「それでも夜は明ける/12 Years a Slave」が、第71回ゴールデングローブ賞ドラマ部門の映画作品賞を受賞しました。ブラット・ピットがプロデューサートして名を連ねるこの作品は、南北戦争後(19世紀半ば)北部で自由黒人として暮らしていた男性が、奴隷として12年間も南部の農場で生きなければならなかったという伝記を原作とした映画・・・イギリス生まれの黒人監督スティーブ・マックィーンによる本作は、ゴールデングローブの監督賞を受賞し、アカデミー賞でも作品賞を初め、監督賞、主演男優賞、助演男優賞でも有力候補です。
ハリウッド映画では、(特に白人の黒人に対する)人種差別/人権迫害を描くことは長年避けられていたところがありましたが(例外として「マンディンゴ」や「ルーツ」ぐらい)・・・ここ数年、黒人迫害を描いた映画が数多く製作されています。過酷な運命に立ち向かっていく姿は、普遍的な感動のヒューマンドラマとして、人種を超えて強く訴えるところがあるのかもしれません。黒人家政婦たちが経験した厳しい現実を描いた「ザ・ヘルプ~心がつなぐストーリー~」、黒人初メジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンの強い差別との戦いを描いた「42~世界を変えた男~」、クエンティン・タランティーノ監督の(歴史的事実には基づかない!)過剰演出による黒人の白人への復讐劇「ジャンゴ 繋がるざる者」など、意識の高いリベラルな白人の映画人にとってつくられた”黒人迫害映画”というのは・・・”政治的に正しい自らの”姿勢を公に訴えているかのようです。
「大統領の執事の涙/The Butler」は、1920年代からアメリカ初の黒人大統領が誕生するまでの現代までを描くという”エピックドラマ”・・・アメリカ現代史および黒人人権運動の歴史と歴代アメリカ大統領の知識がないと、次々と描かれる歴史的な背景を理解することは難しいかもしれません。ヒューマンドラマの”ぬるま湯”な描写に留まらず、悲惨な迫害を容赦なく描いているのは、本作の監督であるリー・ダニエルズ自身が黒人であることも無関係ではないと思えるところもあります。
1920年代にアメリカ南部のコットンプランテーションで生まれたセシル・ゲインズ(フォレスト・ウィスカー)・・・すでに奴隷制度はなくなっていた20世紀でありながら、過酷な労働と白人オーナーへの絶対服従をさせられています。セシルの母(マライア・キャリー)はオーナーの息子に乱暴に手篭めにされているのですが、それに対して一瞬不満な態度した父は、あっけなく射殺されてしまうのです。人種差別者ではありながらも、セシルを不憫に感じたオーナーの妻(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)は、セシルを「ハウス・ニガー」=「家の中で働く黒人使用人」として給仕の仕事を教え込みます。その後ホテルのボーイとして働くようになったセシルは、ホワイトハウスの執事として抜擢されることになるのです。
ここからネタバレを含みます。
アイゼンハワー(ロビン・ウィリアムス)、ケネディ、ジョンソン、ニクソン(ジョン・キューザック)、フォード、カーター、レーガンまで7人の大統領の元、時代の裏舞台を傍観しつつ”執事”として仕えます。葛藤しながらも自我を出すことなく仕えるセシルを、妻グロリア(オプラ・ウィンフリー)は理解し支え続けるのですが、長男ルイス(デヴィット・オイェロウォ)は反抗的・・・白人に仕える父を恥と感じています。白人社会に従順に従うことで中産階級の生活を手に入れた父親、黒人としての誇りを持ち黒人人権運動へ身を投じていく息子の対比が交互に描かれるのは、なんとも皮肉に満ちています。
当時は、まだ公共の場所(レストラン、公衆トイレ、水飲み場、バス席など)は「人種隔離」されていて白人用(White)、黒人用(Coloerd)に分かれていました。ルイスら、若い黒人学生たちは、白人用のバス席やレストラン席に座るという抗議をするのですが、それに対する風当たりはとんでもないもので・・・顔につばを吐かれ、汚い言葉で侮辱されるという迫害の様子を、本作では真っ向から描いていきます。ボクの母は、この時代(1950年代半ば)にアメリカ留学をしていたのですが、このような肌の色による”区別”を当然する社会に衝撃をを受けながらも・・・白人用、黒人用のどちらを自分が使うべきか迷った挙げ句、清潔な白人用を使ったそうです。
レーガン政権時代、ナンシー・レーガン(ジェーン・フォンダ)は、セシルとグロリアをホワイトハウスのディナーに”ゲスト”として招待するのですが、セシルには、自分たち夫婦が”見世物”として招待されたことなど百も承知です。ただ、これこそ差別意識の変化の賜物・・・大統領夫人にとって黒人執事の夫婦をディナーに招待することが、政治的に正しいことになったのですから、意識が進歩したことは確かです。ただ、それがほんの数十年前(1980年代)であったということは、やはり驚くべきことかもしれません。セシルがホワイトハウスの執事の職を辞した後、人権活動家となったルイスの元を訪れてプロテストに参加するところは、親子の和解というだけでなく・・・生まれてからずっと白人社会に押し付けられてきた「黒人」という立場から、セシルが解き放たれたことのような気がしました。アメリカで「黒人」という存在でいることは、精神的にも社会的にも複雑なことであるかということに気付かされたのです。
オバマ大統領が黒人初の大統領として当選後、ホワイトハウスでセシルが大統領と面会するところで本作は終わります。黒人の大統領が誕生したということは、人種隔離の時代から50年で信じ難いほどの社会の進歩なのかも違いありません。アメリカ黒人が歩まされた厳しく長い道のりを考えると重い意味を持つエンディングで思わず胸が締め付けられますが・・・全体的に感傷的なところもあり、やや”黒人観客向け”に偏り過ぎた印象を感じます。オプラ・ウィンフリー(アメリカで最も影響力のあるテレビタレント)など大物黒人セレブたちに加えて、ロビン・ウィリアムス、ジョン・キューザック、ジェーン・フォンダと、リベラルで知られる白人の大御所までも勢揃いした本作でありましたが・・・アカデミー賞の有力候補という前評判が盛り上がっていたにも関わらず、ゴールデングローブ賞もアカデミー賞もノミネート落選になってしまいました。確かにアメリカの歴史を語る上で大切な物語ではありますが、黒人の受けた迫害と人権運動の葛藤というのは、まだまだ普遍的なアメリカの物語としては受け入れられていないということかもしれません。
「フルートベール駅で/Fruitvale Station」は、。警察の人種差別的なプロファイリングにより、射殺された黒人青年のオスカー・グラントの最後の1日(2008年12月31日)を描く、実際に起こった事件を元にした作品です。
このような(特に黒人に対する)警察による暴行、殺害は、アメリカでは驚くほど頻繁に起こっています。ボクがアメリカに住んでいた1990年にも、警察による黒人男性(ロドニー・キング)への不当な暴行事件があり、その報復として”ロスアンゼルス暴動”が起こりました。遠く離れたニューヨークでも暴動を恐れて、戒厳令が出されて外出禁止となったことを覚えています。その後も、似たような事件は繰り返し起こっていることからも「黒人=犯罪者」というプロファイリングは、今でも当然のように行なわれているのです。実際の事件に居合わせた人がスマホで撮影した動画から、本作「フルートベール駅で」は始まることからも分かるように、本作は警察を告発する強い意志によって制作された映画だと言えるでしょう。
ガールフレンド(メロニー・ディアス)と4歳の娘と暮らすオスカー(マイケル・B・ジョーダン)の人生最後の日となった2008年12月31日を、黒人青年として普通の1日として追っていきます。ちょうど1年前、彼は麻薬取引で逮捕されていて、歯母親(オクタヴィア・スペンサー)の訪問を受けています。相変わらず白人男の挑発にのって喧嘩を始める息子を尻目に、母親は胸を締め付けらる思いで、あえて強い言葉で叱咤するのです。家族のためにも地に足をつけてやり直そうとスーパーで働き始めたのですが、遅刻を理由にクビになってしまっていたのです。それでも、元の職場で困っている買い物客がいると、丁寧に手助けをするオスカーでしたが・・・仕事を取り戻すことはできませんでした。再びお金のために麻薬取引の誘惑に負けそうになりますが、改めて真面目に生きることを決心します。仕事を失ったことを正直にガールフレンドに話したところ、最初は彼を責めていた彼女ですが、最後にはオスカーを優しく理解するのです。大晦日はオスカーの母親の誕生日でもあり、家族揃って祝います。ニューイヤーの花火を見に友人達と出掛けるというオスカーに、母親は飲酒運転を心配して地下鉄で行くように諭すのです。
ここからネタバレを含みます。
地下鉄が途中で止まってしまったために、カウントダウンの花火は見逃してしまったオスカー達は、再び地下鉄で帰路に向かいます。そこで、偶然がいくつも重なって悲劇が起こるのです。混雑した地下鉄の中でガールフレンドと分かれて、どこか座れる席がないか離れるオスカーに、スーパーで手助けした買い物客が声をかけます。その呼びかけに反応したのは、1年前に刑務所でオスカーに喧嘩をふっかけてきた白人男・・・喧嘩騒ぎになってしまったために、その直後に停車した「フルートベール駅」で、警察官たちがやってきてしまいます。すぐさま、オスカーと彼の友人らを捕らえる警察官・・・それは、明らかに人種差別的なプロファイリングによるものです。口答えするオスカーに警察官は両手を後ろに回して手錠まで掛けて逮捕すると脅します。それでも、無実を訴え続けて抵抗するオスカーに、警官のひとりが背中から銃を撃ってしまうのです・・・。その後、病院に運ばれますが、オスカーは亡くなってしまいます。そして、彼を撃った警官は殺人罪で逮捕されるものの、判決よりもずっと短い刑期で出てきてしまったのです。
どう考えても理不尽な事件であり、納得のいかない結末であります。ただ、オスカーは、黒人コミュニティーでは”普通”の黒人青年なのかもしれませんが、ボク自身を含め、黒人コミュニティー外で生きている人にとって、共感しやすい自分に近い人物かというわけではありません。確かにオスカーは家族思いでチャーミングに描かれています。しかし、10代で父親になるも結婚せず、麻薬取引で逮捕歴があり、遅刻で仕事をクビなるほどだらしない・・・という人物ではあるのです。もし、地下鉄でオスカーと彼の友人らのグループと同じ車両に乗り合わせたら、ニューヨーク在住時代のボクは多少身構えていたことでしょう。もしくは、別な車両に移動していたかもしれません。これは、明らかに人種や服装によるステレオタイプのプロファイリングです。見た目が”イカツイ”黒人男性だからといって、強盗ではないことぐらい頭では分かっています。ただ、海外で生活する多くの人は、自己防衛のため無意識に行なってしまっていることでもあります。
「普通の青年が遭遇した警察官の差別行為」という制作者側の訴えを、ボクは手放しで受け入れられず・・・口では「人種差別なんてしない」と言いながら、人種によるプロファイリングを無意識にしてしまっているであろう自分って「政治的には正しくないのでは?」という思いに、居心地の悪さを感じてしまうのです。
追伸:「アフリカ系アメリカ人」というのが政治的には正しいとは思いますが・・・「白人」という言い回しが差別に当たらないというダブルスタンードを踏まえて「黒人」という表現に統一しました。
追伸:「アフリカ系アメリカ人」というのが政治的には正しいとは思いますが・・・「白人」という言い回しが差別に当たらないというダブルスタンードを踏まえて「黒人」という表現に統一しました。
「大統領の執事の涙」
原題/The Butler
2013年/アメリカ
監督 : リー・ダニエルズ
出演 : フォレスト・ウィスカー、オプラ・ウィンフリー、ジョン・キューザック、ジェーン・フォンダ、マライア・キャリー、キューバ・グッディング・Jr、レニー・クラビッツ、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ロビン・ウィリアムス
2014年2月15日より日本劇場公開
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