2009/11/13

少年時代の友情は打算的で、犬は心の内を見破っている~「犬はいつも足元にいて」/大森兄弟著~



「犬」タイトル小説好きの僕としては思わず手に取らずにいられなかった「犬はいつも足元にいて」は、大森兄弟というふたりの実兄弟による共作というのが話題にもなっています。
テレビの取材の様子を観たかぎり、30代の兄弟にしては(気持ち悪いほど?)仲が良くて、愛し合っている草食系な兄弟でした。
家庭的にもとても幸せに育ったという話をしていましたが、彼らのデビュー作は僕を冷ややかな気持ちにさせました。

主人公の中1の少年の両親は離婚していて、離婚したこと自体も母親から説明がないほど崩壊している家庭環境にあります。
学校には”サダ”という友人はいるのですが、その繋がりは給食時間に一人になりたくないという理由でしかありません。
お互いをひとりきりにしないために学校を休むことはありませんが、支え合う友情ではなく、お互いを束縛しているだけです。
少年期の友情には、どこか打算的な理由があったのかもしれない・・・という苦いような記憶が頭に浮かびました。

サダが朝の犬の散歩にまで現れるようになって、それを疎ましく感じる少年の気持ちを読み取ったように、犬がサダの足に噛みつく事件が起こります。
自分の飼い犬が怪我をさせたという負い目を煽って、友情で優位に立とうと計るサダの、自傷行為は少年期の屈折なのかもしれません。
また、サダの脅迫を利用して別れて暮らす父親から大金をくすねたり、母親を意図的に傷つける言葉を発したりする、少年の悪意にも歯止めが効かなくなっていきます。
しかし、最後にはサダとの打算の友情しか、主人公の居場所はなかったのかもしれません。

主人公の少年が犬の散歩で立ち寄る公園の穴から出てくる腐った肉片が、繰り返し象徴的に出現するのですが・・・それは、犬の臭覚でしか嗅ぎ分けられない人の心の内なのでしょうか?
”犬はいつも足元にいて”本質を見破っているようです。



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