2013/06/12

不思議ちゃんアティナ・ラシェル・ツァンガリ(Athina Rachel Tsangari)監督とギリシャ映画界の”新しい波”の旗手ヨルゴス・ランティモス(Yorgos Lanthimos)監督の”ヘンテコリン”映画~「Attenberg/アッテンバーグ(原題)」「ALPS/アルプス(原題)」~



ヘンテコリンな映画って、テイストが合えば「なんだか好き♡」であるし、合わなければ「なんじゃこりゃ???」と、好き嫌いが分かれてしまうものです。以前「めのおかしブログ」で取り上げたヨルゴス・ランティモス監督の「籠の中の乙女/Dogtoothは、奇妙であるが故に強く惹かれてしまうところがありました。その作品のプロデューサーのひとりだったアティナ・ラシェル・ツァンガリ(Athina Rachel Tsangari)という女性が監督した作品が「アッテンバーグ/Attenberg」であります。まず「Attenberg」って何のことだろうって思ったら、動物ドキュメンタリー番組で知られるアッテンボロー博士の名前を主人公が”聞き間違えた”ということに由来しているということ・・・本作の不思議さはタイトルからもうかがえます。

主人公のマリーナ(アリアン・ラペド)は、人間的なコミュニケーションが苦手な23歳の女性・・・父親(ヴァンゲリス・モーリキス)と女友達のベラ(エヴァンジェリア・ランドウ)ぐらいとしか日常生活で他人との接触しかないようです。マリーナは、この二人とは動物のような動き(踊り?)をしてコミュニケーションを取っているようで、シーンとシーンの間に時々挿入されるのですが・・・この独特の奇妙な動きこそ、本作の見どころのようになっています。母親と父親は随分昔に別れて、マリーナは父親と二人で生活してきたようです。父親は最近までは建築関係の仕事をしていたらしいのですが、重い病気を煩い検査や入退院を繰り返しています。マリーナは車の送迎の仕事をしながら、父親の看病とアッテンボロー博士の動物ドキュメンタリーをテレビで観るという日々を過ごしているのです。

唯一の友人らしいベラは性体験が豊富ということで・・・男性経験のないマリーナに性的なレッスンをしています。本作のオープニングシーンは、ベラとマリーナのディープキスの練習をしているところで、いかにも”ヘンテコリン”映画であることを主張しているかのようです。ベラとのレッスンのおかげ(?)で、マリーナは自らのセクシャリティにも目覚めて、異性にも興味を持ち始めます。

仕事で町を訪れたエンジニアの男性(ヨルゴス・ランシモス)の送迎をきっかけに、マリーナはこの男性に好意を抱くようになるのですが・・・二人の肉体的な接触はギクシャクしていて、なんとも異様。それでも、何度目かには肉体的に結ばれる(挿入成功)となります。動物的な本能で処女がイニシアティブを取ってセックスをしようとすると、こういう感じになるのでしょうか?

ここから「アッテンバーグ」のエンディングを含むネタバレがあります


本作は、父親と一人娘の関係がテーマのようなのですが・・・結論というのは、ハッキリとは描かれていません。映画の中では、背景としても登場人物の4人以外の人間の姿というのが殆どなく、まるでこの世に存在するのは彼らだけのような錯覚に陥らされます。マリーナにとって、自分が関わっている人以外は、まるで最初から存在さえしていないとでもいうのでしょうか?また、舞台となるのは海に面したギリシャの小さな街なのですが・・・ギリシャっぽい白い建物はあるものの、いかにもギリシャだというような日差しも青い空も出てきません。工業地域の殺伐とした風景ばかりなのです。

限られた人間関係しかないマリーナにとって、父親の死というのは非常に大きな出来事ではあるはずなのですが・・・日に日に衰えをみせる父親は、あっさりと亡くなってしまいます。(亡くなるシーンさえありません)ギリシャ正教では火葬が許されていないようなのですが・・・マリーナは父親が望んでいたように火葬して海に散骨して、本作は終わります。殺伐とした工場は、何も変わりません。

エンディングを迎えても、何を訴えようとしているのか、いまいち分からない映画です。でも、奇抜さだけを狙った”ヘンテコリン”キャラのようなマリーナが、徐々にリアルな存在としてシンパシーを感じるようになるという不思議な作品でありました。


「籠の中の乙女/Dogtooth」でギリシャ映画界の新しい波の旗手となったヨルゴス・ランティモス監督による新作「ALPS/アルプス(原題)」は、前作以上に奇妙な世界観を印象づける”ヘンテコリン”な映画であります。”ALPS”というのは・・・死後に亡くなった人を演じて遺族の悲しみを和らげるビジネスを行なっている謎の組織のこと。最近日本映画界で続々と制作されているような「亡くなった人との絆」を描いた”お涙頂戴”を売りにするような「感動作」を期待したら、呆然とさせられてしまうような作品です。といって・・・前作のような風刺的なコメディという趣でもありません。

「アルプス」のメンバーは、リーダー格の救命士で通称”モンテ・カルロ”(アイリス・サーヴテイルズ)、同じ病院に勤める看護師で通称”モンテ・ローザ”(アッゲリキ・パプーリァ「籠の中の乙女」)、そして若い新体操選手(アリアン・ラペド「アッテンバーグ」)と、中年の新体操コーチ(ジョニー・ヴェキリス)の4人であります。モンテ・カルロは、病院の控え室で自分のマグが誰に使われることに神経質になるような男なのですが、モンテ.ローザは「だったら私の使えば?」と優しく接しています。また、新体操選手はポップミュージックでパフォーマンスをしたいと訴えているのですが、中年コーチはまったく許可しようとせず・・・二人のあいだには確執があるようです。

ある夜、テニス選手として活躍していた若い娘が事故で瀕死の状態になって救急病棟に運ばれてきます。すかさずに両親と親しくなる看護師のモンテ・ローザ・・・彼女は娘が亡くなるタイミングを見計らって、遺族を「アルプス」のサービス(週数回、数時間、娘を両親の前で演じることで悲しみを和らげる)へ勧誘することが目的だったのです。亡くなった人を演じるにあたって、アルプスがこだわっているのは、故人の口癖や、生前によくいう言い回しを再現すること・・・一字一句間違えずに言うことを重要視しているようです。あるクライアントに言い間違いをしってしまった新体操選手は、謹慎させられたり、厳しいトレーニング(?)を強いられたりしているのですから。

しかし、この「アルプス」が”ヘンテコリン”なのは、台詞の正確さにはこだわりをみせているにも関わらず・・・その台詞は何も感情が入っていない棒読みだということです。ところが、遺族が、そんな”やっつけ仕事”っぷりに怒るというわけではなく、遺族たちも淡々と台詞を棒読みして淡々とこなすだけといった感じなのであります。その上、遺族の顔は画面のカメラフレームからはみ出ていたり、フォーカスがボケていたりと、鼻っから遺族たちの反応には興味もないような演出をされていて、なんとも”ヘンテコリン”なのです。

亡くなった恋人との口喧嘩と仲直りを再現させてから、オーラルセックスを要求してきたクライアントの男は・・・彼がオーラルセックスをしていた時に、彼女が言っていた「やめないで!天国みたいだわ~」という台詞を言わせようとします。彼女が「天国」を「楽園」と間違えると、すぐさま言い直させる様子は、悲しみを癒すというよりも、単に彼の好きなプレーをしているに過ぎないように見えてしまいます。また、中年体操コーチのクライアントの盲目の老女は、亡くなった夫の浮気現場の発見したシーンを再現させて、夫役のコーチと浮気相手役のモンテ・ローザを、何度となくひっぱ叩きます。不愉快な過去を再現することで、何らかの癒しの効果があるのでしょうか?

ここから「アルプス」のエンディングを含むネタバレがあります。


さて・・・テニス選手だった娘を体操服を着て演じるモンテ・ローザですが・・・年齢的にちょっと無理が合って、悪趣味なロリコンのコスプレにしか見えません。しかし、父親はソファで自分に抱きつかせたり、ボーイフレンドだった若者に会わせたりと、亡くなった娘が生きていた時以上に”娘”を要求してくるようになていきます。

実際の生活では、父と娘のふたり暮らしをしてきたモンテ・ローザなのですが・・・最近、父親が社交ダンスクラブでガールフレンドができたことがきっかけで、彼女自身のアイデンティティーが演じているテニス選手の娘へと移行してしまうのです。娘のボーイフレンドだった男の子を誘惑してセックスしてしまったりと、契約外での勝手な行動により、彼女は仕事から干されることになります。さらに、リーダーのモンテ・カルロからの制裁は、暴力だけでなく「アルプス」のメンバーからも外されるという過酷なものだったのです。

テニス選手の家庭には、新体操選手の若い女性が娘役として入り込んでいることを知ると・・・モンテ・ローザは、ますます自分を失っていきます。自分の父親を誘惑してみたり、父親のガールフレンドに暴行をしたり、挙げ句の果て、夜中に窓ガラスを壊してテニス選手の両親の家に侵入して、父親相手に繰り返し娘の台詞を言い続けるという奇行をするようになってしまうのです。しかし、ここでモンテ.ローザは本作から姿を消します。

新体操選手は希望通りポップミュージックをバックグラウンドにパフォーマンスを行なっています。「あなたは最高のコーチだわ!」と言って中年コーチに抱きついて・・・本作は終わります。新体操選手とコーチとの関係というのは、リアルの関係だったのでしょうか?何がリアルの人間関係で、何がフェイクの人間関係なのか・・・分からなくなってしまうような不可解なエンディングでした。

前作「籠の中の乙女」は、父親が管理する閉じた家の中で育てられた兄弟姉妹のお話。コミュニケーションに不可欠な言葉(固有名詞)の意味を、父親よって意図的に変えてしまうことは・・・子供たちの”思想”までをもコントロールするかのようでした。本作「ALPS/アルプス」では、遺族にとって故人に対する癒しを感じられるのは、関係性から生まれる”感情”ではなく・・・感情を生み出した”言葉/台詞”そのものであるかのようであります。

ヨルゴス・ランティモス監督は、あえて”ヘンテコリン”な家族を描くことによって・・・「言葉」と「人間関係」を問い続けているのかもしれません。

「アッテンバーグ(原題)」
原題/Attenberg
2010年/ギリシャ
監督・脚本:アティナ・ラシェル・ツァンガリ
出演   :アリアン・ラペド、ヨルゴス・ランティモス、ヴァンゲリス・モーリキス、エヴァンジェリア・ランドウ
日本未公開

「アルプス(原題)」
原題/ALPS
2011年/ギリシャ
監督 : ヨルゴス・ランティモス
出演 : アッゲリキ・パプーリァ、アリアン・ラペド、アイリス・サーヴテイルズ、ジョニー・ヴェキリス
日本未公開



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