2011/04/04

まるで山岸凉子の「アラベスク」+「天人唐草」・・・ナタリー・ポートマンのイタ〜い演技で個人的には”カルト映画”に決定~「ブラック・スワン」~

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アカデミー賞の作品賞のノミネートが10作品に増えて以来、いわゆる”オスカーらしい”真面目な(?)作品だけでなく「この映画も作品賞!?」と思ってしまうこともあったりします。
ダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン」は作品賞にノミネートされた映画のなかでも、ボクが最も注目していた作品ではありましたが・・・以前のように5作品しか作品賞のノミネートしないシステムだったら、もしかすると選考から漏れていたかもと思わせる内容の映画です。
話としては「ベタ」・・・、テーマ的にもひとりの女性の妄想と葛藤を描くというマクロな内容だし、かなりマニアックなテイストの作品なのですから。
過保護で過剰な期待をする母親との葛藤、奔放としたライバルとの争い、性的な束縛から自己分裂を引き起こしていく主人公・・・まさにボクが最も「好物」とする設定であります!

ニナ(ナタリー・ポートマン)は自分自身もバレリーナを夢みていた母親(バーバラ・ハーシー)から、バレリーナとして成功することを過剰に期待され、過保護に育てられてきた、ド真面目な「箱入り娘」(勿論、処女!)であります。
そんなニナは、カンパニーの年増のプリマドンナ(ウィノナ・ライダー)を押しのけて「白鳥の湖」の白鳥役を射止めるのです。
ウィノナ・ライダー世代(?)のボクとしては、彼女が落ちぶれていく年増のプリマドンナ役というだけで、結構ショックであります。
いつまでも”不思議少女”であり続けるように思えたウィノナ・ライダーさえも、こんな役柄を演じる”おばさん”になってしまったのですね・・・。
さて、ナタリー・ポートマンは母親に期待されていたプリマドンナになったわけですが・・・「白鳥/ホワイトスワン」は完璧に踊れるものの、男を誘惑する「黒鳥/ブラックスワン」はうまく踊れません。
この映画で知ったのですが・・・通例的に白鳥と黒鳥は同じプリマによって演じられるということ・・・対照的な役柄を演じ分けるというのも「白鳥の湖」の見所でもあるということなのです。
カンパニーの監督からは、セクハラとしか思えない強引なキスや愛撫を受け、極々個人的で性的な質問(セックスの経験があるかとか、セックスでエクスタシーを感じるかとか)をされたりします。
そして、黒鳥を踊るためには性の歓びを表現するのだから、マスターベーションをしなさいとまでニナに奨めるのです。
いくら何でも、そこまで監督がバレリーナの私生活に干渉するものなのか・・・と少々呆れてしまいます。
ニナのライバルがアンダースタディー(代役)となるのですが、彼女はまさに黒鳥そのもの奔放な生々しい女であり、何かにつけてニナを落とし込めようとしたり挑発してきます。
ナイトクラブに誘い、ドラッグを摂取させたりもします。
朦朧とした意識の中で、ライバルはニナの股間に手を伸ばし誘惑し、自宅のベットルームまで上がり込んでレズビアンセックスに誘導していくのです。
ライバルはニナの股間に顔を埋めてアソコを舐め回してエクスタシーを与えると、勝ち誇ったような満足げな表情をするのです。
翌朝、ニナは寝坊してしまい、練習に遅刻してしまいます。
しかし、練習場にはしっかりと時間通りに到着しているライバルは蔑むようにニナに微笑んでるのもだから・・・真面目だけが取り柄のニナは、こうやってドンドンと追い込まれていくのであります。

ところが、映画を観ているうちに「ニナも、何かおかしい」ことに気付いてきます。
どういうわけか、毎朝ニーナの背中についている引っ掻き傷・・・母親はニナ自身が自分の爪で引っ掻いていると思い込み、爪を血が出るほど短く切っていきます。
確かに、母親の心配はどこかしら不自然で極端過ぎる気もするのですが・・・どうやら、ニナ自身が自傷行為をしているような節もあるのです。
ライバルがこれ見よがしに監督を誘惑して舞台袖で抱き合っていたり、ニナが蹴落とした年増のプリマドンナが狂ったようにナイフを顔の刺したり・・・ニーナの幻覚や妄想も、現実に起こっていることのように映画では描いていきます。
観客は次第にどこまでが現実に起こっていることか、ニナの幻覚なのかもハッキリしなくなってくるのです。
実際にニナはレズビアンセックスをしたのか・・・マスターベーションする罪悪感から、いいわけとしてセックスしたと妄想しているのではないか?
本番の前夜、ニナは遂にブレイクダウンを起こしてしまいます・・・しかし、翌朝、引き止める母親を尻目に、ニナは本番へと向かうのです。
そして、ニナは妄想と現実を行き来しながら、遂に「完璧」な白鳥と黒鳥を踊るのであります!

少女には純粋さを求めながら・・・女へと成長する過程では性的な成熟が求められます。
ただ、いつまでも性的に成熟出来ない「女性」は、年齢を増すごとに痛々しい存在となっていくものです。
それが親などからの抑圧によるものであるなら、親の存在がある限り、娘は性的な欲望を押し殺していくしかありません。
しかし・・・肉体的に純粋でありながら、抑圧のために性的な妄想は、より猥雑になっていくしかないのです。
あらゆる事柄を性的に解釈したり、性的になる自分自身を自傷行為で罰しなければならなかったり、精神的には「少女」と「女」という二つのペルソナに分裂していってしまいます。
うまく「少女」から「女」になれないと、ある種の性的なヒステリー状態のままということあって・・・年齢を増すごとに、外見は完璧なのに、中身は熟しきって腐った果物のような屈折した人格を作り上げてしまうのかもしれません。
ニナのように・・・。


映画「ブラック.スワン」を観て、ボクがまず思い出したのが、少女マンガ家/山岸凉子の「アラベスク」と「天人唐草」でした。
「アラベスク」は、バレー漫画という範疇を超えて名作と言われるのは、単に主人公のバレリーナとしての葛藤や成長だけでなく、少女の性の目覚めまでも描いているのが生々しいからに他なりません。
表現者としてアンナが覚醒するためには、自分自身の「性」とも向き合わなければならないのです。
ただ「アラベスク」のノンナには、彼女を導いてくれるミノロフ先生という存在がありました・・・そういう強いガイダンスと愛があることで、ノンナは女へと成長していけたのであり、そのような男性の存在こそが「アラベスク」が正統派の少女漫画であった証でもあります。
山岸凉子はのちに、抑圧だけを強いられた女性の残酷な顛末を描いた、少女漫画でない「天人唐草」を発表します。
岡村響子という女性が、女としての「性」を押さえつけて「完璧」を目指した結果・・・最終的に「狂気」という檻の中で開放されるという、わずか50ページの短編とは思えない「濃い」物語です。
そこには少女が夢見る未来はなく、ただ残酷過ぎる現実が描かれています。
「天人唐草」の岡村響子は、ボクの中で「ブラック.スワン」のニナの姿とかぶり・・・ナタリー・ポートマンの捨て身のイタ~い演技によって「ブラック・スワン」は個人的には「カルト映画」決定なのであります!


「ブラック・スワン」
原題/Black Swan
2010年/アメリカ
監督 : ダーレン・アロノフスキー
出演 : ナタリー・ポートマン、ヴァンサン.カッセル、ミラ・ニュニス、バーバラ・ハーシー、ウィノナ・ライダー

2011年5月11日より全国公開


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2 件のコメント:

  1. 通りすがり2011年5月3日 11:54

    記事、楽しく読ませていただいております。
    山岸涼子は「ブラック・スワン」という短編も描いてますね。
    この映画と同じく、白鳥は得意だけど黒鳥が苦手な少女が主人公で、自分の夫の浮気相手である若いバレリーナへの憎しみを昇華し、すばらしい黒鳥を踊ることができたと言う話です。
    純粋でか弱い少女から大人の強い女性への変化という要素は、バレエに関する物語を考えるにあたって取り上げやすいテーマなのでしょうか?
    面白いです。

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  2. 私もブラックスワンの事を書こうと思いましたが、もうすでに通りすがりさんが書いていらっしゃったので…
    山岸涼子さんのマンガは厳しい母親が多いと思います。
    テレプシコーラもヴィリも、厳しすぎるが故に自分の娘を追い詰めてしまうような。

    それだけに、映画の原案者は実は山岸先生のファンなんじゃないの?と疑ってしまいます 笑

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