2017/04/01

映画監督として作家性を確立したトム・フォードの第二作・・・オースティン・ライト原作「ミステリ原稿」を、よりグラマラス、より深く心えぐる「後悔」と「喪失」の”謎”めいた一作に~「ノクターナル・アニマルズ(原題)/Nocturnal Animals」~


映画界とファッション界といのうのは、映画作品への衣装提供や、ブランドイメージと映画スターの関係など、業界としての親和性も非常に高いと思うのですが・・・ファッションセンス=映画作家性というわけでもないようで、商業的な映画監督として作家性を発揮したファッションデザイナーというのは、トム・フォード以外には思いつきません。

ファッションの第一線で活躍したファッションデザイナーが、映画監督としても高い評価を得て、商業的にも成功するということは結構”稀”なことのようです。1970年代のパリのファッション界を席巻した高田賢三は、1981年に日本資本の劇映画「夢・夢のあと」で、ファッションデザイナー”ケンゾー”の世界観と映像美を表現する意気込みで映画監督としてデビューしましたが・・・評価も興行のどちらも大コケしてしまいます。この作品は、どの国でもビデオ化さえされていない幻の作品となっており、高田賢三による映画作品は結局のところ、この一作のみ・・・その上、ケンゾーのファッションブランド自体も、この頃から急速に失速していくのです。

数年前に山本耀司が監督した映画が作られる・・・というニュースを読んだことがあるのですが、その後、映画が完成したという話を聞きません。近年、芸術(ファイン・アート)へ表現のフィールドを移行しようとしているところもありますので・・・もともと商業的な映画の監督というのではなく、あくまでも表現手段のひとつとして企画されていたのかもしれません。カール・ラガーフェルドは何本か短編作品を監督していますが・・・あくまでもシャネルがらみのファッション的な世界観の延長上にある”プロモーションの映像”です。日本では、アート集団の明和電機が立ち上げたファッションブランド「Meewee Dinkee/ミーウィーディンキー」のトータルディレクターとデザイナーを務めるTRICOが「少女椿」を監督してますが、そもそも映像作家としてでてきた人で初めから”アート寄り”のクリエーター(!?)だったりします。

トム・フォードはテキサス州出身のアメリカ人でありますが、ヨーロッパの老舗ブランド「グッチ」「イヴ・サンローラン」のクリエティブ・ディレクターを務めて・・・その後、自社である「トム・フォード」を立ち上げた近年最も成功したファッションデザイナーのひとりです。デザインの勉強をする以前のニューヨーク大学時代には、俳優を目指した時期もあったらしいので、映画界には少なからず興味があったのかもしれません。

2009年公開の「シングルマン」でトム・フォードは映画監督としてデビューします。1930年代~60年代に活動したゲイ作家のクリストファー・イシャーウッドの原作からして渋くて知的な印象なのですが・・・ファッション的美学に貫かれたスタイル、隅々まで考え抜かれた構図、過去と現在や現実と心象を行き来する巧みな映像美で、”ファッションデザイナーによる”という枕詞が不要なほど「完璧」な映画作品であったのです。ただ、コリン・ファース演じる大学教授の潔癖なスタイリッシュさやゲイの中年男性であることから、トム・フォードを彷彿させるところもあり・・・自らを投影した奇跡の一作とも思えてしまうところはあります。


「シングルマン」から7年、二作目となる「「ノクターナル・アニマルズ(原題)/Nocturnal Animals」は、トム・フォードの映画監督としての作家性を確立させたと言っても、過言ではないかもしれません。原作は(これまた渋くて知的な?)オースティン・ライトによる「トニー・アンド・スーザン(原題)/Tony and Susan」(”スーザン”は語り手の主人公の主婦の名前で、”トニー”は作中小説の主人公の名前)で、日本翻訳版タイトルは「ミステリ原稿」・・・前夫から送られてきた原稿(この小説のタイトルが「ノクターナル・アニマルズ/Nocturnal Animals」=「夜の獣たち」)を、別な男性と結婚した主婦のスーザンが読んでいくうちに、前夫エドワードとの過去や今の結婚生活に思いを巡らすという心理小説です。


タイトルオープニングでは、極端に太った女性たちが妖しく踊るシーンから始まります。これらは主人公のギャラリーオープニングで展示されているアート作品(映像と彫刻)ということなのですが、かなりのインパクトです。トム・フォード曰く・・・太った女性は社会的な(美しさの?)枠組みに囚われていない存在として、主人公と対比しているということらしいのですが、赤いベルベットのカーテンを背景にしているところは、デヴィット・リンチ監督的な禍々しさを漂わせています。

若い頃アーティストを目指してたスーザン(エイミー・アダムス)は、裕福なハットン(アーミー・ハマー)と再婚・・・アートディーラーとして成功しています。小説版では、スーザンとハットンの結婚は破綻していないのですが(前夫のエドワードも別な女性と再婚している)・・・映画版では、ハットンは他の女性と浮気をしていて、二人の関係は冷えきっているセレブとして描かれているのです。そんなスーザン宛に、若い頃には小説家を目指していて、今は大学で映画を教えている前夫のエドワード(ジェイク・ジレンホール)から、「ノクターナル・アニマルズ」というタイトルの原稿が送られてきます。

「ノクターナル・アニマルズ」は、トニー(ジェイク・ジレンホール)が遭遇する悲惨な事件の物語・・・妻のローラ(アイラ・フィッシャー)と娘のインディア(エリー・バンバー)は、ハイウェイで遭遇した暴漢たち(アーロン・テイラー=ジョンソン)に誘拐されて、強姦されたあげくに惨殺されてしまいます。前夫エドワードと主人公トニーを、どちらもジェイク・ジレンホールによって演じられていることからも分かるように・・・「ノクターナル・アニマルズ」はエドワードとスーザンの物語でもあるようです。トニーは、癌で死を宣告されているボビー刑事(マイケル・シャノン)の手助けにより、事件から一年後に暴漢たちへ復讐を果たしますが、拳銃の暴発事故により、誤って自らも死んでしまうのです。

主人公が作中で小悦を読む「入れ子構造」となっている本作・・・スーザンは次第に残酷な小説の内容に引き込まれていき、前夫のエドワードが何故暴力的な小説を自分に送りつけて感想を求めてきたのか考え始めます。そして、幼馴染みのエドワードとのニューヨークでの再会、保守的で現実主義の厳しい母親に反対された結婚、エドワードの小説を厳しく評価して傷つけて、最後には妊娠していた子供を堕して離婚した経緯などを回想していくのです。現実のクールな配色、過去の暖かな色合い、小説のどぎつい色彩と、特徴的な映像で描き分けながら、時にはショットごとに入れ替わる「現在」「過去」「小説」を巧みな編集によって、小説家(クリエーター)のフィクションとノンフィクションの関係を紐解いていきます。

ここからネタバレを含みます。


現在や過去がスーザンによってビジュアライズされる作中小説の世界とリンクされていて、小説が著者である前夫エドワードの過去の体験によって構築されていることが明らかになっていきます。例えば・・・以前、スーザンがエドワードを傷つけた時にあった”赤いソファ”は、小説のトニーの妻と娘の死体が放置された”赤いソファ”と同じですし、エドワードがスーザンが二人の子供を堕胎手術をして、二人の関係が決定的に終わった時にあった”緑の車”は、トニーの襲う暴漢たちが乗っている”緑の車”と同じなのです。小説の中のトニーの妻はスーザンに似ていますし、娘はスーザンが堕した二人の子供かもしれません。小説の内容がトニーの復讐劇となっていくと、スーザンの画廊には、「REVENGE」=「復讐」と書かれた絵画があったりします。暴漢たちの正体を暴き、必要に復讐に誘うボビー刑事は、エドワードの強い別人格・・・かつてスーザンがエドワードを傷つけた「弱虫」という言葉が、追い詰めた暴漢から発せられた時、トニーは初めて拳銃を撃つことができるのです。

原稿を読み終わったスーザンは小説の感想を伝えるため、久しぶりにエドワードと会う約束をして、高級レストランで待ち合わせをします。しかし、いくら待ってもエドワードは姿を現しません。閉店間近のレストランで一人佇み、なにかを悟ったような表情のスーザンの姿で映画は終わるのです。正直いって”尻切れトンボ”で”謎めいた”エンディングであります。作中小説のトニーと同じようにエドワードも死んだのではないか?そもそもエドワードは、スーザンと二度と会うつもりさえなかったのではないのか?スーザンに待ちぼうけを食らわすことが、エドワードの復讐だったのか?


考えてみれば・・・現在のエドワードの姿というのは一度も画面に登場することはありません。スーザンの思い出す過去のエドワードの姿と、作中小説のトニーの姿しか映画では描かれていなのですから、エドワードの存在自体が観客にとっては漠然とした存在だったりします。強い衝撃を与えられた小説を書き上げたエドワードに対して、スーザンが改めて関心を持ったことは確かなようです。しかし、小説を書き上げて、スーザンとの過去からの呪縛から解き放たれたエドワードにとって・・・スーザンと再会する意味はないのかもしれません。

小説版では、スーザンが感想をエドワードに伝える約束をしようと、短い手紙を投函するところで終わります。映画版では、破綻した結婚生活という厳しい現実にいるスーザンが、さらに過去からも報復を受けるという・・・”より”深く心をえぐるような結末となっています。「シングルマン」にしても「ノクターナル・アニマルズ」にしても、トム・フォード監督の映画は、一般的に言って”ハッピーエンディング”ではなく・・・「過去への深い後悔」と「失った者への強い喪失感」を感じさるのです。


パートナーのリチャード・バックリー(元「VOGUE HOMME intternatinal」編集長)と約30年間を共にして、1990年代から2000年代初頭にはヨーロッパの老舗ブランドを再生させて一世を風靡、2005年には自社を設立、2012年には代理母出産で息子を授かり、2014年にはアメリカ国内で同性婚、ファッションデザイナー/映画監督としての成功だけでなく、私生活でも”超リア充”のトム・フォードが、何故「後悔」や「喪失」の映画を撮るのか?・・・これこそが、ボクにとって一番の”謎”であります。


「ノクターナル・アニマルズ(原題)」
原題/Nocturnal Animals」
2016年/アメリカ
監督、脚本、制作:トム・フォード
出演      :エイミー・アダムス、ジェイク・ジレンホール、マイケル・シャノン、アーロン・テイラー=ジョンソン、マイケル・シャノン、アーミー・ハマー、アイラ・フィッシャー、エリー・バンバー
2017年劇場公開予定


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