2011/07/30

ニーチェの「永劫回帰」のような”同じ時間”の繰り返し・・・ロマンティックコメディ映画「恋はデジャ・ブ」と、プレイステーション2用ゲームソフト「幸福操作官」と~「ミッション:8ミニッツ/SOURCE CODE」~


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人生に於いて、もう一度”あの時”を繰り返すことができたなら・・・と思うことというのは誰にもひとつやふたつあるものです。”失敗”というほどまでではないにしても、今の自分であったならば違う選択をしていたはず・・・なんて、ふと考えたりしてしまいます。そんな過去の大事な場面を、何度もやり直すことができたのであれば・・・今の自分以上の”より良い”自分でいられたのではないかなんて思い、別に不幸でもない今の自分に落ち込んでしまったりもするのです。ニーチェの「永劫回帰のように同じ時間を繰り返し生きることで「超人」になると言われても、そんな時間的な空間なんて存在するわけもなく・・・単なる妄想でしかありません。
ダンカン・ジョーンズ監督(デヴィット・ボウイの息子)の新作「ミッション:8ミニッツ/SOURCE CODE(原題)」は、”ある時間”を繰り返し生きなければならなくなった男の話です。アフガニスタンに派遣されていたパイロットのコルター(ジェイク・ギレンホール)は目が覚めると、シカゴに向かうコミュータートレインの中・・・目の前に座っているクリスティーン(ミッシェル・モナハン)からは”ショーン”と呼ばれるが全く覚えがありません。洗面所の鏡で自分の姿を見ると、見知らぬ男の顔・・・身分証にある”ショーン”という教師の顔なのであります。その瞬間、列車はとんでもない大爆発!しかし、気付くとコルターは小さなモニターのある暗い小さな部屋に拘束されていたのです。
モニターに映るゴッドウィン(ベラ・ファミーガ)と名乗る女性司令官によると、脳は死の直前の8分間の記憶が死んだ後も残っていて、その記憶にソースコードとして入り込むと”その8分間”を追体験する事が出来るというのです。そしてコルターの使命は、列車に爆弾を仕掛けた犯人を見つけること・・・何故なら、その爆発犯は次の犯行も予告しており、現実世界ではそれを未然に防げなければならないのであります。
コルターは繰り返し、同じ”8分間”を生きて、爆発犯探さなければなりません。軍人なのですから、訳が分からないながらも任務には忠実かつ、遂行能力にも長けています。すぐさま、時限爆弾の隠し場所を早々に発見するし、次々と怪しい人物にアプローチしてしらみつぶしに調査をしていきます。それと同時に、コルターはクリスティーンの優しい人間性に気付き、彼女だけでも爆発から救いたいと思うようになります。しかし、コルターが経験しているのは、すでに過去に起こった脳の記憶から紡ぎ出されたコード・・・「今」を書き換える事は出来ないのです。
同じ時間を繰り返す映画と言えば・・・1993年に製作された「恋はデジャ・ブ」を思い出します。ロマンティックコメディという軽いノリの映画なのですが・・・ニーチェの「永劫回帰」を具体的に体現するようなところがあって、深く考えさせられる作品でした。
ビル・マレー扮する天気予報士は、自己中心的でイヤミな男・・・グラウンドホッグ・デイ(春の訪れを占うお祭り)の取材に訪れたペンシルバニア州の田舎町の「2月2日」に、彼は永遠に閉じ込められてしまうのです。当初は困惑しているものの、徐々にやけっぱちになって悪事を働いたりします。しかし、あれこれやているうちに彼は番組のプロデューサーの女性に惹かれていることに気付くのです。ただ、彼女の好きなタイプの男のように振る舞ったり、彼女の興味ある話題に話を合わせても、彼女の心は動きません。あきらめて自殺しても、また同じ朝を迎えるという繰り返し・・・そのうち、彼は馬鹿にしていた田舎町の人々の存在を愛おしく感じるようになり、自我を捨てて町の人たちをし幸せにするために、その日一日を過ごそうと努力するようになります。そして、彼が悟りを開いた「超人」のように他人のためだけに過ごした”ある日”に、遂に彼は彼女の心を掴み、何千日ぶりに翌朝の2月3日をを迎えられるのです。

同じ時間を繰り返しながら島にいる100人の住民を幸福に導くという、プレイステーション2用ゲームソフトの「幸福操作官」は、ボクの好きなゲームのひとつです。これは、ある島の一日(朝、昼、夕、夜の時間帯に分かれていて、リアル時間で20分)をひとりのアバターとなって過ごすのですが、プレーヤーのイベント介入次第で、微妙にアバターのムードや物語が変わっていくといきます。アバターが遭遇するイベントで出現するアップエレメント(幸福感)をスナッチ(収集)して”エナジーカプセル”を溜めていきます。不幸なアバターはダウンエレメント(不幸感)を発生させながら、周辺のアバターも不幸にしていくので、上手にダウンエレメントを吸い込むことも大事です。アップエレメントを増やしていくことで、アバターたちは状況をポジティブ的に解釈して、ますます幸福感に満たされていきます。最終的には出来るだけ多くの住民を幸福感に導いていくのです。まるで、神的な視点で「永劫回帰」を経験するようなゲームなのでした。
ここから100%ネタバレ含みます。
さて「ミッション:8ミニッツ」は、ちょっと哲学的な設定ではありますが、あくまでもアクション映画・・・ただ、犯人探しについては、気をつけて画面を観ていれば、怪しい人物が分かってしまうのでミステリー要素は低いです。ただ、コルターの置かれている状況が徐々に分かってくると、人間ドラマとして心動かされていきます。まず、コルターはクリティーンにネットで検索させて、自分がアフガンですでに亡くなっていることを知ります。実はコルターは「脳」だけが生きているだけで、手足も下半身も失っているような状態であったのです。コルターは、すでに自分がこの世には存在しないコードでしかないことにショックを受けながらも、任務を遂行して犯人を特定することに成功します。
任務完了をしたもののコルターは、ソースコード内に存在するクリスティーンや他の住人達も爆発から救いたいと懇願します。現実世界には無関係のコード内の出来事であっても、コルターにとっては現実と同じなのです。脳維持装置の電源を切って、永遠に存在しなくなることをゴッドウィンに約束させて、コルターはもう一度だけ”最後の8分間”に戻ります。
爆発物の時限装置を取り外し、犯人を拘束したコルターは、列車の爆発事故もさらなる爆発テロも防ぐことに成功します。そして、友人のフリをして自分の父親に電話をかけて、口喧嘩して別れたままだった父親とも和解するのです。最後の一分・・・クリスティーンとキスをした瞬間に”8分間”は終わり、電源が切られます。ストップウィッチのようにすべて人々が止まり、カメラはゆっくりと車両を動きます。幸福な「永遠のとき」は、書き換えられない記憶媒体のデータとなったのです!
ここで、映画が終わったのであれば・・・ボクとしては満足でした。
しかし、この映画はこの先があるのです。実は、ソース・コードでコルターが経験していた世界というのは、実際に存在しているパワレルワールドであったというオチ・・・爆発を回避して生き延びたソースコード内のコルターにとって、キスした後の続きが存在していたのであります。これって、ハリウッド的なハッピーエンディングとも言えますが・・・そのパラレルワールドでも、負傷して亡くなったコルターの脳がソースコードとして爆発犯を見つけ出すということが繰り返されているという複雑なことになっていきます。「インセプション」の夢の中の夢の中のように、まるでメビウスの輪をぐるっと回ってしまったような感じに思ってしまいます。
多少のエンディングのモヤモヤ感はあるものの、凝縮された8分間のコルターの生き様には、ボクは感動を覚えたのでした。



「ミッション:8ミニッツ」
原題/SOURCE CODE
2011年/アメリカ、フランス
監督  :  ダンカン・ジョーンズ
出演 : ジェイク・ギレンホール、ミッシェル・モナハン、ベラ・ファミーガ、ジェフリー・ライト

2011年10月28日日本公開予定


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2011/07/25

”エロ画像”ブログで、まさかの”アルファリブロガー”になってしまったらしい(恥)!・・・「Twitter/ツイッター」「Facebook/ファイスブック」に続く「タンブラー/tumblr.」


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「タンブラー/tumblr.Twitter/ツイッター」「Facebook/ファイスブック」なようなソーシャル・ネットワーク・ツールのひとつで、最近では「タンブラー」で「ブログ」っていう人も増えてきたようです。画像、テキスト、リンク、オーディオ、動画など何でも簡単に取り込めることのできる「オンライン・スクラップブック」というのが基本的な使い方だと思うのだけど、ユーザーによってさまざまな用途に使えるところが面白いのです。


Twitter/ツイッター」でネット上の画像、動画、記事にリンクさせることもできるけれど、基本は「140文字までのつぶやき」であります。世界的にも日本人の”つぶやき数”というのは多いそうで・・・レスポンスを「求めない」「期待しなくても良い」「する必要がない」という、ゆる~い自己発信のコミュニケーションというのは、現代日本人の習慣にぴったりだったような気がしてしまいます。


「次はこれだ!」と言われつつも爆発的な流行になっていないのが「Facebook/ファイスブック」であります。実名登録が基本というのは、匿名によって”素”になることのできる日本人にとって「リア充」を求められる敷居の高さを感じさせるのかもしれません。高学歴だったり、大企業に勤めている人にとっては「繋がること」によって、自己の付加価値を高める効果はあるのかもしれませんが・・・。また「いいね!/Like」などのコミュニケーションツールも便利ではあるけど、リアルと密接に繋がっているだけに、こっちにしたならあっちにも・・・と、リアルの人間関係の面倒臭さも引きずってしまいうこともあるようです。


Twitter/ツイッター」にしても「Facebook/ファイスブック」にしても画像(写真)というのは、大きな要素を占めていると思うのですが・・・「タンブラー/tumblr.」は画像、音声データ、動画などが中心となるので、文章を書くのが苦手でも大丈夫。適度な匿名性を保ちつつ、自分の感性をあちこちから集めるだけで発信出来てしまうのです。スクラップブック感覚で、ブログでも、アルバムでも、データベースでも、出来てしまうというのが「タンブラー」の最大の特徴かもしれません。


また、自分のメインページのデザインも何百はあるであろう「テーマ」から選ぶだけで良いのです。普通にデザインの良いブログと思っていたサイトが、実は「タンブラー/tumblr.」であったなんてことも、よくあります。


登録はとっても簡単・・・「タンブラー/tumblr.にアクセスして(日本語対応している)、メールアドレス(ウェブメールでもOK!)、パスワード、URL(半角英文字、数字、ハイフンで好きなアカウント名)を入力して「はじめる!」をクリックします。すでに登録されている時には、登録されていないアカウント名を入力するまで先には進めません。


新規登録出来るとなると、今度は「自分がbotではなく人間であることを宣明・誓約いたします!」という、ちょっと変な英文直訳のアラートが出てきますので、上に書かれた手書きのようなアルファベットの羅列を入力します。場合によって、文字が解読しにく事もあるので、そういう時には二つの矢印マークをクリックすると、新たなアルファベットが現れます。とにかく性格に表示されているアルファベットを入力する必要があります。


ログインすると自分のアカウントの「ダッシュボード/Dashboardになります。日本語で「まずは最初の投稿を書いてみましょう!」というメチャクチャでっかいアラートが出現しますが、とりあえずは「×」マークをクリックして、ブログのカスタマイズに進みましょう。タイトルは日本語でも大丈夫ですが、世界発信(!)を視野に入れて「アルファベット」というのも良いかもしれません。勿論、未定のまま先に進んでも問題ありませんし、後からカスタマイズでタイトルだって変更出来るので、あまり構えなくても良いのです。プロフィール画像は、顔出しても問題なければ自分の画像を使っても良いし、別に好きな画像でもイラストでも良いのです。これも後から何度でも変更出来ます。


Show all appearance options」というのをクリックすると、自分のメインページの見た目をカスタマイズするためページに移ります。プロフィールにはブログタイトルとその説明文を入力。テーマ編集で好きなテーマを見つけてクリックして「保存して終了」すれば、即座にテーマは反映されます。もっとたくさんのテーマから選びたいのであれば「他のテーマを見る」をクリックして、好みのテーマを選びます。


ただ・・・この「テーマ」というのは、サンプル画像はあくまでもサンプルで、投稿内容によって見た目はかなり違ってきますので、ある程度の投稿をしてから、改めて選択してみても良いのかもしれません。また「テーマ」によってカスタマイズできる要素や、ブログに表示するメニューなども違うので、何種類も設定してみて、その中から自分の好きな「テーマ」を選んでいけば良いのです。HTML編集に自信のある方は、独自のカスタマイズに挑むことができます。ちなみに、ボク自身は選んだ「テーマ」をそのまま使っています。


登録の際に入力したメールアドレスに「登録メールアドレス確認」というタイトルのメールが届いているはずなので、そのメールにあるリンクをクリックすると「ありがとうございます。あなたは素晴らしい人です!」というまたまた妙な英文直訳の日本語メッセージが出てきますが、「Tumnblrへ飛ぶ」をクリックして、自分のダッシュボードに戻ります。


この段階で自分がフォローしているのは、タンブラーのスタッフのみ・・・ダッシュボードの右上フォローのすぐ下にある追加と削除をクリックすると、注目のアカウントやジャンル別にお薦めのアカウントのリストが現れるので、とりあえず面白そうなのをフォローしてみても良いでしょう。フォローすると「Twitter/ツイッター」のタイムラインのように、フォローした人の投稿がダッシュボードに表示されます。そして、このフォローというのが、タンブラーの”要”とも言える「ダッシュボード」の内容の善し悪しを左右するのです。


ツイッターにもある「リツリート」と同じ機能なのが「リブログ/再投稿」という仕組みで、タンブラーは自分自身からの投稿だけでなく、何をリブログしているかというのも大切な要素となるのです。投稿の右上にある「リブログ/reblog」のクリックで自身の投稿としてメインページに表示されるようになり、「♥マーク」のクリックでダッシュボードの「スキ」に登録ということになります。個人的にコレクションするものは「♥マーク」で、フォロワーとシェアしたものは「リブログ」=再投稿というのが基本でしょうか・・・。そんあことを繰り返すうちに、自分でも気付かなかった趣味嗜好が発見出来たりするのです。


リブログ/再投稿の際には、新たにコメントを付け加えることも可能なので、ユーザー間の「クチコミ」的な要素もあります。誰が「リブログ」して、「スキ登録」したのかの履歴も残るので、人の興味を惹いた投稿がその履歴の数で分かるというのも面白かったりします。こうして「ある記事」「ある画像」が誰かのリブログによって広まっていくのです。


「Safari」などの一部のブラウザでは、メニューバーに「tumblr.」というを登録することで、どこかのサイトを閲覧中にクリックだけで投稿出来てしまうという手軽さも捨てがたいです。やはりリブログしているだけでは、コンテンツは偏りがち・・・そこで自分自身の撮影した画像を初め、ネット上で見つけた情報や画像も積極的に投稿したいもの・・・そして、元々自分がアップロードした投稿が、時間を経て再びダッシュボードに現れるなんてことも起きたりすると、何とも嬉しかったりします。


さて、ボク自身は「おかしスクラップ」というタイトルで「タンブラー/tumblr.」をやっていますが、殆ど休止状態・・・たまに気が向いたときにリブログや投稿をしている程度で、フォロワーも限られた知り合いぐらいです。しかし、裏アカウントで自分のためにこっそりやっていたエロ画像のスクラップブックのアカウントがフォロワーをドンドン増やしていて、現在すでに1万人突破・・・小さなコミュニティー内かもしれませんが、ある種の”アルファリブロガー”状態になっているのであります。


しかし、ボクのやっていることは自分ので撮影した画像を投稿しているわけではありません。自分のエロ画像だけ投稿するというネット上のポルノスターもいらっしゃいますが・・・・ボクの場合、殆どというか、すべてがタンブラーでフォローしてる人の投稿(または再投稿)を「リブログ/再投稿」しているだけなのです。画像の著作権なんてタンブラーの世界ではないに等しいようで、リブログ/再投稿という形式であることが権利の意識を希薄にしています。「著作権」だの「肖像権」だのを振りかざしても、もうどうにも収拾が取れないという状況ではあります。


ネット社会になって、ますます編集能力ばっかり評価される風潮にボク自身強い反発を感じていたのですが、エロ画像コレクションに関しては、完全なる「編集者/エディター」に徹したことが、ボクと似たような嗜好の人に受けたのかもしれません。ただ正直言って、エロ画像ブログ、フォロワーが増えたことを喜こぶべきなのか自分でも複雑な気持ちでして・・・まさか、自分のエロ画像の収集/編集能力が、(世界的規模で)これほど評価されるとは思っていませんでした。できるなら、デザインブログとかで評価されたかったです・・・。ただ、世界のどこかの知らない人から「あなたのブログは素晴らしい!毎日オナニーのネタにしています!」なんて熱いメッセージが送られてくると・・・「誰かの役に立っているなら、頑張ってエロ画像をリブログし続けよう!」という気持ちになってしまうのであります。


さて、何人ものフォロワーからも質問されることなのですが「何故、そんなにフォロワーが増えたのか?」ということです。ボク自身も正直言って決定的な方法というのは分からないのですが・・・まずは、再投稿の頻繁で数が多いということ。一日に100件程度はリブログしています。ゲイのエロ画像といっても嗜好はさまざま・・・ボクなりに「これは萌え!」という厳選したエロ画像(なんか、自分で言っていて恥ずかしいけど)を再投稿しているので、似たような嗜好の人の”ツボ”は押さえているのでしょう。まぁ・・・それだけボクの趣味嗜好が凡庸なんだと思いますが。


それとボクが活用しているのが・・・「予約投稿」という機能。これはある一定の時間の間に自動的に投稿をしてくれるという便利なモノで、これによって自分自身が手動で再投稿しなくても、勝手に連続投稿してくれるというわけなのです。URLを入力して再投稿という形で予約することも可能ですが、ボクは一度パソコンに保存した画像を投稿しています。一日の投稿可能な容量は10MB、または予約登録300件までに制限されていますが十分過ぎる件数でしょう。この「予約投稿」によって、24時間、投稿を続けることで、新たなたくさんのユーザーの目につきやすくなったようです。この機能を活用し始めてから、倍々ゲームのようにフォロワーは増え続けました。


裏アカウントの遊びなので、飽きたら辞めるつもりです・・・年齢/人種などは一切明かさずに、完全な匿名で行なっているし、エロ画像ブログをやることで利益を生んでいるわけでもないし、フォロワーに対して別に影響力もあるわけでもないのだから。ただ・・・多くのフォロワーが存在することで、そう易々と辞めるわけにはいかないという使命感のようなモノも感じてしまったりします。


結局、ボクはインターネットに翻弄されているだけなのでしょうか?


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2011/07/17

ホントに怖いという評判のジェームス・ワン最新作はファミリー・ホラー・・・トビー・フーパーの「ポルターガイスト」は超えられない!?~「インシディアス/INSIDIOUS」~


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「ソウ」第1作の監督でシリーズの製作総指揮のジェームス・ワン監督「パラノーマル・アクティビティ」のオーレン・ペリ監督がタッグを組んで「本当に怖いもの」を追求して出来上がったという”フレコミ”の本作「インシディアス/INSIDIOUS」・・・ちょっと期待してアメリカ版ブレーレイで観賞。結論から言えば、かなり”肩くわし”を食らいました。アメリカでのレーティングが「PG-13」ではあったので、視覚的に残酷なシーンや暴力描写があるとは思ってはいませんでしたが、最初から最後まで驚かせるだけいう幼稚な手法に、ただ身体がビクっと反応するだけなのでした。

新しい家に引っ越して来た若夫婦と3人の子供達・・・何故か、タイトルの始まる前に不気味な悪霊を写してしまうというのは、冒頭から”ネタバラし”をしているような感じでありました。長男が屋根裏部屋で、はしごから落ちた翌日から原因不明の昏睡状態になってしまいます。その三ヶ月後、いるはずのない人影が見えたり、物音がしたりという奇妙な現象が起こり始めるのです。しかし、カメラは人物を追いかけるか、人物の視点という場合が多くて、一瞬チラっとしか見えない”脅かし”ばっかり・・・それも音楽や効果音を極力ないので、急に何か得体の知れない”何か”が現れてビックリ!という次第。「エクソシスト」以前のオーソドックスなB級恐怖映画に近い作りのショック映画なのです。

父親は怪奇現象の起こる自宅を避けるように残業ばかりしているという家族愛に欠けた野郎で・・・母親もただ怯えているだけ。昏睡状態の長男に対しても、誰もがお手上げ状態。ただ、怪奇現象に翻弄されるのを見せられるだけで、この家族に対して「どうにか助かって欲しい!」というような感情移入をすることは出来ません。母親があまりにも怯えているので、しぶしぶ父親が家の引っ越しを承諾するのですが・・・それでも怪奇現象は止まりません。そこで、母親の気が済むならという消極的な理由で、霊媒師にリーディングを依頼することになるのですが・・・怪奇現象の原因が分かっても父親は信じようとしません。

ここからネタバレ含みます。

霊媒師によると、長男は霊体離脱によって魂が体を離れて遠くに行ってしまっているようなのです。彼の肉体は単なる”魂の入れ物”として存在していて、この世に執着のある霊たちが、その入れ物の肉体を求めているので、多くの霊たちが集まって来ていると言うのであります。そして、長男の肉体に最も近づいているのが、スターウォーズシリーズのダースモールみたいな顔した”悪魔”であるという、恐ろしい事実を知ることとなるわけです。悪魔の見た目は非常におどろおどろしいのですが・・・イマイチ何をしようとしているのかが分からず、ただ家族らを驚かしているだけにしか見えません。実は、父親にも長男と同じように霊体離脱の才能があったことが暴露され、長男を救うために霊の世界へ入っていくことになるのです。

ラストのどんでん返しを含めて、観賞後はあまりスッキリとしません。一家を怪奇現象が襲う恐怖を描く「ファミリー・ホラー」でありながら、家族の絆も感じさせないという致命的な問題があるのです。

「インシディアス/INSIDIOUS」を観ていて思い出したのは・・・あの「悪魔のいけにえ」のトビー・フーパーがスティーヴン・スピルバーグに依頼されて監督したファミリーホラーの傑作「ポルターガイスト」でした。2作とも、ホラー映画史上に残る恐ろしいデビュー作で発表して世に出た監督で、ティーンでも観に行くことのできる「PG−13」(13歳未満の観賞には親の同意が必要だが年齢制限ではない)の作品であること、また比較的低予算で製作されているところが似ているように思います。また、怪奇現象の原因は違いますが・・・子供が別世界に連れ去られて、それを取り戻す両親の物語であるということは共通しています。

大きな違いは、困難を乗り越えようとする家族の絆を描いて「いる」か「いない」かに尽きるでしょう。「ポルターガイスト」では、父親も母親も、残った子供達も、さらわれた末娘を救うために、霊媒師や研究者と共にひとつとなって悪霊たちに戦いを挑んでいくのです。製作当時(1982年)の特殊効果が”ちゃちちい”ところもあるので、現在の映像と比較すれば幼稚なところはありますが・・・命がけで娘を助けようとする両親の姿に涙して感動さえ覚えてしまうのです。ホラー映画としての恐怖はファミリー向け(?)でマイルドであっても、特別な恐怖体験を乗り越えたという満足感を、家族と一緒に感じさせてくれる映画だったのでした。

「インシディアス/INSIDIOUS」は、繰り返しビックリさせられるだけの「パラノーマル・アクティビティ」のような映画で、それ以上でもなく、それ以下でもない・・・・この家族の体験する恐怖で、一体何を描こうとしていたのでしょうか?結局・・・頭も悪いし心もないお化け屋敷のような薄っぺらい映画体験しか出来なかったのでした。

「ポルターガイスト」
1982年/アメリカ
監督 : トビー・フーパー
製作 : スティーヴン・スピルバーグ、フランク.・マーシャル
脚本 : スティーヴン・スピルバーグ、マイケル・グレイス、マーク・ヴィクター
出演 : クレイグ・T・ネルソン、ジョベス・ウィリアムス、ヘザー・オルーク、ビアトリス・ストレイト、ゼルダ・ルビンスタイン



「インシディアス」
原題/INSIDIOUS
2011年/アメリカ
監督 : ジェームス・ワン
製作 : オーレン・ペリ、スティーブン・シュナイダー、ジェイソン・プラム
脚本 : リー・ワイネル
出演 : パトリック・ウィルソン、ローズ・バーン、タイ・シンプキンス、リン・シャイヤ、リー・ワイネル、バーバラ・ハーシー、

2011年8月27日公開


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2011/07/13

もしかして増殖中?・・・ゲイのおじさんの「オバさん化」なんかよりも「お子さま化」の方が勘弁して欲しい!


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昔と比べて「おじさん」的な”男たるもの”に対しての世間の風が厳しいっていうのもあるのか、「ゲイ」「ストレート」に限らず・・・最近のおじさんの「オバさん化」が進んでいるような気がします。

現在、アラフィフ男性が社会人になった時代(1980年前半)というのは、いわゆる「オヤジ」が君臨していた時代・・・飲み会やカラオケに嫌でも付き合わされ、戦後の経済成長期時代の名残の無茶な頑張りとか、バブル経済へ向かう上昇志向とかが、高い評価をされていた時代でありました。しかし、その価値観が崩れてしまった今・・・男臭い「オヤジ」を目指せば「古!」と罵られる始末。目指すべき「ロールモデル」を失った結果なのか、おじさんの「オバさん化」がより顕著になってきたのかもしれません。

「ゲイ」のおじさんの中には、すでに「おネエ」という最終型まで振り切ってしまっている場合もあるわけで・・・「オバさん化」というのは、「ゲイ」にとってみれば、ひとつの”老化現象”なのかもしれません。組合系の飲み屋さんのノリについていこうとしているうちに、すっかり「おネエ」になっっていて「ちょっと~おばさん!」などど、お互いに罵り合うなんていうのも日常だったりします。

勿論、あくまでも”男たるもの”にこだわった「褌オヤジ」とか「マッチョなバリタチオヤジ」とか「ストレート」の男性以上に”男”の呪縛に縛られている「ゲイ」のおじさんというのも存在していています。エッチ市場では「オバさん化」よりも「オヤジ化」しているタイプの方がモテるので「オヤジ」を自己申告で名乗るという輩も結構いたりするのであります。

しかし「ゲイ」のおじさんの行く末は「オバさん化」か「オヤジ化」のふたつなのでしょうか・・・もうひとつ「お子さま化」という”アラフィフ世代”独特の存在があるのではないかと、ボクは最近考えるようになったのです。

日本で育った”アラフィフ世代”というのは(大袈裟な言い方かもしれませんが)人類の歴史上最も恵まれた世代グループではないかと思います。階級社会の中で恵まれた人たちというのは過去にも存在していますが、1960年代前後に生まれた”アラフィフ世代”は、第二次世界大戦後の「国民総中流」という感覚を持ち、「平等」「権利」「自由」が守られた平和な時代が続き、親世代が持っている資産の恩恵まで受けることのできている”甘やかされ世代”の第一号と言えるのです。「おぼっちゃま」「お嬢さま」的なバックグラウンドを持った子供が、中流家庭までに広がっていった最初の世代であり、そんな「おぼっちゃま」が「ゲイ」のおじさんという年齢になった近年、出現してきたのが「お子様おじさん」ということなのです!

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「お子様おじさん」はボク的感覚を重視

「オバさん」が社会性に欠けてしまうのは仲間内の共感を重視するからだけど「お子様おじさん」は他者との共感よりも、あくまでも「ボク的感覚」を優先するようであります。高度成長期に「個性」という概念によって子供の成長を促すという教育が始まったわけですが・・・その「個性」というものばかり尊重する故に、良く解釈すれば「個性的な考え方を持った人」、悪く解釈すれば「世間一般的な感覚に欠ける人」ということになってしまうのです。

子供や若い人が非常識なことをやっても「いまどきの人は」と片付けやすいのですが・・・”アラフィフ世代”になって、常識はずれなことをされても「いまどきのおじさんって!」とは怒りにくいものです。旅行行って、ずっとネットゲームに夢中なんて・・・まるで小学生の子供のするようなことですが「お子様おじさん」にとっては、今自分が興味があることが一番。目の前にいる多ショアの存在や、他人の気持ちというのは、あまり推し量れないようです。それ故に「お子様おじさん」の行動や感情は推測不可能・・・その時の気分次第なのです。

マニアックな趣味を持つというのは、別に「お子様」的なことではありませんが・・・その方向性が独特な”かわいい”世界観を志向していることが多いのが「お子様おじさん」の特徴かもしれません。

例えば、ぬいぐるみ集め留まらずに(アイドル気取りの女性や元ヤンのキャラ好き兄ちゃんじゃ~あるまいしというツッコミはしないでおきます)お気に入りのぬいぐるみを連れて旅行に行って、レストランやら観光名所で記念写真を撮ったりしてしまうのです。いい年をしたおじさんがぬいぐるみを持ち歩いているだけで旅行先で(特にマッチョ至上主義の西洋社会では)失笑されていると思うのですが、ボク的感覚で「普通」と判断すれば、全然恥ずかくないというのが「お子様おじさん」なのです。

「いつまでも子供ような心を持ったおじさん」というのは、社会的なしがらみや責任を十二分に果たしている男性が趣味に没頭している姿をみて、他人が言うことでありまして・・・大人になりきれていない「ゲイ」のおじさんに対しての言葉ではありません。それでも「お子様おじさん」に限って、自分自身のお子様っぷりはしっかり自覚しているようで・・・「大人の男」に成長しようとする兆しも意志もないというのが、まさに「お子様おじさん」が「お子様」でいる由縁なのであります。

「お子様おじさん」は人に何も与えない

「ギブ・アンド・テイク」というのは、二人の人間同士のやり取りに限ったことなく、先輩にしてもらった恩恵を自分が上の立場になったら後輩に返すとか、自分が困ったときに助けてもらったから困った人がいたら今度は助けるとか、いい意味での好意の循環であったりするはずです。普通は「テイク」の立場から成長して「ギブ」の立場になったり、「テイク」の立場「「ギブ」の立場なんて、損得勘定でどちらを取るかというわけでもありません。

ところが・・・「お子様おじさん」はいつまでも経っても「テイク」の立場から成長することをしないのです。比較的豊かに育てられたせいか、必要最低限のモノというのはシェアすることなく自分のモノを所有できる世代でもあり・・・「ボクのモノは、ボクのモノ」というのが、子供時代から当たり前。それは人間関係に於いても同じで、人とのネットワークに関しても基本的に他者を利用して広げようとするけれど、自分の人間関係はあくまでもクローズドで一方通行になりがちです。

「お子様おじさん」にとって使えるネットワークは、骨の髄まで使わないと損という考え方のようです。フェイスブックで友達登録しておいて、自分のフレンズやウォールをプライバシー設定で閲覧出来ないようにするなんてことするのも「お子様おじさん」ならでは・・・他者のネットワークは利用したいけど、自分のネットワークは他者には使わせないという”意志”をよく表しています。

そうやって他者を食いものにすることが多いので、結果的に人間関係が長続きしないことが多いようです。それ故に、親しい友達のサイクルも1~2年ぐらいで入れ替わるということになりがち・・・”アラフィフ世代”で親しい友人が、最近知り合った人ばかりというのは”危険信号”なのであります。

おじさんだからって、いつでもお金を出す立場になる必要はないですが、理由もないのに飲み食いをいつも奢ってもらったり、高価なプレゼントをもらうのは、普通は気持ち悪いと感じるもの・・・でも「お子様おじさん」は、いつまでも「テイク」できる立場であると勘違いしているので、奢られたり高価なモノをもらうことは平気です。

支払い段階で現金の持ち合わせがないという理由をつけて、その場は奢らせておいて、割り勘分の清算をすっかり忘れてしまうなんていう、意図的なのか天然なのか分からないような行動をします。これって一般的に言われる「ケチ」とは違います・・・お金がないわけでもないのですから。「お子様おじさん」には親と行く高級レストラン、親と泊まる高級ホテルなんていうのがあって、経済力のある親が支払うのが当たり前という環境に育っているので、自分の分は自分で支払うという発想が希薄なのです。

「お子様おじさん」はエッチが下手

エッチというのは他者とのコミュニケーションであり、他人が何を求めているか(何を気持ちよく感じるか)を理解することが必要となる行為です。「お子様おじさん」は他者のニーズや気持ちをを考えることは面倒なので、基本的に受け身・・・エッチというのは他人が自分に対して何か気持ちいい事をやってくれることと思っているような節があります。それは、単に自分勝手である以上に、エッチの行為自体に”ぎこちない”場合もあったりします。

ペッティングをしても、フェラチオをしても、やり方が雑で痛いだけ・・・どうすれば相手が気持ち良いかなんて学ぶ気がないのだから上手くなるはずもありません。スゴく若いなら経験不足ということもあるので「まぐろでも全然良いんだよ」と許されるものですが・・・”アラフィフ世代”にもなって、エッチの基本が分かっていないのではどうしようもありません。

経験の場数を踏んでいないのではなく、ひとつひとうの経験から何も今まで学んでこれなかった・・・という根本的な資質が問題なのですから、将来的にエッチが上手くなるという”希望”さえないのだから絶望的です。「一生、まぐろのままで良いんだよ」と言ってくれる我慢強いパートナーを見つけてね!・・・としか、ボクからは言ってあげられません。

**********

「オバさん化」にしても「オヤジ化」にしても、加齢の過程として捉えられるけど・・・「お子様化」は逆行というか、成長しないっていう”いびつ”な存在。その上、本人が「これで良し!」と開き直ってしまっている場合が多いので、関わりを持つのは・・・勘弁して欲しい存在です。

ボク自身も「お子様おじさん」の要素というのが、なきしもあらずと思うところはあり・・・まさに、他人(ひと)の振りみて、我、振り直せであります。特に「ボク的感覚を重視」というのは、少なからず自覚症状あります。ただ「エッチが下手」に関しては・・・まったく当てはまっておりませんが(信じて!)。

ボク自身が”アラフィフ世代”で、同時代に育ってきた「同じ穴のムジナ」だからこそ、特に「お子様」感が鼻につくというところはあるのかもしれません。ただ、自分よりも若い世代からは「お子様」感は、それほど感じることがないのは不思議です。それは、年上目線で大目に見ているというわけではなく、若い世代は”アラフィフ世代”ほど恵まれておらず「お子様」感覚では生き残れないという厳しい現実を生きてきてきたとも言えるのです。そんな”たくましさ”を持ち合わせた世代は・・・”アフラフィフ世代”の「お子様」とは逆の「オヤジ」予備軍となっていくのかもしれません。

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2011/07/11

スペインの奇才アグスティ・ビジャロンガ(Agusti Villaronga)監督によるアート・ホラー・・・個人的には「トラウマ映画」のナンバーワン!~「In a Glass Cage/Tras el cristal」(硝子の檻の中で)~


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今から20年以上前に、ニューヨークの”Quad Cinema”という小さなアート系の映画館で一度だけしか観ておらず、タイトルも監督も出演していた俳優の名前さえも記憶にないのに、なんとも恐ろしく不快な映画だったという記憶だけが忘れられないという・・・ボクにとっての正真正銘の「トラウマ映画」が、この「In a Glass CageTras el cristal」(硝子の檻の中で)であります。

長い間、何と言うタイトルの映画であったのか分からなかったのですが・・・この映画を一緒に観た親友Tが亡くなる直前に会った際、この映画の話が会話に出て思い出すことが出来たのでした。その後アメリカ版のDVDを購入し、久しぶりにボクは本作を観ることができたのです。トラウマ的な記憶の残っている映画を何年も経ってから見直してみると、最初に観た時ほどのインパクトがなかったりすることもあったりするのものですが、この映画に関しては、英語の理解力が増したことで、より物語を理解することができたということもあって、公開時に観たとき以上に”トラウマ”を塗り重ねることになりました。

In a Glass CageTras el cristal」は、ジョン・ウォーターズのフェイバレット映画としてリストされたことによって、最近になって再評価の動きというのがあるようです。2011年5月には、ロサンゼルスとサンフランシスコで再び劇場公開されていますし、年内にはブルーレイ版での発売も予定されているそうです。倫理的な配慮もあって、現在では本作のような映画というのは製作すること自体が困難かもしれません・・・理由は、ペドフェリアと幼児虐待という絶対的なタブーを扱っているからであります。

元ナチの医者のクラウス(ギュンター・メイスナー)は、元ナチスの”でデス・キャンプ”の医者で、幼い少年たちを拷問しては、惨殺をしていた過去を持っています。そして、その行為を細かに記録をして愉しんでいたのです。ヴィラロンガ監督がインタビューで答えているように「ジル・ド・レ男爵」(「青髭」のモデルとなったと言われ、15世紀のフランスで数百人の美少年を快楽のためだけに拷問したうえで惨殺したと言われる人物)をモデルにしただけあり、残忍な殺しの方はトラウマ必須であります。

時代設定は戦後しばらくした1950年代・・・クラウスは残虐行為を密かに続けていたのです。映画は、廃墟の天井から吊らされた血だらけの少年の姿を、カメラで撮影して愉しむクラウスの姿から始まります。愛おしいように気絶している少年を愛撫したかと思うと、急にこん棒で殴り殺してしまいます。その様子を覗いていた”ある人物”は、拷問を記録したスクラップブックを盗み出し、廃墟の塔の上からクラウスを突き落とすのです。

数ヶ月後、クラウスは落下事故のために、首から下が不随となった状態になっており、人里離れたスペインの大きな屋敷に妻(マリサ・パレデス)と娘と暮らしています。呼吸をするためには「Glass Cage/硝子の檻」のような電気仕掛けで動く「機械の肺」が絶対必要で、動作しなくなるとたちまち呼吸が出来なくなってしまうのです。四六時中、拘束されているような状態で、生きる糧の全てを他人に委ねなければならなくなったクラウスですが、妻は冷たい性格でクラウスに愛情がなく、優しさの欠片もありません。機械の肺の電源コードをうっかり外してしまって、呼吸困難に陥るクラウスをみて、その後、意図的にブレイカーを落としたりしているのです。

ある日、看護士と名乗る若い青年アンジェロ(デヴィット・ススト)が勝手に屋敷にやってきます。クラウスを丸め込み、看護士として雇われることになるのですが、妻は胡散臭さを察知してアンジェロを何とか追い出そうとします。家政婦に注射をするように命じて、アンジェロが看護士としての知識もないことを暴露して解雇しようとしますが、クラウスはアンジェロを辞めさせないように懇願します。アンジェロは、幼い頃クラウスによって性的な暴行を受けた少年のひとりだったのです。

ここから完全なネタバレ含みます。

次第に本性を現していくアンジェロは、まず妻を吹き抜けの踊り場から突き落として首つりにして殺してしまいます。家政婦には、暇を与えると言い聞かせて、給料を渡して辞めさせてしまいます。その間ずっと、娘は寝室に閉じ込めたままにしています。階段や踊り場にはワイヤーネットを張り、家具を燃やしたりして、屋敷をデス・キャンプのような廃墟にしていきます。そして・・・アンジェロの復讐が始まるのです。クラウスにはナチス時代に行なった残虐行為のディテールを事細かに語らせていきます。そして、クラウスの目の前で拉致してきた少年たちを、そのディテールの通りにアンジェロが拷問して殺害していくのです。

アンジェロは狂っていると確信したクラウスは、自分の部屋から逃げ出した娘に、助けを求める手紙を託すのですが、娘はあっさりとアンジェロに掴まってしまいます。手紙のよってクラウスの”裏切り”を知ったアンジェロは、クラウスを機械の肺から引き出します。そして、呼吸が出来ない状態のクラウスの口に、自分のモノを突っ込むのです・・・まさにこれは、幼い頃、アンジェロがクラウスに強要された性的虐待行為であったことが、過去のフラッシュバックにより分かります。クラウスはアンジェロののモノをくわえたまま・・・息絶えてしまいます。

母親を殺され、父親も殺され、住んでいる家を廃屋のようにされてもなお、娘は何故かアンジェロに寄り添います。ある意味、アンジェロが家にやってくる以前に崩壊した家庭の中で不安定だった娘にしてみれば、アンジェロのような絶対的な存在こそが”父親”のようなものなのでしょうか?復讐を終えたアンジェロは、クラウスが入っていた機械の肺に自らを閉じ込めます。そこに男装した娘がやってきて、機械の肺に跨がります。まるでアンジェロがクラウスになり、娘がアンジェロに入れ替わったかのように・・・。いつしか二人のいる部屋には雪が降りだし、その空間はスノーボールの中に閉じ込められたように時間が止まるのです。

映画のほぼ全編に渡って舞台となるのは、青白い光に満ちた大きな屋敷の中・・・登場人物もクラウス、妻、娘、家政婦、そしてアンジェロと、殺されてしまう少年だけ。息苦しく感じられる空間で、濃密な人間関係のみで語られる悪夢のような物語・・・性的虐待された被害者の復讐というのは、被害者自身が加害者となって虐待の連鎖を完成させるしか終わりようもないのかもしれません。

本作から15年後、アグスティ・ビジャロンガ監督は、「魔の山」のサナトリウムのような閉じられた空間で、少年期のトラウマを抱えた幼なじみ達の同性愛を描いたEl Mar//The Sea」(エル・マール~海と殉教~)という映画を製作します。これはさらに切なくて痛い映画でありまして・・・また、次の機会に書きたいと思っています。


In a Glass CageTras el cristal」(硝子の檻の中で)
1985年/スペイン映画
監督:アグスティ・ビジャロンガ
脚本:アグスティ・ビジャロンガ
出演:ギュンター・メイスナー、デヴィット・ススト、マリサ・パレデス

日本未公開

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2011/07/06

エスター・ウィリアムス姐さん主演の「アクア・ミュージカル映画」・・・”シンクロナイズド・スイミング”が、いまだに超えられない最高の夢の世界!



「エスター・ウィリアムス」「水着の女王」「アクア・ミュージカル」と聞いて、何のことか分かる人っているのでしょうか?ボクの世代(アラフィフ)であっても、リアルタイムで観ることはなく・・・1970年代には、すでに語られることもなくなってしまっていた映画であります。

ボクが子供ころ(今から約40年ほど前)母と一緒に「水着の女王」を観た記憶はあるのですが・・・映画館ではなかったので、おそらくテレビの洋画劇場で観ていたのだと思われます。当時すでに「懐かしの洋画」的なノリで紹介されていました。その後「エスター・ウィリアムス」も「アクア・ミュージカル映画」も、日本ではすっかり忘れられた存在にさえなっているような気がします。1984年のロスアンジェルス・オリンピックから、競技となった”シンクロナイズド・スイミング”ですが、それは「エスター・ウィリアムス」という女優の存在があってこそ世界的に広まったことを忘れてはいけないのです。

エスター・ウィリアムズ(Esther Williams)は元々競泳選手でオリンピック候補までになったものの、第二次世界大戦の影響で選手としてオリンピックに出場することはありませんでした。その後、その健康的な肉体美とアスリート離れした美貌を買われて、MGM(ハリウッドの映画会社)にスカウトされます。元アスリートだけあって、体格的にはスゴくガッチリで肩幅は半端ない・・・役柄によっては女らしいドレスとかも着こなしてはいるけど、やっぱり似合うのは水着、もしくはマニッシュなシャツやジャケットでしょう。美人だけど「これ!」という特徴がない平均的なアメリカ人的美女で「マッチョ系肉体派女優」第一号と言えるかもしれません。エスター姐さんのハンサムっぷりは、もしかするとビアン系にも人気がありそうな気がします。

まずは、ミッキー・ルーニーの相手役で映画女優としてスクリーンデビューを果たすのですが、1944年製作の「世紀の女王/Bathing Beauty」にて初の「スイミング・ロール/泳ぎの役柄」で主演し、その後10数年に渡って、アクア・ミュージカル女優として活躍することとなるのです。ただ、考えてみれば・・・「スイミング・ロール/泳ぎの役柄」という表現自体、エスター・ウイリアムス以外に使われようもない”言い回し”でありまして、それ故にアクア・ミュージカル女優という存在も、前にも後にも彼女以外にはあり得ないのであります。

さて・「アクア・ミュージカル映画」(または、日本では水中レビュー映画とも呼ばれたらしい)とは、何ぞやという話です。19世紀末期から「ウォーター・バレー」と呼ばれる水着姿の女性がプールで音楽に合わせて泳ぎ回る興業というのは存在していたようではあります。ただ、時代的な背景を考えると、女性の水着姿を公の場で見れることが”売り”であったことが推測できます。

「ウォーター・バレー」と「アクア・ミュージカル映画」の違いは、その規模・・・噴水、花火、ウォータースライダー、発煙筒などの大掛かりな舞台装置のあるプールなどで音楽に合わせて、水中で踊り、演じ、泳ぐというナンバーを、極めて映画的なカメラワークで魅せるのであります。その素晴らしさは、実際の映像で観るのが一番理解できると思うのですが・・・残念ながら日本ではエスター姐さんの主演作品の殆どがDVD未発売。「ザッツ・エンターテーメント」で、その一部を観ることができます。


映画の中では舞台上のパフォーマンスとして行なわれているという設定にはなっていますが・・・カメラは自由自在でクロースアップや上から見下ろしたショット、パンするカメラなどを多用していて、必ずしも観客席から見えている光景ではありません。1930年代に製作された”バスビー・バークリーのミュージカル映画”のような、幾何学的な美学に基づいた視覚効果を与えることを目的としているので、アクア・ミュージカルのシーンはかなり現実離れしています。

エスター・ウイリアムスは、ミュージカル(?)シーンの「ミューズ」として、吹き替えやスタントマンは一切なしで、数十メートル上からのダイビング、水上スキーなどの、超人的なアクロバット演技をみせてくれるのです。インタビューなど読むと、撮影中の怪我なども決して少なくなかったようで、かなり危険を伴ったっていたようです。また、バセリンで固めた髪や髪飾り、シークエンスやグリターで装飾された重い衣装での水の中での演技など、元アスリートだからこそ体力的にも精神的にも可能であったことが推測出来ます。「アクア・ミュージカル映画」は、エスター・ウイリアムスの存在なくして生まれることのなかった特殊なジャンル映画なのです。

「アクア・ミュージカル映画」では”売り”が明らかにアクア・ミュージカルのシーンとなるわけですから・・・正直言って、映画のストーリー自体は、健全で”たわい”ないものばかりでした。ちょっとした勘違いやすれ違いによるドタバタコメディであったり、脇役たちによるスラップスティックな笑いであったり・・・どの作品がどういう物語で何が起こったかとか、彼女がどういう役柄の設定だったとかは、あまり興味を惹くものではありません。

それでも、エスター・ウイリアムスの一連のアクア・ミュージカル映画が圧倒的に素晴らしいのは、シンクロナイズド・スイミングの演技者の層の厚さも、技術も、向上した現在でさえ再現することができない「アクア・ミュージカル」というエンターテイメントを、60年以上も前に完成させてしまったことに尽きるのであります!

エスター・ウイリアムス主演の第1作「アクア・ミュージカル映画」が制作されたのは1944年・・・第二次世界大戦で娯楽どころではなかった日本の貧しさを考えると、とんでもない発想でアメリカという国が映画を作っていたのだと思わされます。そして、戦後の1950年代・・・やっと復興した日本で戦中は未公開だった「アクア・ミュージカル映画」を目にした日本人の衝撃というのは計り知れません。

エスター・ウイリアムズは、1956年にMGMがアクア・ミュージカル映画の制作を中止と共に解約は打ち切られて、その後数年ほど女優として活動した後、あっさりと引退しました。4度の結婚、3人の子供に恵まれています。また、ビジネスウーマンとしても頭角を現して、現在でも販売されているエスター・ウィリアムス・ラインの水着ビジネスを成功させたのは勿論のこと、全米にエスター・ウイリアムス・プールを建設して、水泳界の人材育成にも力を入れていたようです。1960年代以降は、テレビのトークショーやニュース番組にも顔を出していました。アメリカでは、ハリウッド映画に伝説のスターとして、そして時代超えたスイミング界の象徴、永遠の”アメリカン・マーメイド”として、ずっと愛され続けているのです。

なお、エスター・ウイリアムスは今年(2011年)90歳になりますがご健在。86歳(2007年)当時のインタビューを観ても、健康美は衰えておらず、なんとも素敵なおばあさま・・・伝説と現在は繋がっていると確認させてくれる、類い稀なる存在なのです。






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