2010/11/30

ミュージックビデオで振り返ってみたら、マイケルを聴かなくなった理由を思い出しました~マイケル・ジャクソン「VISION」~



去年の今ごろ(2009年末)はマイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」の劇場公開で、世界中は大騒ぎしていました。
ボクは劇場にまでは足は運ばなかったものの、今年1月のブレーレイ版を発売日に購入して、改めてマイケル・ジャクソンの才能には圧倒されたものでした。
世の中がマイケルの偉大さに感動し、亡くなった事実に改めて悲しんでいる中・・・ボクはどこか冷めたところもありました。
先日(2010年11月24日)に、マイケル・ジャクソンの全てのショートフィルム(プロモーションビデオ)を収録した「VISION」というDVDボックスが発売されたのですが・・・これまた、発売日にボクは購入しました。
結構なファンじゃないか・・・と思われてしまうでしょうが、実際にDVDを観てみたら収録されている楽曲で知っていたのは半分ほど。
リアルタイムでマイケル・ジャクソンの音楽はずっと聴いてきたつもりではありましたが、よく考えてみればキチンと聴いていたのは80年代半ばあたりまでだったのです。
やはり・・・あの時感じた「違和感」以降、ボクはマイケルの音楽には、それほど関心を持つことが出来なかったということだったのかもしれません。

ボクが初めてマイケル・ジャクソンの音楽を知ったのは、1979~1980年ごろディスコに出掛けるようになってからだと思います。
六本木のスクウェアビルのディスコ(名前は忘れたけど)で「今夜はドント・ストップ/Don't Stop 'Till You Get Enough」で踊ったりしてた記憶があります・・・といっても、当時、マイケル・ジャクソンの曲であったことは分かっていなかったのですが。


その後(1981年9月)にニューヨークに渡り、音楽好きの日本人の友人らに影響されて、ボクは洋楽を聴くようになったのですが・・・「これが好き!」というほど自分の趣味が定まっていたわけではありませんでした。
BOW BOW WOW、Earth Wind & Fire、Billy Joel, ELOなどのコマーシャルな音楽を聴きながら、マッドハウス、アンダーグラウンド、ダンステリアなどのクラブにも出入りしたりして、何でもかんでもチャンポンだったのです。
ただ、急にいろんな音楽を聴き始めたボクにとって、マイケル・ジャクソンという存在は、徐々にコマーシャル過ぎる存在に徐々になっていったのでした。

アルバムの「スリラー」が発売された1982年には、ボクはメイン州のプレップ・スクールの寮で暮らしていたので、実際にアルバムを購入したのは、発売されてから時間が経ってからだったと思います。
当時始まったばかりのMTVは、今のような若者向けの番組を製作放映していたわけでなく、まさにミュージックビデオばかりを流す専門チャンネルらしかったのです。
ただ、まだミュージックビデオ自体の数も少なかったので、同じビデオを繰り返し放映していたような感じでした。
それに、ケーブルテレビ自体がそれほど一般的でなくて、MTVを視聴出来る環境を持っているのは、明らかに中産階級以上の豊かな人ではあったのです。
確かにマイケル・ジャクソンが、ヘビーローテーションで放映された初めての黒人音楽でしたが、すでに「VH1」という別のミュージックビデオ専門チャンネルも存在しており、こちらでは黒人音楽を放映していました。

「Billie Jean」のビデオは、ある意味、衝撃的でした。
当時のビデオは、今からすると陳腐なCG的な効果を使ったスタジオ撮影か、ミュージシャンが街中とか、部屋の中で歌っている・・・程度のクオリティが殆どでした。
映画のようにセットを作って演出された、費用をかけたビデオは珍しかったのです。
ただ、当時から歌詞の内容(自分の子種じゃないと訴える唄)とは、まったく関係ないコンセプトの映像は妙に感じたものでした。

次に公開された「Beat It」は、本当の意味で「ミュージックビデオ革命」だったと言って良いのかもしれません・・・。
明らかに「ウエストサイド物語」からインスパイアされたダンスの演出でしたが、サビに合わせてバックダンサーらと動きを合わせて踊り始める瞬間には、誰もがゾクゾクして興奮したものです。


そして「Thriller」・・・このビデオが放映されることが、MTVのイベントでした。
ただ、ボク自身がテレビ(それもケーブルテレビ)を持つようになるのは1987年なので、どうやってミュージックビデオを観ていたのでしょう?
ゲーブルテレビはおろかテレビ自体を所有していなかったし、ビデオデッキもそれほど一般的でなくレンタルビデオ屋だってマンハッタンに数軒しかない(ビデオデッキ自体をレンタルして観ることもあった)時代・・・振り返って考えてみると、ビデオ観たさにクラブやバーへ足を運んだりしていたのでした。

さて、1987年にマイケル・ジャクソンが4年ぶりの新作アルバム「BAD」を発表しました。
そして「BAD」のミュージックビデオを初公開するときには、ボクもテレビを持っていて、ケーブルビデオにも契約していて、リアルタイムでワールドプレミアを観ることができました。
そして、このビデオでのマイケル・ジャクソンの「顔」に、皆、たいへんなショックを受けました。
マーティン・スコセッジ監督によって演出されたショートフィルムは、モノクロの導入部分から始まります。
ほとんどが白人の全寮制のプライベートハイスクール(コネチカット州、もしくはマサチューセッツ州でしょうか?)・・・当時すでに29歳だったマイケルはクリスマス休暇で帰宅する高校生を演じているのです。


マイケルは他の白人の出演者と比べても、やけに肌の色が薄く顔の印象も以前と違うなぁ・・・とは思いましたが、画面はモノクロなので、それほどの違和感はまだ感じませんでした。
ハーレムらしき自宅へ戻ったマイケルを迎える近所の仲間のワルを演じていたウェズリー・スナイプスが黒人の中でも黒人的な特徴が強い顔で、肌の色も濃いこともあって、マイケルの肌の色の薄さがより強調されるようです。


その違和感がマックスに達したのは、地下鉄のシーンで画面がカラーになった時でした!
・・・明らかに整形手術をしたであろうマイケルの顔、特に「鼻」の形状が作り物のようです・・・呆然としました。


当時、アメリカのマスコミは整形疑惑を騒ぎ立えれ、深層心理的に「白人願望」を表しているというような非難を受けましたが、マイケル自身はすべて100%否定してます。(後に整形手術については肯定的な発言もしていますが)
マイケルの心のうちを知る由は誰にもありませんが・・・ある種「人種同一障害」のような複雑な心情を邪推してしまって、ボクは「痛く」感じてしまったのです。

今回、発売された「VISION」を時代順に観ていくことは、同時にマイケルの外見の変貌の歴史をワンステップごとに追っていくことになります。
晩年に近づくにつれて、肌はますます磁器のように輝くほど白くなり、鼻の形はますますシャープに小さくなり、髪はますます直毛のさらさらヘアーとなっていく・・・パフォーマーとして洗練され完成度が高まるについれて、外見の変容も加速化していくように感じます。


それは、心の真理を追究し続けて、最後には「死」を選ぶしかなくなってしまう文豪や思想家が突き進んでしまう”危険なベクトル”にも似ているような気がするのです。
3枚目に収録されているジャクソン5時代に兄弟とともに歌い踊るマイケルは、アフロヘアーの黒人の姿。
すごくチャーミングで、この姿のままで世界中から愛されていたのに「どうして?」と・・・マイケルに繰り返し問いたくなってしまうのです。





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