遠くないのかもしれません。


ただ、起用早々扱う商品が「種子島産の蜜芋」というのが、なんとも「らしく」なくて笑えます。

「甘い!甘~い!」「(バターで)さらに甘さが引き立つ!ウ〜んん、うん!」『これは甘いよ〜美味しいよ〜ホントに!”買い”です!」とコメントしたり、生産者のおっさんのこだわりをフムフムと聞いています。

マダム風ファッションのミッツ・マングローブと箱詰めされた蜜芋とは、視覚的に違和感がたっぷりです。

まっとうな商品を売っている通販コーナーであるにも関わらず、このキャスティングとノリで放映してしまうセンス・・・TOKYO MXは、ますます侮れないテレビ局になってきました。


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2009/10/02

自分にどこまでも甘くなれるから太るのね~「やせれば美人」/高橋秀美著~


何を隠そう、僕はダイエット成功者であります ・・・それも、二度の!しかし、リバウンドという悲しい現象によって、現時点での体型からは成功者としての”証”は消えてしまっています。


ちなみに、僕が成功したふたつのダイエット方法というのは、かなり細かく食べるべき食材、食べてもいい食材、食べてはいけない食材に分類した血液型別食事法ダイエットと、アトキンス式ダイエット(俗にいう、炭水化物抜きダイエット)でありました。

どちらの食事法も、摂取出来る食事の量というのは、ルールを守る限り制限はされていなかったので、ひもじい思いをするストレスもありませんでした。

また、単品の食材を食べ続けるダイエットではないので、食事のバリエーションもそれなりにありました。

それでも、食材の制限を永久にすることは不可能なので、結果的には徐々に元の生活習慣へ戻るとともに、体重も元へ戻っていく・・・ということになってしまうのであります。


さて「やせれば美人」は、結婚前は小泉今日子のような小顔だったのに結婚後30キロも太ってしまった妻をもつ著者の、ダイエットに対する冷ややかな視線と驚きを綴ったエッセイです。

痩せれば誰でも美人にはならないと思いますが、ある時期に「かわいい」「キレイ」と褒められて女性が、太ってもセルフイメージは痩せた時の美人のままというのはありがちではあります。

遺伝や体質で一概に太ることが自己管理の甘さだとは言えないのかもしれませんが、やはり太っている人の言動というのは、やはり太るだけのことがあると納得してしまうところがあるものです。


あからさまな美人は現状維持に気を揉むが、「やせれば美人」はどんなに太っていても維持できる。むしろ太っていないと維持できない。


「私は努力しないで、やせたいのよ」「努力には”美”がない」「努力せずに得てこそ、しあわせなのよ」


「ダイエットは偶然の出会いがいいんです」「読んで疑似体験するんです。要するに夢なんです」「夢はもちろん覚めますから、だから次の夢が必要なんです」


これらは、女性目線ではあるけれど、ダイエット的なことを繰り返しながら減量を”夢みる”誰もが共感してしまうことです。

・・・というか、自分に対しての優しい言葉で納得してしまう性格こそは、太る根本的な発想なのではないかと思います。

そして、それは「太る」ということだけでく「生き方」にも共通する考え方のような気がするです。

「やれば、できる」「チャンスさえあったら、成功する」「世間に認められていないけど、才能ある」などというのは「やせれば美人」と似たような思考で「できる」のか「成功する」のか「才能ある」のか、本当のところは分からないけど、現状の「しない」段階では、何ともでも夢を見ていられる・・・という自分に対して底なしに甘い言いわけでしかなかったということなのかもしれません。


「やせれば美人」の次の段階では「太っていても美人」になるそうで、こうなると「痩せること」さえ、仮定していません。

「5時に夢中」にコメンテーターとして出演している中瀬ゆかり(週刊新潮編集部長)は、ダイエットの話題になった時「わたしは”来世ダイエット”だから、現世では痩せないの!」と開き直っておりました・・・。

「来世で美人」とは、確かに現世では、楽な生き方でありますが、自分の幸せ、成功、才能なども、来世に先送りしてしまうという、なんとも投げやりな生き方のような気がしてしまいました。

やっぱり、僕は現世でもう一度痩せます。



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