2011/09/03

”ファッションデザイン”をテーマにした映画はダサい!・・・まるで最近の歌詞のような感動ありきの薄っぺらいステレオタイプの青春物語~「ランウェイ☆ビート」~



ファッションモデルを描いた映画というのはあっても、ファッション”デザイン”を描いた映画というのは、それほど多くありません。時代感を表すために”ファッション”は重要な要素でありますが、リアルタイムの”ファッション性”とか、”おしゃれ感”を、実際の服で表現するというのは、実は非情に厄介なことなのです。最新のトレンドを映画の中で打ち出せば打ち出すだけ、映画館やDVDで観ている時点では古臭くてダサくなってしまうからです。奇抜だと、殆どの観客からは「誰がこんな服着んの~?」と冷笑されること間違いありません。・・・と言って、無難なファッションでは、物足りないという「パラドックス」に陥ってしまうのであります。

そんな高いハードルにも関わらず・・・真っ向うから「ファッションデザイン」をテーマに邦画初(?)のファッション映画に挑戦したのが「ランウェイ☆ビート」です。東関東大震災直後(3月19日)に公開されたのですが・・・震災後の自粛もあって、十分な宣伝活動も出来なかったという不運な映画であります。しかし、予想以上の出来の悪さに「このまま忘れられた方が良いのに・・・」と思ってしまうほどでありました。

「ビート」こと溝呂木美糸(瀬戸康史)は、母の病死後、山梨の甲府で小さな洋裁店を営む祖父に育てられていたのだけど、白血病の恋人の宮本きらら(水野絵梨奈)の転院に合わせて、東京の月島の青々学園に転校生としてやってきます。クラスには・・・雑誌で活躍するティーンモデルの「ミキティ」こと立花美姫(桐谷美鈴)、散髪屋の娘の「メイ」こと塚本芽衣(桜庭ななみ)、もんじゃ焼き屋の娘の「アンナ」こと秋川杏奈(IMALU)、ひきこもりだった留年生で”いじめられっこ”の「ワンダ」こと犬田悟(田中圭)、洋品店の息子で””いじめっこ”の郷田豪介(加冶将樹)らがいるのですが・・・ステレオタイプで固めただけの、なんともリアリティのないキャラクターたちであります。

まず・・・人気モデルからだという理由で、クラス内で女王さま扱いのわがままし放題しているミキティといういう女の子はどうなのよ〜という話。こんな性格の悪いのに、性懲りもなく文化祭でミキティをモデルにしてファッションショーを開く計画をしているというのも奇妙なクラスです。ワンダという冴えない留年生に対するイジメも陰湿(女装みたいな格好をさせる)です。そのクラスにビートが転校してくるわけですが・・・初日からメイと共にワンダくん宅に押し掛けてカッコいい男の子に大変身させてしまい、翌日クラスメート達を驚嘆させるほどカッコいい服のデザイン画を披露して、いきなりクラスは一丸となってビートのデザインした服の製作に取り組むことになるのです。ひとりの転校生によって、これほど急に今までの人間関係が変わってしまうクラスって・・・ありえません!

実はビートの父親(田辺誠一)はアパレルの大手会社、スタイル・ジャパン社の企画部長で、ビートが文化祭でファッションショーをすることが週刊誌の記事になってしまうという・・・何とも凄い「親の七光り」です。何の脈略も努力もなく、いきなり「モードの天才」という設定のビートの才能は、”父親譲り”ということなのでしょうか?そんなビートの”決めスタイル”は、タータンチェックのプリーツスカートをパンツの上から穿くというもの。服のラインのデザインは、何枚の布を縫い合わせたロックっぽいスタイルで、良く解釈すればファッションデザイン学校へ進学しようとしている子が頑張ってデザインした感じでしょうか?ただ、こんな服をみてカッコいいと思えるのって、よっぽど情報から隔離された地域の子しかいないように思います。そんなビートの服のデザインを、あるアパレルメーカーがコピーしたということで、クラスメート達との間に亀裂が生まれるのですが・・・タータンチェックに星形のスタッドって子供服もどき過ぎます。結局、このコピー騒ぎで、ビートは文化祭のファッションショーを放り出して、学校に来なくなってしまうのですから、かなり無責任な行動です。

その後、母親が病気で亡くなる時に側にいなかった父親とビートの確執や、白血病の移植手術に望む恋人きららと、ビートに恋するクラスメートのメイの逸話などがあるのですが・・・過去に存在したドラマの状況や台詞を引用したのではないかと思えるほど”ステレオタイプ”の展開。クライマックスは、劇場上映時には「3D」であったという校庭でのファッションショーとなるのですが・・・舞台装置は高校生のレベルで出来るとは思えないほどの大仕掛けです。代理店とかイベント屋さんが関わったみたいなダサいファッションショー・・・「東京ガールズコレクション」が、最高のファッションショーと思える人たちにとっては「ステキ!」と共感出来る世界観なのかもしれませんが。それにしても、このファッションショーのシーンだけを、わざわざ「3D」にする必要って、本当にあったのでしょうか?

この映画で最も驚くべきことは、いろいろなエピソードが物語全体の流れに、それほど影響してないということです。「心地よい台詞」を言わすため”だけ”に、各エピソードの状況を作っているだけで、キャラクターは”ステレオタイプ”以上の存在にはなれません。作品で伝えたいテーマを、作り手がズバリ言葉で説明してしまうのは、本来とってもダサいことなのですが・・・最近の観客というのは、台詞で何度も繰り返さないと理解出来ないってことなのでしょうか?観客が頭悪くなったのか・・・それとも作り手が頭悪くなったのか・・・おそらく、どちらも頭悪くなったということなのかもしれません。ちょっと前までは、映画だって、歌の歌詞だって、情景を表現してテーマは観客や聴く人の技量に任されていたものです。近年の日本の音楽も伝えたいことをズバリ言うだけの薄っぺらい歌詞ばかり・・・散々使い古された感動ありきの「心地よい言葉」ばかり並べられても、その言葉の薄っぺらさ以外に何を感じれば良いのでしょう?

「ランウェイ☆ビート」は、物語は使い古しのステレオタイプを切り貼り、俳優たちの大根っぷりもススゴ過ぎて学園祭の劇レベル(中でもIMALUは映画初出演だけど、あまりにも酷い!)・・・いいところなしです。「信じていれば、必ず変われる」というのが、この映画で伝えたいテーマということだと宣伝しているけど、劇中でも何度もビートに台詞で言わせるという陳腐さ・・・わざわざ映画にして伝えるほどのテーマでもない上に、それを熱く伝えているつもりになっている薄っぺらい演出に冷笑するしかありませんでした。

今年のワースト邦画に入るのは確実と言える・・・かなりデキの悪さを”極めた”作品であります!

そう言えば、今年は北川景子と向井理の「パラダイス・キッス」というファッション映画もありました・・・こちらも、かなりデキは悪そうで、ある意味、レンタル開始されるのが待ち遠しいです。(鼻っから劇場で観る気はありません!)


「ランウェイ☆ビート」
2011年/日本
監督 : 大谷健太郎
脚本 : 高橋泉
原作 : 原田マハ
出演 : 瀬戸康史、桐谷美鈴、桜庭ななみ、田中圭、IMALU、田辺誠一、吉瀬美智子、RICAKO



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