ファッションデザイナーのトム・フォードの初監督作品として注目されている「シングルマン」は、40代以上のゲイ男性必見の「大人の映画」です。
トム・フォードは、ペリー・エリス(当時のチーフデザイナーはマーク・ジェコブス)のアシスタントからドーン・メロ女史(元バグドフ・グッドマンのディレクターで、グッチの再建請負人)にグッチのデザイナーとして抜擢され、1994年から10年間グッチのクリエイティブ・ディレクター(イブ・サンローランは2001年から2003年)として一世を風靡しました。
そして、現役のメンズファッションデザイナーでありながら、2005年には映画製作会社を設立し、自ら脚本、監督までこなしています。
他の業界で成功した人(文筆家とか、評論家とか)が映画を監督すると、観ている方が恥ずかしくなるような駄作になることも多々あるのですが(ファッションデザイナーでは高田賢三も映画撮っていました)・・・この映画は、トム・フォード好みのスタイリングやインテリアのセンスだけでなく、主人公の内的な孤独と孤立を、監督第一作とは思えないほどの巧みな演出と、ディテールへの完璧な気配りで、丁寧に作られた映画です。
若い頃は俳優志望だったトム・フォードですが、シーズンを過ぎると泡のように消えてしまうファッションよりも「作品」として永遠に残る映画製作というのは、彼の長年の夢であったのかもしれません。
「シングルマン」は1964年に書かれた同性愛作家クリストファー・イシャーウッドによる同名の自伝的な小説を原作としています。
ゲイの人権など存在していなかった時代に書かれたにも関わらず、主人公は同性愛者であることに苦悩するわけでもなく、世間からの差別と葛藤するというわけでもありません。
主人公は当たり前のように、同性愛者として生きているのです。
自ら公にゲイをカミングアウトし、23年を共にする年上のパートナー(ワンショットだけ一瞬、この映画にも登場している白髪の紳士)を持つトム・フォードが、孤独な中年の同性愛者を描いているこの小説を一作目に選んだのは興味深いことだと思いました。
この映画は、16年来の恋人のジムを7ヶ月前に交通事故で失った50代のゲイの大学教授のジョージ(コリン・ファース)が、自らの命も絶とうと決めた「ある一日」を描いています。
トム・フォード監督は、絶妙な色合いのコントロールによってジョージの心情を表現しています。
つまらない日常生活は「色褪せた色調」で表現されていますが、ジョージが心を開いた相手とコミュニケーションをとった時には画面が徐々に色付いていき「テクニカラー(濃厚で鮮やか)」となります。
ジョージが同性愛に目覚める前に恋人同士であった女友達のチャーリー(ジュリアン・モア)、大学の生徒でジョージに惹かれる21歳のケニー、そして回想シーンで登場する恋人のジムは、彼の生きる喜びを感じさせる存在として、鮮やかな色で描かれているのです。
また、メキシコ系の家政婦、大学の事務員、酒屋で出会ったスペイン人のハスラー、隣の奥さんや子供たちも、死を前にして改めて接すると「美しさ」をジョージは発見することができて、色鮮やかになります。
「目の心の扉」と言いますが、、この映画では「瞳のクローズアップ」というのも多用されています。
目の瞳孔まで、これでもかとグングンと近づいていくことで、ジョージが誰かと心のコミュニケーションをしていることを表しているようです。
このような独特の鮮やかな色使いや瞳などの極端なクローズアアップは、どことなくデビット・リンチを思い起こさせることはあります・・・しかし、リンチのような病的な世界観というのはなく、トム・フォード好みの1960年代的スタイルへのオマージュを感じさせます。
観客が思わず「そうそう、あるある」と感じさせる映画というのは、リアリティを表現している「よくできた映画」だと、ボクは思っています。
「シングルマン」は、ボクにとって、まさに、そういう映画でした。
例えば、トイレの便器に座って覗き見していると隣人に気付かれて思わず身をかがめてしまうとか、家政婦が解凍し忘れたパンに怒りをぶつけてしまうとか・・・。
日常の行動を、時にユーモアを持って、時にシビアな視点で切り取りながら、それらがキチンと物語の伏線になっていくのです。
また、女友達チャーリーとジョージの関係は、生々しい二人の歴史を感じさせました。
不幸な結婚、そして離婚後、子供も成長し孤独なチャーリーにとって、かつての恋人であり親友であるジョージとの復縁というのは「ありえる希望」なのですが、すでに同性愛者として人生を過ごしてきたジョージにしてみれば「なるわけもない空想」でしかないのです。
ゲイの男性とストレートの女性という、ある意味、男女の友情が成り立つ関係の奥底に存在する根本的な矛盾を、さりげなく、かつ、切なく表現しています。
結末については「ネタバレ」になるので控えますが、映画が終わってからしばらく、ボクは号泣することを抑えることができませんでした・・・。
死を決断して最後の一日を送ることによって、生きる意味と喜びを発見していく・・・という、ありきたりな題材でありながら、原作者とトム・フォードのプライベートな内面を織り込むことによって、ストーリー、キャラクター、ディテールに深みのある映画に仕上がっているのです。
そういう意味では、この「シングルマン」はトム・フォードの「プライベートフィルム」なのかもしれません。
そして・・・ボクにとっても「プライベートフィルム」として、心に刻まれる映画ともいえます。
「シングルマン」
原題/A Single Man
2009年/アメリカ
監督 : トム・フォード
脚本 : トム・フォード、デビット・スセース
原作 : クリストファー・イシャーウッド
出演 : コリン・ファース、ジュリアン・ムーア、マシュー・グード、ニコラス・ボルト、ジョン・コルタジャレナ
2010年10月2日より日本劇場公開
おかしライターさん、はじめまして。茶栗鼠といいます。
返信削除『ゲイ映画でがっかりした!』とかどうでもいい意見をネットでよく目にしますが、非常にこの映画に対する詳しい背景と、しっかりとした考察がきけて嬉しいです。
いま自分も評論を書いているのですが、いい評論が読めて嬉しかったです。