2009/12/26

緻密な近未来小説だからこそ気になる”赤毛モノ”的な違和感〜「ドーン」/平野啓一郎著〜

SF小説というのは子供の頃には好んで読んでいたけれど、大人になってからは殆ど読まなくなってしまっているジャンルになってしまいました。

村上春樹のファンタジーの世界というのは、どこか現実と重なっていたり、続いていたりするものだから、一種のSF小説だったり、ミステリー小説だとしても、そのジャンルを意識せずに読んでいたりはするのですが・・・。

近未来SFというのは実は未来のはなしではなくて、その小説の書かれた時代を描いているものですが、「管理社会」への警告がテーマになっていることが多いようです。

それは、実際に近未来が管理社会になるか、否かということではなく、管理されることが「今」を生きる我々のなかにある”恐怖”そのものなのかもしれません。

我々が管理されることを恐れる、倫理、表現、情報、行動、コミュニケーションの自由は、インターネットの発達で10年前よりも自由になったような感覚はあります。

性同一障害への理解などは、女性、人種、同性愛などの問題と比べて飛躍的なスピードで浸透したと思えます。

人類の歴史の中でも、これほどまでに個々の自由というのが比較的広く尊重される(さまざま意見はまだあるでしょうが)時代というのはなかったような気がします。


平野啓一郎著の」「ドーン」は、ネット社会による管理社会を描いているのですが、単に社会の仕組みの未来像というだけでなく、新たなテクノロジーによって変化していく人間の心の内を描いているところが「今」の近未来SF小説なのかもしれません。

インディヴィジュアル(individual)という「個人」から、ディヴィジュアル(dividual)という「分人」という、関係性や状況によって個が分かれるという「ドーン」の世界で描かれる人間の捉え方は、ネットのハンドル名を使い分けたり、仕事とプライベートでは別人のように生活する「今」の時代を、ちょっとだけ先に進ませたような気がします。

また「ドーン」の世界での管理社会を象徴する仕組みとして描かれる「散影」というのは、顔認識技術、ネット検索、防犯カメラという「今」あるテクノロジーを、高いレベルで融合した個人情報の検索機能で、これによってプライバシーに対する感覚というのが希薄になっています。

テクノロジーの進化というのが人間の感情に大きな影響を与えることは、ここ十数年のインターネットや携帯電話の進化で証明されていることだと思います。

コミュニケーションに於ける時間軸がショートスパンになっただけでなく、短いメールの文章や絵文字での意思疎通というのが当たり前になると、繋がることも容易くなる反面、繋がりがなくなることも早くなっているような気がします。

「ドーン」の舞台になっている2033年に、テクノロジーによって我々の感覚が現代とはまったく違っていても驚きでもありません。

火星探索というSF的な物語を中心に展開されますが、アメリカ大統領選挙の伏線によるブッシュ政権への批判というのが大きなテーマになっています。

火星探索船ドーン(これがタイトルの由来)の内部でのクルー内での騒動や、登場人物達のキャラクターにしてもディヴィジュアルという分人主義の世界では、巧みな日本語の表現力で語られるながら読者にそれほど共感を感じさず、そういう空気感自体が「今」の我々の感じる「近未来」なのかもしれません。


火星に降り立つ日本人宇宙飛行士が「明日人(あすと)」という名前で、その妻が「今日子」で、亡くなった息子が「太陽」という、なんとも意味深なネーミングである反面、殆どの登場人物はアメリカ人を含む外国人の名前がなんともアバウトで、その人物のエスニックなバックグラウンドを感じさせないところが気になりました。

また、登場人物達の考え方や表現の仕方が、実に日本語的であったのにも違和感を感じてしまいました。

古い言い方をさせてもらえば「ドーン」は一種の”赤毛もの”(日本人が赤毛の鬘を被って外国人を演じる)のような小説で、所詮は日本人が書いた外国の話なのでしょう。

そこまで気にするのはバイリンガルでバイカルチュアルでないと気にならないことなのかもしれませんが、政治的な背景は「今」の現実とかなりリンクしているので、余計に気になってしまったのでした。



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