2011/09/16

ペドロ・アルモドバル監督の最新作にして最高傑作!・・・屈折した妄想の変態医療と究極のサバイバル~「私が、生きる肌/The Skin I Live In/La Piel Que Habito」~



スペインのペドロ・アルモドバル監督は、アメリカで(日本でも)初めて劇場公開された彼の5作目となる「マタドール~炎のレクイエム~」を1986年に観てから、ボクの大好きな監督のひとりであります。「精神衰弱ぎりぎりの女たち」で世界的にブレイクして、その後初期作品もさかのぼって次々と公開されました。アブノーマルな人々がアブノーマルな状況で、予想だにしないアブノーマルな事が唐突に起こるアルモドバル作品は、ボクの映画の嗜好にも大きく影響を与えています。中でもアントニオ・バンデラスがゲイの青年を演じた「欲望の法則」には、当時の鬱屈していたボクの精神状態を表すかのように、陶酔しきって何度も繰り返し鑑賞したものです。

その後、アルモドバル作品はよりスタイリッシュに洗練され、作風も円熟していくのですが・・・初期作品にあった熱量の高い狂気が欠けていくように感じることもありました。アルモドバル作品は”アルモドバル劇団”のように同じ俳優が出演することが多いのですが、アントニオ・バンデラスは、垢抜けないけど性的魅力に溢れ、一途で純粋だけど狂気のストーカー気質の繊細な青年を演じていました。しかし1990年製作の「アタメ」を最後にバンデラスはアルモドバル作品からは姿を消し、ハリウッドへ活動の場を移してしまいました。

本作で、20年ぶりにアントニオ・バンデラスがアルモドバル作品に復帰しました・・・原作の映画化権を獲得後、アントニオ・バンデラスが出演できる時期を待って撮影された(マリザ・ペデレス談)ということですから、アルモドバルがバンデラスを念頭においていた作品と言っても良いでしょう。そして、アルモドバルの初期作品以上に、アブノーマルで狂気な執着心に満ちた役柄であります!

「私が、生きる肌/The Skin I Live In/La Piel Que Habito」は、フランスのミステリー作家ティエリー・ジョンケの「蜘蛛の微笑」を原作としていますが、原作を忠実に映画化したわけではなく、あくまでも”あるシチュエーション”を流用してアルモドバル風に書き直したと言える作品です。タイトルからは「顔のない眼」を、予告編のスキンヘッドの女性が暴れているシーンからはサミュエル・フラーの「裸のキッス」を連想させるところがありますが・・・物語の伏線、キャラクター設定や、細かなディテールは、30年にも渡るアルモドバルの集大成とも言えるほどのアブノーマルな世界観を詰め込んだ・・・”アルモドバル・ファン”にとっては「待っていました!」という作品でありました。

2011年9月15日から開催されている「ラテンビート映画祭」のオープニング作品として新宿バルト9にて上映されました。ゲストスピーカーにアルモドバル作品の常連だったマリサ・ペデレスを迎えての舞台挨拶と上映後のQ&Aというサプライズもありました。おそらく日本でも公開されると思われる本作ですが、ボクにとってアルモドバル作品のなかでも最高傑作と思える作品をいち早く鑑賞できたことは、大変嬉しかったです。

大きな屋敷に閉じ込められている全身タイツを来た女性ベラ(エレナ・アンヤ)・・・屋敷の主人の形成外科医のロベルト(アントニオ・バンデラス)は、ベラを寵愛して監視しているようです。ロベルトとベラの世話をするのは、父親の代から屋敷のメイドを務めるマリリア(マリサ・ペデレス)。その屋敷に宝石強盗として追われているマリリアの息子ゼカ(ロベルト・アラモ)が押し入ってきます。ゼカは母親のマリリアを拘束して、ベラが監禁されている部屋に入り、はベラを激しくレイプします。それは過去にも同じことがあり、それを思い出させるかのように・・・。帰宅したロベルトは逆上して、ゼカを射殺してしまいます。

実はゼカだけでなく、ロベルトもマリリアは生んだ息子でありました。ロベルトの父親は無精子症と言われていたのですが、メイドのマリリアに手を出して妊娠させてしまったのです。将来的にも跡継ぎが生まれる可能性も少ないので、ロベルトは母親の生んだ息子として育てられたのです。そして、その後に生まれたゼカは、母親の元を離れて犯罪の世界で生きてきたのです。このレイプ事件後、ベラも普通の愛のある生活をしたいとロベルトに懇願します。しかし、マリリアはベラのことを信用していないどころか、存在さえも消してしまえと思っているようなのです。

ロベルトはベラの監禁状態を緩めて、マリリアとの買い物の外出も許可するようになります。ロベルトとベラは、ベットを共にするようになるのですが・・・それぞれの夢の中(?)で、過去に起こった事件が明らかになっていきます。

12年前、ロベルトは交通事故で焼けた車から妻を救いますが、自分自身の焼けただれた姿を見てしまった妻は娘ノーマの目の前で飛び降り自殺をしてしまいます。その後、ロベルトは人工皮膚の研究に没頭するようになったのです。実は、ロベルトの妻はマリリアの息子のゼカに犯され誘拐された上に、車ごと燃やされて殺されそうになっていたのでした。ロベルトが監禁しているベラの顔は、どうやら亡くなったロベルトの妻と瓜二つらしい・・・ベラって一体何者なのでしょう?

今から6年前、母親の自殺後に対人恐怖症になってしまった娘ノーマ(ブランカ・スアレス)も回復して、友人の結婚パーティーにも出席できるほど元気になっています。母親の経営するブティックで働くビンセンテ(ジャン・コーネット)は、ブティックで働くガールフレンドのクリスティーナを誘ったものの断られて、仲間とこの結婚パーティーに参加しています。ドラッグの取り過ぎでトリップしているビンセンテは、ノーマを誘って他の若者達と暗い庭に出て、エッチなことを始めようとします。しかし、愛撫をされ始めるとノーマはパニックを起こして気を失ってしまいます。バイクで逃げるビンセンテを目撃していたのは、娘を心配して捜しにきたロベルトでした。ノーマは、襲ってきたビンセンテと父親のロベルトの区別さえ付かないほどの酷い精神状態になり、母親と同じように窓から飛び降り自殺してしまいます。

ここからは筋のネタバレを含みます。本作を観る予定のある方は、グレーの部分は絶対に読まないことをお奨めします。

娘の復讐のため、ロベルトはビンセンテのバイクに衝突して拉致してします。そして、ビンセンテを小屋の地下に監禁して、ろくに飲み物や食べ物を与えずにギリギリの精神状態まで追い込みます。そして自宅の手術室へ運び・・・ビンセンテに「性転換手術」を施してしまうのです!そう・・・ベラという女性は性転換させられたビンセンテだったのです。術後、人口膣が閉じないようにペニス形の張型を渡したりします。そして、ビンセンテはロベルトの研究している人工皮膚の人体実験のモルモットとして全身の皮膚を移植され、顔まで妻そっくりに整形されて、ベラとして生まれ変わらせられていたのです。

ここで映画は現在に戻ります。従順な妻として再生したように見えたベラ(ビンセンテ)ですが・・・ふと目にした新聞で行方不明者として、捜索されている以前の自分の写真を目にしてしまいます。ベラが遂に女性としてロベルトと結ばれることになる夜・・・ベラはロベルトを射殺します。息子を心配して部屋に入ってきたマリリアも、ベラ(ビンセンテ)によって射殺さます。長年逃げる機会をうかがってきたベラ(ビンセンテ)は、なんとかして母親のブティックのあったところへ向かいます。そこには年老いた母親とクリスティーヌが、今でもブティックをやっていました。ベラとなったビンセンテに気付かない母親に対して、自分はビンセンテであると名乗るところで映画は終わります。唐突に終わってしまうところが、いかにもアルモドバルらしいところです。

「私が、生きる肌/ザ・スキン・アイ・リブ・イン/The Skin I Live In/La Piel Que Habito」は、ボクが陶酔していた頃のアルモドバルの初期作品で変質者の執念と妄想を描いた「マタドール~炎のレクイエム~」「欲望の法則」に近い、久々のダークな映画となっています。そして、もう繊細な青年ではなく・・・渋くて重厚な貫禄さえ漂わせるアントニオ・バンデラスが、阿呆みたいなラテン系男性の典型的な役ではなく、内面的な「狂気のオーラ」をアルモドバルによって蘇らせているのです。ハリウッドで出演した映画では演技賞などには完全に無縁なバンデラスですが、本作ではもしかして、もしかするとオスカーのノミネートもありえるかも(?)と思えるほどの熱い演技を見せております!

近年の女性/母性を讃歌した作品も素晴らしいですが、やはりアブノーマルな世界こそがアルモドバルの神髄・・・それにはアントニオ・バンデラスが欠かせないということを、20年経って確信させた作品でありました。


「私が、生きる肌」
原題/La Piel Que Habito
2011年/スペイン
監督 : ペドロ・アルモドバル
脚本 : ペドロ・アルモドバル
原作 : ティエリー・ジョンケ
出演 : アントニオ・バンデラス、マリサ・ペデレス、エレナ・アンヤ、ジャン・コーネット
2011年9月15日「ラテンビート映画祭」オープニングにてプレミア上映
2012年5月26日より日本劇場公開



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