今から20年以上前に、ニューヨークの”Quad Cinema”という小さなアート系の映画館で一度だけしか観ておらず、タイトルも監督も出演していた俳優の名前さえも記憶にないのに、なんとも恐ろしく不快な映画だったという記憶だけが忘れられないという・・・ボクにとっての正真正銘の「トラウマ映画」が、この「In a Glass Cage/Tras el cristal」(硝子の檻の中で)であります。
長い間、何と言うタイトルの映画であったのか分からなかったのですが・・・この映画を一緒に観た親友Tが亡くなる直前に会った際、この映画の話が会話に出て思い出すことが出来たのでした。その後アメリカ版のDVDを購入し、久しぶりにボクは本作を観ることができたのです。トラウマ的な記憶の残っている映画を何年も経ってから見直してみると、最初に観た時ほどのインパクトがなかったりすることもあったりするのものですが、この映画に関しては、英語の理解力が増したことで、より物語を理解することができたということもあって、公開時に観たとき以上に”トラウマ”を塗り重ねることになりました。
「In a Glass Cage/Tras el cristal」は、ジョン・ウォーターズのフェイバレット映画としてリストされたことによって、最近になって再評価の動きというのがあるようです。2011年5月には、ロサンゼルスとサンフランシスコで再び劇場公開されていますし、年内にはブルーレイ版での発売も予定されているそうです。倫理的な配慮もあって、現在では本作のような映画というのは製作すること自体が困難かもしれません・・・理由は、ペドフェリアと幼児虐待という絶対的なタブーを扱っているからであります。
元ナチの医者のクラウス(ギュンター・メイスナー)は、元ナチスの”でデス・キャンプ”の医者で、幼い少年たちを拷問しては、惨殺をしていた過去を持っています。そして、その行為を細かに記録をして愉しんでいたのです。ヴィラロンガ監督がインタビューで答えているように「ジル・ド・レ男爵」(「青髭」のモデルとなったと言われ、15世紀のフランスで数百人の美少年を快楽のためだけに拷問したうえで惨殺したと言われる人物)をモデルにしただけあり、残忍な殺しの方はトラウマ必須であります。
時代設定は戦後しばらくした1950年代・・・クラウスは残虐行為を密かに続けていたのです。映画は、廃墟の天井から吊らされた血だらけの少年の姿を、カメラで撮影して愉しむクラウスの姿から始まります。愛おしいように気絶している少年を愛撫したかと思うと、急にこん棒で殴り殺してしまいます。その様子を覗いていた”ある人物”は、拷問を記録したスクラップブックを盗み出し、廃墟の塔の上からクラウスを突き落とすのです。
数ヶ月後、クラウスは落下事故のために、首から下が不随となった状態になっており、人里離れたスペインの大きな屋敷に妻(マリサ・パレデス)と娘と暮らしています。呼吸をするためには「Glass Cage/硝子の檻」のような電気仕掛けで動く「機械の肺」が絶対必要で、動作しなくなるとたちまち呼吸が出来なくなってしまうのです。四六時中、拘束されているような状態で、生きる糧の全てを他人に委ねなければならなくなったクラウスですが、妻は冷たい性格でクラウスに愛情がなく、優しさの欠片もありません。機械の肺の電源コードをうっかり外してしまって、呼吸困難に陥るクラウスをみて、その後、意図的にブレイカーを落としたりしているのです。
ある日、看護士と名乗る若い青年アンジェロ(デヴィット・ススト)が勝手に屋敷にやってきます。クラウスを丸め込み、看護士として雇われることになるのですが、妻は胡散臭さを察知してアンジェロを何とか追い出そうとします。家政婦に注射をするように命じて、アンジェロが看護士としての知識もないことを暴露して解雇しようとしますが、クラウスはアンジェロを辞めさせないように懇願します。アンジェロは、幼い頃クラウスによって性的な暴行を受けた少年のひとりだったのです。
ここから完全なネタバレ含みます。
次第に本性を現していくアンジェロは、まず妻を吹き抜けの踊り場から突き落として首つりにして殺してしまいます。家政婦には、暇を与えると言い聞かせて、給料を渡して辞めさせてしまいます。その間ずっと、娘は寝室に閉じ込めたままにしています。階段や踊り場にはワイヤーネットを張り、家具を燃やしたりして、屋敷をデス・キャンプのような廃墟にしていきます。そして・・・アンジェロの復讐が始まるのです。クラウスにはナチス時代に行なった残虐行為のディテールを事細かに語らせていきます。そして、クラウスの目の前で拉致してきた少年たちを、そのディテールの通りにアンジェロが拷問して殺害していくのです。
アンジェロは狂っていると確信したクラウスは、自分の部屋から逃げ出した娘に、助けを求める手紙を託すのですが、娘はあっさりとアンジェロに掴まってしまいます。手紙のよってクラウスの”裏切り”を知ったアンジェロは、クラウスを機械の肺から引き出します。そして、呼吸が出来ない状態のクラウスの口に、自分のモノを突っ込むのです・・・まさにこれは、幼い頃、アンジェロがクラウスに強要された性的虐待行為であったことが、過去のフラッシュバックにより分かります。クラウスはアンジェロののモノをくわえたまま・・・息絶えてしまいます。
母親を殺され、父親も殺され、住んでいる家を廃屋のようにされてもなお、娘は何故かアンジェロに寄り添います。ある意味、アンジェロが家にやってくる以前に崩壊した家庭の中で不安定だった娘にしてみれば、アンジェロのような絶対的な存在こそが”父親”のようなものなのでしょうか?復讐を終えたアンジェロは、クラウスが入っていた機械の肺に自らを閉じ込めます。そこに男装した娘がやってきて、機械の肺に跨がります。まるでアンジェロがクラウスになり、娘がアンジェロに入れ替わったかのように・・・。いつしか二人のいる部屋には雪が降りだし、その空間はスノーボールの中に閉じ込められたように時間が止まるのです。
映画のほぼ全編に渡って舞台となるのは、青白い光に満ちた大きな屋敷の中・・・登場人物もクラウス、妻、娘、家政婦、そしてアンジェロと、殺されてしまう少年だけ。息苦しく感じられる空間で、濃密な人間関係のみで語られる悪夢のような物語・・・性的虐待された被害者の復讐というのは、被害者自身が加害者となって虐待の連鎖を完成させるしか終わりようもないのかもしれません。
本作から15年後、アグスティ・ビジャロンガ監督は、「魔の山」のサナトリウムのような閉じられた空間で、少年期のトラウマを抱えた幼なじみ達の同性愛を描いた「El Mar//The Sea」(エル・マール~海と殉教~)という映画を製作します。これはさらに切なくて痛い映画でありまして・・・また、次の機会に書きたいと思っています。
「In a Glass Cage/Tras el cristal」(硝子の檻の中で)
1985年/スペイン映画
監督:アグスティ・ビジャロンガ
脚本:アグスティ・ビジャロンガ
出演:ギュンター・メイスナー、デヴィット・ススト、マリサ・パレデス
日本未公開
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