2014/03/29

濃厚なレズビアンセックスシーンにドン引き?・・・シンプルなガール・ミーツ・ガールの”アデルの恋の物語”が、これほど切ないとは!~「アデル、ブルーは熱い色/La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2」~



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カンヌ映画祭では、毎年、違う映画関係者(監督、俳優など)が審査委員長を努めるということもあり、パルムドール賞(グランプリ)に選ばれる作風も審査委員によって左右されているといわれます。例えば・・・リュック・ベッソン監督が審査委員長だった時のグランプリが「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、クエンティン.タランティーノ監督の時は「華氏911」、イザベル・ユペールは「白いリボン」、ロバート・デ.ニーロは「ツリー・オブ・ライフ」という具合です。第66回カンヌ映画祭(2013年度)の審査委員長が、父と子をテーマとした作品が多いスティーヴン・スピルバーグ監督ということもあって、是枝裕和監督の「そして父になる」が受賞するのではと期待されましたが・・・フタを開けてみたら、濃厚なレズビアンセックスシーンが話題となったアブデラティフ・ケンシュ監督の「アデル、ブルーは熱い色/La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2が、パルムドール賞を受賞しました。それも監督だけでなく、主演のアデル・エグザルホプロスとレア・セドゥも受賞という異例の扱いだったのです。

ゲイのボクにとって、濃厚なレズビアンセックスシーンがある映画というのは、同性愛を扱っているからといっても、正直、それほど積極的に観たい作品ではありません。それも、性器の模型(?)まで作成して、写実的なセックスシーンの再現にこだわったというのだから「勘弁してよ~」です。ある意味・・・恐いもの見たさ(?)の気持ちで、ボクは「アデル、ブルーは熱い色」を観たのでした。


本作は、恋愛映画としては異様に長い3時間という上映時間なのですが、物語自体はガール・ミーツ・ガールのシンプルなラブストリーであります。ただ、多くのカメラワークは顔のクローズアップという独特のスタイル・・・圧迫感さえ感じるほどの近距離で、登場人物たちの細かな表情を追うことで、赤裸裸に心の内を浮き彫りにしているのです。その場にカメラがあることを意識しないようなフットワークの軽いカメラアングルでありながら、本作のテーマカラーである”ブルー”の色がフレームのどこかに入り込むという・・・完璧に計算し尽くされた画面になっているのも特徴と言えるでしょう。

アデル(アデル・エグザルホプロス)は、文学好きの女子高校生・・・イケメンのボーイフレンドにカラダを許してしまうものの、何かが違うと感じています。オナニーの時、街で見かけたブルーの髪をした女性を妄想したりしてしまうアデル・・・結局、ボーイフレンドとは煮え切らないまま別れてしまうのです。ある日、ゲイのクラスメイトに連れられて入ったゲイバーで、アデルはブルーの髪をした美術大学生のエマ(レア・セドゥ)と遂に会話を交わすことになります。

翌日、アデルの通う高校前に現れたエマ・・・見た目からして明らかにレズビアンのエマと連れ添って帰るアデルは、クラスメイトの女子からレズビアンの疑いをかけられてしまうのです。レズビアンであることを必死に否定して、摑み合いの喧嘩になってしまうアデル・・・同性愛に寛容というイメージのあるフランスですが、高校生にとってカミングアウトすることは、まだまだ勇気のいることなのかもしれません。

エマに一目惚れしてしまった”レズビアン初体験”のアデルの思いは、一度弾けたら歯止めが利かず、二人は肉体的に結ばれることとなります。ここでのセックスシーンは、これでもかというほど長くて濃厚・・・知らなくてもいいレズビアンセックスの四十八手(?)を見せられたような気がします。ハーココアポルノのような性器のドアップというのは、さすがにありませんでしたが・・・性行為に没頭する二人の息づかいが妙に生々しくて、観ている方が恥ずかしくなるぐらいです。


レズビアンのセックスシーンにありがちの”甘美さ”の表現というのは、部外者(レズビアン以外)のために映像的に”美化”されていていたのだと思えてしまうほど・・・本作のような描写こそが、多くのレズビアンにとっての「ふつうのセックス」なのかもしれません。「恋愛」は心と心の結びつきである「恋」であると同時に、肉体的な結びつきの「性」でもあるわけで、異性愛、同性愛関係なく「好き」という感情の先には、動物的な肉体の求め合いなのです。そして「愛」は肉体の結びつきでしか確かめられないこともある・・・ということを描くためにも、本作の濃厚なレズビアンセックスシーンというのは、絶対に必要なのであります!

毎晩ミートソーススパゲティを食べるような家庭に育ったアデルと、殻付きの生ガキを自宅で食べるような家庭で育ったエマ・・・数年後(映画ではワンカットで切り替わる)同棲を始めるのですが、二人の生きる世界の違いが徐々に明らかとなっていきます。いかにも美大生っぽいブルーの髪からナチュラルカラーになっていますが、エマは新進気鋭の画家として野心的です。ホームパーティーも、力のある画廊のオーナーと親しくなるためでした。

一方、子供好きなアデルは、エマから文才を生かして小説を書くように奨められていながらも、普通の小学校の先生として職を得て満足しています。エマの開催するホームパーティーでは、アデルはもっぱら食事の給仕役・・・エマの友人らの交わすアート関係の文化的な会話にはついていけません。恋人の友人のサークルに入っていけないのは、どことなく淋しいもの・・・エマと親しげにしている女性のことを、アデルはエマの元彼女ではないかと勘ぐって嫉妬してしまいます。

行動や表情の一挙一動を追ってしまうことで、ますます不安と疑いが生まれてしまう・・・そんなアデルの「恋愛弱者」としての悪循環は、誰もが一度は経験したことのある”苦い恋”を思い起こさせます。自分の芸術表現と画廊とのビジネスの狭間で葛藤するエマに対して、アデルは何ひとつ気の利いた言葉をかけることはできません。生きてきた世界が違う二人に埋められない溝は、アデルに”淋しさ”を感じさせ・・・その”淋しさ”から逃れるために、アデルは絶対してはいけない”過ち”を犯してしまうのです。

こっっからネタバレを含みます。


同僚に誘われて出向いたナイトクラブで、アデルは同僚の男性と踊ったり飲んだりしているうちに、その男性と抱き合ってキスしてしまいます。そして、アデルは数回、その男性とエッチしてしまったようなのです。(映画ではハッキリとは描かれていませんが・・・)レズビアンの女性には、男性ともエッチできる”バイセクシュアル”なタイプと、男性は生理的に無理という生粋(?)のタイプがいるように思います。アデルは、女性との性的関係はエマとしかありません。エマとの関係に行き詰まった時、揺れ動く気持ちが男性に向かってしまうのも頷けるところがあります。しかし、エマにとって男性と性的な関係を持つことは、売女的な行為のなにものでもなく、絶対的なタブーなのです。

ある夜、男性の車で送られて帰宅したアデルに、エマはアデルが男性と浮気していることを確信します。涙ながらに弁解を試みるアデルの言葉に耳を傾けることなしに、アデルを家から追い出してしまうのです。目の前の世界のすべてが崩れていくような絶望的な失恋の気持ちを・・・自分を傷つけない手段”だけ”は覚えてしまったボクは、すっかり忘れてしまっていたような気がします。

それから日々が経ち、カフェで再会するアデルとエマ。肉体的な結びつきを呼び起こそうとするアデルの痛々しさは、濃厚なレズビアンセックスシーンがあったからこそ。しかし、すでに新しい恋人がいるエマは、二人の関係が、もう元には戻らないことを改めて伝えるのです。別れを告げられた(振られた)側は、もしかすると復縁できるかもしれない・・・と、希望を持ってしまいがちですが、別れを決めた(振った)側にとっては、すでに終わった過去。もう二度と同じ関係に戻ることはできないのです。

さらに数年後(?)エマは念願の画廊で展覧会のオープニングパーティーで、アデルとエマは再会します。元彼女としての立場は、アデルにとって決して心地よいものではありません。今度こそ、過去を吹っ切るようにアデルはひとり画廊を後にします。その足取りは淋しげではあるけど(ボクも含めて)「愛」を失ったことのある誰もが通過してきた道。シンプルなガール・ミーツ・ガールの「アデルの恋の物語」だからこそ・・・切なく胸を締めつけるのです。

「アデル、ブルーは熱い色」
原題/La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2
2013年/フランス
監督 : アブデラティフ・ケンシュ
脚本 : アブデラティフ・ケンシュ、ガリア・ラクロワ
出演 : アデル・エグザルホプロス、レア・セドゥ
2013年10月15日東京国際映画祭にて上映
2014年4月5日より日本劇場公開


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