2011/08/15

やっぱり大好き大災害と世界崩壊!・・・1970年代のオールスターキャストの「パニック映画」と「パニック映画」の巨匠と呼ばれた”アーウィン・アレン”・・・~「大空港」から「世界崩壊の序曲」まで~


今の時代、圧倒的に大ヒットする映画というのは滅多にありませんが、ボクがまだ映画好きの少年だった1970年代に観客を集めたのは「パニック映画」と呼ばれた「ディザスター映画」(災害でパニックに陥る人々を描いた映画)でした。ボクが物心ついた時には、映画界は「パニック映画」の隆盛期・・・興行成績のトップは、オールスターキャストの超大作の「パニック映画」だったのです。

映画がつくられるようになった黎明期から「パニック映画」的な要素というのはありましたが、1970年製作の「大空港」が、いわゆる「パニック映画」の草分け的な存在だと言われています。この作品が日本で劇場公開された時、まだボク自身は7歳だったのでリアルタイムでは観ていませんが、テレビの洋画劇場で何度も繰り返し放映されていたことを覚えています。「パニック映画」は劇場公開のドル箱だけでなく、テレビ放映時にも高い視聴率を取っていたのでした。



「大空港」は、パニックよりも人間ドラマがメインに描かれていて、ひと昔前の群像劇の映画のようです。ただ当時の感覚では、災害に遭遇した人々がパニック状況になる映画というのは「B級映画」というイメージで、グランドホテル形式のオールスターキャストを揃えたことが画期的だったような気がします。ただ”オールスター”とは言っても、よくよく考えてみると微妙なキャスティングでありまして・・・「有名どころ」は押さえながらも「旬」というわけではないという、その後のパニック映画の典型的な「オールスターキャスト」の”さじ加減”は押さえていたのでした。

「大空港」
原題/Airport
1970年/アメリカ映画
原作 : アーサー・ヘイリー
監督 : ジョージ・シートン
出演 : バート・ランカスター、ディーン・マーティン、ジーン・セバーグ、ジャクリーン・ビセット、ジョージ・ケネディ、ヘレン・ヘイズ



そして、本格的な「パニック映画」として1972年(日本公開は翌年の1973年)に登場したのが、アーウィン・アレンが製作した「ポセイドン・アドベンチャー」です。巨大な客船が大波で転覆して、ひっくり返るというトンデモナイ状況での乗客の脱出をアクションとオールスターキャストの人間ドラマで描きました。実際に船の上下が一瞬にして逆さまになるようなことが物理的にアリエナイとしても、その大胆な発想と物語展開は、ドル箱のエンターテイメントとしての「パニック映画」という存在を世界的に知らしめたと言っても良いでしょう。この作品を機に、アーウィン・アレンは一躍ハリウッドの第一線のプロデューサーとなったのです。

「ポセイドン・アドベンチャー」
原題/The Poseidon Adventure
1972年/アメリカ映画
製作 : アーウィン・アレン
監督 : ロナルド・ニーム
出演 : ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン、ロディ・マクドウォール、パメラ・スー・マーティン、レスリー・ニールセン、シェリー・ウィンタース

1975年という年は、日本映画市場に於いて「パニック映画」の全盛でありました。”センサラウンド方式”という音響効果が大々的に宣伝された「大地震」とエアポートシリーズの第2弾「エアポート’75」が、1975年の正月映画として日本国内では同じ時期に公開・・・そして、夏には「タワーリング・インフェルノ」が日本公開されたのです。

「大地震」はオールスターキャストで、ロサンジェルスを襲う地震災害を描いた超大作。”センサラウンド方式”というのは、専用スピーカーで超低周波の音波を発生させて、地震のような震動を体感できるというのが”売り”でした。ただ、約100キロのスピーカーを16個も使用するというトンデモナイ音響システムだったので、大きな劇場だけに導入されたようです。ボクは、1977年の「ジェット・ローラー・コースター」という映画を”テアトル東京”で観た時に、初めて”センサラウンド方式”を体験しました。肌が震えるような振動を感じられましたが、振動音が響いている間は、耳鳴りのようで「うるさい」という感じでした。気分が悪くなる人が随分いたようです。その後、すぐに”センサラウンド方式”というのは消えてしまいました。

「大地震」
原題/ Earthquake
1974年/アメリカ映画
監督 : マーク・ロブソン
脚本 : マリオ・プーゾ、ジョージ・フォックス
出演 : チャールトン・ヘストン、エヴァ・ガードナー、ジョージ・ケネディ、ジョヌブエーブ・ブジョルド

「エアポート’75」もテレビの洋画劇場で繰り返し放映されていて、ボクは何度も何度もテレビで観たことを覚えています。セスナ機がジャンボジェットの操縦席のある先端に衝突するという・・・まさかの設定でしたが、エアポートシリーズ前作の「大空港」よりも派手な演出となり「パニック映画」らしい作品となっていました。「大空港」「エアポート’75」共に、飛行機の機体に穴が開くと、気流の力で機体の外へ吸い出されてしまうということだけは、中学生のボクには「恐怖のトラウマ」として焼き付いてしまったようです。いまだに飛行機に乗ると、座席のシートベルトを常に装着していないと安心出来ません・・・万が一(!)機体に穴が開いた場合、吸い出されないためにも!

「エアポート’75」
原題/Airport 1975
1974年/アメリカ映画
監督 : ジャック・スマイト
出演 : チャールトン・ヘストン、カレン・ブラック、ジョージ・ケネディ、リンダ・ブレア、エリック・エストラーダ、グロリア・スワンソン

「大地震」と「エアポート’75」は、どちらも主要な人物がチャールトン・ヘストンでした。スターとしての人気に当時は徐々に陰りはあったものの・・・保守的でアメリカ白人の典型的だったチャールトン・ヘストンこそが”頼もしいキャラ”のイメージだったのです。その後、チャールトン・ヘストンはアメリカライフル協会の会長として、銃規制に異論を唱えるアメリカ保守派のシンボルとなりました。ちなみに現在であれば・・・黒人俳優のローレンス・フィッシュバーンなどが、”頼もしいキャラ”のポジションに君臨しているように思えるのですから、世相も変わったものです。

ただ・・・当時の「パニック映画」で、チャールトン・ヘストン以上に、”頼もしいキャラ”として重宝されたのが、ジョージ・ケネディでありました。固太りのアメリカ人のオッサンという風貌のジョージ・ケネディですが、エアポートシリーズ(大空港からエアポート’80まで)の全作品に出演しているという・・・まさに”ミスターパニック映画”な俳優さんなのです。角川映画の「人間の証明」「復活の日」にもハリウッドスター代表として出演していますが、その後アクション映画には欠かせないバイプレイヤーとして「パニック映画」ブーム以降も活躍し続けたのですから、エアポートシリーズの影響大であります。

1975年に中学2年生になったボクは・・・夏休みに入った頃から、友人を誘って(または、ひとりで)銀座/日比谷界隈で映画を観にいくようになりましました。その年の6月に公開された「ジョーズ」が初めて親の同伴なしで観に行った映画で、その1週間後に公開されたのが「タワーリング・インフェルノ」だったのです。ボクが自主的に映画館へ映画を観に行き始めた時期と「パニック映画」のブームというのは重なっているのでした。

「ポセイドン・アドベンチャー」で「パニック映画」の傑作を生み出したアーウィン・アレン製作の「タワーリング・インフェルノ」は、1970年代に作られたオールスターキャストによる「パニック映画」の集大成であり・・・「パニック映画」の頂点と言えるでしょう。すべてに於いて、それまでの常識を破る「超大作」でした。制作者のアーウィン・アレンは「ポセイドン・アドベンチャー」と「タワーリング.インフェルノ」の2作によって「パニック映画」の巨匠と呼ばれることになったのです。

当時はすでにハリウッドのスタジオシステムはなくなっていましたが、慣習的にスティーブ・マックイーンはワーナーの映画に、ポール・ニューマンは20世紀フォックスの映画に出演していたようで、この二人の共演というのは絶対にアリエナイと思われていました。それを、ワーナーと20世紀フォックスが制作費を折半するという・・・当時としては考えられなかったメジャースタジオ同士の合作によって可能としたのです。実は、それぞれのスタジオが別な原作を元にして、別なビル火災をテーマにした映画を作る予定だったのですが、制作費が膨大になることから二つの企画をまとめたのでした。

「全国拡大ロードショー」という形で一度に全国の映画館で上映するようになったのも「ジョーズ」や「タワーリング・インフェルノ」からぐらいだったと思います。その後、膨大な制作費をかけた超大作が公開される際には、全国の映画館が占領されたのです。それはヨーロッパの映画監督の新作や地味だけど良い作品が、一般的な映画館から消えていった原因でもあったのでした。

「タワーリング・インフェルノ」
原題/The Towering Inferno
1974年/アメリカ映画
製作 : アーウィン・アレン
監督 : ジョン・ギラーミン
出演 : スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン、ウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、フレッド・アステア、リチャード・チャンバレン、ジェニファー・ジョーンズ、O・J・シンプソン、ロバート・ヴォーン、ロバート・ワグナー

1975年以降も「パニック映画」は客を集めました。1976年に公開された「ヒンデンブルグ」は、実際の事故を撮影した映像や当時のニュース音声を織り交ぜるという賛否両論の手法が使われていました。明らかなナチス批判と共に、ヒンデンブルグ号(飛行船)の悲劇を描いていたのは、監督が「サウンド・オブ・ミュージック」を手掛けたハリウッドの大御所ロバート・ワイズということだったからかもしれません、オールスターキャストのグランドホテル形式の人間ドラマを重視した作りで「パニック映画」としては正統派ドラマの風格さえ感じさせる映画ではありました。

「ヒンデンブルグ」
原題/The HIndenburg
1975年/アメリカ映画
監督 : ロバート・ワイズ
出演 : ジョージ・C・スコット、アン・バンクロフト、チャールズ・ダーニング、パージェス・メレディス

同じく1976年に公開された「カサンドラク・ロス」は「パニック映画」と言えば「ハリウッド映画」という常識を打ち破って、ヨーロッパで製作された「パニック映画」です。ジュネーブにあるアメリカ軍のウイルス研究所から処方箋のないウイルスに感染したテロリストが乗り込んでしまった列車を、乗客全員ごとに古い鉄橋から落として皆殺しにしてしまうというトンデモナイ話のなのです。列車の行き先がポーランドというところに、ユダヤ人虐殺のアウシュビッツを連想させたり、アメリカ軍が皆殺し計画を淡々と実行するという「アメリカ=悪者」という設定であったために、アメリカでは殆ど評価されていません。公開当時は、列車の転落シーンの迫力が”売り”とされていましたが、走り続ける列車に閉じ込められたまま進んでいくサスペンスがよく出来ていて、単純に「パニック映画」として片付けられない傑作でした。

「カサンドラ・クロス」
原題/The Cassandra Crossing
1976年/西ドイツ、イタリア、イギリス映画
製作 : カルロ・ポンティ、リュー・グレード
監督 : ジョルジュ・パン・コスマトス
出演 : ソフィア・ローレン、リチャード・ハリス、バート・ランカスター、イングリット・チューリン、エヴァ・ガードナー、マーティン・シーン、O・J・シンプソン

ボクの記憶の中で、公開当時に話題になって大ヒットした最後の「パニック映画」は、1977年公開された「エアポート’77/バミューダからの脱出」です。これも、ジャンボジェット機がバミューダ海域に墜落して、機体ごと海に沈んでしまうというトンデモナイ設定で、「ポセイドン・アドベンチャー」の二番煎じみたい・・・と、当時は誰もが思いました。飛行会社は実際に飛行機の機体が沈むことはないと設定自体を否定していましたし、機体救出も風船をたくさん付けて水上に浮かばせるという陳腐なアイディアでした。また、ジョゼフ・コットン、オリビア・デ・ハヴィランド、ジェームス・スチュアートなどの往年のハリウッドの大スターたちが出演していたのですが・・・逆に”オールスター”の意味さえも使い古されてきた感を強く残す結果になったのでした。それでも、そこそこヒットしたのは、超大作と言えば「パニック映画」という風潮が、まだまだ日本には残っていたに過ぎなかったのかもしれません。

「エアポート’77/バミューダからの脱出」
原題/Airport'77
1977年/アメリカ映画
監督 : ジェリー・ジェームソン
出演 : ジャック・レモン、リー・グラント、ブレンダ・バッカロ、ジョゼフ・コットン、オリビア・デ・ハヴィランド、ジェームス・スチュアート、クリストファー・リー、ジョージ・ケネディ

1978年に日本公開された「未知との遭遇」「スターウォーズ」、1979年に日本公開のされた「エイリアン」が大ヒットすると、ハリウッド映画の超大作は「SF映画」となっていたのでした。模型だということがありありと分かるようなパニックシーンには観客は満足しなくなていました。また、オールスターキャストうを謳うグランドホテル形式の人間ドラマも、映画のテンポをのろくするだけで、演出手法として古臭くなってしまっていたのです。現実的に起こりそうな災害よりも、人々の関心は未知なる宇宙やファンタジーへと移行したということがあるのかもしれません。


それでもアーウィン・アレンは、ハリウッドの流れに逆らうように、制作者としてだけでなく監督として、次々と「パニック映画」を世に送り出してくるのです。

1978年に日本公開された「スウォーム」は「ジョーズ」の世界的なヒットでブームになった「動物パニック映画」で、この映画で襲ってくるのは「蜂」・・・といっても、画面上では何やら黒いモノが無数に出現して、人々を襲っているだけ。(今ならCGで処理してしまうところを、実際の蜂を使って撮影しているのは、スゴイ!)蜂に刺されて逃げたとしても、次第に朦朧としてきて”巨大な蜂”の幻覚をみるというシュールさ・・・。医者役のキャサリン・ロスの大根女優っぷりも見物でありました。

翌年の1979年には「ポセイドン・アドベンチャー」の続編「ポセイドン・アドベンチャー2」もアーウィン・アレン自身が監督します。この時期に低迷していたマイケル・ケインが、二つの作品に出演していますが・・・この作品が彼のフィルムグラフィーとして語られることはありません。どちらの作品も、公開当時の大掛かりな宣伝活動にも関わらず、興行的には日本でも失敗・・・「パニック映画」の終焉を予感させました。

「スウォーム」
原題/The Swarm
1978年/アメリカ映画
製作 : アーウィン・アレン
監督 : アーウィン・アレン
出演 : マイケル・ケイン、キャサリン・ロス、リチャード・ウッドマーク、ヘンリー・フォンダ、リチャード・チャンバレン、オリビア・デ・ハヴィランド、リー・グラント、ホセ・ファーラー、パティ・ヂューク

「ポセイドン・アドベンチャー2」
原題/Beyond the Poseidon Adventure
1979年/アメリカ映画
製作 : アーウィン・アレン
監督 : アーウィン・アレン
出演 : マイケル・ケイン、サリー・フィールド、テリー・サバラス、カール・マルデン

正統なエアポートシリーズとしては最後の作品となる1979年日本公開の「エアポート’80」は、いろんな危機的な要素を詰め込んだハイテンションな展開にも関わらず、劇場公開時はそれほどヒットしませんでした。ハッキリ言って、当時アラン・ドロンをキャスティングした時点で「古過ぎる」というのは否めません。「パニック映画」という設定にも、オールスターキャストという豪華さにも、観客はすっかり飽きてしまっていたのでした。

「エアポート’80」
原題/The Concorde…Airport'79
1979年/アメリカ映画
監督 : デビット・ローウェル・リッチ
出演 : アラン・ドロン、シルビア・クリステル、ロバート・ワグナー、ジョージ・ケネディ

誰もが「パニック映画」の時代が終わったと思っていた1980年になって公開されたのが・・・「パニック映画」の巨匠と呼ばれ続けたアーウィン・アレン製作による「世界崩壊の序曲」です。「史上最低のパニック映画」と言われる本作によって、アーウィン・アレン自身も映画制作者として崩壊して(?)してまって、この作品以降、映画界から遠ざかることとなってしまいます。また、ポール・ニューマンも後に出演したことを後悔していると、インタビューで白状してしまうほどの駄作なのです。「パニック映画」という、ひとつの映画ジャンルを作り上げたアーウィン・アレン自身によって、ひとつの時代を終わらせたのは、ある意味正しかったのかもしれません。

物語は、南太平洋のある島・・・火山活動が活発になり、高級リゾートホテルも火山爆発によって壊滅的な被害を受けることになるのです。そして、生き残るために溶岩が下に流れる谷にかかる細い木造の橋を割渡るという「タワーリング・インフェルノ」のアクションシーンの二番煎じが、安っぽいスタジオセット撮影で再現されているのですから、目も当てられません。「世界崩壊の序曲」というタイトルでありながら、島の反対側に逃げたら「大丈夫!」というエンディングは、なんとも腰砕け・・・「なんだよ〜世界は崩壊しないじゃん!」とツッコミたくなるほどです。

公開時には、日比谷か有楽町に映画に登場する装甲車のレプリカを走らせて展示したりして、大掛かりの宣伝が繰り広げられました。しかし、結果は散々で・・・誰もがすぐに忘れ去ってしまった映画となってしまいました。

「世界崩壊の序曲」
原題/When Time Ran Out
1980年/アメリカ映画
製作 : アーウィン・アレン
監督 : ジェームス・ゴールドストーン
出演 : ポール・ニューマン、ジャクリーン・ビセット、ウィリアム・ホールデン、バーバラ・カレラ、アーネスト・ボーグナイン、パット・モリタ、パージェス・メレディス

そして月日は過ぎ・・・1990年代になって、再び「パニック映画/ディザスター映画」のブームが訪れました。それは、きっとボクのように少年期に「パニック映画」に心躍らしていた少年達が成長して、映画監督となり進化した特殊撮影技術やコンピューターグラフィックスを駆使して、あの「パニック映画」というジャンルを復活させたに違いありません。

やっぱりボクらは「大災害」と「世界崩壊」が大好きで仕方ないんです!



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