2014/01/13

半世紀ぶりに大島渚監督の幻のドキュメンタリーがテレビ放映・・・自虐的な差別意識が悲痛すぎる”元日本軍在日韓国人”という存在~NNNドキュメント'14「反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃」~



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銀座線が渋谷駅から出てくる高架下あたり・・・今では副都心線の入り口になっている一角に、1970年頃まで白いキモノを着た”傷痍軍人”さんが、募金を集めていたことを覚えているのは、ボク(1963年生まれ)の世代よりも上の人でしょう。

火傷を負っていたり、片腕がなかったり、片足だけだったり、両眼を失っていたり、なんらかの身体的な障害を持っていた人が多く・・・中には両足がなく台車に乗り地べたを這うように移動している人もいて、ボクにはトラウマの光景となっています。母は「気の毒だから見ちゃダメよ」と、同情的とも排除的とも受け取れる言葉をなげかけながら、幼かったボクの目を手のひらで覆ったものです。当時の日本人のどれだけの人が、彼らが元日本軍として戦った韓国人であったことを知っていたかは分かりませんが、戦争が終わって年月が経つにつれて、経済成長を始めた都会の風景に彼らの姿は似つかわしくない”目障りな存在”になっていきました。

大島渚監督に関しての文献を読んだことのある人であるならば「忘れれた皇軍」というドキュメンタリー作品のことは知っているかもしれません。しかし1963年に放映されて以来、特別な上映会以外では一般公開されたこともないし、ビデオやDVDなどのメディア化もされていないので、大島渚監督の作品の中でも観ることが難しい作品のひとつであったのです。松竹を解雇された大島渚監督は「天草四郎時貞」の後、個人プロダクションで「悦楽」を撮るまでの数年間、映画界から干されてしまった不遇の時代がありましたが、その間も精力的にテレビドラマやテレビドキュメンタリーを撮り続けていました。”ドキュメンタリー・韓国三部作”第1作目の「忘れられた皇軍」は、その後の大島渚監督にとってのテーマのひとつとなる”在日韓国人”を扱った重要な作品なのです。

大島渚監督が亡くなられてから、まもなく1年・・・ほぼ半世紀ぶりに「忘れられた皇軍」が、日本テレビにて放映されました。韓国の反日感情はますます強くなり、日本のナショナリズムが再び強まっている印象のある今・・・「日本人たちよ、これで良いのだろうか?」という問いは、常に反政府的な立場で怒りを訴え続けてきた大島渚監督らしく「加害者としての日本」を突きつけてきます。東日本大震災からの復興と、二度目の東京オリンピック開催を控えている日本は、本作が制作された時代背景と重なることがあるかもしれません。東京オリンピック開催を翌年に控えていた1963年・・・まだまだ安保闘争の政治的な活動が盛んでした。今は「反原発」「秘密保護法」などのデモ活動が頻繁に行なわれるように、国民の声と政府の路線が離れ始めているような気がするのです。「日本人たちよ、これで良いのだろうか?」と再び問われるような時勢に、「忘れれた皇軍」を再放映する意味を感じます。

わずか25分ほどの本編に記録されている映像は、衝撃的であり不快の連続です。渋谷駅ハチ公前と思われる街頭で、日本軍として戦った在日韓国人の傷痍軍人らが集まり、日本からも韓国からも、何も補償を与えられていないことを訴えます。しかし、彼らの声に足を止める日本人は多くはありません。日本政府や韓国領事館に陳情しても、それぞれの国が彼らの責任を押し付け合って、救済の糸口さえ見出せないのです。当時、日本は第二次世界大戦から、韓国は朝鮮戦争からの復興を目指していた時代・・・二つの戦争の狭間に取り残されたような彼らの存在は、どちらの国にとっても”厄介者”だったのかもしれません。

街頭演説の後、なけなしの財布をはたいて仲間たちと宴会を始めるのですが・・・いつものように口論となってしまいます。何故、彼らが喧嘩を始めたのかは、はっきりと聞き取れないのですが、カメラは一人の男をクローズアップにしていきます。彼は片手がなく、顔は火傷でただれ、歯も殆ど抜け落ち、両目の眼球もないという凄まじい形相の人物・・・本作では主役としてとらえられています。彼の眼球のない目から涙が流れる様までを、周到に撮影し続けるのです。このシーンは「忘れられた皇軍」の”語りぐさ”のようになっていて、おそらく多くの人の記憶に残るシーンであると思うのですが・・・・ボクは、この直後のシーンに最も衝撃を受けました。

宴会の後、彼は自宅に帰ります。彼には東京空襲で失明した日本人妻がいて、その妻の妹が目の見えない二人の面倒をみているというのです。彼ら夫婦の間に「昭和27年に女の子、昭和29年に男の子が生まれた」とナレーションでは語られるのですが、本作撮影当時10歳前後であろうはずの子供たちの姿はありません。街頭募金でしか生活費を稼ぐことのできない在日韓国人夫と全盲の日本人妻・・・彼らが無事に子供を育てられたのか疑問です。単に子供たちにはカメラを向けなかっただけなのかもしれませんが・・・「生後すぐに施設に預けたのかも、、亡くなってしまったのかも、何も分かりません。自分が生まれた時代に、これほど悲惨な家族が存在していたことに、頭がクラクラするほどボクはショックを受けてしまったのです。

多くの日本人にとっては無関係のように思える元日本軍在日韓国人の問題・・・大島渚監督が訴えるように「日本政府がすべて補償すべきだった」とはボクは思いませんが、韓国政府(韓国国民)と日本政府(日本国民)が、このような問題から目をそらしてしまった”ツケ”が、戦後50年~60年以上経って回ってきたような気もするのです。本作に出てきた人とは別人ですが・・・1992年に、元日本軍の在日韓国人二人が、日本からの補償年金を求めて裁判の申し立てをしたそうです。そして1994年に、彼らの訴えは棄却されて、結局、何も受け取ることはでなかったそうです。ただ、彼らの母国である韓国政府も、傷ついた自国民を日本に押し付け続けたのではないか・・・と感じてしまうところもあります。

本作について、大島渚監督の後日談を読んだことがあるのですが・・・公で語ることができないほど、もっとドス黒いものがあったそうです。ただ、撮影中に監督が彼らから、しばしば聞いた言葉というのが、ボクには本作の映像以上に心に突き刺さり忘れることができません。

「補償がもらえたら、こんな仲間と二度と会うもんか!」

最も悲惨な差別というのは、差別されている者同士がお互いを嫌悪して、差別し合うことではないでしょうか?そういう自虐的な差別は、自分に対しての「底なしの劣等感」と、他者に対しての「とめどない敵対意識」を生み出して、虚言癖や被害妄想など精神を腐らせてしまうように思えるのです。



「忘れられた皇軍」
1963年/日本
監督/脚本 : 大島渚
語り手   : 小松方正

1963年8月16日「ドキュメント劇場」にて放映
2014年1月13日「NNNドキュメント'14」にて放映

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