2010/02/24

大きな声をもつ人の声が、さらに大きな声になっていくネットの格差

数年前の調査ですが・・・「世界で最も多いのは日本語ブログ」ということを聞いたことがあります。

「自己表現が苦手」と言われ続けてきた日本人は、実はネット上で自己表現をすることには積極的な人種だったということでしょう。

ただ、ホームページやブログなんて自分では全然やりたいとも思わない・・・という人からすると「なんで、自分の生活をネットで公開したいの?」「よっぽど、リアルライフが貧しいのね」というような差別的な誤解も、まだまだ存在しているようです。

しかし実際には、ブログ(SNSやtwitterなども含む)などで活発に発言する人たちの多くは、実はリアルライフでも自己主張の強さも持っている人が多いような気がします。


結婚詐欺殺人の女のように、ネット上で虚構の人格になりきっているブロガーというが、まったくいないわけではありませんが、それはごく少数でしょう。

ただ、プチ妄想気味に多少自己演出に長けたブロガーというのは、それなりに存在しているように思います。

「勝ち組きどり」「アイドルきどり」「グルメきどり」「評論家きどり」・・・基本的にブログというのは、ある種の自己申告で成り立っているので、その人が世間に認知されたい自己アピールが入るのは仕方ないことです。

しかし殆どの場合、リアルライフでもそれなりに社会的にも活躍している人がインターネットを通じて、さらに社会へ自己主張をするという良い相乗効果になっていることの方が多いのかもしれません。

そういう自己宣伝に長けた人たちのポジティブ、かつ、貪欲なパワーに、胡散臭いさを感じるか否かは、閲覧する側の感じ方次第なんだと思います。


雑誌などの印刷物が情報を得る一番の方法だった時代には書き手は一応はプロで、それなりの経験や責任を背負って、情報を発信しているというのが前提でした。

しかし、誰もがネット上で意見を自由に言える民主的なネット社会では、正確でない情報や、独断的で参考にならない情報というのも多く発信されています。

レストランを検索して出てくる一般人の評価ほど、当てにならないものはなかったりします。

本来であれば世の中に流れるべきでない、流れる必要のない情報もドンドン広がっていってしまうので、有益な情報が検索サーチの網の中で埋もれてしまうことも多々あります。

本当に良識のある見解をもった人だけがネットで発言してくれれば良いのですが、そういう人に限ってネットを利用しないことが多いようです。

良くも悪くも、ネット上に存在する多数決の意見が、結果的に正しい情報として認知にされてしまうのでしょうか?

インターネットが普及した以降の事項はネットに記録されているので将来的にも検索出来ても、ネット以前の出来事は誰か正確な記録の残さない限り、いつか人々の記憶から消えてしまうのでしょうか?

大きな声をもつ人の声を、さらに大きな声にする拡声器のようなネットのツールが、一部の声の大きな人たちによってコントロールされるメディアになってしまうのであれば、新しい格差を生むことになるような気がしてならないのです。


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