2011/09/22

エレン・ペイジ演じる”ボルティー”は「キックアス」の”ヒットガール”を超える最狂のサイドキック!・・・「信じる者は救われる」キリスト教啓蒙映画?~「スーパー」~


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何も特殊能力もない冴えない男が、スーパーヒーローのコスチュームを着てサイドキック(相棒)と共に悪者と戦う!・・・という設定から「キックアス」の”中年男版”のような作品かと思ったら大間違い。監督のジェームズ・ガンが、原作はウィリアム・ジェイムスの「宗教的経験の諸相」と語っているように、本作「スーパー」は、神の啓示を受けるという「宗教的体験」と「宗教的な救い」を描いたシュールな宗教映画でもありました。

人生の中で「パーフェクトな瞬間」というのが、妻サラ(リブ・テイラー)と結婚した時と、警官に犯人が逃げた方向を「あっちです」とチクった時・・・という中年男のフランク(レイン・ウィルソン)は、その二つの出来事をイラストにして壁に貼っておくような、残念で優しいだけの大男。ドラッグリハビリ中の妻サラが、再び悪い仲間と付き合い出しても何も言えません。ある日、サラはドラッグディラーのジョック(ケヴィン・ベーコン)のところへ、家出してしまいます。フランクの妻に対する思いとは裏腹に、自主的な家出なので警察では取り合ってくれないし、サラ本人もフランクの元へは帰るつもりはない様子。フランクに出来る事と言えば・・・「サラをもう一度、ボクのサラにしてください」と神に祈ることであります。

「信じる者は救われる」・・・光輝く神の触手が直接触れることによって、クリスチャンチャンネルのキリスト教啓蒙番組のスーパーヒーロー”ホーリー・アベンジャーのように「悪と戦え!」という神の啓示を受る(と思い込む)のです!キリスト信者でない者にとってはイマイチ意味の分からない「神の啓示」が、これほど”具体的”かつ”悪趣味”に描かれたことはなかったのではないでしょうか?フランクは子供のときから、ジーザスの姿を壁に見たり、イタズラしている悪い友達が悪魔のように見えたりするという、バリバリのキリスト教の信者なんだけど、神の啓示を受ける妄想はかなり独特なのもの。触手はグニョグニョしていて「スリザー」(ジェームス・ガン監督によるエイリアン寄生ゾンビ映画)のナメクジ状生命体みたいだし、フランクの頭部をスライスして”まさに”パッカリと開いて脳みそそのものに触るのだから・・・。

こうして神より悪と戦う使命を与えられた信じる(信じ込んだ)フランクは、コミックブックを参考にスーパーヒーローの衣装を自作して、クリムゾンボルトとしてリゼレクション(再生)します。悪と戦う心を持つことで”スーパーヒーロー”になるわけです。ただ、超人的な能力もなく、武器を持っていないフランクは、袋叩きにあったり、逃げるしかないという始末・・・そこで、コミックスストアの地味な女の子店員リビー(エレン・ペイジ)のアドバイスを参考にして、でっかいレンチを武器(凶器)に戦うことになるのです!

しかしフランクの悪との戦いというのは、正義(法律的にも、宗教的にも)という名のもとに、凄惨な暴力行為をする「通り魔」的なほぼ犯罪行為・・・いくら麻薬を取引したり、少年を性的に虐待したからといって、一方的に殴り倒すのは、まるで神の名のもと戦争を繰り返したキリスト教の歴史そのものであります。映画館で横入りをしてきたカップルに対してまで、わざわざクリムゾン・ボルトの衣装に着替えて、レンチで容赦なく頭を殴るのは、もはや”正義”でもありません。確かに、列を横入りすることは”間違ったこと”ではありますが・・・これこそ信仰が狂気と化してしまう時。ウィリアム・ジェイムスが100年以上も前に分析、究明した宗教信仰の問題点であります。

クリムゾン・ボルトとして暴走しだしたフランクを上回るのが、コミックストアの女店員リビーです。フランクが、クリムゾンボルトであることを突き止めたリビーは、自らを「クリムゾン・ボルト」のサイドキック(相棒)としてボルティーを名乗り、共に悪と戦うと言い出すのであります。ただ・・・このリビーという女は、単なる暴力フェチでセックスマニアの”サイコ”。ボルト・モービル(フランク所有の普通車)で麻薬ギャングの下半身を壁にはさんで粉々にして、はしゃいでいるという狂気っぷりには、さすが引き気味になってしまう・・・その上、暴力で欲情しちゃったリビーは、ボルティーの衣装のままでフランクにエッチを迫ったりとやりたい放題。

「キックアス」のヒットガールのクロエ・グレース・モリッツが「いたいけな少女が人殺している!」という「ロリコンでマゾ」の”萌え”や、画的な暴力の格好良さとか全然なくて・・・エレン・ペイジ演じるリビー/ボルティーの不謹慎な暴力には爽快感はなく、えげつなくて生々しい悪趣味さばかりが目立ちます。暴力は暴力の連鎖を生み・・・最後には残酷な形で報復されるということをリビー/ボルティー自身が身をもって証明してしまうのですから。

ここからエンディングまでのネタバレあります。

リビー/ボルティーの正気の沙汰でない行動は、通り魔的な暴力をふるってきたフランク自身にとっては、反面教師となるのです。そもそも、何故「クリムゾン・ボルト」になったのか?・・・という一番の目的(妻サラを麻薬ディラーのジャックから取り戻すため!)を、フランクに思い起こさせるのです。悲しいかなフランクの最大の理解者でもあるのが、リビー/ボルティーだけというのが、何とも切ない・・・フランクはクリムゾンボルトとしてボルティーと麻薬ディラージャックの屋敷へ向かうのであります!

屋敷での殺戮は凄惨そのもの・・・ギャング達の体は、ダイナマイトで粉々に血しぶきをあげて砕け散ります。しかし、暴力のための暴力をする暴力フェチのリビー/ボルティーは、あっけなく顔半分をライフルで撃たれて死んでしまうのです。クリムゾン・ボルトは屋敷にるすべてのギャングを惨殺して、麻薬ディーラーのジャックを追い込みます。あっさりとサラを差し出しすジャックは、俺を殺したからって世界は変わらない」と命乞いをしますが・・・「それは試してみるまで分からない!」と、フランク/クリムゾンボルトはナイフでジャックをめった刺しにして殺してしまいます。そして、ヒーローのようにサラを救いだし、元の生活に戻っていくのです。ただ・・・一旦はフランクの元へ戻ったサラですが、数ヶ月して再びフランクから去ってしまいます。彼女は大学で勉強をして麻薬カウンセラーとなり、別な男と結婚して4人の子供をもうけて、幸せに暮らしています。

神の啓示を受けて悪と戦ったフランクは、クリムゾンボルトを引退して、ひとり静かに暮らしています。ただ、クリムゾンボルトになる前との違いは、日々の小さな出来事や人との関わりを「パーフェクトな瞬間」として、ひとつひとつ大事にして感謝できるようになったということ。まさに、これこそが宗教がなせる癒しの効果であり、紆余曲折ありながらもフランクは、神と出会ったということなのかもしれません。数々の「パーフェクトな瞬間」のイラストを眺めながら至福のときを過ごしている姿で映画は終わりますが・・・サラが去った後のフランクの日常は、そんなには素晴らしくはないはず。それでも、フランクが幸福感を感じるのは、やはり「神のおかげ」「信仰があるこそ」なのです。

「信じる者は救われる」・・・「スーパー」は、まぎれもなく悪ふざけの過ぎたキリスト教啓蒙映画”でも”あるのです!


「スーパー」
原題/Super
2011年/アメリカ
監督 : ジェームズ・ガン
脚本 : ジェームズ・ガン
出演 : レイン・ウィルソン、エレン・ペイジ、ケヴィン・ベーコン、リブ・タイラー



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