2009/08/28

骨までしゃぶられるような関係には・・・


基本的に人は自分の事しか考えていないものかもしれませんが・・・人からは得るだけで自分の得にならなければ何も与えない人がいます。
それは物理的なモノだけではなく、”精神的なサポート”だったり”知識”情報””感性などの形のないモノも含みます。
人の好意の上澄みを奪われるような感覚で、物理的な”モノ”を奪われるより、骨までしゃぶられるような喪失感を感じるものです。

知識情報感性というのはシェアする方が、自分を含めた世の中の思考の流れが良くなるものなのですが・・・「しゃぶり尽くす」側の人というのはガードが固くて、そう簡単には他人のためになるモノをシェアしようとしません。
また、自分の「ニーズ」には非常に敏感なくせに、他人の「ニーズ」には鈍感だったりします。
まさに、人間関係に於てのデッドエンド(行き止まり)を感じさせるなのですが、当の本人には認識はなっかったりします。
そうやって、バランス感が失なわれることで、与えている側には「しゃぶられ感」が生まれてしまうのです。
友達という存在にしゃぶり尽くされるのは、精神的な疲労感を感じさせるます。
そんな一方通行な友情に限って「しゃぶり尽くす」側から、関係の終わりを突きつけられたりします。
状況の変化(新しい友人や恋人の出現、新しい仕事や役職など)によって必要性は薄まるわけであるし、必要な”知識”情報””感性をしゃぶり尽くした人間関係からさらに得るモノはないわけですから「お役目終了」ということなのでしょう。

時間の流れによって意味を失うものでもなく、一時的に穴埋める感情でもなく、本質的な精神性の関係の繋がりを見極めることが大切だと思います。
本当に意味のある人間関係というのは、利用し合うだけの都合のいいものではなく、死という肉体的な別れによっても失われることがない「永遠の存在」なんだと、今思えるのです。

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