2011/11/06

ニューヨーク・ソサエティとストリート・ファッションを記録し続ける”伝説のカメラマン/ジャーナリスト”のドキュメンタリー映画~「Bill Cunningham New York/ビル・カニングハム & ニューヨーク」~


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ニューヨークで暮らしたことがある人なら”ビル・カニングハム”の姿を見たことがあるかもしれません。ニューヨークの5番街をうろついたことのある旅行者だったら、運が良ければ”ビル・カニングハム”を偶然見かけていたかもしれません。”ビル・カニングハム”は、いわゆる「セレブ」と呼ばれるような有名人ではありませんが、”ビル・カニングハム”を知らない「セレブ」も「ファッション業界人」なんていません。それどころか、”ニューヨークタイムス紙”を読んでいるニューヨーカーならば、誰もが彼の名前とコラムだけは目にしたことがあるはずなのです。現在は紙面だけでなく、ネット上でも彼自身の毎週ビオーディオコメンタリーが「ニューヨークタイムズのサイト」にアップされていますので、世界中の人が彼のレポートを”聞ける”ようになっています。「Bill Cunningham New York/ビル・カニングハム & ニューヨーク」は、そのビル・カニングハムを約2年追ったドキュメンタリー映画なのであります。

ビル・カニングハム(Bill Cunningham)は1929年生まれ・・・ニューヨークソサエティのパーティーシーンとストリート・ファッションのスナップを撮影する”ニューヨーク・タイムズ紙”所属の「現役」カメラマン/ジャーナリストです。ボクはニューヨークに20年近く生活していましたが、ビル・カニングハムを幾度か見かけたことがあります。5番街と57丁目の交差点で無我夢中でシャターを切っていたり、イエローキャブの隙間をすり抜けながら自転車で疾走していたり、ナイトクラブのパーティーで派手な格好をしたゲストを撮影しているおじいさんを、よく見かけたものでした。

ビル・カニングハムは、あくまでも新聞社のカメラマン/ジャーナリストです。どこの生まれで、どこに住んでいるのか、結婚しているのか、家族がいるのか、普段はどんな生活をしているのかなど・・・プライベートのことは一切発表されていませんでした。正直なところ、殆どの人はそれほど彼の私生活に関心を寄せていなかったのかもしれません。ただ、カーネギーホールに住んでいるという都市伝説(?)は、1980年代に聞いたことがあります。本作では、彼の撮影したすべてのネガティブをファイリングしている無数のファイルキャビネットに埋め尽くされた(カーネギーホールのあるビルディング内にあるキッチンもバスルームもない芸術家達のためのスタジオ)彼の部屋が公開されています。

元々、1950年代に帽子デザイナーとして帽子サロンをカーネギーホールのスタジオで開いていたビル・カニングハム・・・1960年頃までは帽子は女性のファッションの必需品であり、多くの業界人(ホルストンなど)は帽子デザイナーとしてキャリアをスタートさせた時代であります。その後、自身の帽子ビジネスの低迷により、アメリカのファッション業界紙「ウーメンズ・ウェア・デイリー(WWD)」でファッション関係の記事を担当するコラムニストとして雇われることになります。ある日、友人の写真家から「ペンのようにカメラを使ったら?」と安いカメラをプレゼントされたことが、写真を撮り始めるきっかけとなったそうです。当時まだ注目されていなかったプレタ・ポルテのファッションショーを撮影していた最初のカメラマンでしたが・・・ファッションショーだけでなく、ストリートに目を向けるようになったのは、ヒッピー達の「Be-in」を撮影したときから。1960年代から、ビル・カニングハムは毎週ニューヨークのストリート・ファッションを撮影し始めたのです・・・自分自身の興味のために。

ビル・カニングハムの視線は、当初からファッションショーの世界だけでなく、現実の日常生活でファッションを着こなすリアルな人々にありました。ストリートで撮影したスナップ写真とファッションショーで撮影した写真を並べ・・・「ファションショーでプレゼンテーションされたルック」と「同じ服が実際に街でどう着こなされているか」を、WWD紙でレポートしようとしたのです。しかし、それは当時、理解されないコンセプトでした。一般人女性をあざ笑うかのようなキャプションが付けらて紙面に掲載されたのでした。また、ストリートのスナップ写真を使って、編集部では「IN & OUT/何が流行りで、何が流行遅れか」の記事にしようとしました。しかし、彼にとってストリートで撮影したスタイルは、どれも「OUT/流行遅れ」ではなく、リアルに息づいているファッション「IN/流行っている」と考えていたのでした。権威的なWWDの体質にに嫌気がさして、彼はWWDからニューヨークタイムズ紙にその活躍の場を移すこととなります。

カメラマン兼コラムニストとして、ニューヨーク・タイムズ紙で働き始めたビル・カニングハムは、ある日、グレタ・ガルボの姿を偶然撮影することになります。引退後、公の場に一切姿を現さない伝説の大女優ガルボは、ニューヨークのイースト川沿いのマンションに暮らしており、パパラッチの標的になったスターの元祖でした。プライバシー侵害を好まなかったビル・カニングハムですが、毛皮コートをさらりと着こなすガルボを思わずストリート・スナップしてしまったのです。勿論、ニューヨーク・タイムズ紙としては掲載したいスクープ写真であります。しかしゴシップ紙のような扱い方は出来ないということで、毛皮のコートのストリートスナップをまとめた記事のなかの写真の一枚としてガルボの写真を掲載したのです。ビル・カニングハムの「ON THE STREET」というニューヨークタイムズ紙の名物コラムを始めるきっかけが、ガルボのスクープ写真であったというのは驚きでした。

日本の雑誌のストリート・スナップ写真は、カメラマンが被写体に話しかけて脇道で「ハイ・ポーズ!」という感じで撮影されているようですが・・・ビル・カニングハムの撮影方法は、隠し撮りや、強引に追いかけるというゲリラ的な手段です。おそらく新聞記事の報道という扱いなので、個人の肖像権問題というのは存在しないってことなのでしょうか?半ば強引と思える撮影方法が許されるのも、ニューヨークという場所柄もあるでしょう、また、ビル・カニングハムに撮られるということは、ニューヨーカーにとって”名誉”なことだからでしょう。そして、堅苦しくなくファッションや着こなしを楽しむニューヨーカーがいてこそ、毎週「ON THE STREET」というコラムが成り立つのかもしれません。

ビル・カニングハムが一貫しているのは「ジャーナリスト」という立場で”コマーシャリズム”に屈しないこと・・・そのため、ソサエティのチャリティーパーティーに行ったとしても、水一杯、ワインのグラス一杯、フィンガーフードさえも一切口にせず、ただただ、撮影し続けるという姿勢を守り続けていること。また、ファッション・ショーでは、カメラマン用に設置された正面からの写真を撮る位置ではなく、ランウェイの脇で撮影するのです。ファッションショーであっても、服は現実の一部・・・広告のような写真を彼は信じていません。こうして、ビル・カニングハムは”金銭”のしがらみのない彼独自の立ち位置というのをファッション界で確立したのであります。

今ではネット上でファッションショーを即時(もしくはライブで!)に見ることの出来る時代・・・しかし1960年代には、ファッションショーといいうのは、限られた人たちだけが入場を許される場所でした。徐々にファッションショーを報道するメディアは増えていくものの・・・1990年代になってカナダのテレビ局などが「Fashion TV」などを制作するようになるまで、ファッションショーの映像を見れるチャンスというのは、CNNの「Style with Elsa Klench/スタイル・ウィズ・エルサ・クレンチ」ぐらいでした。

「SOHO NEWS」というダウンタウンのローカル誌を引き継ぐ形で、1982年に創刊された「DETAILS」マガジンの年2回のファッション特集は、ビル・カニングハム責任編集という大胆なもので、年々ページ数が増していった人気企画でした。それまでのコレクションを掲載する雑誌というのは、業界向けにコピー商品を作りやすいように写真をできるだけ多く掲載するか・・・一般顧客向けにトレンドを整理してエディトリアルで紹介するというのが通例でした。勿論、一般向け雑誌の場合、広告主は非常に需要な存在ですから、エディトリアルといっても毎号広告を掲載してくれるファッションメーカーやデザイナーの存在を無視するわけにはいきません。

各国の一般紙には、著名なファッション・ジャーナリストによるファッションショーの評というのは掲載されるのですが、これもまた個々の趣味/嗜好や人間関係の駆け引きが関与して、公平な視線で評価しているとも言い難いところというのがありました。あるデザイナーのショーを酷評したジャーナリストは、その次のファッションショーには招待状が送られてこないのも、隠れた掟(?)でありまして・・・より多くのファッションショーをレポートするためには、酷評することはできないということになってしまうのです。

ビル・カニングハムは「評価」を下すのではなく・・・ジャーナリストとして、何が注目すべきことか”だけ”をレポートをし続けました。彼が取り上げることが、彼の視点であり「今のファッションは何か?」かという意見そのもの・・・誰かをコケ落とす必要はないのです。ただ、ビル・カニングハムから無視されるというのは、最も酷な評価ではあるかもしれません。大広告主である有名ブランドのデザイナーも、ダウンタウンで行なわれている新進デザイナーも、彼には同じ目線で見ることができるのです。1960年代からファッションショー、ニューヨークソサエティー、ストリートファッションという流れを目撃してきた彼にとって、盗んだアイディアやコピーデザインなど一目瞭然・・・本当にクリエティブなデザインを見極めて、それを伝えることのできる世界的にも無二の存在であります。

1980年代には、日本人デザイナー(コム・デ・ギャルソン、ヨウジ・ヤマモトら)は、アメリカのメディアでは殆ど無視され、評価さえされていませんでした。アメリカで最も影響力を持つファッション業界紙「WWD」のフェアチャイルド編集長の個人的な嗜好に合わないという理由で、1990年代になるまで日本人デザイナーのファッションショーの批評は、常に否定的なものでした。これは、西洋的なファッションの価値観の崩壊を危惧する封建的な抵抗であったことは、歴史的にみて明らかなことではありますが・・・誰よりも早く大きく日本人デザイナーの革新性を認めたアメリカのジャーナリストの一人が、ビル・カニングハムでした。
また、WWDが取り上げられることも殆どなく、アメリカのメディアでは無名に近かったデザイナー・・・初期のジョン・ガリアーノやマルタン・マンジェラ、マーク・オティベ、シビラ、ヌーベリー&オスナ、アドリーヌ・アンドレなどを真っ先に扱ったのもビル.カニングハムでした。


ビル・カニングハムの熟練の視点は、時にトラブルの火種にもなりかねません。「DETAILS」の1989年3月号のスプリング・ファッション特集号に於いて、ニューヨークファッション界のニュースター、アイゼック・ミズラヒの発表した服の写真の隣に、ジェフリー・ビーン(わが師!)が13年前に発表した服の写真を並べて、その類似点を指摘したのです。この記事は、コピーを指摘されたミズラヒを苛つかせ、ジェフリー・ビーンはミズラヒに対して激怒するという事態を巻き起こしました。コピー問題に関しては、ファッション業界では暗黙の了解と言うか、指摘しないことがルールになっているところがあります・・・それは現在でも、まったく変わりません。しかし、ビル・カニングハムはジャーナリストとして、明らかな「コピー」の事実を無視することは出来なかったのです。

ニューヨーク・タイムズ紙の日曜日版に掲載されている「ON THE STREET」は、ビル・カニングハムの個人的な見解を訴えているコラムではありません。ストリートに出て、人々を観察し続けて、あぶり出しのように浮かんでくる”現象”を記録しているだけだと彼は言います。それは、リアルな人々が自分自身のお金で買って、自分の好きなように着こなしている結果・・・自然に生まれている流行/トレンドこそが「本当の時代性」だということなのです。セレブがデザイナーの宣伝のために”タダ”で身につけている「衣装」は、何も時代を語っていません。しかし、ストリートで起こっていることを記録し続けるというのは、尋常なことではないことは本作を観るとよく分かります。普通の人の生活を”犠牲”にして、ただただ写真を撮り続ける毎日・・・まさに自分の人生そのものを「この仕事」に捧げているとしか思えないほどの”偉業”なのです。

ここからネタバレを含みます。

本作の終盤・・・インタビュアー(監督)は、ビル・カニングハムに、今まで親しく仕事を共にしてきた誰もが尋ねなかったような彼自身の内面をえぐるような質問をぶつけます。まずは、家族のこと・・・ニューヨークの上流階級の人々と気軽に接する彼をみて、彼自身も上流の家庭の出身ではないかと想像していた友人もいたようなのですが・・・イギリスからカソリック教徒の迫害を避けるために移住してきたという中流階級の出身であったことが明かされます。そして、男なのにファッションに関わる仕事をしているというのは、両親や家族にとっては理解し難いことであったと告白します。

そして次の質問は、さらに彼の本質的なプライバシーに踏み込んだものでした・・・「今までにロマンチックな関係を持ったことがあるのか?」。この遠回しの質問の仕方に、頭のいいビル・カニングハムは瞬時に気付きます。「私がゲイかっていう質問だね」と・・・そして、彼の育った環境では、こういうことは話をするべきことではなかったと語ります。人により彼の言葉の解釈はあるでしょうが・・・このようなシチュエーションで、こう答えるというのは「ゲイ」であることを肯定しているようなものではあります。ただ、彼がハッキリと断言したのは「今まで一度もロマンチックな関係を持ったことはない」ということでした。80歳過ぎたおじいさんには酷な質問ではあったはずですが、冗談まじりに率直に返答している様子に、ある意味、彼自身の生き様に後悔はないことを感じさせました。

しかし、最後の質問でビル・カニングハムの本当の葛藤が明らかとなるのです。カソリック信者で毎週日曜日には教会に通っている彼なのですが・・・「宗教というのは、あなたのとって何ですか?」と尋ねられ、ビル・カニングハムは、しばらくの間、うなだれて沈黙してしまうのです。それは、いかに彼が宗教と葛藤してきたかを数秒で物語っています。「教会はある意味、自分をコントロールする力になってくれているのだ」と説明します。彼がコントロールされなくてはならなかったのは、彼自身のセクシャリティーであることは明らかです。人間としての欲望のすべてをファッションへ向けるしかなかった、ビル・カニングハムの悲痛な情熱を思うと・・・涙なしでは見ることのできないシーンでした。

「ファッション」は自分だけが楽しむための「自己満足だ」と言う人がいますが・・・誰にも見られないとしたら、果して人はこれほど「ファッション」を楽しむものでしょうか?

流行の服を着たり、新作をバッグを持つのも、時代の先端をいく”おしゃれ”と思われたいから。

レアなスニーカーやデッドストックのジーンズに大金を払うのは、同じ価値観を持つ人に気付いて欲しいから。

高価な宝飾品や時計を身につけるのは、経済力や社会的な地位を見せつけたいから。

ファッションの感性で他人を上から目線で判断するのは、感性という自分本意の優位さしかないから。

ビル・カニングハムは「ファッションとは、人が、その日一日を乗り切るのに必要な鎧のようなモノだ」と言っているように・・・他者の存在しないところにファッションは成立しないのです。”ひきこもり”が、ファッションにこだわらなくなるのは、自分しか存在していない世界に閉じこもっているからです。(ただ、今の”ひきこもり”ってネット活動して、コスプレとか楽しんでいそうですが・・・)

日本人からするとニューヨークなんてファッションの街でないと思われるかもしれませんが・・・ヨーロッパのデザイナーのファッションが最も売れているのはニューヨーク。ソサエティのレディー達は、連日のように行なわれるチャリティー・パーティーのためにドレスを新調します。またパリやミラノよりも、個性重視の着こなしを楽しむ派手な人々が多いのもニューヨークならでは・・・世界中からヘンテコな人が集まってきているのです。それはビル・カニングハムにとっては、撮っても撮っても撮りきれないほど、次から次に人々が小さなトレンド/流行を生み出す”ファッションが生きている街”なのです。

ビル・カニングハムは1960年代から、ニューヨークファッションに最も影響力のある「他者の目」として、ニューヨーカーに不可欠な存在となっていました。彼が引退する時、ニューヨークは「偉大な目」を失うことになり、色褪せてしまうに違いありません。


「ビル・カニングハム & ニューヨーク」
原題/Bill Cunningham New York
2011年/アメリカ
監督 : リチャード・プレス

2013年5月18日より日本劇場公開


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