2009/08/30

流行のリサイクル=編集という蟻地獄

流行のサイクルのスピードが、ますます上っているのは周知のことであります。

「流行」を、雑誌、テレビ、インターネットと、より広く、より早く伝えられるメディアで取り扱うことで、流行自体の鮮度が保たれる期間というのも短くなっています。

これだけ目まぐるしく次々と新しい流行を「生む」ことは不可能なことですから、「今は、この時代の気分!」ということで、過去に存在した流行をリサイクルすることが常套手段となっています。

すでに現存サンプルが存在しているようなものなわけですから効率は大変良いわけですが、如何せん拝借してきている発想なので、時代に根付いてるわけでもなく、飽きられるのも早く、次から次に消費されていくのです。


流行の「リサイクル」というのは、実のところ20世紀のファッションでは何度も行われていることです。

第2次世界大戦後の1950年代のディオールの「ニュールック」は彼が子供の頃憧れた19世紀の世紀末のビクトリアンドレスのリサイクルでした。

1960年代のシャネルスーツは本人による1930年代のリサイクルで、1970年代のスーツスタイルは40年代のリサイクルで、1980年代初期には50年代がリサイクルされていました。

確かにファッションは「リサイクル」によって、時に流行を生み出していることには違いはないのですが、ある程度の時間をかけながら「過去の流行」は「時代の社会背景」と融合されて、新しい時代のアイデンティティーとして認知されていったものでした。

1990年以降は、過去流行したアイテムを再生しながら、時代を代表する流行はすでに存在しなくなっています。それは流行の細分化ということもありますが、流行自体のパワーを殺してしまったメディアの発達があるのかもしれません。


ここのところ数シーズンは1980年代が”新しい”(???)ということになっています。

それはファッションだけでなく、音楽、カルチャー、広告、グラフィックなどに広がっています・・・カエラのPV、IMALUプロデュースの洋服、ユニクロ起用のモデル。

それらは、単に1980年代の上っ面を「引用」しているような印象しかありません。

過去のアイデンティティーを持ったスタイルを今「ピックアップ」したセンスが「おしゃれ!」という感性が蔓延し過ぎです。単なるセレクトの作業になったため、今の流行を指南するのが、ショップ店員だったり、雑誌の読者モデルやタレントだっだり、またはアメブロのキャバ嬢のブロガーになってしまいました。

さらに、薄っぺらい流行をサポートするメディアによって、今や「時代」と「流行」の関係性はなくなりつつあります。

これからバブルを迎えようとしていた1980年代と今の経済状況を比較しても、時代性がリンクするものはありません。

表面的な気分だけをコピーしても、虚しい空回りにしか見えないのです。流行を扱っている業界の人間って、実は「頭が悪い」のかもしれないと証明してしまっているようで・・・恥ずかしくなってしまいます。


過去からのリサイクルが、今の「流行の最先端」「今の時代の流れ」というのは、なんとも貧しい感性としか言いようがありません。

本質的な意味での時代を表す流行というものを生み出せなくなっているところが、流行を追い続けるというシステムこそが、これからも底なしで堕ちていく蟻地獄のようです


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